静沼と地車

 修宇あいは私を許さない。3年生の映像を誰かに差し替えられていたことに気づけなかった。二作かりんの映像を流した私をいつか復讐しに来るだろう。正義を愛さない人でも、文化祭の行動が間違っていると判断つく。それに、彼女は犯人を嗅ぎ回っている。関係者には容赦しないはずだ。


「地車、どうしてここにいるの」


 呼び止められて振り返る。


「いちず?」


 私は思いもよらない再会をした。ドリンクバーの前で、静沼いちずが座り込んでいる。


「お姉さんが行きたいって言うから着いてきた」

「ほんと仲がいいんだね」


 私の姉さんは新卒で入った会社を2ヶ月でやめて引きこもっている。唯一こころ開くのは私だけで、彼女は衝動的にカラオケに行きたいと言うから家族と同行していた。いちずには経緯を既に話している。私への皮肉だ。


「わたしは兄貴の付き添い。ほんと地獄だよ」

「貴方は兄のことが嫌いなのに付き添い」

「私に協力してくれているから、その条件に集会に顔出せって言われたの」


 投げやりな態度で言い放つ。口にするのも嫌悪しているのが、まゆにシワが寄っていることからわかる。腹いせに言い返したくなってしまった。効果てきめんで、彼女は不服そうだ。


「修宇あいの件でしょ。なんで協力するの。彼女は一方的で正しくない」

「出た。正しくない発言」

「私から見てもあなたを冷遇していることはわかるよ。いちずの恋心を利用しているんだ」


 胸ぐらを掴まれた。私は小柄だから後ろへよろける。襟元の服が私の身体を一瞬支えた。静沼は私を知り尽くしているから、気持ちを征服しようと襲ってくる。彼女が私のことを考えてくれていた。それだけで胸がうずく。

 声が震えないようにと祈りつつ、虚勢をはった。


「元気じゃん」

「いちど私と寝たくらいで知った気になるなよ」

「う、うるさい」


 わたしと静沼は1度だけ過ちを犯した。学生でも借りられるラブホテルがある。彼女が1枚上手で、私はされるがままだった。


「なに照れてんだよ。お前学校でも親しいやつみたいな顔してるよな」


 いちど寝たせいで私はあなたを知りたくなってしまった。そんなこと、表情にも出せるわけがない。私の基準である正義に色恋を想定していない。

 静沼いちずが修宇あいへ献身する姿を発見すると腸が煮えくり返る。どうせ、いちずに電話をかけていないはずだ。


「早く戻らなくていいの?」

「え?」

「お兄さんのところ!」


 私は掴んでいる手をそっと離し、恋人繋ぎに変えた。そうして、彼女の足を動かす。どうして修宇に協力する彼女が憎い。私はあなたとセックスしたせいで正しさが曖昧になっているというのに。裸が頭に張り付いて寝付けないし、変な事口走ってしまうのに。カソなんて関わりたくないのに思ってもないのに。そのすべては、静沼いちずが困ってくれたらせいせいする。

