桜田咲が微笑む日

夏伐

第1話 日直

「恋してるってどんな気分?」


 夕陽が差し込む教室で、彼女はぼくに言った。

 その言葉と真面目な表情に、自分の気持ちを見透かされたようでドキリとする。

 彼女――桜田 咲は、学級日誌の反省・感想の欄をシャーペンの芯でたたいた。


「恋は……ドキドキするかな」


「ふぅん」


 桜田さんはぼくを見ることはなく、今日の出来事を思い出しているようだ。ホツホツという紙をたたく音が二人っきりの教室に響いた。


 ぼくは明日ホームルームで配られるプリントを二枚まとめて端っこをホッチキスで止める作業を無心で続ける。

 集中していないと、それこそドキドキで心臓が飛び出そうだ。


 中学の入学式から桜田さんは目立っていた。一目ぼれした人間はきっとぼくだけじゃないはずだ。

 それでいて、人が嫌がってなかなか決まらない学級委員長にも率先してこなす。しっかりしていて頭が良くて、やさしい子。

 こんな子を好きにならない方がおかしい。


「恋って人間の脳の錯覚っていうらしいね、塩原くんはどう思う?」


「錯覚、かもしれないね」


 パチリ、パチリとホッチキスが音を立てる。ふと視線を感じ、正面を見ると桜田さんがぼくを見ていた。


 日直で一緒の当番になったのがとてもラッキーだった。彼女は変人だと有名だったが、とても美人だ。令和だというのにラブレターだってもらっている。


 少し会話ができるようになったが、それでもぼくは彼女に告白することはできなかった。


 大きな瞳に射られた衝撃で、ぼくはホッチキスを机に置いた。


「も、もしかして、桜田さん好きな人いるの?」


 緊張で舌がもつれてしまった。


 ぼくの狼狽した様子に桜田さんは、表情を変えずに首をかしげた。どこかフクロウみたいでかわいらしい。表情に変化はないが、桜田さんはとても分かりやすい。


「いないけど」


「そうなんだ、良かった。……なんで恋の話題になったんだっけ?」


 僕は話題を反らすために、桜田さんにそう聞いた。何でもないということをアピールしたくてプリントをまとめる作業を再開する。


 桜田さんがパタリと学級日誌を閉じた。


 怒らせてしまったのだろうか。

 もう桜田さんのことを見ることができずに、必死にホッチキスを止めていく。


「今日、クラスで彼氏が出来たって喜んでいる子がいたから」


「へ……?」


「私はそういうの分からないから気になったの。そんなに楽しいのかなって」


「あ、あはは。そうなんだ!」


 ぼくはほっとして笑顔で返事をした。学級日誌をしまったのは、怒って帰るためではないようだ。桜田さんはいつの間にか、日誌を書き終わったようで、プリントをまとめる雑用を手伝ってくれていた。


「恋は錯覚だと思うけど、恋してる子はかわいくなるよね」


「うん」


 桜田さんはよく分からないことを言う。ぼくはそれを文学的で素敵だと思っている。

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