光の中の君

西出あや

第1話

「相葉、またおまえか。何度言ったらわかるんだ。茶髪は校則違反だぞ」

 校門をくぐろうとしたところで、お決まりのうんざりしたような声がかかり、あたしは仕方なく足を止めた。

 相手を確認するまでもなく、風紀委員長の武田だ。

「別にいーじゃん。誰かに迷惑かけてるわけじゃないんだしー」

 口をとがらせて反論するあたしに、武田の眉間のシワが、より一層深くなる。

「毎日毎日注意する俺に、迷惑をかけているとは思わないのか」

「はいはい、わかりましたー。今度ちゃんと黒くしてきまーす」

「それも何度も聞いてるんだが? それから、スカート丈も。そのうちおまえ、学校に入れてもらえなくなるぞ」

「学校なんてキライだから、別に入れてもらえなくなってもいーですよーだ」

 武田に向かってあかんべーすると、あたしは軽い足どりで校門をくぐった。


 ふふっ、今日も武田とおしゃべりしちゃった!

 あたしがいくら言っても言うことを聞かないからって、先生たちにはもうとっくに放っておかれてる。

 だけど武田だけは、懲りもせず、飽きもせず、毎朝毎朝あたしのことをちゃんと見てくれる。

 あたしだって、武田に迷惑かけてるってことくらい、わかってるよ?

 でも、もしあたしが髪色を黒に戻して、スカート丈も校則通りにして学校に来たら?

 そしたら、武田はあたしのことなんて見てくれなくなる。

 その他大勢のうちのひとりになってしまう。

 そんなの……イヤ。


 いつだって校則通りにきちっと着込んだ制服姿に、銀縁メガネ。

 それに、校門前の服装チェックのときだけじゃなく、授業中も、お弁当を食べているときでさえも、いつ見てもすっと伸びた背筋。

 どこからどう見ても超がつくほど真面目な男子高校生の武田とあたしの人生が交わることなんて、この先どこまでいったってないと思う。

 だけど、過去のたった一度の交わりを、あたしはどうしても忘れることができなかったんだ。


***


「――相葉?」

 薄暗い路地に一歩足を踏み入れようとしたところで名前を呼ばれ、ふっとうしろを振り向くと、メガネをかけた長身の同い年くらいの男子が立っていた。

 塾帰りなのか、片方の肩に重そうなリュックを引っかけている。

 ……誰?

 多分同じ学校の誰かなんじゃないかとは思うものの、制服姿を見慣れているせいか、ピンとこない。

 けど、あのすっとした立ち姿は――。

「武田? ……なんか用?」

 思いっきり迷惑そうな声で聞き返す。

 なんでこんなときに声なんかかけてくんのよ。信じらんない。

 高1だった当時、武田はまだ風紀委員長なんかじゃなく、教室ではいつもひとりで本を読んでいるような陰キャで、名前だけはかろうじて知っているというレベルのただのクラスメイトのひとりだった。

 正直声もほとんど覚えていないくらいには、クラス内でも影が薄かった。

「おまえ、こんな時間になにやってるんだ?」

 普通、こんな状況にあるあたしに、声なんかかけたりする?

 どう考えたって、『気付かれませんように』くらいに思いながら息をひそめて通りすぎるのが普通でしょ。

 だって、こんな時間に薄暗い路地で他校のヤンキーとたむろしてるようなヤツと、関わりたくなんかないっしょ?

 そんで、あたしはあたしで学校の知り合いが通りすぎたなんて気付かずに、いつもつるんでる連中のおもしろくもない話に「マジでー⁉」なんて合いの手を入れつつ、ゲラゲラ愛想笑いなんかして。

