第15話
永山哲也は眉間に深い皺を寄せ、腿の横で拳を強く握る。
田爪健三は、そのような永山を気にすることも無く、自分の顔を指差して話を続けた。
「私を見てみなさい。私はこの仕事を10年近くやっているが、うん、君はこれを仕事とは思っていないのだろうが、まあ、いいだろう。とにかく、この老け方はどう思うかね。最初に君が私を見て田爪健三であると自信を持てなかったほどに、私は老いている。まだ49歳だというのに、どう見ても60歳は疾うに過ぎたかのような容姿だ。老化の速度が異常に速いと思わんかね。そうだよ。あのマシンだ。あのタイムマシンのせいなのだよ」
田爪健三は円形の部屋の奥の白い機体を指差した。そして、少し顔を紅潮させ、永山に訴えるかのように言った。
「これはね、この空間移動はね、副作用があるのだよ。一度、空間をジャンプをすると、それ以降、細胞の劣化速度が急速に速まるに違いない。危険だ。こんな危険な行為を、しっかりとした実験も重ねず、確固たる結果も出ないうちに、まして、科学者が二名も消息不明になっているのに、そのまますぐに民間人で繰り返すとは何事だ。だいたい、あの国は、あの政府は、国民の命を何だと思っているのだ。政府は高橋君の捜索には全力を費やした。しかし、私についてはどうかね。私は生きている。ここに、こうして、生きている。時折は地上に出て、町に出向いたりもする。政府は私を探したのか。高橋君の時のように徹底的に探したのか。十箇月だ。私がここに着いてから十箇月もしないうちに、最初の民間人が送られてきたぞ。しかも、その後のことは全く御構い無しだ。送った人間がどうなったかなんて、追跡調査をしようとはしない。それはそうだ。なぜなら、『過去』へ送ったのだから。自国民だろうと、自治体の年間予算に匹敵する額の金を支払った外国人だろうと関係ない。私の扱いがそうであったように、御構い無しだ。どうせ、こいつらは別の時代に行き、別の時間軸を生きる訳で、この現在の世界の人間とは、もう誰も二度と会うことはない人々なのだ。電話も来なければ、手紙も来ない。裁判を起こされる心配も無い。だから送ってしまえ。どんどん送れ。そうすれば、彼らが支払った巨額の渡航費で国の財政が潤い、その分だけ税金が下がり、その分だけ経済が成長してみんな万歳、万々歳。そして、その結果、今日も民間人四名が犠牲となった」
田爪健三は片頬を僅かに上げた。
永山哲也は眉をひそめて話を聞いている。
田爪健三は、奥で白煙を上げるタイムマシンの方に顔を向け、それを眺めながら話を続けた。
「ところで君は、あのポンコツのインチキ・タイムマシンを飛ばすために、いったいどれだけの天然資源を消費したか知っているのだろう。いい加減なタイムトラベル事業の実施のために、どれだけの電力が必要になるか、日本に住んでいる君なら知っているはずだ。そうだ。発射には莫大なエネルギーを必要とする。送られてくる機体を分析して分かったのだがね、どうやら司時空庁とやらの連中は、私と高橋君が居なくなってから10年も経つというのに、量子エネルギーの大量生成にすら成功していないようだね。もし成功していたら、日本は世界一のエネルギー大国になっているはずだし、送られてくるタイムマシンに電力機構が残っているはずもない。たしかに量子エネルギーを集めて蓄積するのは大変だよ。連中も少しはできるのだろうが、せいぜい地球の反対側までワープができる程度しか貯められていない。だが、タイムトラベルするためには、本来もっと多くの量子エネルギーが必要なのだよ。だから、量子エネルギーが足りなくて、『時の壁』を破ることができない。私はそう推測しているのだが、とにかく、司時空庁の連中がもっと効率よく量子エネルギーを貯めてマシンを送ってくれれば、私ももっと楽をして、この銃に量子エネルギーの残りを貯めることができるし、ここの兵士たちにも十分な量の量子銃を配備することができる。で、戦争も終わる。ゲリラ軍の勝利でね。まあしかし、それは夢物語だな。完全な量子エンジン型のタイムマシンなら、ここに誤って飛んで来ることも無いわけだからね」
