🏫 夏祭りの話
八月も気づけば半月以上が過ぎていた。
八月も気づけば半月以上が過ぎていた。
この頃になると、高校三年生の夏がどんどん残り少なくなっていくのを感じずにはいられなかった。
高校生活最後の夏はそれまでの二年とは違って大学受験というプレッシャーが重くのしかかる季節であり、周りの生徒たちの様子にもかなり焦りの色が見えていた。
決してやる気があったわけではない俺ですらそのピリピリとしたムードにのまれ、もっと勉強しなければ受からないという切羽詰まった感覚に襲われていた。
当時のことを振り返るときには、とにかくその言いようのない焦燥感があったことを思い出す。今やっていることに効率性があるかとか、無駄なことをしていないかみたいなことが気になって仕方がなかった。
それでも、恒例となっていた千歳との勉強会に関しては中断することなく続いていた。
「正答率はだいたい八割ってとこか。だいぶ理解できてきたんじゃないの?」
「一応真面目にやってますからね。先輩の教え方も上手いですし。これくらいの問題ならなんとかできます」
この日は駅前のハンバーガー屋で彼女が苦手だという数学の勉強を見ていた。以前はできなかった教科書の問題でも丸が目立つようになり、少しは努力の成果は出ているようだった。
「この調子なら追試もいけそうだな」
俺がそう言うと、千歳はペンを止めてこちらに訴えかけてきた。
「わたしの学力を甘く見ないでください。ちょっと問題の形式が変わったらたちまち赤点取りますから」
「どっちの方向に自信持ってるんだよ」
堂々と言い張る目の前の後輩に、俺はため息混じりで突っ込みながら苦笑する。
夏休みの終わりに行われる千歳の追試。その運命の日は徐々にではあるが近づいていた。
だが、不思議とまだまだ先の話のような気もしていた。
それはこの時間が終わってほしくないという思いが、心のどこかに芽生え始めていた証拠かもしれない。
認めたくないから認めようとしない。意識してしまうから意識しない。
常に受験という逃れられない圧力に押し潰されていた俺にとって、彼女との勉強の時間だけは同じ勉強であっても楽しく感じられた。
「でも、まるっきり同じじゃないと本当にわからなくなるんですよ。赤点だったテストでできなかったやつも、多分似たような問題を授業でやったと思うんです」
「なるほど。まあ、言いたいことはわからないでもない。確かに見た目が少し変わるだけで全然違って見えるよな」
珍しく真剣に勉強の悩みを打ち明けてきたので、俺は労るように同意してあげた。
なのに、千歳は相も変わらず千歳だった。
「それって容姿のこと言ってます?」
「どこにそんな勘違いするポイントあるんだよ? 問題の話だ。数学のも・ん・だ・い!」
「よ・う・し!」
何がどう面白いのか知らないが、陽気な千歳は謎のノリでかぶせてきた。
このままでは話題が問題用紙、いや違う容姿問題、まあなんでもいいがとにかく完全に勉強から逸れてしまう。俺は流れを立て直すべく諫めるつもりで言った。
「ふざけてると追試受からなくなるぞ」
すると、元気に笑っていた千歳は急にしゅんとなり、投げやり気味に吐き捨てた。
「別にいいですよ」
本心で言っているのかは見抜けなかった。だが、冗談っぽくも聞こえなかった。
それでも……。
「今のは冗談なので撤回します」
と、すぐに言われてしまったから追及することはできなかった。
一方的な宣言の後、千歳は空気を一変させたかったのかわざとらしく身を乗り出して主張してきた。
「それよりも先輩、そろそろ息抜きが必要な頃合いだと思いませんか?」
彼女の瞳はまじまじとこちらの様子を窺っている。先ほどの自らの発言を気にしているのか、明るい声音とは裏腹に不安の色がそこかしこに表れていた。
俺は距離をとるように背もたれに寄りかかってから深く息を吐いた。
「まあ、頑張ってるしな」
「本当ですか? ありがとうございます」
まだはっきりと了承はしていなかったのに、俺の反応を見た千歳は勝手に喜んでご丁寧にお礼まで言ってきた。
事実、千歳は頑張っていた。明らかにやる気がなかった勉強にも一応は真面目に取り組んでいて、追試の合格も決して不可能じゃないというところまで到達しつつあった。
そもそも普通に頑張ってたら赤点なんて取らないだろう、と反論する声もあるかもしれない。
だが、その「普通に頑張る」とはなんなのかを定義するのは難しい。
ということで、ここではあくまで俺目線での評価ということでご容赦いただきたい。
甘いと言われようが、彼女は彼女なりに努力していたと俺は思う。
「それで、今度はいったい何をしたいんだ?」
実行が決まった息抜きについて、とりあえず内容を問うてみた。
バドミントン対決のときは当日まで詳細を教えてもらえなかった。
もしかしたら今回も同じパターンかもしれない。そう勝手に思っていたら、意外な答えが千歳から返ってきた。
「残念ながら、まだ具体的には決まってないんですよね」
悔しそうに彼女は肩を落とした。計画を隠しているとかそういうのではなく、言葉通り純粋にアイデアがなくて困っている様子だった。
「ちなみに候補とかはあるの?」
「候補というか、目標みたいなものならあります」
「目標?」
「はい。今回の息抜きのテーマは『夏らしいことをする』です!」
それだけは決まってるんだとアピールするように、きらっと光る元気な笑顔で俺のほうを見た。
「今年は毎日勉強ばかりで全然夏っぽいことしてないじゃないですか? だから、最低何か一つくらいは夏らしいイベントを経験しておきたいって思ったわけです」
勉強ばかりと強く断言できるほど勉強に取り組めていたかはさておき、千歳の言う「夏らしいことをしたい」という気持ちは俺としてもわからない感覚ではなかった。
なぜならば、俺も同じようなことを考えていたから。
例えば炎天下の中で汗をかきながら学校に来ることも、考えてみれば暑い夏ならではのことだと言えなくもない。さらにその帰りにひんやりと冷えたアイスなんかを食べたりすれば、それはもう立派な夏の思い出だろう。
そういう意味では無理して何かをしようとしなくても、夏の間生きているだけで夏という季節は体験できているのだ。
しかし、それだけでは何か足らない気がしてしまうのである。
季節も時間も止まってはくれない。再び巡ってくるものはあれど、同じ瞬間は二度とやってこない。
その中で今しかできないこと、今やっておくべきことがあるのではないかと焦る気持ちはきっと誰にでもある。
そのとき、俺が欲しがっていたものに名前を付けるのは難しい。
ただ、一つだけ説明をするとしたら……。
俺はいつかどこかで出会った『あなた』に語れるような『物語』を求めていた。
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