第14話
21
眩い閃光が連続する。朝陽も強い。
高い塀を左右に広げたゲートの前には多くの報道記者たちが詰め寄せていた。真っ黒に汚れたワイシャツを着た長身の中年男がフラッシュの光を手で遮りながらゲートから出てくる。その前では、制服姿や背広姿の警官たちが記者たちを退かしていた。
取材陣の向こうには紺色のバンが停車している。
記者たちを押し退けて進む警官たちの後を歩きながら、その長身の中年男は周囲からの閃光に顔をしかめて呟く。
「やれやれ。随分と大袈裟なこったな」
横を歩いていた胡麻塩頭の初老の記者も、眩しそうに目を覆いながら言った。
「予定より多く集まったみたいだな。『ドクターT』の救出にも取材にも失敗して、逆にこっちが救出されたとなれば、こりゃ、元カミさんに頭が上がらんな」
初老の男は長身の中年男の高い位置の肩を叩いた。長身の中年男は鼻に皺を寄せて舌打ちする。
2人の後ろを歩いていた小柄な中年男が、紺色のバンの向こうに立ち並ぶ白黒の大きな影を指差して言った。
「あれを見ろ。警察のハイパー
立ち止まった長身の男は、少し背伸びをしてバンの向こう側を眺めた。
「あれが副外骨格機動隊員かあ。ロボットみたいだなあ。本当に人が入ってるのかよ」
横で立ち止まった初老の男は胡麻塩頭を撫でながら小声で言った。
「ドンパチにならなくて良かったよ。しかし、事が大きくなり過ぎたな。どうする」
後ろで立ち止まっていた小柄な中年男が深く溜め息を漏らす。
「予想外の事ばかり起きたからな。不味いかもな。取材のためとは言え、俺たちは国の施設である『タイムマシン発射施設』に無許可で入ったんだ。今後いろいろと……うわっ」
フードで顔を隠した赤いパーカー姿の女が小柄な中年男の背中を押して前を覗いた。
「キャップ、そんなことはどうでもいいですから、早く行ってくださいよ。顔を撮られたら恥ずかしいじゃないですか。メイクが落ちてるんですから」
「ああ。わかった、わかった」
振り向いて答えた長身の中年男は、胡麻塩頭の初老の男と一度顔を見合わせると、再び一緒に歩き始めた。その後を小柄な中年男が不機嫌そうに歩いていく。赤いパーカー姿の女は前の男の小さな背中に隠れながら下を向いて歩いた。少し間を空けて、モンペを穿いて頭に防空頭巾を被った小柄な女がついてくる。その若い新人記者は下を向き、トボトボとした足取りで進みながら、刺子折の
5人の記者たちを背広姿の刑事たちが囲み、制服姿の警官たちが並んで作った壁の間を誘導していく。
5人がバンの前に辿り着くと、側面のドアが横にスライドして開いた。中に座っているスーツ姿の赤毛の女が、こもった低い声で言う。
「早く乗って下さい。車はすぐに出ます」
長身の中年男と胡麻塩頭の初老の男が車の中に乗り込んでいく。続いて乗ろうとした小柄な中年男は、車内に足を掛けて立ち止まった。中の赤毛の女に何か言おうとした彼の背中を赤いパーカー姿の女が強く押して言う。
「デスク、ほら、早く行って下さい。奥、奥」
「押すなっての。俺は上司だろうが……」
小柄な中年男は文句を言いながら車に乗り込んだ。赤いパーカー姿の女も続いて乗り込む。防空頭巾にモンペ姿の新人記者は、車の前で立ち止まり、振り向いた。高い塀の向こうには大きなビルが何棟も建ち並んでいる。正面に建つ頑丈そうなビルの上の階の窓に、こちらを向いて立つスーツ姿の男の人影が小さく見えていた。その割れた顎の男は振り返り、横に居た白いドレス姿の女性を連れて奥へと消えていった。
モンペ姿の若い女は口を縛り、充血した目で、その窓を強くにらみ付けている。すると車内から、彼女の半纏の襟を赤いパーカーの女が掴んだ。
「早く乗んなさいよ。警察の方も、すぐに出すって言ったでしょ」
彼女に引き入れられて、モンペ姿の若い女がバンの中に乗り込むと、ドアはすぐに閉められた。
そのバンは、軽機関砲を搭載した武装パトカーと共に走り出す。
車の中で、赤毛の女は自分たちが警察であることを明らかにしただけで、どこの部署の何者かは名乗らなかった。ただ、記者たちを会社のビルまで送ると言う。記者たちが怪訝な顔をすると、赤毛の女は機械のように抑揚のない口調で言った。
「今日、あのタイムマシン発射施設の中には、不法に侵入した者は居なかった。それが捜査の結果です。我々の捜査を取材に来た記者の一部が誤って中に入り、道に迷ったようですが、捜査の途中、我々は偶然にもその記者たちに出合ったので、保護した。車で来ていないようですので、勤務先の会社まで送り届けた。報告書には、そう記載されます。司時空庁とも、そう確認が取れていますので。あなた方にも、一応、お伝えしておきます」
