第21話 俺の幼馴染が詰め寄る



 一時間程度の睡眠でも、寝ないよりはマシだった。

 ソファで寝ていた所為か、身体が少し痛い。流石にソファで快眠なんてできるわけもなかった。

 だがむしろ、それがちょうど良かったかもしれない。もし快眠してれば、そのまま夕方まで寝てたに違いない。熟睡状態で一時間後に起きれる自信なんて、徹夜明けの俺にあるわけもなかった。

 その浅い眠りのおかげか、椎名の声で7時に無事に起きて、朝飯と一緒に飲んだコーヒーでカフェインを身体に入れて襲い掛かる眠気を誤魔化す。今日一日でカフェインとかなり仲良くなれそうな気がした。

 僅かに感じているこの眠気が、まるで俺の努力の証のように思えた。これは自分の欲望を抑え込んだ名誉の傷として素直に受け入れよう。別に誰かに言うわけではないが、胸を張っても良いようなことをした気分になった。

 朝飯を食った後、手早く身支度をして、8時頃に家を出る。学校までゆっくり歩いて30分も掛からない程度、自宅から学校が近いことが今日ほど良かったと思う日はなかった。

 電車やバスの交通機関に乗れば、間違いなく寝る確信がある。歩いていれば眠気も我慢できる。きっと学校で確実に寝ることになるが、今日くらい良いだろう。もし授業で寝たら、後で椎名か浩一にでもノートを借りさせてもらえばいい。

 そう思って、椎名と家を出た時だった。




「勝也さん、おはようございます。少し顔色が悪いですね? もしかして……寝不足ですか?」




 開けた扉を、すぐに閉めた。思わず、目を擦った。

 寝不足でかなり疲れているらしい。家の前に遠野さんが立っているような気がした。幻覚に加え、幻聴まで聞こえるのは相当だと思った。




「ん? しょーくん? 早くしないと遅刻するよ?」

「ああ……悪い。行くか」




 背後に立っていた椎名に催促されて、俺はもう一度玄関の扉を開いた。




「忘れ物ですか? ふふっ、勝也さんを待つのは楽しいので、私は待たされても全然構いませんよ?」




 やっぱりまだ疲れているらしい。幻覚と幻聴がまだ続いている。

 口元に手を添えて、お淑やかに笑う制服姿の遠野さんが俺の家の前で立っているわけがない。

 そもそも遠野さんが俺の家の場所を知っているはずがない。俺は彼女に家の場所を話した覚えなんてなかった。




「さっきからしょーくん、変だよ? どうしたの?」




 呆けた顔で俺が幻覚の遠野さんを眺めていると、後ろにいた椎名が不思議そうな顔で俺を退けて前へと出る。

 そして家の前に立っている幻覚の遠野さんを見た瞬間、椎名は目を大きく見開いていた。


 なんで俺の幻覚であるはずの遠野さんを椎名が見ているんだ?


 驚く椎名が遠野さんに向けて、しかめっ面を見せる。その表情に思わず俺が首を傾げた時――椎名は遠野さんにものすごい勢いで詰め寄っていた。




「――なんで遠野さんがしょーくんの家に来てるの!?」

「あら? 成瀬さんも一緒でしたの?」

「私としょーくんは毎日一緒に学校行ってるの! それより遠野さんがなんでここにいるの!?」

「そんなこと簡単です。私が勝也さんと一緒に登校したいと思っただけです」

「だから! なんでしょーくんの家知ってるの!?」

「そんなの私が勝也さんの幼馴染だからに決まってるじゃないですか? 分かって当然のことを言われましても……?」




 気付けば俺の家の前で、椎名と幻覚の遠野さんが言い合いを始めていた。

 俺の幻覚は現実世界にも影響を与えるらしい。まさか俺にそんな能力があったなんて……もしかしてまだ寝てるんだろうか?




「嘘つき! どうやって調べたの!」

「……変な疑いを向けないでもらえませんか? 私は勝也さんと幼馴染、家を知ってるのは当然のことなんですよ? そうやって人聞きの悪い言いがかりで私から勝也さんを引き離そうとして……私と勝也さんの邪魔をしないでもらえません?」

「二人の仲なんてありませーん! しょーくんは! わ・た・し・の!」




 二人の言い合いを聞きながら、無意識に頬を思い切り強く抓ってみる。かなり痛かった。

 目頭を強く押して、もう一度椎名と遠野さんを見る。遠野さんは普通に立っていたままだった。

 眠さのあまり思考回路が鈍っているが、それでも次第に現状を理解していく。

 夢でも幻覚でもない。遠野さんが俺の家の前にいるのが現実と知って、俺は呆けた顔を作っていた。




「え……なんで遠野さんがいるの?」

「反応するの遅いよ!? しょーくん!?」




 椎名に怒られる俺。当然の反応だった。

 どうにも頭が回らない。小さく頭を振って、俺は歩き出すと遠野さんの前に向かった。

 そして俺が遠野さんの前に立つと、彼女は睨んでいる椎名を無視して、俺に嬉しそうな笑顔を見せていた。




「おはようございます。勝也さん、今日も素敵ですよ」

「……おはよう」



 

 遅れて、淡白な挨拶をする。

 俺の返事を聞いて嬉しそうに頬を緩める遠野さんに、俺は怪訝に眉を寄せて口を開いた。




「で? なんで俺の家知ってるの?」

「勝也さんも成瀬さんみたいなことを仰るんですの? 先程も彼女にお伝えしましたが、幼馴染なら知ってて当然ではありませんか?」




 悲しそうな表情の遠野さんがそう答える。彼女の言い分も、本当のことなら不思議はない。しかし彼女は俺の幼馴染ではない、赤の他人が俺の家を知っているとなれば話は別だった。

