歳を取ったと言うことで

和乃鴎

第1話 犬の散歩でダイエット

 55歳になった。

 特に感慨はない。

 3年前に膝関節痛を体験した時は、

「いかんいかん、高齢者の仲間入りになってしまった」

 と慌てふためき病院に行き、

「まだこんな目に遭うわけにはいかないんです!先生!なんとかして下さい!」

 と主治医の胸ぐらを掴んで訴えた。主治医は、

「おっしゃいますけど、和乃さん。50歳過ぎたら60も70もみんな同じですよ」

 と、毛空けそらぽんとした顔で残酷な天使の台詞を言い放ち、

「ヒアルロン酸注射を2週間に一度打ってみましょう。

 長く打っても効果が出る人と出ない人がいるので、まあ、試しに5サイクル、当たるも八卦当たらぬも八卦」

 おいおい、医者が八卦おいてどうすんだ?

 曲がりなりにも整形外科の看板背負っている病院で、そちらさまだって大概なお歳だろうに「八卦」だなんていい加減にしてほしい。

 とはいうものの、膝の痛みには、変えられない。

 私は、ヒアルロン酸注射という八卦を2週間に一度5回。試してみた。

 ヒアルロン注射は、痛かった。

 犬の注射じゃあるまいし、膝の真裏ではなくやや内側寄りに先生の長年の勘?で定めてブスッ。

 ひ~~~~っ。

 いくら肉厚の脚と言ってもツボにマーキングしているわけではないから、毎回言ってみれば適当にブスッっとやられるわけだから、しかも最初に「当たるも八卦当たらぬも八卦」などといい加減なことを言われているから殊更に疑心暗鬼で胸がざわざわしてしまう。

 ところが、このヒアルロン注射、どうやら私の体質にまんまと合っていたようだ。

 走れる。

 階段昇降が格段に楽になった。

「効きましたか?良っシャー!効いたんだ~」

 何やら処方した先生の方がガッツポーズで喜んでいる。

「処方した八割方の人に「ぜ~んぜん効かない」と言われ続けてきたので、さすがの私も心が折れそうになっていました。

 和乃さんのおかげで自己肯定感が回復しましたよ♪」

 満面の笑顔を浮かべて嬉しそうに言われると、まあ、それも悪くはないけど。

「一歳でも若いうちにこういうことは体験した方が効果が出ると言われているんですよ。

 また痛くなったらお越し下さい」


 あれから3年。ヒアルロン酸注射の効果なのか、とりあえず膝の痛みは、再発していない。

 しか~し、日々、腰痛と肩こり、眼精疲労と頭痛、そして便秘には、相変わらず悩ませられている。

「痩せればいいだけですよ?」

 そんなこと、Dr.に改めて言われなくても自分でよくわかっております。

「犬の散歩なんてどうですか?

 日に何度も歩くことで自然とダイエットができますからね」

 Dr.の勧めも合って隣の家の黒柴♂やまとを借りて散歩することにした。

 花咲かじいさんの隣の家の欲張りじいさんじゃあるまいし、今時、隣の家の犬を借りて散歩するのはおかしくないか?

 だけど、なんでも「お試し」は必要だよ?

 やってみて、だめだと思ったらやめればいい。

 隣の家の花咲かじいさん・・・じゃなくて、隣の家の大森さん。

「そんなことなら、どうぞどうぞ」

 と快く黒柴♂やまとを貸してくれた。

 そこでおもむろにAmazonから買ったばかりの新品お散歩用「持ち手ふわふわピンクチェックがかわいらしいリード880円」を出す。にやり。

 力を入れるところは、ここなのか?

 クスクス笑いの止まらない大森さんの目を避けて黒柴♂やまとを預かる。

 黒柴♂やまとだって、「持ち手ふわふわピンクチェックがかわいらしいリード」なら私とのお散歩を楽しみにしてくれるかもしれないじゃないか!

