第3話 事件改変Ⅱ

 修正部がある42階フロアへのエレベーターを待っていると、後ろから「紗奈ちゃん」と声をかけられた。


「篠木さん! おはようございます」


 紗奈は振り返って、軽く頭を下げる。すると篠木は、挨拶を返してから、慌てて言った。


「あの、紗奈ちゃん。昨日は残りの修正を任せてしまってごめんなさい。和弥君から、無事終わったって聞きました」


「私は特に何もしていませんよ。和弥先輩と一ノ瀬さんがやってくれたんです。それより、時研の方は何があったんですか?」


 紗奈が聞くと、篠木は苦笑いを浮かべた。


「研究データが盗まれた、とか言うから何事かと思ったのに。博士が間違えて消してしまっていただけだったんです。私がデータを復元したら、『どうやって取り返したの?』とか言ってたので、本気で盗まれたと思ってたのかもしれないけど」


 篠木仁子は、時間警察修正部と最城大学さいじょうだいがく時空学研究室(通称 時研)の二つの職場を掛け持ちしている、時空学のエキスパートだ。

 昨日の修正作業が佳境に差し掛かった頃、そんな彼女に時研のジョン•スミス博士から「研究データが盗まれた」と言う電話がかかって来た。

 必死に謝って修正作業を抜けて来た篠木だったが、その結果は拍子抜けするほどあっけなかっようだ。

 時研の、どこか抜けた所のある博士を思い出して、紗奈は納得する。


「でも、何事もなくてよかったです」


「本当にそうですよね」


 篠木は困ったように笑って言った。


 その時、ちょうどエレベーターが到着し、2人は一度会話を止める。狭い場所で、しばらく沈黙が続く。1、2とどんどん上がっていく階数表示を見つめながら、先に口を開いたのは紗奈だ。


「篠木さん、何があったのか分かりますか? また、改変だと思います?」


 その問いに、篠木の表情がさっと曇る。言葉を選ぶように間をとって、篠木は言った。


「私も詳しいことは聞いてません。二重改変法則もありますし、改変ってことは無いと思います。でも、もしまた改変なら……事件改変ってことになるんでしょうね」


 事件改変とは、現代人が故意に歴史に干渉することによって起こる改変、すなわち「時間犯罪」である。

 意図しない干渉とは違い、歴史を変えることを目的としている為、確実に大きな被害が及ぶ。


 しかし、この事件改変は、時間警察発足後の九年間、実際には一度も起きたことがない。

 これは、時空学自体が新しく未知な分野であり、思い通りに歴史を改変できるような知識を持つ人が少ないというのが理由だと考えられている。


「もし事件改変だったら……」


 修正のプロ、修正部にとってすら未知な改変。紗奈にはどうなるのか想像もつかなかった。夜見た夢と重なって、急に背筋がすっと冷たくなる。

 しかし篠木は、淡々と言った。


「でもね。どんな改変でも、私がやるべきことは変わらないから」


 エレベーターが42階、修正部のフロアに到着する。

 紗奈は、篠木の普段と変わらない様子に、少し落ち着かされた気がした。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る