永山哲也は田爪をにらんだまま、挑発的な笑みを浮かべて言った。
「分かりませんよ。ある民間企業が量子エネルギーのパッケージ化に成功したという噂を聞いたことがあります。もしそうなら、近々、日本からここにマシンが数機ワープしてくるかもしれませんよ。警官と軍人を乗せて」
田爪健三は動じなかった。逆に彼は関心さえ示した。
「ほう、エネルギー・パックの製造に成功したかね。だとしても、量子エンジンを作ることまではできないだろう。量子エネルギーを最大効率で使用できる動力エンジン。それが無いと、どうしてもタイムトラベルなどはできんよ。それに、一つや二つのパックを作ったところで意味はない。量子エネルギーを大量に効率よく作ることができなければね。理論的には、循環式のプラントを造れば、それで半永久的に大量生成することは可能だ。私の中にはその構想もある。だが、そんな物を彼らが作ることはできまい。現に今でも私や高橋君が使っていた発射台から飛ばしているのだろう、タイムマシンを。だとすると、10年前の第一実験と第二実験で使用した実験機の発射システムから何の進展も無い訳だ。念のために言っておくが、あれは間に合わせの発射システムだったのだよ。それなのに、今もそれを使っている。ここに到着するタイムマシンに電力機構が残っているのは、その証拠だ。10年前に私が作った実験機と全く同じ。大量の電力を使用して発射エネルギーの不足分を補っている。もう一度言うが、あれは間に合わせの、実験用のシステムなのだよ。エネルギーの消費にも、相当に無駄が多い。毎月一度、日本では大騒ぎだろう。タイムマシンの発射のために君たち一般市民の電力の消費量に制限がかかって。違うかね」
田爪健三はニヤニヤと笑みを浮かべながら、永山を指差した。
永山哲也は両肩を上げ、片笑みながら答える。
「そう不便はしていませんがね。大抵の家電製品は、
「酸素電池かね。半永久的に発電するという。そうか、日本では、そんなに普及しているのか。この大陸の人々は今でもアルカリ電池を使っているのに。可哀想に。停電も多い。日本では、どうかね。停電は」
永山哲也は首を横に振った。
「ありませんね。あなたと高橋博士が構築してくれた『SAI五KTシステム』のおかげで、この十数年、停電は起こっていません。まあ、もともと少なかったですが……」
「そうか。私と高橋君も、少しは君たちの暮らしに貢献できている訳だ。ということは、タイムマシンの発射で全面的に電力が停止するということは無いのだね」
永山哲也は、今度は首を縦に振る。
「ええ。電気を大量使用する工場とかが一時的に停止したり、工事現場での作業が一時中断したりするくらいです。まあ、数分のことですし、月に一度のことですから、文句も出ていませんね。政府からも、ちゃんと補償がされているようですし」
「うん。だが、補償がされているからと言って、文句が出ないからと言って、問題が無い訳ではない。タイムマシンの発射に使用する電力は相当な量だ。第一実験でも、第二実験でも、ほぼ全ての国内の発電所をフル稼働させたうえに、国内全世帯と民間企業への送電を一時ストップして、発射実験の方に回したのだ。そして、今もそのシステムを使用している。だとすると、O2電池や、増加した自然エネルギー発電、『SAI五KTシステム』による電力供給の最適化調整などによって誤魔化したとしても、実際に消費する電力量に変わりはないはずだ。そして、それら大量の電力を生むためには、大量の資源が必要となる。それに、量子エネルギーを10年前の方法で集めているのだとしたら、それだけでもかなりのエネルギーを消費しているはずだよ。そのエネルギー生成にも、やはり大量の資源を必要とするからね」
田爪健三は再び椅子の背もたれに深く背中を当て、永山を指差した。