 しょぼくれる遠野さんに、俺は出そうになる溜息を堪えながら口を開いた。




「……もう一度訊くぞ? なんで俺の家を知っている?」

「疑い深いですね? 何度訊いても同じですのに、私が勝也さんの家を知っているのは私が勝也さんと幼馴染だからですよ?」




 わかっていたが、答える気はないらしい。俺が眉を寄せたことに、遠野さんは呆れたような笑みを見せるだけだった。




「最初から頭ごなしに私を疑うのではなく、自分を疑ってみることを試されてはいかがですか?」

「……なに?」

「少しは自分の記憶を疑ってみてくださいな? 私を忘れているだけ、そう考えることも可能でしょう?」




 俺が怪訝に表情を歪めるのに対して、遠野さんが細い指を自分の頭に添えた。

 人差し指で遠野さんが自分のこめかみをトントンと優しく叩く。それは頭を動かせと暗に言われているような動きだった。

 微笑みながら煽るようなその仕草でも、不思議と馬鹿にされているような感じはしなかった。単に諭されているだけ、そんな印象を受ける。間違いなく普通なら馬鹿にされているとしか思えない態度なのに。

 それは自分が間違ってないという自信が作る遠野さんの雰囲気が、そう見せているのだろう。本当か嘘かは別として。

 俺はそんな遠野さんに、不満げに鼻を鳴らしていた。




「俺は遠野さんと幼馴染なんかじゃない。俺にはそんな記憶なんてない」

「意固地ですねぇ……頑固なところも素敵ですが、私としては今のその答えは悲しいです」

「これ以外の答えなんて出ないっての」




 小さく溜息を遠野さんが漏らす。それは心から残念と思えるような態度だった。

 相変わらず、遠野さんとはどうにも話が噛み合わない。嘘をついているとしか思えないのに、どうしてここまで本当のことを言っているような素振りを見せるのか。

 何度思い返しても、俺には遠野さんと子供の頃に会った記憶なんてない。それ以上の答えなんてなかった。

 もう話にならないと口を尖らせる遠野さんを放置して、俺は彼女の横を通り過ぎた。腕時計の時間を見れば、流石に学校に向かわないと遅刻しそうだった。




「あ! しょーくん待ってよ!」




 俺が歩き出したのを見て、椎名が慌てて追い掛けてくる。

 いつも通りに椎名が俺の隣まで来て、二人で横並びに歩く。

 朝から面倒な人に会ったと、俺が肩を落とした時だった。




「いじわるなことをされるのは、流石の私でも少し傷つきますわ」




 いつの間にか、遠野さんが俺の隣を歩いていた。俺の左側に椎名、右側に遠野さんがいた。

 遠野さんが現れて、椎名がムッと目を吊り上げて彼女を睨みつける。

 しれっと俺の隣を歩いている遠野さんに視線だけ向けて、俺も淡々とした声で彼女に訊いていた。




「なんで俺達と一緒に歩いているんだ?」

「あら? そんなことを訊く必要がありますか?」

「あると思っているから訊いてるのが分からない君じゃないだろ?」




 歩きながら俺が訊いても、あっけらかんと遠野さんが訊き返す。

 妙な腹の探り合いなんてしたくもない。俺は面倒だと眉間に皺を寄せた。




「……本当に俺達と一緒に学校に行く気なのか?」

「そうでなければ私は待ってません。待っていたからには、私も一緒に行かせてもらいます」




 そんな風に胸を張ってドヤ顔で言われても困るんだが……

 その強気な態度が遠野さんに諦める気がないことを痛感させられる。

 この様子だと俺と椎名に意地でもついてくるとしか思えなかった。

 どうやって遠野さんを離そうか、そう考えていると、




「前向きに考えましょう? これは良い機会ではありませんか?」

「……なにがだ?」




 唐突の遠野さんの話に、俺は訊き返していた。

 何が俺にとって良い機会なのか、まったく分からなかった。

 そんな俺の考えが顔に出てたのか、隣を歩く遠野さんが俺を覗き込むように上半身を前に出していた。下から俺を見上げて、楽しそうに彼女が不敵に笑っていた。




「学校に着くまで時間はあります。邪魔をしてくる人は、ここにはいません。私と話をするのに、こんなに最適なタイミングはないと思いますよ? 昨日は都合が合わずに話す機会がありませんでしたが、今なら勝也さんの好きなことを私に訊けますよ?」




 確かにそう言われれば、良い機会だと思えた。

 俺は遠野さんとしっかりと話し合っていない。教室でも、昨日の屋上でも、誰かしらとトラブルになって彼女と話すことはなかった。




「なんでも訊いてください。なんでもお答えしましょう」

「なんでも?」

「ええ、なんでも。恥ずかしいですが、知りたいでしたら私のスリーサイズでもお答えしますわ」




 最後のは訊く気はない。俺がそう思っていると、今まで黙っていた椎名が怒った顔で遠野さんに詰め寄っていた。




「しょーくんに変なこと言ったら怒るよ!」

「あらあら? 私のスリーサイズが変なことだと思っているんですか?」

「しょーくんは要らない情報は求めてません!」

「冷静に話ができないのはよくないですね? 女の嫉妬は見苦しいですよ?」

「ぐぬぬ……!」




 余裕の笑顔を見せる遠野さんと苛立ちを隠そうとしない椎名。

 絶対に相容れることのない二人を前に、俺はどうやって椎名をなだめるか睡眠不足の頭で考えることにした。

 遠野さんと静かに話すタイミングもないだろう。逃したくない機会を無駄にしないために、俺はとりあえず騒ぐ椎名を鎮めることを優先した。








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