 あーあ、なにやってんだろ……って、あとになってから虚無感に苛まれるのがわかっているのに、気付いたらいつもフラフラとここに来て。


 今日もいつもと同じ。なにも変わらない。


 そう思っていたのに――。


「明日からテストだろ。大丈夫なのか?」

 およそこの場には全くそぐわないセリフが、落ち着いた低音ボイスに乗って吐き出される。

 ふぅん。アイツって、こんな声だったんだー。

 なんて悠長なことを考えている場合じゃない。

「はっ、こいつ真面目かよ」

「『明日からテストだろ』だってさ。ウケるぅ」

 そうやってバカにしながらも、今にも武田の胸倉をつかんで路地に引きずり込みそうなヤバい空気を察知して、あたしはとっさに武田に駆け寄って左腕を取った。

「こっ、こんなヤツ、かまうだけ時間のムダだからっ! もう二度と口出ししないようにあたしがちゃんと言っとくから!」

 とかなんとか言いながら、武田の腕を引いてあたしは通りの人混みの中に紛れこんだ。


「ほんっと、あんたバカなの?」

 早足で歩きながら、ブツブツと文句を言う。

「バカは相葉だろ」

 そんなあたしに対しても、どこまでも冷静な態度の武田。

 あーもうっ! いい加減頭に来た。

 あたしは、足を止めると武田の方をキッと振り向いた。

「助けてやったあたしに向かって、バカはないでしょ!?」

「『助けて』なんて言った覚えはない」

 そう言いながら、武田があたしのつかんでいた腕を振りほどく。

「あたしだって! ……あそこは、あたしの居場所なの。だから、もう邪魔しないで」

 武田から視線をそらすと、あたしは絞り出すようにして言った。

「あんなとこがか? あいつら、危険なニオイがプンプンしたぞ」

「わかってんなら、なんで声なんかかけたのよ」

「……頭ん中で、ちゃんと交番の位置くらいは確認したよ」

 悔しそうに顔をゆがめる武田。

 そんな武田の顔をまじまじと見て、あたしは思わずぷっと吹き出した。

「なにそれ。逃げる前提じゃん!」

「当たり前だ。ケンカなんかしたことないんだから、勝てるわけがないだろ」

 武田が不機嫌そうに言う。


 それでも……そんなんでも、あたしに声、かけてくれたんだ。


 あたしのことなんて、見て見ぬフリする他のヤツらとはちがう。

 あたしが最近つるんでるアイツらだって、あたしが危ない目に遭ってたって、きっと見て見ぬフリするにちがいないのに。


 ……なんであそこが『あたしの居場所』だなんて思ってるんだろ。


 似た者同士だから?


 一緒にいて楽だから?


 家にいなくたって、心配してくれる人なんかいない。みんなそんな連中だ。

 なのに……家族でもない、友だちなんかでもない、クラスメイトなんていったって、一対一でしゃべったこともないようなあたしのことなんかを、アイツの声すら知らなかったあたしのことなんかを、武田は気にしてくれたっていうの?

 どんだけお人好しなの?