「つまり、日本が毎月実施しているタイムトラベル事業のために消費する天然資源の量は相当なものだ。君の国は天然資源をほとんど持たないはずではなかったかね。私の記憶では、そうだ。だから、それをどこかの国から輸入しなければならない。ところが、資源不足の昨今だ、そう易々と大量の天然資源が手に入る訳ではない。むしろ逆に値は釣り上げられる一方だ。しかし、人を過去に飛ばさなければ、その渡航費で国家財政を賄えない。国が何か商売をしなければ、赤字を解消できなくなっている。商売人国家に成り下がってしまった訳だ。そして一方で、財界人や大富豪、成り金の連中から一般庶民の大半までもが、このインチキ事業を支持している。タイムトラベル事業に反対する国民は、ほとんどいない。まあ、多くの人間はタイムマシンの発射をずっと継続してもらいたいのだろう。そしてそれは、誰もが、自分たちもいつか『過去』に飛びたいと思っているから。その証拠に、このところ毎日、『過去への渡航』の申し込みが殺到しているそうではないか。あの値段にもかかわらず。中には借金をしてまで申請している者もいると、この前、こっちのニュースで報じられていたよ。しかも、長い順番待ちで、どうやら、予約してから7、8年は待たされるようだとね。ご苦労なことだ。7、8年待たされた挙句、地球の裏側の穴倉に飛ばされて、消されるだけとはね」
田爪健三は溜め息を交えて首を横に振った。永山哲也は不可解な顔で首を傾げる。
顔を上げた田爪健三は、永山の目を見据えて言った。
「とにかく、君の国としては、このインチキ事業を継続する必要がある。そして、そのためには大量の資源が必要だ。結論から言おう。私はこう考えているのだよ。君の国は、タイムマシンの発射のために必要となる天然資源を回収するために、この国に核テロ攻撃の言いがかりをつけ、戦争をしかけた。この国の大地から資源を盗み取るために」
田爪健三は強く床を指差した。
永山哲也は田爪の目を見据えたまま言う。
「いや、それは、ちょっと……」
「ちょっと何だね。いいかね。核テロ攻撃があったのが、2025年。高橋君が第一実験で飛んだのが2027年。私がこちらに転送されたのが2028年だ。その後、民間人の高額有料転送が始まったのが2029年。君の国の働きかけで南米連邦政府がゲリラ掃討作戦を開始したのが2026年。環太平洋連合軍の介入で、この国での戦争が本格的に始まったのは2027年だ。そう、第一実験の年だ。これは、偶然の一致だと言うのかね。ならば、もう一つ、偶然の一致を教えよう。天然資源にも色々あるが、あのインチキ・タイムマシンの発射に必要な天然資源の種類のうち、その全てが、地球上では、この大陸の地下に大量に眠っているのだよ。しかも都市部の地下にね。実際に協働部隊が支配するこの大陸の南部の地域一帯では、それらの資源が大量に採掘されている。知っていたかね」
田爪健三は永山の方に身を乗り出した。
「つまり、この戦争はビジネスの一環なのだよ。君の国がタイムトラベル事業で儲けるために必要だから惹起された。私は、そうにらんでいる」
この大陸での資源採掘の事実も、日本への大量輸入の事実も、それらがタイムマシンのエネルギー生成に必要な資源であることも、彼が所属する新聞社の社会部の同僚たちが突き止めていた。その同僚たちも同様に推理したが、戦争の原因とは結びつけていない。
顔を曇らせている永山に、田爪健三は更に言う。
