親衛隊

大隊書記長

 基礎知識

 日本語表記では親衛隊しんえいたい

英語表記では日本語表記を英訳 bodyguards

ドイツ語表記ではSchutzstaffel 《シュッツシュタッフェル》


 ドイツ語でSchutzが「護衛」「防護」、Staffelが「梯団」「梯隊」を意味しており

二つの単語の頭文字Sを重ねて略号『SS』


 ここから親衛隊を表すときはSSを用いる


 標語モットーは『忠誠こそ我が名誉』

(Meine Ehre heißt Treue)であり、規律と勘弁さが長所のドイツ人気質に合っている。


 第一次世界大戦に敗戦後のドイツの政党  国民社会主義ドイツ労働者党 

(これが俗に言われるナチス)の組織である。


主に第一次世界大戦時に参戦した将校や指揮官などの退役軍人で構成されていた。


元は総統アドルフ・ヒトラーを護衛する党内組織(親衛隊)として1925年に創設された。


 その名の通り元々はボディガードとしての数十名から数百名の規模だったがヒトラーの演説と政党の知名度により増加、1929年にハインリヒ・ヒムラー(ユダヤ人・反ナチス思想の迫害を実行した人)が親衛隊全国指導者に就任し、彼の下で党内警察組織として急速に勢力を拡大し、ナチスが政権を獲得した1933年以降には政府の警察組織との一体化が進められた。


 最終的な人員数は125万人(1945年2月)であり現代の自衛隊が25万人程度なのと比べると平時の大国、又は中小国軍隊規模と同等の人数である。


 これがヒトラー直属の部下であるのが恐ろしい。


 保安警察(ゲシュタポと刑事警察)、秩序警察、親衛隊情報部、強制収容所(これらは後に解説します)など第三帝国の主要な治安組織・諜報組織はほぼ全て親衛隊の傘下に置かれていた。


 1934年には正規軍である国防軍から軍事組織の保有を許可され、親衛隊特務部隊84万人(後の武装親衛隊)を創設した。以降特務部隊以外の親衛隊員は一般親衛隊20万人と呼ばれるようになった。


 第二次世界大戦中、武装親衛隊がヨーロッパ各地(主にフランス、ポーランド、ソ連、エジプト)で戦ったが、警察業務の親衛隊はドイツ及びドイツ占領下のヨーロッパ諸国においてナチ支配の維持、反ナチ勢力の弾圧、ユダヤ人狩りなどを行った。


 戦時中に親衛隊は絶滅収容所(この名は本来存在しないがここから生きて出た人は数百人程度なためこう呼ばれている)やアインザッツグルッペン(敵性分子の排除を行う部隊)を組織してユダヤ人の絶滅を図ろうとした(俗にホロコースト)。


 そのため親衛隊は悪名高い組織となり、戦後のニュルンベルク裁判(ドイツ版東京裁判で戦犯の裁判を行った)では全ての親衛隊組織は「犯罪組織」であるとする認定を受けた。


 21世紀に入って尚、隊員達は本人の死亡が確認されるまで犯罪者として追跡され、居所が確認されれば逮捕、裁判に掛けられている。(当時国家主義だったイベリア半島国家や南アメリカ国家に亡命した隊員が多くいる)


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