第2話
「圭ちゃんには困っちゃう。妹を、いつまでも成長しない生き物だと思ってるんだもん」
待ち合わせに少し遅れて到着すると、鈴音は都筑に遅刻の訳を語った。
イルミネーションに彩られた街は、有難い事にクリスマスを共に過ごそうと言うカップルで溢れかえっており、それが隠れ蓑となって、フードを被っているとは言え、教師である都筑と、その生徒である鈴音が手を繋いで歩いていても、誰一人として意識を払う者はいない。
二人は、極普通のカップルがするように、時折ウインドウのディスプレイを覗き込みながら夜の街を歩いた。
立場上、堂々と付き合うことが出来ない二人にとって、それだけでも充分なクリスマスプレゼントだ。
だが、鈴音は出掛けに躓いた事で、ほんの少し不機嫌だった。
「出かける時ね、いつも苦労するんだよ? 子供を初めてお使いに出す親みたいに、後をつけてきたりする事もあるんだから」
言って急に不安になったらしい。鈴音は落ち着きなく辺りをキョロキョロと見回した。しかし、そこにはやはり幸せそうなカップルばかりで、兄の姿は見当たらない。どうやら一緒にいる相手が相手だけに、過敏になっているようだ。
「心配なんだよ」
「もう、子供じゃないもん」
「それはよーっく知ってるよ。俺も加担したからね」
都筑は繋いだ手を解くと歩みを止め、すっかり冷たくなった鈴音の頭を引き寄せると、長身を屈めて鈴音の耳元に囁いた。
冷えた耳に、都筑の息が暖かい。
かっと頬が熱くなるのを感じた鈴音は、慌てて都筑の腕から逃れ、ぽかぽかと都筑のコートの二の腕を叩いた。
「もうっ。そーゆーイミじゃないの!」
「はは。ゴメン、ゴメン」
「なによ、も……」
悪態をつこうとした唇は、不意打ちのキスに封じられ、そして鈴音の小さな身体は、瞬く間に都筑の腕の中へ引き 込まれた。
冬の夜風に晒され冷たくなっていた都筑のコートの生地が、互いの体温で次第に温かくなっていくのが頬に感じる。
そして、何度となく髪を撫でる細く長い指は、この上なく優しかった。
「もう子供じゃないと思うからこそ心配なんだよ。最近益々キレイになったから、余計に不安なんじゃないかな? さて……」
そこで一旦言葉を切って身体を離す。そして
「では、ここで問題です」
呆気にとられている鈴音の鼻先をちょんと突付くと、都筑はフードの中から鈴音を覗き込んだ。
「カワイイ鈴音を、更にキレイにしたものは何でしょう?」
「ネットで買ったサプリ」
「は……?」
間髪入れずに答える鈴音に、今度は都筑が呆気に取られる番だった。そんな都筑をちらりと見ると、鈴音は人差し指を唇に当て、考える仕草をする。
「あ、それともアレかな……」
「そう! その、アレだよ」
「うん。化粧水変えたんだよね。肌に合ってたのかな」
「……なにそれ。俺じゃないの?」
「あーあ。彼女でも出来れば、圭ちゃんも少しは妹離れするかなー」
期待が外れ、がっくりとうなだれる都筑を横目で意地悪く見遣ると、鈴音はヒップの上で手を組み、すたすたと歩き始める。
その後ろを、盛大な溜息をつきながら都筑が追った。
「ま……、ムリだね。桜井のシスコンはフツーじゃないから。でも」
鈴音に追いつくと直ぐ、都筑は鈴音の手を取った。
今日は特別寒い。その所為で、五分と離れていなかった筈なのに、鈴音の手はもう冷たくなっていた。
その手を握り、コートのポケットへ突っ込みながら、都筑は自分を見上げる黒目がちの瞳に、ニコリと笑って見せた。
「今日は大丈夫じゃないかな。予防線張っておいたから」
「予防線? なあに? それ」
「さてね。問題に答えない子には教えてあげません」
「ちゃんと答えたよ?」
「あ、ほら。大きなツリーがある」
「話逸らしてる……」
「そんな事ないよ。見てご覧。キレイだから」
「わあ……。ホントだ」
都筑が指差した先は広いロータリーになっており、大きなツリーが、沢山のモールやリースを纏い、立っていた。
「毎年クリスマスシーズンになると飾るんだよ、ここ」
「そうなの?」
「うん。あそこに小さな星型の飾りが置いてあるんだ。それに欲しいプレゼントを書いて下げるんだよ」
ツリーの側には、星型のリースがペンと共に用意されてた簡易テーブルが設置され、子供達が群がっている。
それに気付くと、鈴音は笑った。
「なんだか、七夕みたい」
「だねぇ……。けど、満更バカにも出来ないよ?」
言いながら、都筑は目を細める。その効果を知っているとでも言いたげだ。
「先生、ひょっとして……」
「書いた」
「うっそ」
「本当です」
「イヤー……」
「イヤとか言うなよ」
明らかに引いている鈴音の様子に、都筑は不服そうに下唇を突き出した。
その様子はあまりに子供っぽくて、鈴音は吹き出してしまった。
「なんで笑うかな」
「ごめん。で? なんて書いたの?」
「……鈴音」
目尻の笑い涙を拭う手が止まった。
