第4話 TSⅠ

 紗奈は、階段を駆け上がり、対策部のメインオフィスに飛び込んだ。しかし、そこで彼女を待ち受けていたのは、困惑だった。

 律希も篠木もいない。そればかりか、対策部には部長の片岡すら見当たらなかった。数人だけ残っている、紗奈の知らない社員たちはとても忙しそうで、誰も自分を気に留めてくれない。


「すみません」

 

 紗奈は恐る恐る近くの人に声をかけた。眼鏡を掛けた若い社員、佐々原蒼真ささはらそうまは、今まで関わりこそなかったものの、一応紗奈の同期だ。


「何ですか? 今忙しいんですけど」


 佐々原は、作業を中断させられたことに苛立ちを隠さない。


「……あの、TSチームってどこでやってるか分かりますか?」


「TS?」


 佐々原が聞き返す。その声はなぜか、紗奈がそんな事を問うのが不思議だ、と言いたげだった。

 

「川野さんがTSチームに行ってどうするんですか?」


「……えっ?」


 佐々原の問いの意味が分からず、紗奈は困惑する。佐々原が自分の名前を知っていたのも意外だった。


「どうって……手伝いに行くだけ、ですけど」


 紗奈が答えると、佐々原は、そうですか、とうなずく。そして、


「TSチームは第二会議室でやってます。まあ、そこに行っても、川野さんに手伝える事があるかは分からないけど」


 と言った。

 紗奈が彼の言葉の中の悪意に気づくのに、数秒かかった。

 佐々原の嫌味を理解した時、紗奈は言い訳のように慌てて呟いた。


「わ、私だって分からないです。でも先輩に呼ばれたから……」


「一ノ瀬さんですか?」


「そうですけど、何か問題でもありますか?」


 つい語気が強まったのは、自分が一番気にしている事を言われたからだ。

 しかし、動揺する紗奈にも、佐々原は言葉を止めない。


「修正部の人って意味が分からない。広報課から新人引き抜いて来たかと思えば、TSの手伝いに駆り出すなんて」


 続いた佐々原の言葉に、紗奈は思わず冷静さを失った。


「……あ、あなたなんかに分からなくてもいいです! 第二会議室ですよね? ありがとうございました」


 投げやりに形だけの礼を言って、紗奈はメインオフィスを早足で出る。しかし、第二会議室に辿り着いて、部屋のドアに手を掛けても、紗奈はそのドアを開けられなかった。


 無視したいのに、佐々原の言葉が離れないのだ。


(……私だって分かってるんだから、わざわざ言わなくてもいいじゃん)


 今こそ修正部の主要メンバーと共に働いている紗奈だが、入社当初は広報課という、時間警察の中でも、一切時空学とは関係の無い職場に居た。

 それもそのはず、紗奈は時空学を勉強したことがない、ただの一般人。

 時空学のエリート部署である修正部とは、一切関わりを持たない。


 ……はずだった。


 しかし今、ある日の成り行きで部長の中山にスカウトされてから、紗奈は修正部で働いている。

 その理由は、当の紗奈本人さえよく分かってないが、それでも自分なりに役に立とうと努力して来た。

 もちろん、時空学の専門性が高い仕事は、まだ出来ない。TSや修正ソフトなどはもっての外で、資料整理などの雑用をこなすだけの毎日だ。


(もしかすると、役に立てないどころか、足手まといなんじゃ無いかな……)


 普段から劣等感は感じていたが、こんなにあからさまな言葉をぶつけられたことは無かった。

 修正部の先輩たちは優しし、紗奈に何か言ってきたりはしない。


 でも、表に出さないだけだったら……?

 篠木や律希や和弥が、声に出さないだけで、仕事の出来ない紗奈を疎ましくうとましく思っていたら。佐々原の言葉が、彼らの内心を代弁していたのなら……。


 そう思ってしまったら、紗奈はもう、ドアを開けるのが怖くなってしまったのだ。

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