 声のでかい部屋があった。覗くと、いちずの私物。扉を開ける。


「おーーい!誰ー!?」


 タバコの匂いでむせかえる。筋肉質な男や太い男が集合部屋を貸切っていた。足元にはファストフードのゴミ袋が転がっている。


「あれ。いちずの友達?」


 前髪を弄っている男性が人の波をかき分けて現れた。カラオケから女性をどうすれば落とせるのかという下品な曲が歌われている。


「地車夢です」

「よろしくむーちゃん」

「いきなりした呼びするなよ」

「おー妹のツンデレだ!」


 彼は片手に酒を持っている。いちずに反抗され、取り乱し酒を床に半分こぼす。彼らの友人はお構いなく放置していた。


「むう。拭いたらダメ」


 私の心を読まれたようだった。そして、下の名で呼ばれたせいで従ってしまう。


「まあ2人とも入ってよ。むさ苦しいけど」


 通されそうになったのは、1番奥の席。そこにはほかの女子もいた。彼女らも既に泥酔している。私たちの未来をみているようだった。


「ほら妹。アイドル歌えよ。入れてやるから」

「その歌は好きじゃない」

「みんな聞いてくれよ。こいつの声は良いんだ」


 強引に選曲される。流れ出したメロディは、一時期スーパーやコンビニで聞かないことがないほど耳障り良い。しかし、静沼いちずに媚びた歌は似合わなかった。


「歌わないって言ってるよ」

「妹、生理みたいだな」


 室内は笑いで溢れかえった。すると、気を良くした彼女の兄が人差し指を天にあげる。


「妹とやる奴は俺に許可取れよ」

「……最低」

「は?」


 騒がしいやり取りは止まらない。女子たちも空気に飲まれてスキンシップを許している。彼らはなんなのか得体が知れなかった。


「誰が協力してると思ってる?」

「いいよ。歌う」


 彼女はマイクを手にしようとした。その時、私は彼女の兄からマイクを奪う。


「え?」と、静沼が思考停止して目が合う。初めて今日は通じた気がした。


「私が歌います」


 彼らの動揺で私の心が折れないように目を瞑って息を吸い込んだ。静沼が歌えば全てが壊れそうな気がした。彼女の大切な何かを守れるなら身を差し出す。そうして、私は知らないアイドルの歌を熱唱した。



 私たちふたりは彼らから抜け出す。私が歌い終わったあと、彼らは目線を合わせようとせず自由にさせてくれる。


「地車って歌が下手だったんだね」

「え、やっぱそうなのかな。そんな反応だよね!」

「うん。乗れるところを落とすし、謎に始まりかた甲高い。ヘタ!」

「ごめん!」


 今は2人で喫茶店に入っている。2人でコーヒーを飲んだりして、気を落ち着かせた。2分の静粛があって、静沼は聞いて欲しいと口頭で言う。


「私の兄は半グレで悪い人たちと顔が効く。気に入られてるから色んな仕事受けて羽振りがいいの。そんな様子だから誰も私に寄り付かない。怪しい人間だからね」

「噂になってたね」

「そんな孤独なとき、修宇だけが手を差し伸べてくれた」

「うん」


 髪をかきあげる静沼。その目には遠い過去の思い出を引き出している寂しさがみてとれる。


「今思えば、裕福な家庭だから他人を慮る余裕があったんだ。でもね、私にはそれだけでよかったの」

「どうしてそんなに一途なのに、私に手を出したの?」

「あなたの正しいことを愛する姿を汚したかった。だって、修宇はマッチングやってて手を出せる。でも、一線越えたら今の関係に戻れない。そんな挟まれてるなかで、自分を信じてるあなたを許せなかった」

「うん」


 わたしは負の感情を精一杯飲み込もうとした。顔に出ていないのか不安に駆られる。でも、彼女は私を1度でも見ていない。

 静沼のなかに、私を想う時間はあったのかと、それすら聞くのが怖かった。


「私はどこにもいけないのに」

「行けるよ。私が連れだす」

「私の兄が邪魔するよ」

「私なら強引に連れ出す。この街を出ようよ」

「……ありがとう」


 手を握った。温もりが冷えた指を緩ませる。他の客は自分の話を目の前の人に聞いてもらおうと真剣だ。


「二作かりんは裏アカウントを持ってた」

「それ、マッチングアプリのこと?」

「いや、二作かりんはクラスの目立つ人を愚痴ってた。そして、あいも」


 彼女は突然何を言い出したのかと思った。しかし、彼女の脳内ではこの街で出られないといった本音に続いているのだろうと判断した。携帯を見せられる。


「この投稿をあいに伝えたらいいのか分からない」

『言う通りだね。修宇あいをはめてやれる』

「……かりんは修宇あいを貶めようとしていたの?」

「みたい」


 そして、誰かに嵌められた。

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