それは明らかに用意された筋書きだった。真実とは全く違う。それが権力者同士の政治的な妥協の産物であることは、記者たちにもすぐに理解できた。
長身の中年男が悔しそうに言う。
「くそ。津田の奴か。あいつが手を回したんだな」
赤毛の女は首を横に振り、静かに答えた。
「いいえ。とある民間企業からの通報です」
小柄な中年男が驚いた顔をした。
「民間企業? ウチの会社か」
「警察をウチの会社が動かせるかよ。決まってるだろ、あそこだよ」
長身の中年男がそう言うと、少し考えた小柄な中年男は、赤毛の女の方を向いた。彼がその通報者名を言おうとしたので、長身の中年男が咄嗟に彼の口を手で塞いだ。呆れ顔をしている赤いパーカーの女の隣で赤毛の女は険しい顔をして言う。
「通報者の氏名は、一切公開できません」
防空頭巾を被った若い女が何かを尋ねた。その新人記者を一瞥して、赤毛の女は淡々と答える。
「この件に関する通報は一件のみです。他は何もありません。モンペに半纏姿の記者の氏名も、我々は一切把握していません」
「まだ中に居るんだぞ。警察は知らんふりか!」
長身の中年男が声を荒げたが、赤毛の女は動じること無く、イヤホンマイクに手を添えて通信し、現況を確認した。一瞬眉間に皺を寄せた彼女は、沈んだ声で結果を伝えた。
「残念ですが、たった今、実験は終了したようです。警戒態勢が解除されました」
「くそっ!」
長身の中年男が強く壁を叩く。
新人記者の若い女は泣き出した。
記者たちは赤毛の女を責める。だが、それは殆ど八つ当たりに近かった。どの記者たちも皆、自分自身に怒っていた。
赤毛の女は、俯いて泣いている防空頭巾の若い女を覗いて言った。
「ある方から、あなたに幾つか伝言を頼まれました。もし、事に失敗したら、あなたに伝えるようにと。ですから、お伝えします。――まず、あなたに責任はない、だから、決して悔やんではいけない、と。それから……」
若い女は泣くのをやめて、顔を上げた。
赤毛の女は真剣な顔で、その若い女に伝言を続ける。
「雉を(きじ)討ちたければ、鳴かせればいい――だそうです。新聞記者である他の方にも、そう伝えるようにと」
記者たちは怪訝な表情で顔を見合わせた。1人、新人記者の若い女だけは下を向き、モンペの布を強く握り締めていた。
その紺色のバンは、前後を護衛する軽武装パトカーと共に市街地へと走っていった。
22
永山哲也は両手を上げ、入ってきたドアの方角にゆっくりと歩いていた。その視線は田爪の顔を厳しく捉えている。
田爪健三は永山に量子銃を向けたまま、少しだけ顎を上げて言った。
「そうだ。それでいい。素直なことは良いことだ。君にとってね。それは人間が成長し、成功するための秘訣の一つだからね。だが、急いでくれたまえ。モタモタしていると、次のタイムマシンがやってくるぞ。その前に、あの割り込んできたタイムマシンを退かしておく必要があるんだ。これが結構大変な作業でね。時間もかかる。しかも更にその前に、さっき言った『私の作業』をしなければならん。君と不必要に話している時間は無いのだよ。私の計算どおり、予定どおりに進めてもらわねば困る。そうだ。こっちだ。最初に自分が立たされていた場所に来ればいい。急ぎたまえ。――そうだ。そこだ。その黄色い線の向こう。よし。それでいい」
永山哲也が元の位置に立つと、田爪健三は歩み寄り、彼の右手を掴んで持ち上げた。
「ところで、その録音機は本当に録れているのかね? ここからが大事な話なのだが」
田爪健三は、永山の右手に握られているICレコーダーを覗き込んだ。
「ふーん。ホログラム・パネルか。今風だね。液晶パネルが懐かしいよ。この平面ホログラフィーのパネルは拡大もできるのだろう? いや、いいよ。ちゃんと見えている。訊いてみただけだ」
田爪健三は永山の右手首を左手で掴んだまま、その薄型のICレコーダーを興味深そうに眺め回した。
永山哲也は、田爪の左手が思いのほか冷たいことと、力が強いことに驚いた。
田爪健三は永山の右手を更に持ち上げ、彼の指の隙間から見えた物に顔を近づける。
「おや、裏に何か貼ってあるな。何だね、これは」
「シールですよ」
永山哲也は無愛想に答えた。田爪健三は鼻で笑って言う。
「そんなことは見れば分かる。子供に貼られたのかね。まだ、そんなに小さいのか」
