ヌードルワールドー世界は三分間でできている

アシッドジャム

ヌードルワールド

店内にはまだ客と言って良いのか分からない存在の男が一人。




ここ一時間ばかりメニューも見ずに出されたお冷も飲まずにじっと前を見据えている。何度か注文を訊きに行ったが男はこちらをじっと見て不思議そうな顔をしている。お冷のグラスに入った氷がカランと間抜けな音を出す。気まずくなってカウンターの奥へと戻った。今は他の客も来ないので早くしろとも言えずにぼんやりとスマートフォンを眺めて過ごしている。





 SNSを何とはなしに眺めていると、おやっと思い手が止まる。自分と同じような状況にある店があるようだった。変な奴ってどこにでもいるんだな。とりあえずその記事にいいねをしてまたつらつらと眺めているとある写真に目が留まる。



「猫背の巨大な犬!」という文章の下に大きな犬が背を丸めて二足歩行で歩いている。上手く加工されたよくできた写真だった。哀愁を滲ませたような表情に思わずクスリと笑ってしまい、ハッとしてまだ客かどうかわからない男に聞かれたかなと心配になりそちらを見ると、男の後ろの窓ガラス越し、つまり店のすぐ外に大きな二足歩行の犬が歩いている。先ほどの犬は白かったがこちらは黒くて何だか体もムキムキしている。まじで怖い。そう思っていると「おおよくできておるのぉ」といって犬に近づいていったじいさんが殴り倒された。犬はこちらを睨んでくる。俺はとっさに目をそらせた。なんだか見てはいけないものを見てしまったような気がしたからだ。




 着ぐるみには見えない。着ぐるみにしてはバランスがおかしい。2メートルくらいある体に頭は小型犬くらいしかなく、犬種が何なのかはわからないが本物の犬のようだった。犬は向かいにあるステーキハウスへと入っていった。ステーキハウスからはなんだか曖昧な悲鳴が聞こえてきた。俺はほっとして自分の店が犬肉で出汁をとっているラーメン屋でよかったと心底思った。さすがにあの犬も共食いはしないだろう。しかしよく考えてみればどうして俺は犬肉なんぞを使ったラーメン屋なんぞをやろうと思ったのだろう。うちのラーメンはハッキリ言って激マズだ。そしてとても臭い。




 何かが狂ってる。そう思っているとスマートフォンが振動した。電話がかかってきたのだ。知らない番号で見たこともない市外局番だった。もしかすると海外からかもしれない。誰かに今見たことを話したいがさすがにこんな怪しい番号からの電話に出る気にはならなかった。どうせ何かの詐欺か何かだろう。しばらくすると留守電に切り替わりメッセージが残されたようだったので聞いてみる。音声は雑音交じりで聞き取りづらかった。日本語のようにも聞こえるが別の言語のようにも聞こえるが俺は知っている奴の声だと思った。しかし誰なのかは思い出せない。





 底なし沼のようなため息が出た。いやはや俺は現実から逃げるためにまたスマートフォンを眺めることにした。時間の制約を超越するウイルスを発見!最大質量のブラックホールやば!怖い話コンビニ師匠編!ドッペルゲンガー見たし!壁を通り抜けられる確率が変動したというやばい話。という記事の中にまた俺と同じようなことが起きているやつがいた。見たこともない市外局番で怖くて電話には出なかったが留守電の声を聴いてみると自分の声にそっくりだったという。





 俺は気になってまた留守電を聴いてみる。雑音がひどいが俺の声だと言われたとしたらそうかもしれないと思えてくる。多分気のせい。なんちゃら効果。バカバカバカくさ!と頭の上のもやもやを払いのけようとするがもやもやは積乱雲と化してまるで払いのけることができない。俺はなぜか確信している。この声は俺の声だ。俺は昔バンドをやっていた。なぜか今の今まで忘れていた。もう十年も前だからか?いやいやそのくらいの年月で忘れるとか俺やばいな。俺はボーカルで自分の声を幾度も録音したことがある。録音した自分の声というのは何度聞いても違和感があってそれは何年も知り合いなのに名前も顔も曖昧な知人という感覚だ。デジャブで知り合っているような感じ。言葉で表現しようとすればそんな感じ。ひどくわかりづらいがそうとしか言いようがない。と考えているそばからそれと同じSNSの文面を見つける。全身に毛を刈り取られたチキンのようなぼつぼつができてるよ。





