4話 やりすぎたか…
日が落ち始める時間帯になり、ようやく月夜とあやめは仕事の話を終えた。
「話は以上ですわぁ、雇用関係の問題も良い方向に向かってますし、順調ですわね。」
「せやな、仕事に就けずに強盗やりながら血を吸う──みたいな奴らも最近は減ったし、ええこっちゃ。」
「これもお姉様の努力の賜物ですわよ。」
「何言うてんねん、昔この辺りで頭張ってたあやめがおらんかったら、こんな上手くいってへんわ。」
「もう~昔の話はよしてくださいよぉ。」
あやめが恥ずかしそうに口元を押さえる。
「そんな私を真っ当な道に導いてくださったのはお姉様じゃないですかぁ…っとすみません、この後に予定がありますので失礼しますね。」
「そうか、長い時間付き合ってもろてすまんなぁ。」
あやめが机の上の書類をバッグにしまい始める。
月夜も自身の書類を綺麗に整え、書類棚へと運んだ
そうして月夜の目が机の上から離れた瞬間だった──
「……。」
あやめが書類を一枚、さりげなく机の下へと落とした。
まるで慌てて書類を片付けた際につい落としてしまったかのように自然に、かつ目に触れないように。
「…では失礼しますねお姉様、日向さんにもよろしく言っておいてください。」
「おう!今度は三人で飯でも行こうな!」
「日向さんがよろしければ喜んで…では。」
含みのある笑みを残し、あやめがオフィスから去る。
月夜はササっと机の上に残ったカップを片付けると日向がいる部屋のドアをノックした。
「日向、すまんかったな。もう話は終わったから出てきてくれてええし!」
「ん、分かった月夜さん。」
日向が部屋から出てくる。
すると部屋の中から微かに油っぽい臭いが漂った。
「ん、なんやこの臭い?」
「あ~……ちょっと革ジャンの手入れにオイル塗ってたからかなぁ。」
「その臭いか、たしかになんか嗅いだことある気がしたわ。」
少し視線を泳がせた日向の言葉に月夜が頷く。
「せや、晩御飯どないしよ。あり合わせでよかったら適当に作るけど、なんか食いに行こか?」
「え…手料理!?」
「まぁそんな料理上手って訳ちゃうし…やっぱ外食の方が…。」
「いや、食べたい、月夜さんの手料理、是非。」
身を乗り出しながら日向がはっきりとした口調で言う。
そう言われると月夜も満更でもなさそうに、はにかみながらも笑みを浮かべた。
「分かった分かった、嫌いなもんあるか?」
「なんでも食べるよ、和食でも中華でも、魚も野菜も。」
「ほう、ええこっちゃ。」
「月夜さんの料理なら蛇でもセミでもなんでも食べるよ…!」
「待てぇ!そんなん食ったことあるんかいな!!」
「キャンプでいざというときのためにって父さんと母さんから、本当心配性だよね。」
「いざというときにもほどがあるんちゃうかそれ…。」
「蛇は小骨が多くてちょっと苦手だったなぁ、セミはなかなか──」
「言わんでよろしい!」
日向の育て方について少し口出しした方が良いのではないかと月夜が眉間に手を当てる。
「ま、食えるもんはお出しするわ…っと流石にこの着物で料理はしたないなぁ、着替えな。」
「たしかに良さそうな着物だもんね。」
「ちょっとだけ奮発して買った奴なんやわ、じゃああたし着替えるから。」
「うん。」
「うん…せやから、な?」
「……。」
「……。」
「女同士だよ…!」
「女同士でも恥ずかしいものは恥ずかしいんや!部屋に戻ってて!!」
顔を真っ赤にする月夜に無理やり日向が部屋に押し込まれる。
扉が閉じたことを確認して月夜が部屋着に着替える。
いつものハーフパンツにカーディガンを着ようとしたが、すっかり着古してくたびれた姿をみて顔をしかめる。
少し考えて、邪魔にならない程度にフリルがついたワンピースタイプの部屋着を選んだ。
着替えを終えたことを日向に伝え、月夜はキッチンへと向かう。
冷蔵庫の中を確認すると使いさしのキャベツやニンジン、玉ねぎといった野菜類に買いだめしたトマト缶、消費期限が近いブタの小間切れといったところ。