「いいえ」
「そうか。まあ、いい。しかし、人間とは奇妙な生き物だ。こういう奇異な表象に興味を抱き、抽象化された偶像の意味や分類も考えずに、身の回りに留めようとする。意味のある行為だとは思えんがね」
田爪健三は永山の右手を放した。そのまま後ろに下がり、背中を向けた彼は、鉄柵の向こうのパイプ椅子の方に歩きながら言った。
「よろしい。では、さっきの話だが……」
「……」
永山哲也は右手のICレコーダーを裏返し、そこに貼られたキャラクターのシールを見つめていた。それは赤いジャージ姿で小躍りするようなポーズをとっている不細工なオジサンだ。確かに田爪の言うとおり奇異ではあるが、永山はそれを剥がさなかった。娘が貼ってくれたものだからだ。学校で開運のお守りとして流行っているキャラクターのシールらしい。中学生の娘には高い腕時計は買えないし、餞別も準備できない。もちろん、彼はそんなことを期待してはいないし、むしろ逆に、申し訳なくも感じていた。十分な小遣いも渡していない彼女にしてみれば、このシールは彼女が自分の範疇でできる精一杯のエールだったはずだ。永山哲也は、この三ヶ月近くの南米での取材の間、このシールが剥がれないよういつも注意していた。レコーダーを握る時も、汗で濡れないようシールから指を離して握った。机の上に置く時も、シールに傷が付かないよう気をつけた。シールを綺麗に残し、その上で、彼は生きて無事に日本に帰らなければならない。そうでなければ、娘が貼ってくれた開運シールの効果を証明できない。キャラクターがオジサンだろうと、ネズミだろうと、ネコだろうと、ウサギだろうと、あるいはどこかの宗教グッズであろうと、彼には関係なかった。
永山哲也はICレコーダーを表に返し、顔を上げた。彼には田爪からの屈辱的な指示に従う覚悟も、怒りと信念を捨てて目の前の殺人鬼に従う覚悟もできていた。
永山哲也は黙って田爪に顔を向ける。彼の話を聞くために。生きて帰るために。
田爪健三はパイプ椅子に腰を下ろすと、上着の左のポケットから砂時計を取り出し、それを横のテーブルに置いた。
足を組んで永山を軽く指差した彼は、再び語り始めた。
「鉄槌の話だよ。まあ、聞きたまえ。私はね、自分のパラレルワールド否定説の証明には完全に失敗したと思っている。その点は認めよう。自説を曲げるつもりはないがね。その証明には失敗してしまった。だから、人々は高橋君の説を信じている。その司時空庁だって高橋説を採用したからこそ、次々とタイムマシンを飛ばしているのだろう? 飛ばすタイムマシンは私が設計したタイプを採用しているのに。安全性や快適性や見栄えは他人のアイデアを採用しておいて、重要な部分では高橋君の説を前提に決断している。実に不愉快だが、まあ、ここでは冷静に、これらの事実のみを置くとしよう。そこで、君にも考えて欲しいのだよ。私の説が否定されて、高橋君の説がもて映やされているということは、人々は、パラレルワールド肯定論者だということだ。いや、少なくとも、毎回、毎回、ポンコツのインチキ・タイムマシンに乗ってくる連中は、そうだろう。なぜなら、否定論に基づけば、『過去』に行ったとしても、そこからのタイムマシンに乗り込むまでの間の歴史は何ら変えられないはずだから、タイムマシンで『過去』へ行く意味がないので、そのようなことに大金を注ぎ込んでタイムマシンに乗るはずが無いからだよ。でも連中は確かに『過去』に行くつもりであれに乗ってくるのだろう? 到達した過去の時点から先の未来を変えるつもりで。『時の流れ』を変えることができると思っている。到達した『過去』から別の新しい『時の流れ』が生まれると思っている。だから、タイムマシンで『過去』に行こうとする。ならば、連中は間違いなくパラレルワールドの肯定論者だ」
田爪健三は背もたれに身を倒して、永山が整理するのを待った。
永山哲也は思考する。
じっと永山の顔を観察していた田爪健三は、やがて口を開き、話を続けた。
