第9話 休暇1

「疲れた」




 そう呟き、自室の机に突っ伏しているのは、珍しくもアルカである。元気なく垂れた耳をキョウが弄っている。普段なら軽く振り払うところだが、どうやらそんな気もないようだ。




「アルカはよく頑張ったよ。うん。班長だって褒めていたじゃん」




 あの後、ヴィクターが機動隊を伴って、現場に到着した。すぐさま状況報告をして、そのままヴィクターが指揮を引き継ぐかと思っていたが、「アルカ、やってみろ」と言われ、急遽、全体指揮を任されることになったのだ。


 事前打ち合わせなしで、突然のことに動揺しつつも、何とかこなすことができたのだ。現場指揮を終え、本部に帰ると、ヴィクターから「よくやった。期待以上だ」といつもより柔らかい顔で褒め言葉をもらえたのだ。




「休暇までもらえたし、頑張った甲斐あったな」


「……キョウは指揮してないでしょ」




 アルカはいつまでも耳を弄っているキョウを睨む。二人組のパートナーたるアルカが指揮を執ることになり、補佐を大護が務めたため、キョウは静香達とともに突入側にいたのだ。アルカと違い、ある程度訓練をしていることなので、そこまで緊張は無かったのである。


 取り調べは機動隊や警察の仕事であり、今回はかなり大規模な事件になったため、報告が上がってくるまで数日かかるそうだ。その間、休日をもらえることになったのだ。


 アルカは、ずっと耳を弄っているキョウの手をどけて、一度大きく伸びをする。




「どうする?言っとくけど、今回は訓練は無しだよ」


「わかってるって。……そうだな、第二区画にでもいってみるか」


「そうしよう」




 キョウの提案に賛成し、二人は外出の準備をするのだった。











 第二区画に到着した頃には、太陽はほぼ真上に来ていた。




「まずはご飯だな」




情報端末で時間を確認したキョウの言葉に、アルカも頷く。


 事前に目をつけていた食事処に向かう。昼食を終えると、次は、何時か大護がお勧めしてくれた、歴史博物館を訪れた。


 入館料を払い中に入ると、当時の様々な記録や都市の模型、現在に至るまでの日本や世界の様子などが開設されていた。




「ほー、こりゃすげー」


「大護さんがお勧めするのもわかるね」




 キョウは、広々とした空間にある、大きなジオラマなどを見上げて感嘆の声を出す。アルカもコクコクと頷いた。




「とりあえず、最初から見てみよ」




 ジオラマを見上げて、ポカンと口を開けていたキョウを引っ張り、館内の順路通りに進むことにした。


 順路の一番最初には、大変革前後の資料が並んでいた。




大変革前は死神も不死者も魔力も存在せず、物理法則が支配する世界だった。世界人口は77億人を超え、国家は190以上もあった。人間は不完全ながら宇宙空間まで進出し、嘘か本当か月への移住計画まであったという。


 しかし、あの日、世界は変わった。死者が動き出し、生者に襲い掛かったのだ。人間がどのような攻撃を加えても瞬時に再生し、決して死なない化け物―不死者が生まれたのだ。


 世界は大混乱に陥ることとなった。瞬く間に人間は数を減らしていった。


 世界が絶望に包まれる最中、一筋の希望が人間を照らす。不死者を殺すことができる人間の出現である。不死者すら殺す存在、人々は彼らを死神と呼んだ。死神は人でありながら、人とは異なる特徴を備えていることが多い。彼らの活躍により、人間は何とか持ちこたえ、今を生きることができたのである。




「なんというか、想像できないな」


「うん。いろいろ今と違いすぎる」




 人口だけでも、大変革前は1億2000万人いたそうだ。今はその一割もいないのだから。


それ以外にも、車両はもっと普及していて、飛行機が世界中を飛び回っていたという。




「アルカ、見てみろよ。当時の車と飛行機の模型だぞ」


「へー。車はだいぶ小さくて丸っこいね。飛行機はなんか鳥っぽい」


「飛行艇じゃないんだな」


「なんでだろうね?」




 現在使われている飛行艇は、もっと大きく、翼はここまで大きくないのだ。生き物に例えると、クジラが一番近いかもしれない。


 飛行艇の隣には、列車の模型も飾られており、こちらも今と形状が異なり、とても長細い形をしていた。


 昔と今を比べるだけで、かなりの違いがあることに驚きつつ先へと進む。


 次のコーナーは、大変革から少し経過した時代のようだ。




 死神の登場により、一縷の希望が見いだされるも、未だ苦しい戦いは続いていた。不死者の侵攻だけでなく、資源の奪い合いによる人間同士の抗争など、確実に人間は滅びに近づいていた。


極めつけは、神意教の出現である。現在の神意教とは違い、当時の神意教は“人類の根絶”を掲げていた。大変革当初の死神は、見た目や驚異的な身体能力などにより、只人から恐怖の対象とされていた。また、社会秩序の崩壊により、一部の力を持つ死神が資源の独占、力を待たない人を虐げていたため、彼らが心の拠り所として神意教は非常に大きな力を持つことになる。




「……神意教ってかなりヤバい宗教だったのか」


「その割には今も続いてるし、何より教義が違うよ」


「確かに。今は死神嫌いの多い集団だもんな」


「でもどうして教義が変わったんだろう」




 その答えはすぐ隣にあった。




 死神と神意教の緊張が最大まで高まった時、一人の英雄が現れた。英雄が行ったことはただ一つ、平等な殺戮である。たった一人で数十万を超える不死者を、横暴な死神を、死神との対立をあおる神意教の教徒を尽く殺しつくしたのだ。


