第95話 新しい物語

 孤児院の一室。その真ん中のベッドで一人の女性が横たわっている。一時は貫通した腕による致命傷により、鼓動は止まったが、幸か不幸か魔物化した体による回復力とリア様の光の能力のお陰でなんとか無事元の姿に戻ることができた。


「もう、二人とも、こんな大事なことがあったなら私達も起こしなさいよ」


「申し訳ありません、リア様。事態が急転いたしましたので。その余裕がありませんでした」


 ベッドから少し離れた所でリア様から叱責されながらも、ベッドの方を見やる。


 あれだけのことをしておきながら、彼女は慕われているのだということがベッドの周りに群がるライカと子供たちの姿から理解することができる。


「まあまあ、リア。クロノとライカの気持ちも分からないこともないから」


 怒るリア様をカリンがなだめてくれる。リア様も納得したようで納得していないかのようななんとも言えない顔のまま、俺への説教は終わる。


「とはいえ、私の能力がキャルティさんの魔物化にも通じてよかったわね」


「はい。それはもう本当に」


 あのままキャルティさんが元に戻れなければを解することのないまま、この事件は幕を下ろしていたことだろう。


 まあ、息を吹き返したとはいえまだ完全に意識が戻ったわけではないので、安心はできないが。


「それでカトリーヌさんだっけ? どうしてそんなに端っこに居るの?」


 誰とも会話をするのを拒否するかのように端っこの方に身を寄せているカトリーヌに不思議そうにカリンが声をかける。


 話しかけられたカトリーヌは自分に声がかかるとは思いもよらなかったらしく、びくりと肩を上下させる。


「べ、別に。部外者だからよ。放っといてくれない?」


 そう言うとそっぽを向いてしまう。


「部外者なわけないじゃない。寧ろあなたが子供たちを逃がしてくれなきゃ大変なことになっていたかもしれないんだから」


 そっぽを向いたカトリーヌにリア様が歩み寄るも、ささっと違う所へと移動してしまう。


 なんだ? あいつってあんなに人見知りする奴だったか? 前、リア様と普通に話していたと思うんだが。


 そう思っていると、ベッドの方から小さな歓声が聞こえてくる。


「わ、私はいったい……」


 どうやらキャルティさんが起き上がったらしく、子供たちがそれに反応して喜びの声をあげたようだ。


 しかし、当の本人は対照的に暗い表情を浮かべる。


 かと思うとゆっくりとした動きでベッドから立ち上がる。


「皆、ごめんなさいね」


 そう言うと、不思議そうに眺めている子供たちの頭にポンポンと手をのせ、よろよろと歩いていく。


「何をするつもり?」


 その進行を妨げるようにしてライカが立つ。それもそのはず。キャルティさんが向かおうとしていたのは台所なのだから。


「私の罪を清算しなければならないのです」


 弱々しい動きとは裏腹に芯のこもった声でそう告げる。


「まだそんなことを考えているのですか?」


「仕方ありません。私はそれほどのことをしてしまったのです」


 リア様の言葉を頑なに振り払うと、ライカを避けるようにして歩みだす。


 しかし、その歩みはまたもや別の形で止められることになる。


「皆……」


 キャルティさんの羽織っている服を子供たちが掴んでいた。


「院長先生、行かないで」


 一人の少女が目に涙を浮かべながらそう訴えかける。流石に思う所があったのだろう。キャルティさんは顔を逸らす。


「ごめんなさいね、こんな先生で」


「こんな先生なんて言わないで! 僕たちからすれば唯一の親なんだ!」


 別の子がそう叫ぶ。それに端を発して連鎖的に子供たちからキャルティさんへの熱い思いが語られていく。


「皆……」


 その中で4人の子供たちがキャルティさんの目の前に来る。先程、キャルティさんが目を覚ます少し前に目を覚ましたあの魔物化した子供たちだ。


 その子供たちの姿を見てはっとした顔をすると、すぐにキャルティさんは駆け寄り、4人の体を抱く。


「ごめんなさい、ごめんなさい。先生のせいであなた達に辛い思いをさせてしまって」


 抱かれた4人の表情は硬い。それもそうだろう。一時とはいえ、目の前にいる存在は自分たちを魔物化させた元凶だ。謝られても許しきれないのが人情というものだ。


 やがてその中の一人の少年がキャルティさんの背中をポンポンと優しくたたく。


「先生。確かに僕たちはあなたから酷いことをされました。裏切られたと思いました。ですがあの時、あなたは涙を流していましたよね? その記憶が確かに残っています。その意図を僕は知りたいなと思いました」


 まるで大人のようにキャルティさんに話しかけるその少年の目は温かいものであった。この4人は孤児院の子供たちの中でも年齢が高く見える。


「私が言い訳をしているようであまり話したくなかったのですが、それではあなた方に申し訳ないですものね」


 観念したかのようにキャルティさんが語りだす。


 魔神教団の下へ行ったこと、その時になんらかの力で操られてしまったこと、これまでも何回も非道なことをさせられてきたこと。


 堰を切ったように語られる真実の中にはおぞましいほどの経験とそれに耐え抜いてきたキャルティさんの心の強さが窺えた。


「……信じてもらえなくても大丈夫です。元々、私は子を売るような非道な人間でしたから」


「信じますよ」


 少年の強い言葉に周りの4人の子供たち、それと孤児院の子供たちが一斉に頷く。


「私達は死にそうだったところをあなたに拾われてここまで生きてこられた。それはここにいる皆も一緒だと聞いた。あなたは操られていても昔から変わらず優しかった」


 ライカの言葉を聞いたキャルティさんがこれまで以上の大粒の涙を流しだす。今まで行なってきた罪が清算されたわけではない。ただ、心のどこかで他の誰でも無い自分の愛してきた者から許されたいという気持ちがあったのだろう。


「……事情聴取はまた後になりそうね」


「だろうな」


 今まで黙ってその光景を見守っていたカトリーヌの呟きにそりゃそうだろと反応する。


 というか忘れていたが、こいつは魔神教団の調査に来たんだったな。


「私達は出ましょうか。邪魔かもしれないわ」


 リア様のその言葉に頷き、リア様、俺、カリン、カトリーヌの4人は部屋の外に出るのであった。




 ♢




「皆さま、本当にありがとうございました。ちゃんと依頼料分はお払いしますので」


 馬車の中にいる俺たちに向かってキャルティさんは深々と頭を下げる。


「お気になさらないでください。依頼料も要りません。今回は私達の気持ちとして受け取っておいてください」


 リア様はキャルティさんからの言葉を丁重にお断りする。


「お姉ちゃん達、行っちゃうの?」


 おい、お兄さんもいるぞ?


「ごめんね、やらなきゃいけないことがあるから戻らないといけないの。また来るから、ね?」


 1日で子供達からの好感度を獲得したリア様とカリンはそう言って駄々をこねる子供達を宥める。


「院長……」


「ライカちゃん、あなたにもまたしっかりと謝らないといけませんね」


「ううん。それはたくさん聞いた。だからお願い。子供達を私の分まで見守ってあげて」


 各々に思いの丈を乗せて馬車は走り出す。物語はいつも出立から始まる。誰の物語でも。

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