「そこでだ、その『パラレルワールド肯定論』を前提に考えみよう。例えば、今、私が君の前からタイムマシンで『過去』へと飛び去ったとしよう。んー、そうだな、20年前へと飛んだとしよう。君は18歳か19歳、そんなところだね。私がやってきたことで、私が現われた20年前の『その時』は、私や君が実際に経験した20年前の同じ日付の『その時』とは異なるものになってしまったから、そこからの20年間は、今この時までに君や私が経験した20年間とは別の時間軸、すなわちパラレルワールドとして新しく進行する。そして今のこの時間軸とは決して重なることは無い。20年前に飛んだ私がその後20年生き、今日この日にここへやって来たとしても、今、私の目の前に存在する君に会うことは無い。仮に君に会えたとしても、その君は今の君そのものではない。別の時間軸上の世界にいる君だ。そして、その後の未来においても、決して重なることは無い。分かるね」
田爪健三が永山の方に顔を向ける。
永山哲也は小さく頷いた。
田爪健三は更に続ける。
「そして、このことは、理屈は別として、表面的な部分だけだとしても、パラレルワールドについての大体のことは、タイムマシンに乗る人間は皆、ちゃんと理解しているのではないかね?」
永山哲也には、パイプ椅子に座っている一見して初老の男が何を言おうとしているのか判然としなかった。確かに田爪の言うとおり、タイムマシンの搭乗者は搭乗前に十分な説明を受けているはずだ。搭乗者たちは搭乗前に様々な検査と説明を受ける。タイムマシン発射施設の中にある「搭乗者待機施設」と呼ばれる高級ホテルのような施設で発射日までの数週間を過ごし、メディカルチェックや法律手続、搭乗する際の服装の選択、タイムトラベル後の行動計画の検討をすると聞いているが、その他にも、タイムトラベルとパラレルワールドについての講義も受けると聞いたことがあった。専門の学者から懇切丁寧に説明を受け、しっかりと理解するまで質疑応答を繰り返すらしい。搭乗者本人が十分な理解を前提とした意思によりタイムトラベルを決断したということでなければ、後々に法的問題が生じてしまうからであろう。したがって、タイムマシンの搭乗者たちは、さっきの子のような幼児を除き、高橋博士のパラレルワールド肯定説がタイムトラベルの前提となっていることも、田爪博士のパラレルワールド否定説も、それが第一実験と第二実験の結果で否定されたことも知っている。それは確かだった。ただ、この点は、司時空庁が「家族搭乗型」タイムマシンの発射を計画していると発表した際に真っ先に問題視された点でもあった。一家族が乗るとなれば、さっきの子のような幼児が含まれる場合もあるので、そのような判断能力が無い、あるいは不十分な者の意思表示は国家として認めるべきではないというのが、当初の法学者たちの多数意見だったからだ。しかし、いつの間にかその多数意見も少数意見となり、いつの間にか国民の多数が忘れてしまった頃に、「家族搭乗型」のタイムマシンが発射されることが確定してしまっていた。そのまま大きな反対運動が起こることもなく、それは現に実施された。4月も、5月も、6月も、そして、たった今も。
「パラレルワールドの肯定論者だから消したと言うのですか。自分の説ではなく、高橋説を選択した人間だから」
永山の詰問に対し、田爪健三は静かに首を振った。
「違うよ。そうじゃない。私の説は関係ないとも言っていい。問題は、彼らが、パラレルワールドを理解して、その上でタイムマシンに乗るという選択をしていることなのだよ」
永山哲也は語気を強めて更に問い質した。
「じゃあ、さっきの子たちはどうなのです。十分に理解して選択したと言えますかね」
田爪健三は答えた。
「最後の女の子くらいの年齢なら、本来、基礎的なことの判断は十分にできるはずだ。それなのに、基礎的なこと、例えば人を困らせてはいけないとか、悪いことをしてはいけないとか、そういう基本的な価値を判断する能力を国家が認めないから、国民の大多数が誤解する。それは選挙権の行使や契約締結などの経済活動をする能力とは全く別次元の、実に低レベルな判断能力であるはずだが、誰もが子供にはそれが備わっていないと思っている。ところが、それは嘘だ。なぜなら、彼らはマンガや映画やテレビドラマを見て、誰が悪者で、なぜヒーローやヒロインにやられたのかを理解している。善悪を判断している。だから、未成年者だからと言って判断力が無いとは言えんよ。そんなものは、単に人間が作った線引きに過ぎん。国が事務処理を画一的になし、法律家が怠けるための基準だ」
「最初の男の子は。あの子は幼過ぎる」