「ああ、一応、これも言っておくがね。これはね、私のやっている『仕事』はね、ビジネスではないのだよ。君の国のように商売をしている訳ではない。商売はいかん。下衆だ。仕入れて売って、差額で儲ける。もちろん、労働の対価として均衡が取れていれば、その差額を取得するのは正当だ。だが、どの業界でも、どの業種でも、どの地域でも、均衡が取れているかね? 汗水たらして働いても薄利、つまり労働の対価が価格として反映していない。言い換えれば、買う側は、不当に安く購入している。反対に、不必要に高い価格を乗せる者もいる。そう大した労働を提供していないのに、さも大仕事であったように値をつける者もいる。一方で、成長だとか発展だという言葉を使って、利益の上に利益を重ねていく者もいる。絶えず儲けようとする。経済学はそれを前提としている。是認している訳だ。当たり前のこととして。他人と競争すること、同業他者とも顧客や消費者とも。それが商売だ。昔の日本人はそういった姿勢を否定したはずだが、その日本でも、ここ半世紀は商売で成功すれば英雄だ。昔、日本にいた頃に何度か見たが、成功者としてテレビで紹介されたり、本を出版したり、公演を依頼されたりする。欲を膨らませた結果であるにもかかわらずだ。何故そうなるのか。当然だ。国がそうするからさ。国民に模範を示すべき政府の役人や議員、専門家たちが、そうするからだ。国会議員も、医者も、弁護士も、学者も、時には公務員でさえも、より一層に儲けようとする。金を集め、いい服を着て、いい物を食べて、いい家に住んで、いい車に乗って、最後にはポンコツ・タイムマシンにまで乗る。その意識していない真の目的は、さっき述べたとおりだ。まあ、実はタイムマシンに限った話ではないのだがね。君の身の回りでも現に起きていることだよ。若者に目を向けてみればいい。自分が若かった頃も考えみたまえ。田舎から出てきたときはどうだった。同じだろう、あのタイムマシンに乗ってきた連中と。そして、その結果は今の君の国の社会のあり様そのものだ。見直してみるがいい、周りを、自分を。同じじゃないかね」
田爪健三は強く激しい口調でそう言った。そして、一息吐き、再び静かに話し始めた。
「だが、私は違う。ビジネスをしているつもりはない。では、復讐か。それも違う。これは、私を愚弄し、追放した者どもへの復讐でもなければ、国家への反逆でもない。さっきも言ったじゃないか。鉄槌だよ。刑罰だ。私はね、自らの欲望の実現のためだけに、あるいは目標達成のためだけに、社会や、そこに生きる人々、自分と係わったすべての人間を捨て、恋人、妻、夫、息子、娘、孫、兄弟姉妹、父、母、祖父、祖母、叔父、叔母、従兄弟、甥、姪、友人、職場の同僚、いつも親切にしてくれる弁当屋のおばちゃん、遠くから電話をかけてくれる同級生、通っている歯医者、世話になっている床屋のおじさん、雇っている従業員、自分の演奏を聞きに来てくれる人、食事を作ってくれる人、洗濯をしてくれる人、掃除をしてくれる人、車の窓を拭いてくれる人、――自らに係わる全ての人々との縁を断ち切り、その愛に報いることも無く、これらの人々に対する、いや、この世の全ての人々に対する責任を放棄し、後顧の憂えも無くタイムマシンに乗った、ただ自分だけの幸せしか考えない自己中心主義者どもに対して、捨てられた全ての人に代わって、応報の刑罰を下しているのだよ」
次第に声を荒げていく田爪に対し、永山哲也は冷静に聞き返した。
「自己中心主義者?」
田爪健三は大きく頷いてから答える。
「そうだろう。人は絶えず何かの責任を背負っている。なぜなら、社会で生きているからだ。社会は人と人との関係で成り立っている。自分と他人、そして、他人と他人だ。勘違いしてはいかんよ。『赤の他人』ではない。それは『他人』の中の一部だ。『他人』とは『自己』の対義語だよ。つまり、自分以外の全ての人だ。当然、親、兄弟、配偶者、子も含まれるし、見ず知らずの無関係な人間も『他人』だ。自分と他人、あるいは、その他人と別の他人、その別の他人と別の他人。関係は連鎖していく。その関係の中から、自分が負っている責任を自分で見つけなければならない。それが『社会性』だ。社会で生きるための性質だよ。必要となる性質だ。社会にとっても、自分にとっても。ここでも勘違いしてはいかんよ。よく多くの人間が口にする『社会性』、あれは大抵『社交性』のことだ。あるいは『協調性』、『遵法性』、『寛容性』のことだ。よく精神を鋭敏にして冷静に聞いてみなさい。そうだから。すべて別の言葉があるのに、皆『社会性』と同義だとか、その内容だとか言う。