第3話-白石家襲来

「美冬も体力ついたな」


 朝練から帰ってきて、俺は美冬に伝えた。


「そ、そう?」

「最初の方はもっとしんどそうだったよ」

「それはそうかも」


 マンションのエントランスを潜り抜けて玄関を開ける。


「まあでも、先にシャワー浴びてきな」

「ええ。いつもありがとう」


 今はもう九月の下がりで、既に慣れたルーティンになってきた。いつも通り彼女が脱衣所から出てくるまでの間に朝食の準備をする。

 朝は和食って決まっていて特に大きく変わる事はない。彼女が大まかな朝食の準備は前夜にしてしまうので、俺は彼女が用意したそれに乗っ取って朝食の準備をしているだけに過ぎない。


「琉亜」

「ん、後は任せた」


 制服を着こなした彼女が脱衣所から出て来た。ブラウスにニットのベストを着ていて普段の隙の無さが伺える。

 俺は彼女と朝食の準備をバトンタッチして脱衣所に向かった。時間も時間だから、さっさと風呂場に向かって汗を落とす。

 未だに暑い日々が過ぎていくから、少しだけ、早く夏が終わって欲しいとすら思う。でも、なんだか少し惜しい気もする。

 

「準備できてるわよ」

「ん、ありがとう」


 脱衣所から出ると、キッチンにはスポンジを片手に食器を洗っている彼女の姿が見えた。


「先に食べないか? 食器を洗うのは俺が後でやるから」

「そうね。でも、私が洗うから大丈夫よ」

「頑固だなあ……」


 彼女は家事を俺にさせたくないみたいで、いつもこうやって頑なにやらせないようにする。まあ、流石に彼女が何と言おうが隙があったらやるんだが、最近は朝練に慣れてきたのか隙がどんどん無くなってきた。


「あんまり任せすぎると駄目人間になるからなあ……」


 ソファに座ってぼやいた。


「ぜひ、駄目人間に」

「いや、なんでだよ」


 彼氏を駄目人間にしようとするなよ。


「「いただきます」」


 手を合わせて、焼き魚に手を伸ばした。


「実際、私は貴方が居るお陰で結構助かってる所もあるから」

「例えば?」

「ナンパされなくなった」

「それは美冬が返そうとしちゃ駄目な奴だろ」


 ナンパされるのは美冬のせいではない。だから、それに恩義を感じるのは違う。


「あと、勉強も見てくれるし」

「それも言われる程は教えてないし、何なら美冬に聞く時もあるからお互い様だろ」


 教えることはもちろん、教わることだってあるのだから、それに恩を感じるのはイーブンじゃない。


「気にしなくて良いのよ」

「良くない」

「良いの」


 こう言われてしまうと美冬の圧に勝てることはない。勝とうとも思わない。せめて、なるだけ優しくしようとは思う。

 

 会話が止まって食事の音だけが部屋に足跡を残す。話しながら食べるのが嫌、という訳では無いが、必要ではないからお互いに黙ってしまう。

 それを気まずく思ってしまうと今の空気感に息苦しさを覚えるのだろう。だが、彼女も気にしていないようだし俺も気にしてない。

 付き合ってるからと、ずっと何かを喋り続けなければいけない様な関係性なら、きっと俺には彼女との他人ひと付き合いから出来なかっただろう。

 そんなに人と会話するのは得意じゃないし、楽しい話題があるわけでもないから。


「ん……」


 彼女の肩が俺の腕辺りに押し付けられた。最近彼女はこういう事をよくやる。隣に座ると必ずと言って良い程に寄り掛かってくる。それを嫌に思わない俺も同類なのかもしれない。


「美冬はそれ好きだよな」

「す……って、それはそうだけど、流石に少し恥ずかしいわ」


 彼女が閉口するということは、少しではなくしっかりと羞恥を感じているのだろうと理解できた。

 基本的に彼女の愛情表現は真っ直ぐで、いや、真っ直ぐになるように彼女が整えている気すらするが、だからこそ、途中で口を閉ざすという行為は少し恥ずかしかった程度ではしない。


