第9話 施設送り
脱走を考えたが、彼女に迷惑がかかるかもしれないと考えてやめた。
無抵抗であることが彼女の役に立つなら、それでいい。
「出ろ」
体格のいい初老の看守と思しき男が両手足を縛られて床に転がされた僕を見下ろす。
その姿に元の世界で最後に見た祖父が重なった。
連れ戻されて三日も経たないうちに生き地獄が始まるのか。
そう思ったのだけど、違った。
「お前が作物を盗んだ畑の主から、労働力としてお前を買いたいと申し出があった」
「メイラが?」
驚いた僕を看守の男が僕を睨む。
僕は慌てて、メイラさん、と言い直して身を縮こまらせた。
「『お前は大人しいがよく働く異世界人だから見世物にするのはもったいない』と、メイラ・フローライトが直談判に来た。
……どんな手であんな若い娘を騙したんだ?」
看守の脂下がった粘っこい声が耳に残る。
ああ、祖父の方がよほどマシだ。
僕は初めて「頭に血が上る」状態を体験した。
手足が自由だったなら、自分は非力だから無駄だと思う間もなく殴りかかっていただろう。
できるだけ表情に出さないよう努めながら、奥歯を噛み締めて言葉を絞り出す。
「……助けて、いただいた、ので、報いただけ、です」
「異世界人にも『報いる』なんて知能があるんだな。
まあ審議の結果、お前は施設送りになった。
とっとと行け」
ゴミを出すようにして僕は牢屋を追い出され、馬車の荷台に押し込まれた。
幌も何もない馬車は、どうやら本当にゴミを回収しているらしい。
時折停車してはゴミの集積所に寄り、荷台の隅に座る僕にはお構いなしで積めるだけゴミを載せた。
逃走できないように手は縛られ、足は荷台に繋がれている。
僕はレンガ造りの街中を眺めた。
荷台にゴミを放り投げたふくよかな男の子が、僕が乗っていることに気づいてぎょっとする。
元の世界の歴史に比べ、社会インフラの成長の割に衛生観念が発達しているのはいいことだ。
拷問も辛いけれど、病気になっても死ねないのだとしたら……もう本当に救いようがない。
いや、たとえば自我がなくなるような病気なら、それは死ぬのと同じことではないのか。
死んだ後の体のことなんてどうでもいい。
しかしゾンビにもなりきらず徘徊する僕の体にもしも彼女が遭遇してしまったら、と、ふと考えて恥ずかしくなり、思考を止めた。
僕は完全無罪ではなく、役人の監視下で生活することになった。
施設と呼ばれた所は行き場や仕事のない元囚人が暮らす更生・支援施設のような場所だった。
ここで暮らしながら、地域の清掃や必要に応じて指示された仕事をして、最終的には街で自立して生活できるように送りだされるらしい。
他人と会話すること、一定区域から出ることは禁じられていた。
そもそも、異世界人の僕に話しかけようとする人はいなかった。
それ自体は好都合だったが、一人の時間がないというのは僕にとってとても窮屈だった。
寝起きする部屋は相部屋で、それ以外の風呂や食事も全て集団行動だ。
これまでの処遇を思えば、僕が施設の外で生活させてもらえるとは考えにくい。
永遠にこの生活が続くのかと思うと、気が狂いそうだった。
そんなときに僕はたびたび、彼女のことを考えた。
お礼すら伝えられなかったことが残念だった。
この世界の通信手段は手紙と、高額な料金のかかる電話が主なものらしい。
だが、今の僕には彼女の住所や電話番号を知る術も、お金も自由もない。
最初に任された仕事は町内の清掃だった。
慣れない街中で迷子になったり掃除が行き届いていなかったりして、施設で支給される食事にありつけない日もあった。
そして施設の者は被差別階級に分類されるらしく、街の人達は仕事着の僕たちを見ると視線をそらして避けていった。
くわえて『ハルト』の仲間だと街の人に認識されている僕は、ゴミをぶつけられたり、わざとぶつかって溝に突き落とされたりした。
それでも仕事を与えられているうちはマシだと思うようになった。
最低限の衣食住は施設で現物支給される。
パン一つ買えないが、ゼロではない賃金も日々支給されているそうだ。
盗難や喧嘩といったトラブルが起こらないよう、賃金は施設長が管理している。
誰も文句を言わないところをみると不正はないのだろう。
それか、逆らった場合の懲罰がひどいので誰も何も言わないか。
どちらにせよ僕の賃金は他の人より低く、計算上、本一冊買うのにも数ヶ月かかるので今はそれほど興味がなかった。
元の世界では政府に拘束されれば冤罪でも劣悪な環境で強制労働の末に殺されると噂される地域があったことを思えば、この世界はマシなのではないかとすら思った。
ただ異世界人は他の囚人たちとは違い、あくまで「管理」されていた。
情報はゴミの中の新聞や本、街中の看板や人々の会話からしか得られない。
本が簡単に読めないのは僕にとって本当に苦痛だった。
だから仕事の最中に拾ったぼろぼろの本をこっそり読んだ。
子どもの絵本や古い小説、新聞紙。
この世界の文字がデフォルトで読めることに感謝した。
施設に帰るときには身体チェックがある。
読み物は清掃担当区域の目立たない場所に隠したけれど、最後まで読めないまま誰かに盗まれてしまうことも多く、僕はそのたびに落胆した。
そうしているうちに今度は郵便の仕事を任されることになった。
これは清掃の仕事よりも僕にはキツいに違いないが、拒否は許されない。
街中の清掃は投げ捨てられたゴミを回収したり、集積所や道の汚れなどを人がいなくなったタイミングを見計らって手早く掃除したりすることが中心で、ほとんど会話を必要としなかった。
だが郵便となると依頼主や受取人とのやりとりが必要になる。
しかもただの郵便物ではなく、役所など公的機関の郵便物だ。
社会の底辺以下の存在である異世界人に、そんな重要なものを触らせていいのか。
ごくたまに短い会話をするようになった施設長に僕はそう尋ねた。
「この世界の囚人より非力で無欲で大人しく真面目な君が、郵便屋になってどんな悪さをするつもりなんだ?
それとも牢屋に戻りたいか?」
施設長室で煙草をふかして笑う彼は、首を振る僕に煙草を一本差し出した。
この世界では僕くらいの年齢でも飲酒や喫煙ができるようだ。
僕は「異世界人は煙草を吸うと周囲を巻き込んで爆発する」と嘘をついて断った。
お金と使えるようになったときに煙草を買いたいと思わなくてすむように。
施設長は吹き出して笑い、代わりに甘じょっぱいビスケットをくれた。
息子さんの好物なのだという。
僕は勧められた椅子に座って子どもみたいにちまちまとかじる。
……嘘をついたことを、ほんの少しだけ後悔した。
彼は日誌に向き直り、僕をほどよく放置してくれる。
ペンが紙を滑る音を聞きながら、次があれば、一度だけ、大人の味を共有してみたいと思った。
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