別の言葉で表現される別のことなのに。これらも人には必要なことではあるが、いつも『社会性』とすり替えて論じられる。だが、それは、法と法律の区別もできない愚かな人間どもが語っているか、本当は分かっているのに自分にとって都合が悪いから誤魔化そうとする人間たちがそう曖昧に言っているだけだ。私が今言っているのは『社会性』の話だ。では『社会性』とは何か。私はこう思う。責任が社会の成立から必然的に導かれる概念だとすれば、責任を果たすことは社会の中で生きるために当然に求められることだ。社会に対する責任ではない。他者に対する具体的な責任だ。『他人』に対する責任。誰に対し何をするべきか。その責任を果たすことこそが『社会性』だ。ひとりひとりがその責任を果たさずに、つまり、『社会性』を伴わない人間が、そのまま社会の中に留まり、滞留していって、外形のみの社会を維持すれば、どうなるか。責任を果たさない人間を放置した結果、実際に世の中はどうなったか。君は分かっているはずだ。一番解かり易い例を挙げよう。福祉だ、福祉。君の国の福祉は言葉だけで、実体においてはまったく成立していない。老人福祉に的を絞ろう。2038年、今、ベッドの上で寝たきりの老人たちは、自分たちが若い頃に老人の世話をしてきたかね。バリアフリーだの、安全食品だの、福祉道具にもデザイン性を持たせることが人権だとか、要介護者の権利強化などと20年前から随分と騒いではいるが、では、その騒いでいる世代、あるいは騒いでいた世代の人々は、自分たちの親のために同じような主張をしてきたかね。老人ホームを建て、そこに放り込んだだけだろう。福祉事業所を乱立させ、そこに任せてきただけだろう。しかもだ、1日のうち、ほんの少し施設に顔を出すだけで、後は御構い無し。それならまだ良い方だな。それ以下の頻度なら論外だ。昔よく聞いた話だが、施設職員に手土産を持っていっても、そこに入所させている自分の親には持参しないらしい。そういう人種、あるいは世代だ。で、自分たちが施設に世話になる歳になりかけると、色々と声を上げ始めた。結局、その後、今、自分たちがどうなっているか。崩壊した福祉制度という腐った茣蓙の上で排泄物の垂れ流しだ。しかも、その始末を二世代後にまでさせようとしている」
永山哲也は眉を寄せ、目を細めた。それは、田爪への彼の不快感の表れであると同時に記者として見ている現実の状況への不快感の表れでもあった。田爪健三の指摘は、ある部分において当たっていた。彼の指摘は鋭かった。
田爪健三はそんな永山を責めるように指差して、話しを続けた。
「さて、私は、この現状の主な原因は、彼らの世代の責任感の無さ、つまり自己中心性にあると思うのだが、違うかね」
永山哲也は真っ直ぐに田爪の顔を見たまま答えた。
「人には、いろいろと事情があります。一概には言えません」
田爪健三は椅子の背もたれに身を投げて言う。
「ほら。そうやって責任の追及を……、いや、追及しても何にもならん。そんなことは司法関係者だけにやらせておけばいい。責任は果たさねばならん。そして、果たさない者には、鉄槌を下すべきだ。それをせずに、今の君のような発言をして、甘やかし、放置してきたから、君の国の福祉は、現状のような事態になったのではないかね。他のことだって同じだ。皆、いい加減に放置する。違うかね」
再び前屈みになった田爪健三は、量子銃を両手で握ったまま、膝の上に肘を乗せて、永山に問い掛けた。
「よく思い出してみたまえ。無責任を放置する仕組みは、ありとあらゆる所に蔓延しているだろ。君のすぐ近くだ。ああ、あれはどうだ、随分と前からだが、天気予報が当たらないだろう。今もそうかね」
永山哲也は目を泳がせながら答えた。
「ええ……まあ、それは確かに……」
田爪健三は嬉しそうに頷く。