 俺はそういう所が好きだ。


「恥ずかしいなら、悪かった」

「ううん」


 再び声は途切れた。


「ごちそうさまでした。食器洗ってるから」

「……わかった」


 やっぱりどうしても食べるのは俺の方が早いから、彼女にちょっとムスッとされても気にせずに食器を洗い始める。

 朝と夜の二食も作ってくれてるのに、俺だけ何もしないってのは気持ち悪さを感じる。だから、彼女の無言の圧にも一切取り合うつもりはない。


「不満」

「って言われてもな」


 彼女は使っていた食器を下げにきて、一言だけボソリと呟いた。


「いつも色々とやってくれてるから、良いだろ」

「でも、私も琉亜に助けて貰ってる」

「あれは別に」

「助けたつもりはない?」

「そう」

「じゃあ、私も貴方の為じゃない」

「そういう問題じゃない。このまま行くと順当に駄目人間になる」

「なっちゃえば良いのに」


 駄目人間にしようとするな。


「でも、いつも美味しいの作ってくれるし、これくらいはやらせて欲しいんだけど」

「作った人が最後までやるべきよ」


 自分が勝手に使った調理器具とかを他人に洗われると、ちょっとだけ心が痛む気持ちはわかる。勝手にやった事の後片付けを人に押し付けたら確かに後味は悪く感じるだろう。


「勝手に作ってるから」

「でも、感謝してる」

「貴方だけならカップ麺で済ますこともあるでしょう?」

「まあ、それは否定できないかも」


 食事は作れるし美味しいのは好きだけど、それはそれとして面倒だったらカップ麺で済ます事も多々あった。それは実家に居た時から変わらない。


「だとしたら、物凄い手間を掛けさせてるなって」

「手間かもしれないけど、彼女に毎朝毎晩作って貰えるのは嬉しいし良いんじゃないか? お互いに手が空いてる方がやれば良いだけだろ」

「そう……ね」


 彼女は何を言っても無駄だと思ったのだろう、すごすごとリビングに戻って行ってしまった。


 食器洗いを終えて、濡れた手を拭いて、ソファの後ろから彼女を覗き込んだ。


「すぅ……」


 眠っていた。朝練でバテなくなってきたが実は思ったより疲れているのかもしれない。


 可愛らしい顔で眠っている美冬の頭を、彼女が起きてしまわないように撫でる。近くで見ると本当に綺麗な人だと改めて実感させられる。


 美冬のスマートフォンの着信音が鳴り響いた。


「ん……」


 彼女は軽く目を擦りながら、スマホを手に取った。


「……どうしたの、母さん」


 寝起きのローなテンションで彼女は電話に出る。彼女の言葉からして電話の相手は母親だろう。


「えっ!?」

「……どうした?」

「!?」


 電話で何かを言われて驚いた彼女は今度は後ろに居た俺に驚いていた。あっちにもこっちにも驚いて世話しない。落ち着けとぽんぽんと彼女の頭に手を置いた。


「うん、うん、わかったわ。今日は十七時には帰ってると思うから。ん、ありがとう。またね」


 彼女は電話を切った。そして、ソファから見上げられた。


「今日、母さんと父さんが来るみたい」

「お、良かったな」

「それで、その、琉亜にも挨拶したいって言ってて」

「良いよ、美冬もしてくれたし。……あ、付き合ってるのは内緒に?」


 人によっては言えないこともあるだろう。そういう場合は相手がどんな人だって変わらないから、特に何かを思うこともないけど。


「流石に言ってるわよ。隠す必要なんてないから」

「そっか。じゃあ、ちゃんとしないとな」

「そんなことしなくて良いのに」

「いや、流石に出来る限りちゃんとするから」


 所詮は高校生レベルのちゃんとするであっても、美冬は両親にしっかりと愛されて育ったのがわかるから、余計にちゃんとしないといけないなって感じる。変な相手だったら別れろってなるのが親心というモノだと思うから。


「こっちが急に来てるのだから、あんまり気は使われたくないわ」

「まあ、変な粗相をしないようにだけ心掛けるよ。でも、帰ってくるってことは美冬も自分の部屋に戻るってことだよな?」

「……そうね。鍵が直ったら、そっちの方が楽だものね」


 ちょっと表情が濁った気がした。


「もちろん、居てくれたら嬉しいけど」

「それ、流石に言わせたってわかるわよ」

「……そうか」


 フォローしたつもりだったが、美冬にぴしゃりと言い当てられてしまった。


「本当に恥ずかしい話なのだけれど、今まで一人で居ることが多かったから、同じ屋根の下に人が居るのが良いなって思ってしまって、えっと、だから、その、安心してる自分が居て、出来れば一緒に居て欲しいというか」


 彼女はしどろもどろになっていた。


「良いよ。一緒に居てくれたら嬉しいってのは俺も本心だし」

「そうなの?」

「嘘を吐いてどうする」

「そ、そうよね」


 視線を外して、彼女はテーブルに置いてあった麦茶に手を伸ばした。


「ありがと」


 彼女の言葉に頭を撫で返す。


「そうやって撫でられるの好きよ」

「知ってるよ。嫌がってたらやってない」

「馬鹿なの?」

「急な罵倒」


 いや、何故?


「嫌いじゃない、じゃなくて好きだって言ってんのよ」

「……そっか」


 彼女の言葉の真意を量りかねてシンプルに困った。


「わかってない」

「……まあ、そうだな」

「もっと、撫でたりハグしたりして欲しい、ってこと……よ」


 顔を赤くして彼女は言った。


「善処する」

「して良いって言ったのに、全然なのはちょっと寂しい」

「……わかった」


 少しだけ気まずい空気感に飲まれて、俺の頬もちょっとだけ紅潮した気がする。


「と、取り敢えず、学校に行こう」

「そ、そうね」


 バタバタと準備をして靴を履いた。


「行ける?」

「え、ええ」

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