 手を取り合い、協力することを強要された人間は、歪ながらも一つの共同体として不死者に立ち向かうことができたのだ。


 この頃が、日本の人口が最少だったと言われている。推定で50万人に満たなかったとも考えられている。




「英雄って言う割に、やっていることは殺戮か……」


「英雄よりは、正真正銘の化け物だね」


「ここまでくると嘘っぽくみえるな」




 二人の意見は当然のものである。一人で数十万の不死者を殺すなど、ヴィクターですら不可能なのだから。




「でも実際、死神と神意教が手を取り合い始めたのは事実みたいだよ」




 アルカは、展示されている資料を指し示す。




「本当だ。でもどこにも英雄とは書かれていないな。なんでだ?」




 どの資料を見ても、彼やあいつ、化け物という表記がほとんどである。せいぜい黒髪の男というくらいしか書かれている以上のことが分からない人物のことを、あれこれ考えても埒が明かないため、二人はさらに進む。


 共同体が出来上り、少しずつ人口が増え、今の都市の原型が出来上がっていく。この頃


になると、日本国軍が創設され、不死者討伐を担っていた事が伺える。




 幾つもの困難を乗り越え、第一防壁が完成し、都市の生活が安定してきた頃、最大の危機が訪れる。地を埋め尽くすほどの不死者の群れが、侵攻を開始したのである。そして今までの侵攻と決定的に違ったことがある。それは、不死者が戦略的行動をとったことである。




「“日本防衛戦”だね」


「たしか“その光景はとても壮観だった。そして我々は死を覚悟した”っていうやつ」


「そう。当時、より迅速な不死者討伐のために、創設されたばかりの独立機動隊隊長の手記に残された言葉」




 壮絶な戦いであったのは、想像に難くない。今なお残る第一防壁を思い出し、感慨にふける。




 日本防衛戦は、不死者の脅威を再確認させ、不死者の統率個体の危険度を跳ね上げた。それまで、せいぜい1000人規模のものであり、ここまで大規模のものは初めてだったのだ。


 また、不死者研究を進めるきっかけにもなった。今までに分かっていることを大まかにまとめると




・不死者は自ら水に入ろうとはしない。しかし、水中で死ぬわけではない


・人間のみ不死者になる。死亡からおよそ二十四時間かかる。人間しか襲わない


・死亡から二十四時間以内に、脳を完全に破壊することで、不死者にはならない


・死神は不死者にならない。死神だけが不死者を殺せる


・不死者は死神を食べる。食べることにより、身体能力や知能が向上する


・死神を食べた個体が統率個体となる


・不死者を殺すには魔力を纏ったうえで、脳を破壊しなければならない




が挙げられる。この世界を生きる上で必ず覚えておくべき事柄である。




 解説を読み、顎に手を当てて頷いていると、少し先を行っていたキョウから呼びかけられる。




「アルカ、アルカ。これ見て」




 キョウが指差したのは、日本防衛戦のコラム集であった。その中に先ほどの英雄の話があったのだ。当時の機動隊員の日記から抜粋したものが載っている。




 圧倒的物量と途切れることのない侵攻により、徐々に前線は後退し、残すは最終防衛ラインの第一防壁だけとなった。機動隊は既に半壊、残った機動隊員も不死者の波に吞まれそうになる。


 もう駄目か、と絶望に包まれつつあった前線に、突如一人の人物が現れた。今時、珍しくなりつつある黒髪の男だ。その黒髪の男は、まるで散歩をするかのように歩きつつ、不死者の波を押し返す。頭がひしゃげ、はるか後方に弾き飛ばされた不死者が灰となって消えるのが見えた。前線の異変を感じたのか、不死者がたった一人に群がる。しかし、どれほど不死者が殺到してもなお、男に触れることすら叶わない。瞬く間に灰の雨が降り注ぐ。


 気づけば、不死者の群れははるか遠方に退いていた。いや、違う。あの男がたった一人で前線を押し上げたのだ。


今しかない。


そう思った。周囲にいた戦友たちと目が合った。彼らも同じ目をしていた。あの男に続くべきだと。体中に力がみなぎり、士気はかつてないほど上がっていた。


ただひたすらに目の前の不死者を殺し続けた。気が付けば、不死者が統率を失っていた。自分達が倒したわけではない。あの男が殺したのだろう。たった一人で。


統率個体を失った不死者は単なる烏合の衆だ。一度、撤退しようと周囲を見回す。戦友は生き残っていたが、あの男の姿はすでになかった。


しかし、不安はなかった。あの男が不死者ごときに負けるとは到底考えられなかったからだ。


あの男は、誰だったのだろう。ふと頭の中に疑問がよぎる。


あんなことができるのは、年嵩の機動隊員の語り草になっている、化け物に違いない。いや、化け物なんて失礼すぎる。あの男は日本を救った英雄だ。あの男がいなければ都市は陥落していただろう。




 コラムには、公的記録として残されていないが、幾人もの機動隊員が同じように記録を残していることを紹介している。




「これが本当なら、確かに英雄と描かれても納得だね」


「でもよ、考えられるか?いくら何でも強すぎるだろ」


「これくらい強い英雄がいないと、歴史の整合性がとれないよ」




 先ほどの死神と神意教にしても、あまりにも変化が急すぎるのだ。英雄がいた方がしっくりくる。アルカは納得の表情をしていたが、キョウは納得できていない様子で、首を傾げている。


 そんなキョウを引っ張って次のコーナーに進むのだった。


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