「なに、その顔」
「……ホントにそんな事書いたの」
「書きましたよ~? ずっと欲しいと思ってたからね。ま、手に入ったのは今年の春ですが」
出会ってから約一年。柄にもなく、藁にもすがる思いだった。
「その前は? 何かお願いした?」
「いや、何も。そこのカフェから、ボケッと眺めてただけ」
「ああ、あの店?」
「そ。君のお兄さんに呼び出されて」
それは二年前。クリスマスを目前に控えたある日。
都筑は大学時代の友人、桜井圭一に呼び出され、大きなクリスマスツリーが見えるカフェにいた。
友人と言っても、圭一は都筑にとって、どちらかと言うと迷惑な存在だ。
大学入学早々、たまたま隣に座った都筑の柔らかい物腰をいたく気に入った圭一に、半ば無理矢理圭一が所属する柔道部に引き入れられ、それ以来付かず離れずの関係が否応無しに続いているに過ぎない。
しかし、都筑の心の内を知らぬ圭一は、信用できる友人と見込んで、彼に頼みごとを持ってやって来た。
「都筑。お前を教師と見込んで頼みがある」
「えっ? 何? 急に」
いきなりテーブルに両手を付いて頭を下げた圭一に驚いた都筑は、手にしていたコーヒーカップを戻した。
「実はだな」
がばっと頭を上げると、圭一は軽く息をつき、ゆっくりとした動作で太い両腕を組み、目を閉じた。
「俺には、十歳違いの妹がいる」
「……まさか。その妹が実は自分の娘だとか言い出すんじゃないだろうね」
「何を言う。正真正銘、実の妹だ」
「ああ、そう」
内心つまらんと思いつつ、都筑は圭一を促した。
「それで? 十歳違いと言うと……受験生?」
がっしりした顎を上下させると、圭一はふと窓の外へと視線を動かし、またしてもふっと溜息をつく。
何事も大げさで勿体つけたがり、その上芝居めいているのがこの男の鬱陶しい要素の一つだ。
いや、この時点で三つだ。
「それで、どうしたのかな?」
都筑はテーブルの下でイライラと爪先で床を叩きながらも、もう一度にこやかに圭一を促した。
「都筑。クリスマスだな」
「相変わらず……突拍子ないよね……」
「これから繋がるんだ。まあ聞け!」
流石に声に険があったらしい。圭一はグローブのような手を突き出し、パタパタと上下させると、ようやく切り出した。
「ウチの妹は鈴音と言うんだが、これがまた俺に似て器量良しでな。遅くに出来た妹と言うのもあって、目に入れても痛くない程に可愛いんだ。性格もいい。小さい頃なんか、おにーたん、おにーたんって、片時も……」
ゲタに似た器量良し……? 性格がいいってのは、人間が出来てると言う訳ではなく、所謂イイ性格してんじゃねぇかの方なんじゃ……。
鼻の下を伸ばし、穴を広げ、舌も滑らかに、延々妹の自慢話を続ける友人の顔を眺めながら、都筑は思った。
しかし、何より身内の自慢話ほど、他人にとってどうでもいい話はない。
都筑はすっかり飽きてしまった。
「いやぁ、小学校入学までは、おにーたんのオヨメサンになるなんて言っちゃって、これがもう、なんとも言えずカワイ……おい、聞いてるか」
「え、ああ、うん」
圭一は、心ここにあらずと言った友人に少々ガッカリしたようだ。
だが、流石にそろそろ本題に入らないとマズイと思ったのか、咳払いをすると思い出話は切り上げた。
「ま、そんな訳で、とんでもなく可愛い妹がいるんだ」
「そう」
「で、ハッキリ言って、性格や容姿と同じくらい成績も良いんだがな、控えめな妹らしく、初めての受験に本人は不安そうなんだ。そこでだ!」
ようやく本題に差し掛かると、圭一はどんと、セーターの厚い胸を叩いた。
「この兄が、クリスマスプレゼント代わりに、家庭教師をと思ってな! しかし! しかしだ! 繰り返すようだが、鈴音は美少女だからな。兄としては、いろいろと心配な訳だよ」
「なら、女の子を雇ったらどう?」
「妙な入れ知恵をされても困る」
「入れ知恵?」
「そこらの女なんか、ロクでもないに決まってるからな。男に取り入る事しか頭にない。そこで、人畜無害、紳士で優しい教師と評判のお前に白羽の矢を立てた訳だよ」
「白羽ねぇ…」
鏃に毒でも着いていそうである。
おまけに、このゲタに似ている時点で、既にお近づきになりたくない。第一、師走とはよく言ったもので、年末は教師も走り回るほどに忙しいのだ。ゲタ娘に付き合う暇など砂粒ほどもない。
「悪いけ……」
「ま、そう言う事だから、次の日曜にウチに来てくれ」
圭一は、都筑にとって迷惑な友人だ。
相手の意思や都合は一切考慮しない。その所為で、都筑は華やかな大学生活を汗臭い柔道部で過ごす羽目になった。
そして今度も圭一は都筑に断る隙を与えず、用意してきた手書きの地図に時間を記すと、伝票と一緒にテーブルに残して去って行った。
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