最終話 罪の終わり


「……さっき言ってた君が僕に謝りたいことって、いろんな罪をなすりつけたこと?

 それとも暴言吐き散らかしたこと?

 僕の……恩人を傷つけたこと?」


 自分のものか疑わしい冷たい声が出る。

 僕はずっと、いじめられたり虐げられるのは仕方ないと思っていた。僕はそういう人間で、抵抗したところで余計に疲れるだけで、ならば耐えるほうが楽だ。


 そう思ってきたはずなのに怒りが溢れてしまった。

 めちゃくちゃに暴言を吐き散らかしたい衝動と、言っても仕方ないとわかっている理性の間で居心地が悪い。


 沈んだ気配を滲ませる宇上君の方を見ず、僕は弁当の残りを忙しく食べ進めた。

 水筒のお茶で流し込み、空になった弁当箱を閉じる。

 僕が片付け始める前に、沈黙していた彼が自分の膝を強く掴んで言う。


「……全部、悪かったと思ってる。

 許されることじゃないだろうけど、ごめん」


 その言葉を僕はどう扱っていいかわからなかった。

 もういいよ、と言えるほど大人でもなく、暴言を吐いたり無視したりできる勇気もない。


 どんな言葉であれ、誰かの言葉を受け止めるのは簡単なことじゃない。

 あちらの世界で彼女が僕に植えてくれたものを、こちらの世界で祖父母や時々話しかけてくれるクラスメイトとの時間で少しずつ育てているような、僕はコミュニケーション初心者だ。


 そんな僕の口から出てくるのはどこか他人事の変な言葉だった。

 だけどそうでも言わなければ嫉妬で苦しくなってしまう。

 宇上君は彼女に会えるかもしれないのだ。

 それだけで胸が締め付けられるような感覚に襲われる。

 どうして、君だけ。


「……僕に謝るんなら、もう向こうの世界では大人しく『異世界人』して、僕の恩人に迷惑かけないでくれたらいいと思うよ」


 ――君を殺せば、僕もあっちに戻れると思う?


 言葉を飲み込んで僕は続けた。


「僕はもう、行けないみたいだから」


 宇上君が向こうで何をしても僕にはもう何もできない。

 自分の体が傷つけば少しでも、数分だけでも会えるんじゃないかと思ったけれど、そうでもないらしい。リハビリ中に転んで膝を擦りむいても何も起こらなかった。


 僕があっちに行くには文字通り決死の覚悟でなければ迎えてもらえないらしい。

 次に行けるのは人生のずっと先だろう。


 今の僕はとりあえず、不器用に愛してくれる祖父母を悲しませてはいけないと思っている。

 祖母のつくる弁当は栄養バランスを考えつつも僕の好物でお腹が満たされるように作られているし、祖父は復学するときに新しいパソコンを選ばせてくれた。


 僕は荷物を片付ける。最近の昼食後はだいたい図書館で過ごしていた。

 今日もそうするつもりだった僕を、まだサイダーしか口にしていない宇上君が引き止める。


「天橋、待って、あっちにもう行けないのは俺も一緒だから!

 蝉が死ぬのを見ても蚊を叩いても何も起こらなかったんだ」

「……そう、なんだ」


 ますます、あの世界は僕と宇上君だけが見た遠い夢幻になってしまったようだ。

 夢オチの世界で初恋をして、現実の知人と相討ちで死ぬなんてずいぶん酷い夢だと思う。


「もし行けたとしても、多分もう二度とあんなことしない。

 優等生も魔王も疲れることのほうが多くて楽しくなかった。

 ケガして入院して学校に復帰して、何もできなくなった俺でも相手してくれるやつといるほうが楽で楽しいって思ったんだ」

「それは……良かったね」


 僕はそんな言葉しか言えなかった。

 無理せずほどよい距離感で付き合える友達がいるのはきっと幸せなことだ。

 彼が僕に謝罪するような心境になったのも、そうしたことが影響しているのかもしれない。


 だけど正直、僕には関係ない。そう思った。


「だから、天橋があっちで俺を殺してくれて良かった。

 都合いいのはわかってるけど、天橋と友達になりたいって思ってる」

「……もう一度言うけど、そういうの、ちょっと気持ち悪い」


 思うことを口にしただけなのに何かが疼く。

 このまま立ち去って、全部なかったことにすれば丸く収まる。

 頭ではわかっているのに僕はベンチから立ち上がれなかった。

 ――傷ついたような表情をする宇上君を見なければよかった。


「ごめん、僕はまともに友達がいたのなんて小学生の頃だけだから、どう言っていいかわからない」


 なぜ自分が少し焦ってそんな言い訳をするのか理解できない。

 だけど僕の口は勝手に動いてしまう。


「悪いけど……僕、宇上君のLINEのID、消したんだ。

 だから……」


 だから、友達とか今更無理だろ。

 そんな簡単な言葉が出てこなくて僕は小さく息をついた。

 また重苦しい沈黙が流れる。

 宇上君の方を見ないように、僕は校舎の方に顔を向けた。

 教室に残った生徒が窓際で話していたり悪ふざけをしているのが見える。


 最上階から順番に、ぼうっと各教室の窓を見ていた僕の視線は無意識に止まった。


 僕が使っていた空き教室の窓が開いている。

 揺れる白いカーテンのあたりに人影が見えた。


 色素の薄い柔らかそうな長い髪、健康的な白さの肌。

 ガラス越しの空の青を映しているように見える目。

 それがこちらを見ていた。

 目が離せないままでいると、カーテンが大きくひるがえって人影を隠した。


 気の所為に違いない。

 あのガラス窓の向こうにいるのは別人に決まっている。

 それでも僕は一刻も早く、あの空き教室に行きたかった。


「……既読にならないからそうかもって俺もちょっと思ってた。

 やっぱり嫌だよな、話、付き合わせて悪かった。

 もうつきまとったり用もないのに話しかけたり……」


 ようやく宇上君が発した声は諦めと落胆で暗かった。

 けれど僕はそれどころじゃなかった。


「ちょっと今、君と話してる場合じゃない」

「え?」

「あとで教室で聞くから。

 LINEのIDもその時もう一回交換で!」


 もう一度会いたいと思っても絶対に会えない人がいる。

 その人の場所へ行ってしまいたいと思っても、越えてはいけない境界が必ずある。

 こちらの世界で待つしかないことがある。


 ならばいつか楽しい話ができるように、こちらでの時間を無駄にしてはいけない。


 もしも彼女に「よく似た人を見た」話ができたら。

 あの魔王と友達になった話をしたら。


 一年後には一緒に有名大学に進学して親友のように過ごすことになる、ぽかんと口を開けた宇上君をベンチに残して僕は鞄をつかんで走り出した。






【END】

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