 そしてその記事の下には「俺と同じ状況のやつがいっぱいいるけどどゆこと?」という文面が無限に連なっている。全て見ることはできないが同時に投稿されているみたいだった。いやはや。俺は旨いラーメンが食べたくなった。うちのラーメン以外なら何でも旨いような気がした。





 そう思うとSNS上でその文面がまた無限に連なっていく。世界にはもはや俺しかいないようだった。「俺だけ」ではなく「無数の俺」で溢れかえっているかのようだった。でも違う。俺は俺以外がいることを知っている。客かどうかまだわからない男が相変わらず前を見据えて座っている。いやはや、さっきまで不安要素だった男が安心材料に変わっている不思議。外では民家ほどに巨大化した二足歩行の犬が近所の家を破壊し始めている。俺は店内に流れるお洒落な音楽にうんざりして爆音でギターウルフをかける。ノイジーなギターの音が空間と気分を吹き飛ばす。空間と気分ってつながってんだということに初めて気がつく。そして俺はこれから起こることを知っている。まじで最悪。





 俺はまた留守電のことが気になってスマートフォンを耳にあてた。それと同時に目の前の客かどうかわからない男もスマートフォンを取り出して耳に当てた。留守電の音声と目の前の男の声が重なりモノラルがステレオになる。何と言ったかはっきり聞こえた。「エントロピーの増大だっちゃダーリン!」





 店内にいる目の前の男は客ではなかった。禿散らかして腹もぶよぶよに出て鼻毛も少し出ているが間違えなく俺自身だった。目の前の俺はほっぺを膨らまして言った。




「うちはダーリンの可能性の一部だっちゃ」




 俺は店にマシンガンが無くてよかったと胸をなでおろした。もしあればギターウルフのサウンドに乗せて目の前の俺をハチの巣にしているところだった。もしかするとそういう可能性も別の場所ではあるのかもしれないが。




「どういうことかこれから説明するんだろ?」


俺はそう言いながらでかいゲップをした。腹が減りすぎているのだ。




 「そうだっちゃ。うちもダーリンもまだ仮定的な過程にいて未来形な過去形の現在形の中で泳いでいる状態なんだっちゃ」と言うもう一人の俺は真剣な芝居をしようとしながら学芸会でふざけている奴の顔で言った。ハッキリ言ってそれは何の説明にもなっていない説明にも関わらず俺はそれで全てを分かったような気になった。気になっただけではなく思ったことがスピーカーから流れる。




「世界は3分間で出来てんだぜ!ヌードルワールドヌードルワールドベイベー!」



その声はギターウルフではなく俺の声だった。つまりそれは俺が別の可能性の俺をダーリンとよぶようなイカレタ世界が可能だといっているのと同じだっちゃ!




 まぁ3分間ってのはちょっと違うだろう。それを歌った俺もそんなことはわかっているだろう。表現に正しいかどうかなんて関係ない。何となくその器にはまるかどうかでしかない。そもそも宇宙ができた瞬間から「今」しか存在しない。時間なんてそもそも無かった。無限に広がる「今」しかなかった。誰もがすでに死んでいるし誰もがまだ生まれていない。そんな環境の中で生まれたのは何か?時間だ。





 時間は一つのウイルスだった。色彩と質量と重力のバランスから生まれたウイルスは時間を超越することができた。「今」という牢獄から難なく抜け出すことができた。そしてそのウイルスは一枚の平面的な絵の中にしかいない生物に寄生した。そうして意識が生まれる。意識が生まれることで時間を感じることができる。それが人間だ。





 しかし人間は過去から現在という一方通行な時間の流れしか感じることができない。それを修正するために人間の意識を集約しゼロにしなければならない。そう言ったのは目の前の俺だと思ったが自分だった。目の前にいたはずのもう一つの可能性としての禿散らかした俺は店の外に出て楽しそうに踊っていた。20メールくらいの大きさになった犬に食われた。犬は少し微妙な顔をした。俺のもう一人の可能性としての俺は不味いのだろうか?どちらにせよ俺が作るラーメンよりはましだろう。



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