5: 親衛隊経済管理本部
親衛隊経済管理本部(Wirtschafts- und Verwaltungshauptamt、略称WVHA)は、親衛隊の財政を管理する本部。
長官はオズヴァルト・ポールSS大将。
前身は1939年6月に親衛隊本部から独立する形で創設された「経済および管理本部」(Hauptamt Verwaltung und Wirtschaft) と「予算および建設本部」(Hauptamt Haushalt und Bauten) である。
1942年2月1日にこの2つの本部が統合されて誕生したのが親衛隊経済管理本部である。親衛隊の企業の経営の監督や強制収容所の運営の監督などを行った。
また大戦末期にはV2ロケットの生産の監督は陸軍から親衛隊経済管理本部C局のハンス・カムラーSS大将の下に移されている。親衛隊経済管理本部は以下のように編成されていた。
オズヴァルト・ポールは1934年に親衛隊本部管理局局長になって以来、親衛隊の経済問題をリードしてきた。
親衛隊本部管理局は1940年に独立した本部(Hauptamt)となり、「予算及び建設本部(Hauptamt Haushalt und Bauten)」に改組された。
この組織は国家予算から予算を支出される国家機関であったため、ポールはさらに親衛隊企業の投機のための組織として党予算で運営される「管理及び経済本部」(Hauptamt Verwaltung und Wirtschaft)を創設した。
1942年2月1日、この2つの組織が統合されることとなり、親衛隊経済管理本部(SS-Wirtschafts-Verwaltungshauptamt, 略称SS-WVHA)が誕生した。
さらに1942年3月16日の命令で親衛隊作戦本部の管理下にあった強制収容所総監府が、親衛隊経済管理本部の管轄下に移され、強制収容所総監リヒャルト・グリュックスは親衛隊経済管理本部D部集団長に就任した。
この編成変えは総力戦体制が強まる中、強制収容所の役割は危険分子の隔離の面よりも奴隷労働力の供給源としての側面の方が注目されるようになったことを示している。
要は捕らえたユダヤ人より金品を蒐集しドイツの経済へ変換するという考えである。
以降経済管理本部は強制収容所運営にも責任を持つようになった。経済管理本部とヴァルター・フンクの国立銀行は強制収容所囚人の品物を強奪を行っていた。
ポールは囚人が所持していた高級品(現金、金歯、腕時計、装飾品、眼鏡など)をベルリンのWVHAまで届けさせた。そしてこれらの品は国立銀行の監督官エミール・プール (de:Emil Puhl) の検査を受けた後、国立銀行に納められた。ニュルンベルク裁判でのラインハルト作戦についての描写によると囚人からの強奪は100万ライヒスマルクに及ぶという。
経済管理本部から「経済指導者(Wirtschaftsführer)」が各親衛隊及び警察指導者司令部に派遣され、親衛隊地方組織の経済問題の細かい調整にあたった。
さらに1944年に秩序警察本部が空襲で破壊されると、それまで秩序警察が行っていた親衛隊と警察の間の経済問題の調整の権限が親衛隊経済管理本部に移された。
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