チキン
鳥取の人
チキン
土曜の昼、イカれた夢から目を覚ますと、自分が寝床の中でニワトリに変わっているのを発見した。
まだ夢を見ているのかと思って目を擦ろうとすると、翼を顔に強打してしまった。痛い。確かに夢ではない。
そういえば、羽を毟られたニワトリを持った古代ギリシア人に追いかけられたり、「ニワトリはどうして道を横切ったの?」と執拗に訊いてくるアメリカ人に追いかけられたりする夢を見た気がする。
慣れないニワトリ足で歩き回る。何度か翼を動かしてみると、上手く羽ばたけるようになってきた。喋ってみる。「おはよう」。人間の声は出るようだ。
幸いにも、ドアは少し開いていた。ニワトリの体ではノブも回せないだろう。隙間に体をねじ込み、寝室を出る。
居間のドアも少し開いていた。妻がズボラな性格で助かった。
居間に入ると、妻はカウチクッションに寝そべってスマホをいじっていた。休日はいつも俺より先に起きるのだ。
俺が入っていっても妻は顔を上げずスマホゲームに没頭している。効果音から察するに、最近流行りの『ブロイラー・ウォーズ』(ニワトリ軍団を組織して人類と戦うゲーム)だろう。
「おはよう。起きたらニワトリになっててさ」
妻はこちらに顔を向け、数秒。
「えっ、ニワトリ!?マジで!?スゲェ!」
驚きの声を上げるのも束の間、スマホで撮影し始める。「Twitterに投稿しよ」
「ちょちょちょっと待って!!やめてマジで!」
羽ばたきながら手をつつくと、撮影をやめてくれた。
「分かった分かった!やめるって!ヒッチコックかお前は」
彼女はスマホゲームを再開しつつ言った。「きっと唐揚げの食べ過ぎでニワトリになっちゃったんだな。でもせっかく鳥になるならペンギンになってくれたら良かったなぁ。そうだ!自撮りしてよ。『地鶏の自撮り』ってキャプション付けてツイートするから」
「絶対やだ。っていうか地鶏じゃない気がするんだよね」
テーブルの上にピザが乗っている。妻が出前を取ったのだ。ブランチである。
俺の前には千切りキュウリの皿。床に置かれている。ニワトリでも食べやすいようにと切ってくれたのだ。
クッションに乗り、キュウリをついばむ。味が薄い。
「唐揚げ食べたいな」
ツレはピザを頬張りながらツッコむ。
「それじゃ共食いじゃん。やっぱり唐揚げの食べ過ぎでニワトリになったんじゃない?毎日食べてるじゃん」
「唐揚げ食べ過ぎでニワトリになるならバイデンはアイスクリームになってるよ」
「バイデンがアイスクリーム好きとか知らんわ。でも唐揚げじゃないとしたら…………鳥取出身だからとか?」
俺は適当に話を合わせた。「酉年だからかもね」
ブランチを終え、奥様はキッチンでピザボックスを切っている。俺の皿も洗ってくれた。ありがたい限りだ。
ボックスを切り終え、スマホをいじりながら話しかけてくる。
「考えてたんだけど、夫がニワトリになるってのも悪くないかもね。クリスマスのチキン代節約できるし」
「なんで食べる気なの……。あと、クリスマスまでまだ2か月あるからね」
「卵は産めない?」
「たぶん雄鶏だから無理」
妻はスマホに訊く。「フォアグラってニワトリでも作れる?」
「どうしても食材にしたいのか……」
「だってうちら貧乏じゃん」
確かに俺たちは夫婦共働きで子供もいない。カネもない。典型的な現代の若年夫婦だ。
「そういや昨日上司に『仕事が雑だ』とか言われてさ、『給料少ないのに丁寧な仕事要求されても困ります』って返したら『仕事が雑だから大した給料が出ないんだ』って。おかしな話だよな」
妻は少し考えて言った。「鶏が先か卵が先か、みたいな話ね。でも上司の言うことも一理あるんじゃない?」
「でもその上司、このあいだ知り合いと『どちらが長くサウナに入っていられるか』勝負してブッ倒れて、翌日仕事休んだりしてたんだから、部下の仕事ぶりにとやかく言えないだろ」
「サウナでチキンレース、か」
「それに上役の顔色次第ですぐに態度変えるんだから」
「風見鶏ってやつね」
「…………さっきからやたら上手いこと言おうとしてない?」
「そう?あっ、そのクッション、ニトリで買ったんだった。ニトリの上にニワトリってね。ハハッ」