少し悩んだ末にカレーにすることにした。
キャベツと玉ねぎをザっとみじん切りにしてバターで炒めた後、トマト缶とぶつ切りにした人参、豚肉を小鍋にぶち込んでひたすら煮込む。
野菜とトマト缶の水分で鍋が満たされたところでカレールゥを投入して、適度にかき混ぜながらみじん切りにしたキャベツと玉ねぎが形がなくなるまで再度煮込み続けた。
念のため味見をするが問題なく美味い。
安心して大皿にご飯をよそい、カレーをかける。
日向の分はたっぷりとご飯をよそったせいで小さな山のようになってしまったが、大丈夫だろうとリビングのテーブルに並べる。
「日向~ご飯できたで~!」
「やった…うわぁ、美味しそうなカレーだ。」
さっそくリビングに姿を現した日向が目を輝かせる。
スプーンと飲み物を用意し、二人で席に着くと日向は待ちきれないとばかりに手を合わせてカレーを食べ始めた。
「いただきます!………うん、美味しい、美味しいよ月夜さん!」
「ならよかったわ、おかわりはまだあるさかいに、たっぷり食べや。」
「うん、ありがとう。」
小山のように盛られたカレーが瞬く間に日向の口に運ばれ、みるみるうちに無くなっていく。
月夜も日向に遅れてカレーを口に運んだが、あり合わせで作ったにしては上出来といえる味だった。
結局カレーは小鍋で作ったこともあってあっさりと日向が食べきってしまった。
「はぁ~食べたなぁ、ごちそうさまでした月夜さん。」
「お粗末様でした、さて、じゃあ風呂でもいれよか。」
二人で食事をしているうちに、もう普段入浴している時間になっていたことに気づいた月夜が言う。
それを聞いた日向は小さく笑みを浮かべると、なんでもない風を装いながら食器を片付け始めた。
「だったら私は後片付けしておくから、月夜さん先に入っておいてよ。荷物もまだちょっと整理しておきたいし。」
「そうか、じゃあ頼むわ。」
月夜は素直に日向に好意に甘えることにした。
自動の湯張りスイッチを押し、着替えの準備をして脱衣所に向う。
風呂に入る前にサッとメイクを落とし、歯磨きを済ませた。
これで後はシャワーを浴びて、身体を洗っているうちに湯張りが終了する計算だ。
月夜は脱いだ衣服を大雑把に洗濯籠に突っ込み風呂場に入ろうとするが、慌ててブラジャーだけまだ真新しい洗濯ネットに入れた。
普段は面倒なのでそのまま洗っているが、今は日向がいる手前少しでもきっちりした大人を演出したいからだ。
危ないところだったと一息ついて風呂場に入り、シャワーを浴びる。
心地よい暖かさに月夜は心も体も安らいでいく感覚にゆったり身を任せた。
「……ん?」
シャワーが落ちる水音に混じり、脱衣所の方でなにやら物音が聞こえた。
月夜が脱衣所の方を振り向くと、曇りガラスの向こうに人影が見える。
「……。」
「……ま、まさか日向…!?」
月夜が声をあげるのと、全裸になった日向が風呂場の戸を開いたのはほぼ同時であった。
日向は引き締まった、美しい身体をしていた。
シルエットは女性らしい滑らかな美しい曲線で構成されているが、それらを形造っているのは綺麗に発達した筋肉であった。
均整の取れた機能美と、ギリシャ彫刻のような見栄えある美しさが合わさった肉体である。
動物で例えるならばドーベルマンやサラブレッドに通ずる美しさと言えば良いだろうか。
月夜は思わず日向の肉体に見惚れて、しばらく目を外すことができなかった。
「ごめん驚かせて、背中流そうかなと思って。」
「あ…いゃ…そ、そんにゃ気を遣わんで…も…。」
「そっかぁ、じゃあ本当のこと言うと──」
日向がそっと身をかがめながら月夜へと身を寄せる。
月夜は風呂場で逃げる訳にもいかず、ただただ日向の動きに身を任せるしかなかった。
「月夜さん、綺麗だから…一緒のお風呂入りたかったんだ。」
「うんにぇッ!!?」
「ねぇ、月夜さん……やっぱりダメ、かなぁ。」
シャワーを浴びてしっとりと濡れた月夜の髪をゆっくり手で梳きながら、日向は甘えるような声色で言った。