「この紙袋、この子が粗相をした時に使って下さい」

 大森さんからエチケット袋と柄の長いトングを預かる。

「じゃあ、一時間ほどお借りします」

 こうして黒柴♂やまとを連れて海まで散歩に行くことにした。

 だがしかし!黒柴♂やまとのヤツがぐいぐいとリードをひくので腰痛持ちには、それが腰に堪える。

「やまちゃん、もう少し、ゆっくり歩いてもらえないかな?」

 一応、黒柴♂やまとに打診するがそんなこと構ってもらえるわけもない。

 砂利道だろうが草むらだろうが走りたいところではいきなり走るし止まりたいところでは急に止まる。

 そこは、犬だから仕方が無い。

 人には人の都合があるように、犬には犬の都合が合って当然だ。

 ただ、それを許容できるかできないか、それで犬を飼える人と飼えない人が決まってくる。

 高台に立つ我が家から坂道を下ること2㎞。

 その間、家一軒建っていない山道だ。

 その山道を抜けるとそこには、要塞のように聳える高さ10メートルを優に超えるアスファルトの壁がある。

 防潮堤だ。

 2011年3月11日。あのとんでも大震災がやってきた。

 津波で町は壊滅的被害を受け、残された人たちは、全世帯高台移転となった。

 だから下の方には家一軒ない。

 あるのは、このどど~んと聳えるアスファルトの防潮堤だけ。

 黒柴♂やまとは、私なんかよりこの辺りの土地にはずいぶん詳しいから早くも防潮堤の切れ目の方に向かってずんずん走っている。

 船曳場の方に行こうというのだろう。

 それにしてもなんて力強い引きなのだ。

 脚がもつれる。

 身体がよじれる。

 脚や身体が無理矢理進行方向に牽かれるために頭があらぬ方に向き苦しい。

 そんなこと、黒柴♂やまとはお構いなしにぐいぐいずんずん進んでいく。

 もう文句の一つも出やしない。

 やっとの思いで防潮堤の切れ目にたどり着いた。

 船曳場や共同加工場こそ真新しくなったものの、見慣れた景色がそこには広がる。

 ああ、海だ、海だ。

 アルファベットのUの文字を寝かせたような形の湾だ。

 山の樹木を映した湾は、まるで緑の湯船のようだ。

 鴎の白、空の青、湾の緑、そこに船。

 黒柴♂やまとが自由に走らせてくれと私を見上げて請うように大口を開き舌を出して喘いでいる。

 残念。あんたと私は、そこまで親しい間柄ではないはずだ。

 このリードを離した時に、あんたは確かに自由になれるかもしれない。

 向こうに残る昔からの古い防波堤の辺りまで一気に駆けて行きながら、羽を休める鴎たちを散らかすこともできるだろう。

 もちろん私だってそのほうがここでゆっくり物思いにふけりながら疲れた身体を癒やすことができるはず。

 だけどね?

 その後、どうする?

 あんた、呼んだら来てくれる?

 その保証ってないよね?

 何を担保にすればあんたを信用することができるの?

 野生化しているあんたを置いて一人で私が帰ったら、この先私はこの町で安穏として暮らせなくなる。

 だからね、申し訳ないけどお散歩用「持ち手ふわふわピンクチェックがかわいらしいリード880円」をここで 私があんたの首から離すことは、万が一にも考えられない。

 わかる?

 知ってか知らずか黒柴♂やまとは、鼻息をふんっと大きく噴き出して前に向かって歩き出した。

 その後、何度か草むらに行き黒柴♂やまとは、排泄をした。

 だから私は、大森さんから渡された柄の長いトングを使ってエチケット袋に始末をした。

 それにしても、人っ子ひとり会わない海は、なんてのどかで静かなんだか。

 まるでこの星に私と黒柴♂やまとだけになってしまったのではないかと錯覚してしまう。

 しばらくその辺りをゆっくり散策したけど、なんだかあまりにも静かすぎて怖くなってきた。

 黒柴♂やまとまで諦めたのか疲れたのか足取りが緩やかになってきた。

「帰ろうか?」

 予定していた時間には、まだ遠く及ばないけれどさっき下ってきた坂道を今度は上って帰るだけ。

 だがしかし!またしても黒柴♂やまとがやってくれた。

 坂道を下ってきたときは、あんなにぐいぐいリードを牽いて足下がおぼつかない私を翻弄したくせに、こやつ、上りは私が引っ張らないと歩かないのだ💢

 おい!さっきのあの剣幕はどこにいったんだ?

