サインコサインタンジェント

鳥尾巻

出会いと再会

 なんの気なしにその場所に足を踏み入れたことを激しく後悔する。


 昔からこの"なんの気なし"で失敗してきたにもかかわらず、自分の学習能力のなさと間の悪さを呪う。ああ、この店の雰囲気好きだな、とか、行ったことないから新規開拓、なんて衝動的な理由なき理由。


 程よく照明を落とした店内に静かにかかっているクラシカルなジャズの音色。ドアベルのチリン、という音に反応して、一人分空けてカウンター席に座っていた男と女が振り返る。


「久しぶり」「久しぶり」


 私を見て驚いたように目をみはり、同じタイミングで異口同音に発せられた二つの声。次に二人はお互いを見て、また私の方を見た。


「知り合い?」「知り合い?」


 男女の双子なんじゃないかと思うくらい声がピッタリ揃っている。もちろん彼らは血縁ではないし、会ったこともないはずだ。


「久しぶり……」


 ドアの前で引き返そうかどうしようか逡巡しゅんじゅんしていた私は、初老の品の良いマスターに「いらっしゃいませ」と声を掛けられて、渋々二人に返事をした。

 仕方がないから一杯だけ飲んですぐ帰ろう。彼らから少し離れた席に座ろうとする私に二人がまた声を揃えて言った。


「こっちにおいでよ。一緒に飲もう」「こっちにおいでよ。一緒に飲もう」


 見れば二人の間に一つ空いた席を揃って指さしている。どこまでも同調シンクロする言葉に空恐ろしいものを感じながら、私は恐る恐る間のスツールに腰かけた。

 右隣にメリハリの利いた体を白いニットワンピースに包んだ美女、左隣にネイビーのスーツを隙もなく着こなした長身の男、私はと言えばカジュアルなベージュのジャケットに黒のパンツ姿にスニーカーという気の抜け具合。

 気まずく黙り込む私に対して左右からにこやかな視線が注がれる。なにがしかの事情を察しながらもマスターは素知らぬ顔で控えめに注文を聞いてくれた。


「何になさいますか?」

「う、あ、えーと……ジンライム」

「同じものを」「同じものを」

「かしこまりました」


 マスターが氷を取りにカウンター内を移動すると同時に、私の腰に手が回される。しかも両側から。彼らの指先が背後で交差して、驚いたのとくすぐったいので変な声が出た。


「のわっ!ちょ、何してんの」

「ねえ、ジンライムの」「カクテル言葉って……」

「あー、なんだっけ?別にいちいち意味なんか考えて頼んでないよ、さっぱりしたのが飲みたかっただけで」


 間の悪さを呪うどころか”何の気なし”に呪われている。考えてから注文すれば良かった。さっきから暑くもないのに変な汗が出る。

 身をよじって二人の手から逃れ、期せずして私を介して手を握り合ってしまった彼らに言ってみた。


「き、きみたち気が合うね。さっきからやることなすこと被ってる」

「そうだね、似た者同士かも」「そうだね、似た者同士かも」


 私を挟んで同じ台詞セリフと視線を交わす彼らに居たたまれない思いを強くする。もう帰りたい。


「そっかー。じゃあ、あとは若いお二人で……」


 飲み物が来るのを待たずにそそくさと帰ろうとする私は、またもや左右から首根っこをガシッと掴まれた。


「いや、この人のこと知らないし」「座って?」

「もう、息ぴったりだね?これぞ運命の出会い?」

「好みは合うみたいだけど」「無理」


 彼らが同じタイミングで素っ気なく肩を竦めると、ちょうど注文していたカクテルがきた。


「お待たせしました。ジンライムです」

「では、再会を祝して」「『色褪せぬ恋』に乾杯」

「……乾杯」


 両側でグラスを軽く掲げる元カレと元カノを交互に見遣り、私は溜息をついて自分のグラスを持ち上げた。

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