「確かに、客観的には、彼には意思決定することができないだろうね。そもそも意思の前提となる判断資料が無い。本能だけだ。空っぽだ。ということは、ただの器だよ。動く肉体の器に過ぎん。その器に何を入れていくかは、あの二親の責任だし、彼らの判断に委ねられている。委ねられるということは、彼らがした決断によって結果が変わるということだ。そうでなければ、委ねられているとは言えん。自分たちがした決定が間違えていたのに、その結果について子を切り離して結果を出すという必然性はない。まあ、人情的には理解できるがね。君の気持ちは。だからと言って、判断を間違えた親に、いい思いをさせる訳にはいかん。普段は親権を行使しておきながら、その行使の仕方を間違えても子供だけが別扱いで助かった。セーフ。そんな馬鹿な話があるか。子供の運命は親にかかっているのだ。それは全うせねばならん。あの二親はペナルティーとして子を失ったのだよ」
「なぜ、ペナルティーを負わねばならないのです。彼らは『過去の世界』に移動して、別の人生を歩もうとしただけだ。あるいは、新しい人生を作ろうと……」
「ということは、タイムマシンに乗って『過去』へ飛ぼうとしていた人間たちは、パラレルワールドで、今と違う時間軸で生きるつもりでいるのだね。そうなのだね」
田爪健三は強い調子で口を挿み、永山を指差しながら確認した。彼はそのまま続ける。
「あの人間たちは、自分たちが別の世界に行った後、この時間軸上に二度と戻れないという認識をしていた。タイムマシンに乗ってタイムトラベルをしようとした人間たちは、皆そうだ。ならば、この人間たちはマシンに乗り込む前に自分が出会った全ての人に二度と会えないことも理解していた訳だ。たとえ『過去』で、そのうちの誰かに出会ったとしても、それは自分が経験した過去の『その時』のその人ではない。さっきの例で言えば、私が20年前の君、19歳の永山君に出会ったとしても、それは、今、この目の前にいる永山君が既に経験した19歳の永山君ではない。私は、二度と『今』の君に会うことは無い。出会ったと思っているのは自分だけ。ただの自己満足だ。すなわち、タイムマシンに乗って『過去』へ飛ぼうとした人間たちは、元の時間軸上に残された恋人、親、兄弟、職場の人々、その他全ての人々と決別するつもりなのだ。もちろん、自分は『過去』へ飛ぶのだから、別の時間軸上で、別の、同じ恋人、親、兄弟、職場の人々、その他全ての人々に出会うことはできる。当然、当時の自分自身にも。まあ、勧めないがね。ともかく、奴らは、自分だけは、もう一度これらの人々に会えるけれども、反対に、自分を送り出したこれらの人々はもう二度と自分に会えない、絶対に、永遠に、出会わないということを、十分に理解している訳だ。残された人々の世界から、自分が消えるということを」
田爪健三は厳しい目で永山をにらんで、そう言った。
永山哲也は黙っている。
田爪健三は少し上を向いて考える素振りをすると、小さく頷いて、再び視線を永山に向けた。
「なるほど。そうすると、マシンに乗って『過去』へ飛ぼうとした人間たちは、元の時間軸上に残された恋人、親、兄弟、職場の人々、その他全ての人々への責任は、どう考えていたのだろうか。自分が、自分だけが、もう一度人生をやり直すことができれば、残された人たちのことはどうでもいい。家族で乗っても同じだ。自分たちの家族さえ良ければいい。他の人たちは関係ない。そういうことだろ。そんなことに、莫大な額の『渡航費』を支払って。酷いのになると、さっきの奴らのように、割り込んでくる者までいる。どうせ割り込むために余計な金員を支払っているのだろう。ちなみに、国の管理でやっている以上、受け取っている奴らは公務員であるはずだがね。ほぼ間違いなく」
田爪健三は永山の方に顔を突き出して、そう言った。
――どうやら、この田爪健三は、司時空庁が4月から新たに「家族搭乗用」の複数搭乗型タイムマシンの発射を正式にメニューに加えたことを知らないようだ。だとすると、やはり「ドクターT」は彼ではない。「ドクターT」を名乗る人物が総理官邸に上申書を送り始めたのは、「家族搭乗用」のタイムマシンの発射が始まった4月からだ。若者や幼子までを乗せてタイムマシンを発射させることを知った「ドクターT」は、何としてもそれを止めさせようと、それまで司時空庁に送り続けていた上申書と論文を直接、総理官邸に送るようになった。ところが、この男は追加メニューの事実を知らない。だとすると、やはり「ドクターT」は仲間の記者たちが調べたとおり、あの人物なのか。いや、あの人物に違いない。そうだとすると、この男は……。
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