 下り坂を歩いたときと同じように私を牽いてこの坂道を上ってくれよ?

 ぷいっと横を向いて聞こえないふりしている場合か!

 おい!しっかりしろ!やま!

 黒柴♂やまとは、そんな私の声には、無反応を決め込んでついには、その場にしゃがみこんで動かない。

 やま!こら!

 なんとか黒柴♂やまとを立たせようとリードを牽いたり怒ったり。

 ところがほんとにびくともしない。

 は~。

 何度も言うが、ここは、山道。坂の途中。家一軒、人っ子一人通らない。

 こんなところにいつまでもいたら、そのうちこの辺りを住処にしている大鹿、カモシカ、イノシシ、狐、狸に猿まで出てきそうだ。

「動物が多い町ですね?」

 都会の町から来た人は、そんなことを言うけれど正確にはそれは違う。

「動物が多い町」なのではなく、動物の住処にうちらが移転したのだ。

 つまり動物たちからしてみたら「人が多くなりましたね」ということだ。

 まあ、その話しは、改めて別の機会にするとして。

 動くもんか!と意地を張っている黒柴♂やまとをなんとかするには、どうしたらよいものか。

 あ。

 まさかね。

 まさか、そんなことをやっても無駄かもしれないけど、とは思うよ?

 でも何でもやってみることに意味がある。

 私は、黒柴♂やまとの目の前に座って、真剣な顔で言ってみた。

「やまとさん、お疲れのところ、大変申し訳ありませんがもう少しで自宅に着きます。

 やまとさんのご自宅には美味しいお水もありますよ?

 疲れた身体を伸ばしてお互いゆっくり休もうじゃありませんか?

 ね?やまとさん、お願いします」

 この犬!コンチクショウ!と心の中では思いながらも、できるだけ丁寧にできるだけゆっくりと黒柴♂やまとに向かって話しかけしまいには、お辞儀の一つもしてやったのだ。

 すると。

 まあ、なんということでしょう!

 のっそり、黒柴♂やまとは、立ち上がり何事もなかったかのように走り出した。

 おい!今度は上り坂だというのに走るつもりか!

 あんたには、加減ってもんがないのかい?ん?💢

 ぐいぐいぐいぐい引っ張られ、あれよあれよという間に坂道出口。

 ちらほら人の姿も見える。

 人里入り口に到着した。

「和乃さん、やまちゃんのお散歩かい?

 やまちゃんは、力が強いから和乃さんを引っ張って坂を上ってあげたんだね。

 偉いね、やまちゃん。おりこうだね」

 なんだかよくわからんが、黒柴♂やまとが褒められている。

 スンッとすました顔で

「そんなこと造作も無いことですよ」

 と言わんばかりにすたすたと歩調を進める黒柴♂やまと。

 私は、そんな黒柴♂やまとを後ろからドツキマワシタイという衝動を辛うじて押し殺し、

(犬にも犬の言い分があるだろうが私にも私の言い分がある)

 と心の中でぼやいていた。

 大森さんに黒柴♂やまとを引き渡すと、

「和乃さん、ありがとうございました。

 散歩に行きたいときは、またいつでもお話し下さいね」

 とにこにこ話された。

 黒柴♂やまとは、大森さんが用意した水をがわがわと口を開いて噛みつきながら飲んでいた。

 以来、黒柴♂やまとと散歩には行っていない。

 お散歩用「持ち手ふわふわピンクチェックがかわいらしいリード880円」は、玄関で無期限待機中である。

 こうして「犬のお散歩お試しコース」は失敗に終わり、我が家に犬を迎える話しも立ち消えた。

 時々隣の家の庭先で寝ている黒柴♂やまとに

「やま、また散歩に行こうね」

 と心にもないことを言ってみるが、私の嘘などとっくに見破っているだろう。

 歳を取ると嘘をつくのも下手になって犬さえ騙すことができなくなる。

 こうなったら、諦めて年寄りライフを満喫してやる!!

















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