「そうか。だが、その当たらない天気予報を情報番組の中でした気象予報士は、次の日の同じ情報番組にも出演しているのではないかね。あるいは、新聞に予報を載せているか。ああ、君は新聞社の記者だったな。どうかね、君の会社では天気予報欄に予報者の氏名を載せているかね」
怪訝な顔で首を横に振った永山を、田爪健三は黒皮の手袋をした右手で指差した。
「だろ。本来なら、予報責任者の氏名と、過去の的中実績をパーセント表示で載せるべきではないのかね。そして、予報の不的中が続くようなら、別の予報士に替える。外した予報士を責め立てる必要はない。未来予測だからね。外れることもあるし、それは悪いことではない。私も科学者だ、その点には理解があるつもりだ。だが、いくら私でも、失敗続きの人間に重要な実験はさせない。別の者と替える。そう、替えればいいだけだ。天気予報は重要だ。皆、それを頼りにしている。業種によっては大損害に繋がることもある。それなのに、天気予報を外し続けても、放置される。テレビの前で自作の工作を披露し続ける奴もいる。気象コラムを書き続けて、終いには本を出す奴もいたな。皆、視聴者や読者が放置しているのだ。もちろん、出演させたり、書かせたりしている会社は言うまでも無い。だが、これが公務員なら、そうはいかないだろう。すぐに現場から外され、降格だ。そして、最研修。他にもあるぞ。医者はどうだ。医者は失敗しても、大抵が医者のままだ。民事責任や刑事責任のことを言っているのではない。まあ、強いて言えば医師免許に係わると言う意味で行政責任とでも言うべきかもしれんが、結果として悪い形を作り出したのだとすれば、医療の領域からは完全に放逐するべきだろう。一時的にもね。企業のトップはどうだ。法人の失敗について、何らペナルティーを負わない人間は何人もいる。この分野は例をあげたら枚挙に
それも大方が当たっていた。だが、永山哲也は頷かない。彼は黙って、田爪の話を聞いた。
「誰かがどこかで罰を与えることをしないから、こうなるのだよ。だが、その罰は行為と均衡した内容でなければならない。そうだろ。地球上のほとんどの国が法治国家だし、人権国家だ。実は、そんな言葉を使わなくても分かっていることなのだが、実は、皆が惚けて、わざわざ別の言葉で誤魔化している。それだけだ。まあ、いい。とにかく、グローバル・スタンダードに従えば、罪刑の均衡。これが大事だ。そこで話を戻そう。このポンコツ・タイムマシンに乗ってきた者たちは、全ての責任を放棄して、全てを捨ててきた人間だ。全てを捨ててきた人間から、全てを奪って何が悪い。運んできた財産も、肉体も、魂も。彼らが捨ててきたものに比べれば、むしろ少ないくらいじゃないか。私は決して、いい加減な対処をしてきたつもりはない。これは、論理必然的な結果なのだよ。今の日本の司法よりは随分とまともな処理をしているだろう。そう思わんかね、新聞記者の永山君」
永山哲也は少しも首を動かさなかった。同意を示すつもりはなかったし、反駁することもできなかった。それは永山が田爪に量子銃を向けられているからではない。彼自身の思考において、そうであった。
黙ってにらむように自分を見るだけの永山に、田爪健三は言う。
「それにね。この副作用。転送後に生きていても、その後ずっと、私のように後遺症に苦しむことは間違いないのだ。だから、私はあの送られてきた人たちを、未来の苦痛から解放してあげたのだ。そして、そうすることで、ここの兵士たちに物資の提供ができ、この戦争で彼らが少しでも有利になるならば、また、そうすることで、戦争で苦しむこの国の人々の役に立てるのならば、それはこの戦争の惨禍の根源的な原因を作り出してしまった科学者のせめてもの償いとして、やらねばならないことでもあるのだよ。科学者としての私の義務だ。責任だ。同時に、これが私の贖罪となるならば、私は、この『仕事』を続けるしかないのだよ。神への懺悔として!」
田爪健三の声は、広い円形の地下空間に強く木魂した。
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