第230話 母の強さ

「……居た」


 奥の方から突然湧き出した力の奔流。それをたどっていくとカリンの姿が見える。


「カリン!」


「ああ、夢を見てるのかな? クロノの姿が見えるよ」


 どうやら意識が朦朧としているらしい。あと一歩遅れていたら取り返しのつかない事態になっていたな。


「夢じゃない。俺が来た。後は任せろ」


 俺は倒れるカリンを抱きかかえて、そう言うとカリンは少しだけ頷き、意識を手放す。


 こんなところに一人で放り込みやがって。


 当主たちへの怒りが沸々と込みあがってくる。というか、前に居る翼の生えた男なんかあいつらでも倒せねえだろ。


 それに、その男を取り囲んでる魔物たちですらどれもSランク魔物として有名な奴等ばかりじゃねえか。


『また下等な者が現れたか』


「下等……ね。俺の父親もおんなじ言葉をよく使うよ」


 俺は近くにカリンを寝かせると翼の男と対峙する。周囲を濃密な破壊のオーラが覆い始める。


『……お前は少し他の下等生物とは違うようだな』


「さあな。お前なんかに認められたところでなにも嬉しくはない」


 右腕をグッとひき、思い切り正面に向かって拳を振るう。


「破邪の拳!」


 込みあがってくるありったけの力を翼を持つ男と魔物に向けて放つ。


『邪悪な世界(エビルワールド)』


 翼の男の手のひらから紫色の球体が放たれ、破壊の衝撃と衝突する。パリンッと空間がひずむ音が聞こえる。


 強烈な力と力が衝突し、辺りを吹き飛ばすほどの新たな衝撃が生まれる。俺は寝ているカリンを衝撃から庇うようにして立つ。


 不味いな、長引いたらカリンの容態も悪化するし……とはいえ一瞬で倒せるほど奴は弱くない。


 どうするか。


『……うざったい。こちらは貴様に構っている時間などないのだ。せっかく外に出てこられたというのに』


 外に出てこられた? 何の話だ?


「じゃあそこを通してくれよ。俺達は帰りたいだけなんだ」


『それは無理な話だ。特に貴様は下等生物の中でも強い。貴様が居ては我らの邪魔となる。だからこそ、若いうちに仕留めておきたい』


 翼を大きく広げると、そこには無数の紫色の刃が現れていく。


『貴様にその下等生物を守りながらこれを捌ききることができるか?』


 数千ほどはあるだろうか。眼前に広がる紫の剣の原が射抜くようにしてこちらを睨んでいる。


 これを破壊しきるにはあの力が必要だ。だが、今の俺に果たして制御できるのか?


 いや、違うな。


「やってみせる」


 周囲に広がった破壊のオーラが徐々に収縮していく。


『なんだ? 諦めたのか?』


 力を引っ込めているように見えたのだろう。翼の男がそう言い放ってくる。


「別に諦めてなんかないさ」


 普段は周囲に拡散させている破壊の力を俺という存在一つに凝縮させようとしているのだ。これを行って力を発揮できたことが未だかつてない。


 でも、やるしかない。


「うおおおおおおおッ!!!!!!!」


 破壊の力が全身を覆い、締め付けられていく感覚に歯を食いしばって耐え忍ぶ。多分、骨の何本かはいったかな、こりゃ。


 やがて破壊の力が黒い破片となって具現化し徐々に体に纏わりついていく。


『なんだ、その姿は?』


「……」


 体中を迸る痛みを耐えているため、最早言葉を返すこともできなくなっていた。そして、恐らく理性が保っていられるのもほんの数分の事だろう。


『危険だ。すぐさま排除する』


 紫の刃と共に魔物たちが襲い掛かってくる。それに向かって俺は手のひらを開いた状態で片手を前に突き出す。


「破滅の黒光(はめつのこっこう)」


 漆黒の光が紫の刃と襲い来る魔物たちの全てを覆いつくし、跡形もなく消し去る。それどころか近くに生えていた植物すらも枯れはててしまう。


 ドクンッと大きく鼓動が跳ねるのが分かる。やはりこの力は完璧に扱えないな。フラッと意識が遠のいていく中で最後に見た景色は驚愕に染まった翼の男の顔と倒れているカリンの姿であった。



 ♢



「エマ様。音が鳴った方はこちらです」


「ありがとう」


 エマ・エルザードが3人の男女を連れ、怒りの谷深くに足を踏み入れる。そして角を曲がった先にある光景を見て絶句する。


「何……これ?」


 辺りが魔物の死体でいっぱいのまさに死屍累々とした光景が見える。そこだけ谷が崩壊し、山が貫通している。


「一体、何があったんだ」


 エマとお供の3人も絶句してその光景をしばし眺めていた。


「あら? あれは何かしら?」


 なぜか魔物の死体がなく、更地になっているところがあり、目を凝らしていると誰かが倒れている姿が見える。


 数は二人。


 そしてその正体を理解したエマはすぐにその二人の下へと駆け寄っていく。


「クロノ! カリン!」


 危険地帯に倒れている二人の幼い体を抱きかかえる。


「カリン様は怪我は酷いですが、急いで処置をすれば命に別状はありませんね。ですが、クロノ様の方は残念ですが」


 二人を抱きかかえて黙るエマに言いにくそうにしながらも従者の一人が告げる。


 クロノの体は内部から弾けたかのような傷跡、そして大量に出血し、骨もボロボロになっているのが分かる。


 もう助からないということが誰の目からも明らかな状態であった。


 今息があるだけでも奇跡に近い。


 半ば諦めの雰囲気が漂っている中で一人だけまだ希望を捨てていない者がいた。エマ・エルザードである。


「まだ、救える」


 エマの周りを聖なる光が覆っていく。


「エマ様、いくらあなたの回復能力でもこの傷は治せないかと」


「これはあなたたちが知らない能力よ。文字通り一度きりの力。――こんな過酷な環境に産んでしまってごめんね。私にもう少し力があれば良かったんだけど」


 聖なる光が白から金へと色を変えていく。そしてエマから放たれるその黄金の光はクロノとカリンを優しく包み込んでいく。


「こんな残酷な世界に残してしまってごめんなさい。でも、この世界にはきっと絶望と同じくらい希望があるから。あなた達には私が出来なかったことをたくさんしてほしい」


 左手をカリンの胸に、右手をクロノの胸に置き、静かに唱える。


「生命の息吹」


 その瞬間、激しくも優しい光が3人を包み込む。


 光が晴れた後、3人の従者は目を疑う。何とカリンだけではなく先程まで虫の息だったクロノまでもが体を起こしていたからだ。


 しかし、それだけでは無かった。


「か、あ、さま?」


「エマおばさん?」


 二人の少年少女の横には安らかな笑みを湛えたまま横たわるエマの姿があった。

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