月夜はというと突然の出来事にまだ頭が追い付いておらず、シャワーの湯が蒸発してしまうのではないかと思える程に顔を真っ赤にしている。
のぼせたかのように頭の中に靄がかかり、微かに触れる日向の肉体から伝わる温度を感じる程にそれは濃くなっていく。
正常な判断力と理性がどんどんと薄れていき、やがてプツンと何かの糸が切れたかのようにクリアになったかのような感覚が全身をはしる。
「ええよ、もう…日向の好きにしてくれてええわ…あたしのこと…。」
月夜が微かに潤みを帯びた瞳で日向に言った。
その目を見た日向の身体に、稲妻が奔ったかのような強烈な刺激が奔る。
ごくり、と日向は思わず生唾を飲んだ。
「じゃ、じゃあまず…髪から洗うね、月夜さん。」
「うん、頼むわ…。」
日向がシャンプーを手に取り、軽く泡立てた後にゆっくりと月夜の髪に触れる。
やわらかく、力を籠めすぎないように、爪を立てずに指の腹で。
細心の注意を払いながら髪を洗う。
最初は頭皮を意識して、そこから毛先まで丁寧に、焦らずに時間をかけて。
思わず日向の額に汗が浮かぶ。
まるで爆発物の処理でもしているようにその顔は真剣そのものだった。
最後に泡が残らぬようにしっかりと洗い流し、シャンプーを終える。
「あれ…リンスはないんだ?」
「あぁ…そのシャンプー…リンス入りのやから…。」
「ふぅん…。」
恍惚とした表情を浮かべながら月夜が答えると、日向は残念そうな顔をした。
「もうちょっと触ってたかったし、残念かも。」
「日向なら…いつでも触ってええから…。」
「……遠慮しないよ、そんなこといわれたら、私。」
「もぅ…ええから…。」
髪を触る日向に対し、むしろ髪を触ってもらうことをねだるような声色で月夜は言った。
日向はしばらくの間、名残惜しむように指で髪を梳かしていたが手を離し、ボディソープを手に取る。
シャンプーと同じく掌で軽く泡立てた後、初めに腕から洗い始める。
子供を撫でる時のように掌で優しく、外から内、指先までしっかりと。
滅多に口にできない高級な料理を味わうように。
まんべんなく腕を洗った次は背中。
背筋にそっと指を這わせると、びくんと月夜の身体が跳ねた。
「うひゃ!?」
「ごめん、くすぐったかった?」
「いや…大丈夫や…。」
腕と同じように背中を丹念に洗っていく。
日光を苦手とする吸血鬼の生態によって透き通るように肌が白いその背中は大理石のように美しく、それでいてしっかりと肉体の柔らかさがあった。
背中を洗い終えた日向は一旦手を止めた、そして荒くなってしまう息を少し整え、意を決したように身体の前面に手を回す。
そして後ろから抱き着くように月夜に身体を密着させた。
「ぁッ…。」
微かに月夜が声を漏らす。
お腹周りを洗った後に脇腹に手を伸ばし、そのまま脇下まで掌を這わせる。
肋骨のラインに指を這わせ、焦らすように指先を擦りつけた。
硬い肋骨に触れるたびに、月夜が少し身体をよじらせる。
よじる身体を抑え込むように日向は身体を月夜に押し当て、左手を腹に回して抱きしめる。
そして残った右手を月夜の胸に伸ばした。
「んん~…ッ!」
月夜が身体をさらによじらせる。
小ぶりだが張りがあり、指先が吸い付いてしまいそうな胸だった。
弾力を確かめるように指を触れたり、離したりを幾度か繰り返したあと、下乳の軌跡をなぞるように撫でた。
撫でて、撫でて、撫でて、撫でて。
掌全体でボディソープを肌に塗りこむように揉んだ。
腹に回していた左手も使って、両手で背後から胸を揉む。
「ひゃ…ぁッ…うぃッ…んッ…!!」
日向の指先が胸に沈む度に月夜が微かに甘い声を漏らした。
その反応を見た日向はたっぷりと指先で月夜の胸を弄ぶ。
どんどん月夜が漏らす声に甘さが増していき、声も大きいものへと変わっていく。
日向も自身の息がどんどんと荒くなり、心臓の鼓動が増していることを感じ取っていた。
欲望に耐え切れなくなった日向はついに胸の先端に指を伸ばす。
「ひゃうッッ!!」
日向がそっと撫でただけだというのに月夜は今夜で一番大きな声を上げた。