その後、相方は『哲学者GO』(現実世界を移動して哲学者を捕獲・育成・バトルする位置情報ゲームアプリ)のイベントで外出した。隣の市の自然公園でプラトンが出やすくなっているらしい。
妻が外出している間、テレビを観ることにする(ニワトリの足でスマホの操作は難しかった)。
グルメ番組をやっていた。終わり近いようだが、焼き鳥を食べている。唐揚げには敵わないものの、焼き鳥も好きだ。
ナレーションの決め台詞で番組が終わり、ニュースが入る。
『○○市の養鶏場で鳥インフルエンザ感染が確認され……』
鳥インフルエンザと聞いた途端、体がブルっと震え、鳥肌が立つ感じがした(すでに鳥なのだが)。
尿意を催したので、テレビを消しトイレに向かう。
なんとも不運なことに、トイレのドアはキッチリ閉まっていた。どうにかノブを回せないものかと粘ったが、徒労に終わった。
諦めて居間に戻ると、チキン……じゃなくてキッチンが目に入る。仕方ないのでシンクで用を足すことにする。思い切り羽ばたき、シンクまで跳び上がる。
排水口を狙って用を足した。
屈辱的な排尿を終え、床に飛び降りる時、バランスを崩して冷蔵庫にトサカをぶつけてしまった。
痛みと屈辱感が綯い交ぜになり、泣きたかったが、涙は出なかった。どうやら鳥は涙を流さないらしい。
「フーコーが歩いてるからゲットしようとしたんだけど、なかなか捕まらないわけ。で、よく見たらフーコーに激似のリアルのオッサンでさ!あれは爆笑したね」
妻の土産話が一区切りついたのを見計らう。
「あのさ、ずっとニワトリの体じゃ嫌だから、元に戻る方法スマホで調べてくれないかな」
「嫌だったの?面白いのに」
「俺は面白くないのよ」
「そうか……。じゃあ仕方ないな。そろそろ『でぃおげねすチャンネル』の生配信観たかったんだけど。『ニワトリになった人 元に戻す方法』と」
ローテーブルに飛び乗り、スマホを覗き込む。
ヒットしたのは『ブロイラー・ウォーズ』関連ばかりだった。どこまでスクロールしても、これといったものは出てこない。
「Twitterで訊いてみるか。『夫がニワトリになっちゃったんだけど、どうしたら元に戻せる?』と」
正直、彼女のフォロワーを信用しきれない気持ちもあるが、何も言わないほうがいいだろう。
「早速『ひよこ鑑定士』さんからリプライだ。『フランシス・ベーコンは鶏の腹に雪を詰め込んで保存する実験中に風邪ひいて死んだらしいですよ』だって」
「質問と関係ないじゃん!」
「『ひよこ鑑定士』さんはこういう人なんだよ」
再び通知音が鳴る。
「『鶏口牛後』さんだ。『首切ったら元に戻るかも』だって」
「絶対ヤダ」
「でも死ぬとは限らないでしょ。首なし鶏マイクっていって、首刎ねられたあと18か月生きたニワトリもいたらしいし」
「よく知ってるねそんなの」
また通知音。
「お、『サンダース』さん。『旦那さんの動画撮ってバズらせたらいいかも』。これがいいな。やっぱり首切るのはやめとこ」
助かった……。
助かってなかった。
妻がサンダースとやらに「具体的にどんな動画がいいか」と訊いたところ、「オッサンみたいな笑い方するニワトリ」「自分を猫だと思っているニワトリ」「初めて鏡を見たニワトリ」「自分のオナラの音で目が覚めて鳴き始めるニワトリ」などと提案されたのだ。
抵抗はしたものの、人間に戻るためだからと説き伏せされ、妻の監督のもと動画を撮影・投稿されてしまった。しつこく演技指導が入ったのは言うまでもない。
日曜の昼、イカれた夢から目を覚ますと、自分が人間の姿に戻っているのを発見した。
羽を毟られたニワトリを持った古代ギリシア人に鶏糞の袋を投げつける夢を見た気がする。
軽やかな気分でドアに向かう。と、妻の寝床から声がした。
振り向いても誰もいない。枕元に妻のスマホが、そして布団の上には見覚えのないスマホがある。
見覚えのない方を手に取ると、そのスマホが突然喋り始めた。妻の声だ。
「起きたらスマホになっててさ。どうしたらいい?」
「ああ……スマホばっかり見てるから…………」
チキン 鳥取の人 @goodoldtottori
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます