1-on-1 #1
そこに居るのは父さんだけだとわかっていたから、ノックをすることもなくドアを開けた。
部屋に入ってから響いた音は、ばたん、というドアの閉まる音だけ。
「……」
「…………」
口を開く様子はない父さんの前の椅子を引くと、僕はゆっくりと腰を下ろした。
流れるのは、ただ沈黙。お互いに何を話せばいいか分からず迷っているような、そんな親子に似つかわしくない静けさが場を支配する。
僕は、母さんの最後のメッセージを残したパソコンをホテルに置いてきてしまったことを後悔していた。まさか、今日いきなり父さんと話す機会を得られるとは思っていなかったから。
「……久しぶり、父さん」
張りつめた空気の中、口火を切ったのは僕だった。僕には話したいことがたくさんある。今までのことだって、こうやってアメリカまで来た理由だって。
「久しぶりだな、弘治。もう五年になるか」
そんな僕の言葉を聞いてくれたからだろうか。父さんも、重々しく口を開いてくれた。
そう、もう五年以上になる。父さんと最後に言葉を交わしてから。
「……生活には、困っていないか?」
でも、次に父さんの口から紡がれた言葉は想定していなかった。確かに、父さんから毎月国際送金されてくる生活費は一人暮らしには十分すぎるくらいだ。別に早瀬の家にもいくらかを送っているらしく、一回生活費を渡そうとしたら本気で止められてしまった。
でも、生活にこそ困っていないけど……つい三カ月前まで僕の心が晴れることが無かったのも事実。
父さんの言葉の真意を考えようとしても、生気の感じられない父さんの表情からは何を意図した言葉なのかは読み取れなかった。
「うん、お金に困るようなことはなかったよ」
だから、前者の意味だったとして返事をしてみる。
きっと、普通の親子ならこんな心の読みあいなど必要としないんだろう。でも、父さんとは六年以上、いや、まともに会話を交わしたのは七年半以上前だ。そこまで大きくブランクが空いてしまうと、どうしてもそういう会話にならざるを得ない。
「そうか。それならよかった」
数秒待ってようやく帰ってきた返事は、安堵とも後悔とも取れる返事だった。
それを聞いて、少しだけ安心した。優しかった、あの日の前の父さんのままなんじゃないかって思えたから。
「早瀬さんの家には、迷惑をかけていないか?」
「そりゃ、お世話になってるから少しは迷惑も掛けてるとは思うけど……できるだけ迷惑をかけないようにはしているよ」
だから、次の質問にも納得できた。確かに、父さんがアメリカにずっといたことで一番迷惑をかけてしまったのは早瀬の家だ。
正直、心配するくらいなら帰ってくればいいじゃないかと思わなくもない。でも、きっとそれが出来なかった理由も教えてくれるだろう。
「そう、か」
父さんは、僕の返事を聞いて長い息を吐いた。その目は……どこか、遠くを見つめているように見える。
「それならよかった」
でも、そう呟いたきり再び口を閉ざしてしまう。
どうしよう。数秒の逡巡ののち、僕は近況報告をすることにした。
蒼も翠ちゃんも、学校であったことなんかを食卓で報告したりしている。多分あれが、世間一般での親子の会話なのだろう。それを聞く金江さんや昌平さんの表情は、決まって嬉しそうだった。
だから、僕は……父さんに、少しでも喜んでほしかったんだ。
僕と久々に話をして、よかった、と思ってほしかった。
「学校にもちゃんと通って……って言っても蒼や悠が背中を押してくれたからだけど、今年からは部活も始めたんだ。電子計算機技術部」
今までにあったことを、ここ一年のことを思い出しながら話をする。長くなってしまわないように気をつけたつもりだけど、逆に淡白になってはいないだろうか。
「そこで友達もできたし、今は友達と楽しく過ごせてるよ。こうやって父さんに会いに来れるところまで来ることもできた」
たった三十秒と少しくらいの報告だけど、僕が、少なくとも今年はまともな学校生活を送れているのは伝わった、と思う。
父さんの表情は相変わらず狼谷さんより読めないけど……でも、少なくとも嫌な気分にさせたということはない、と思う。
だから、いよいよ本筋に入ろうと思った。
「父さんは、どうだったの? 今までの五年間」
今まで、父さんは何をしていたのか。
何を考えて、ずっとアメリカで働いていたのか。
もしそれが、母さんの言葉のせいなら――その呪縛を解くきっかけになるものも持っている。
まずは、父さんのことを改めて知ることからだ。
「チップの論理設計をするチームの、リーダーとして働いてたって小市さんから聞いた。最新のIntechのチップ……アルダー・レークの開発にも携わってたんでしょ? 最新の、新しいアーキテクチャが入ったチップ」
小市さんには、お礼の電話をしたときに父さんの話をほんの少しだけ聞いていた。父さんは設計部署、小市さんは製造部門の客先常駐と仕事が全然違うから、さすがに細かい話までは入ってこない。
だけど、どんな製品に関わっていたのかは聞くことができた。
「だからさ、教えてよ。父さんがアメリカで何をしてたのか」
責めるような口調にならないよう、努めて明るい声色で話を振った。
実際、責めるつもりはないのだ。思うところが全くなくなったかと言われるとそうではないけど、少なくとも全て聞いてから考えたい。
でも……父さんは、口を開く素振りは見せない。
再び流れる重い沈黙。部屋の重力が何倍にもなったかのようにさえ感じる。
なんとか雰囲気を変えるためにもう一度口を開こうとしたとき、父さんは言葉を発した。
「……聞きたかったことは、十分聞けたよ」
それは、思っていたものとは全く違う言葉。
「どういう、こと?」
思わず聞き返すけど、父さんはあっという間に椅子から立ち上がっていた。
「俺から話したかったことは、終わりだ」
「ちょっ、待ってよ父さん! まだまだ――」
「もう、そんなに気を使わないでくれ」
「……それっ、どういうことだよっ」
気を使ってしまうのは当たり前だ。久しぶりに会った肉親なのだ。
気を使わないでくれ、というのならば、もうちょっと話をしてこのわだかまりをある程度解くのが先決じゃないのか?
でも……それは、口にできなかった。
「じゃあな、弘治」
ドアに手を掛けた父さんが発した別れの言葉は、明らかに「グッド・バイ」ではなく「フェアウェル」を意図した響きをしていた。
「俺は、駄目な父親だな。家族として失格だ」
そして、ドアを開けながら呟いた言葉が、僕の耳まで届いてしまったから。
ばたん、とドアの閉じる音と共に訪れたのは沈黙。
さっきまでの重苦しい静寂でこそないけど、寂しさと窓に溢れた無音。
「……っ、何も話さないで、自分の言いたいことだけ言って! どういうことなんだよっ」
それを破るのは、自分しかいない。
抱えきれなくなった感情を言葉にしてぶちまける。
同時に、悔しさで涙が滲むのを感じた。
「こんな、これしか話せないなんて」
やっぱり、どこか間違ってしまったのだろうか。
あれしかまともに話せなかったことに、後悔さえ覚える。
でも、そんな荒んだ僕の心に響いたのは蒼の声だった。
「私は信じてるわ。だから大丈夫」
その言葉だけで、自分のマイナスの感情をなんとか隅に追いやることができる。
「……これだけのために、アメリカに来たいと思ったわけじゃない」
そうだ、こんな一方的なお別れを聞くためだけにアメリカまで来たわけじゃない。
僕の今までを、全て知って払拭するために。
そして……もしかしたら、父さんの気持ちも楽にできるかもしれないから。
まだまだ聞きたいこと、話したいことは一杯あるんだ。
「……明日」
大会は、まだ三日ある。明日の午前九時半に最後の準備が始まって、十時半からベンチマークの開始。そのあと午後は博物館の見学と聞いたけど、その間に時間を取ってもらえないだろうか。
「そうだ、フォスターさん。あの人に相談してみよう」
さらに、僕には相談できそうな人もいる。上司ならば、なんとか言いくるめて話をしてくれないだろうか。それに、もしかしたら今までの父さんの話を少し聞けるかもしれない。
「よしっ」
気持ちを前向きに切り替えると、僕も椅子を立つ。
そう、あくまでもメインは今回の大会のほうだ。はき違えちゃいけない。
まずは仲間の元に戻って大会の準備を手伝おう。そう決意をして、僕も会議室を後にした。
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