声の大きさに比例して、日向が感じている歓びもまた膨れ上がった。
胸が高鳴るなんて可愛いものではない、胸を食い破って人の皮を被った自分の本性が現れる感覚。
夢中で月夜の先端を日向は責め立てた。
その動きに髪を梳いていたときの繊細さはない。
圧し、つまみ、転がし、弾き、静かに触れ、強く触れる。
焦らすように周囲をなぞり、頃合いを見て強く──
「あぁんッッ!!」
それでも日向は瀬戸際で理性を保っていた。
本当にすべての理性を投げ捨てたなら月夜のみみをはみ、首筋を舌でなぞり、自分の唾液で化粧をするようにべとべとにしてやりたかった。
そんな思いを堪えながらも、日向は月夜の内腿に手を伸ばした。
内腿と腰の境目をソッとそっとなぞる。
その時だった──
「はぁ…はぁ…ッッッ!!!」
月夜が突如振り返り、日向の肩を掴んで自分の方へと引き寄せた。
月夜の瞳の先、そこにあるものは日向の首筋であった。
大口を開け、牙を剥きだにし、鋭い先端が微かに首筋に触れた。
「月夜さん…。」
日向の声を聞いた月夜が正気を取り戻し、寸でのところで動きを止めた。
流れ続けるシャワーの音に荒くなった二人の息が重なる音だけが、風呂場の中に響く。
「こ……この……!」
「え…月夜さん…?」
ぷるぷると月夜が身を震わせる、そして首筋から顔を離すと、のぼせ上ったかのように真っ赤になった顔を日向に向けた。
「…大人相手になにさらしとんねん!!マセガキ!!!!!」
ゴツーーんと、月夜が日向の頭に強烈な拳骨をお見舞いした。
風呂場に音が反響し、どこか寺の鐘を思わせる風情を醸し出す。
「いったぁぁぁ!!?」
「ふん!!」
あまりの拳骨の痛みに頭を押さえて悶えている日向の横を、シャワーで泡を落とした月夜が通り過ぎていく。
大きく音を鳴らして風呂場の戸が閉じられ、一人取り残された日向はまだ火照りの残る頬に手をやり、肩を落とす。
「流石に…やりすぎちゃったか…私も歯止め効かなくなってたしなぁ…。」
そして微かに月夜の牙が触れた首筋をさすると、残念そうに眉をひそめた。
「…吸ってくれたら良かったんだけど、なぁ。」
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月夜はまだ火照りの残る頬を冷やすべく、オフィスの窓を開けて夜風に当たっていた。
「ほんまもう…なんやねん、一体。」
日向の洗い方は普通ではなかった。
焦らすように腹から腰、脇へと洗う位置を移しながら、最後は胸をじっくりと弄ばれた。
もしかすると好意を持たれているのか、そう考えてしまい月夜は首を振る。
日向とはほぼ初対面に近しいからだ、最後に会ったのは三歳の頃でおそらく覚えていないだろうと。
昼食時にも彼氏はいるかと恋愛に関する話を振られたのだから、そういうことに興味があるのだろうと自分に言い聞かせる。
しかし恋人の有無を聞いて来たということは──
「むああああ~~~!!」
まだ湿り気の残る髪をかき乱しながら月夜は思わず声を上げた。
どう処理すれば良いか分からない感情に、心に靄がかかる。
そうして少しでも心を落ち着けようとリビングに飲み物を取りに行こうとしたとき、デスクの上に置いていたスマホに通知が来ていることに気づいた。
急な連絡かと慌てて月夜が確認すると、電話が一件とショートメッセージが一件。
どちらも昼にオフィスへやって来たあやめからであった。
ショートメッセージの内容は"書類を一枚忘れたので明日取りに行く"というもので、電話もそれに関するものだろう。
月夜は呆れながらも昼間会話をしていた机周りを見回し、一枚書類が落ちていることを確認して了承した旨を返信する。
「アホやなぁ、まぁ自分で取りに来る言うてるし、ええか。」
溜息をつきながら再びスマホをデスクの上に置き、月夜はリビングへと向かった。
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