 自分に対してなのか、武田に対してなのかもわからないような嘲笑が浮かぶのと同時に、さっき薄暗い路地から明るい大通りに立つ武田の姿を見たときのことを思い出す。


 ――ああ、あたしが思ってたのと全然逆じゃん。


 武田のことなんか、陰キャで一生日陰の存在だと思っていたのに。

 日陰の存在なのは、あたしの方だ。

 鼻の奥がツンとして、そんな自分のことをじっと見下ろす武田の視線に耐え切れなくなったあたしは、その視線から逃げるようにして、くるりときびすを返した。

「なんか、もういいや。今日は帰る」

 そっけなくそう言うと、武田を置いて歩きだす。

「家まで送る」

「いいってば!」

 背中にかけられた声に、前を向いたまま拒絶する。

「女子ひとりで帰せんだろ、こんな時間に」

「こんな時間って、まだ10時すぎとかでしょ?」

「…………」

 返事はなかった。

 だけど、足音だけが、あたしのうしろをずっとついてきた。

 あたしは、一度も振り返らずに、そのまま家に帰った。


 まだ誰もいない真っ暗な家の中に入ると、パチンと電気をつける。

 突然のまぶしさに、目も開けられない。

 でも、なんにも見えないくらいがちょうどいい。

 現実なんか見たって、なんにもいいことなんてないんだから。

「……おせっかい」

 小さな声でつぶやいてみる。

 なぜだかわからないけど、さっき見た武田の不機嫌そうな顔が、目の前に浮かんだ。

 あたし、どうしちゃったんだろ。

 あんなヤツ、全然あたしの趣味なんかじゃないのに。

 あたしなんかとは、住む世界も全然ちがうのに。


***


「まったくおまえは。一体何度言ったらわかるんだ。髪色、スカート丈。今日も全部校則違反だぞ」

 今日もまた、武田があたしを注意する声が校門前に響く。

『もういい加減放っておけばいいのにねー』なんて陰口が聞こえるけど、武田がそんなことで動じるはずがない。

 あんたたちこそ、あたしたちのことなんか放っておけばいいのに。

「えーっ、だってこの方がカワイイでしょ?」

 武田の前で、クルッと回ってニッコリ笑ってみせる。

「正直、女子の趣味はわからん」

 そんなあたしのことをバッサリと切り捨てる武田。

 ふふっ。今日も眉間のシワが深い深い。

「だいたい、どうして『校則通りだとかわいくない』なんて思うんだ?」

「だって、ダサいじゃん。あたしは、これでも努力してるの! 髪染めるのだってタイヘンなんだからね」

「そんな努力をする暇があったら、勉強しろ。受験生なんだから」

「だってさー、教科書見たって全然わかんないんだもん。それにあたし、就職希望だしー」

 かわいらしく口をとがらせてみせる。

 ま、こんなことしたって武田には無意味だってことくらいわかってるけど。

 案の定、はぁーという大きなため息であたしのプチアピールはあっけなく流され、武田の顔には渋い表情が浮かぶ。

「じゃあ、一応卒業できる成績ではあるんだな?」

「うっ、それは……」

 たらりと冷や汗が垂れる。

 実は、この前担任から最後通告を受けたばかりなんだ。

「このままじゃ卒業は無理だぞ」って。

「だったら、友だちにでも教えてもらってなんとかすることだな」

 なにかを察した様子の武田が、それでも淡々とした調子を崩さずあたしに言う。

「そんなの……恥ずかしいじゃん。こんな簡単なこともわかんないバカだって思われたら」

「俺は、努力しようとしているヤツをバカだとは思わない」

「武田はそうでも、他の人は武田とはちがうの!」

 こんなの、八つ当たりでしかないってことくらいわかってる。

 だけど、しょせん武田みたいなヤツに、あたしみたいな一生日陰の人間の気持ちなんかわかるわけないんだ。

 ……って、なんで武田なんかに対してこんな惨めな気持ちにならなきゃいけないんだろ、あたし。

 武田にとって、あたしはただの問題児で。

 それでいいって。

 そんなんでもいいから武田の目に映りたいって……思っていたはずなのに。

 いつからあたしはこんなにも欲張りになっちゃったんだろ。

 情けないやら悔しいやら。

 もう……自分の感情がわかんない。

 だんだんと顔がうつむいていき、思わず出そうになった涙をこらえようときゅっと唇を噛みしめる。

「だったら、俺に聞けばいいだろ」

 ぼそりとつぶやくように言った武田の声が、あたしの耳にだけはっきりと届く。

「……武田が教えてくれるの?」

 そっと顔をあげると、武田は手に持ったバインダーに目を落としていて、いつもみたいにあたしの校則違反を書き込みながら「聞かれればな」とそっけなく返してくる。

「で、でも、どこがわかんないかもわかんないくらいなんだよ?」

「なんだ。わからないってことがちゃんとわかっているくらいにはやる気はあるんだな」

 手を止めてあたしの顔に視線を向けた武田が、ふっと口元に笑みを浮かべた。

 え……ウソ。ひょっとして今、笑った!?

 あたし、はじめて見た気がするんだけど。武田の笑った顔。

 なんだかバカにされてるような気がしなくもないけど、そんなことどーだっていいや。

 こんなレアなものが見れたんだから!

 あたししか知らない武田が、また増えた。

 あたしがこんなふうに武田のことを見ているだなんて、武田はきっと知らない。

 でも、武田の隣が空席の間は、あたしなんかがつきまとったって問題ないよね?

 だって、一生言うつもりなんかないけど、あたし、武田のことがどうしようもなく好きみたいなんだから。

 だからあたしは、これからも校則違反の茶髪で登校して、短いスカートを履いてくる。

 だから武田は、これからもちゃんとあたしのことを見てなくちゃなんだよ?

 だから、これからもよろしくね、風紀委員長。




(了)

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