0x0E 父のいる場所

 三月二十三日、月曜日の昼過ぎ。

「ANA5173便にて、上海浦東空港へ出発の――」

「さて、ついにだな」

「また成田かあ、たまには羽田から飛びたいなあ」

「来年とかから羽田の国際線も充実させるみたいだから、来年は羽田から飛んでるかもしれないぜ」

「もう来年の話? 鬼がお腹抱えて笑ってるよ」

 構内に響く放送に、高い天井。相変わらずどこか期待を高めるような成田空港の出発ロビーに、僕たちは再びやってきていた。アジア大会の往復で使って三度目だけど、やっぱり少しテンションが上がる。

「しかも今回はANAだからな。安心安全だ」

「日本のキャリアなのは、嬉しいですけどちょっと残念ですね」

「どうして?」

「ほら、台湾に行ったときは乗った時からちょっと外国ムードあったじゃないですか。日本の航空会社だと、どうしてもその感動が薄まるので」

「あはは、ちょっとわかるかも」

 確かに台湾に行くときに乗ったチャイナエアラインの飛行機は、機内放送が中国語だったりして機内からもう海外、という感じだった。今日乗るのは日本の航空会社だから、そうも行かないってことか。

「星野先輩は去年に引き続き、ですか? 去年は電工研がアメリカに行ってましたよね」

「いや、あたしは行かなかったんだ。枠も限られてるし、チップを作るのもちょっと手伝ったくらいだったしね」

「そうだったんですね。じゃあ、アメリカは初めてと」

「そうそう。サンノゼももちろん行ったことなかったし、楽しみだなー」

「……それにしても、大きいスーツケースですね」

 今回は、アジア大会みたいに三泊四日みたいな強行軍じゃない。なんと六泊七日と長丁場なこともあって、みんなの荷物も一回り大きくなっている。

 ……ただ、道香の言う通り星野先輩のスーツケースは一回り以上大きい。預けられる荷物の最大サイズに近いんじゃないだろうか。人も入りそうな勢いだ。

 今年二度目ともなると、チェックインにバタバタすることはない。ただ、思わぬことと言うものはあるもので。

「えっ、ビジネスクラス!?」

 隣のカウンターでパスポートの確認を行い、チケットを受け取った道香が驚いた声を上げる。確かに、JCRAから送られてきた予約用紙にはそんなことも書いてあったな。

「あー、なんかそんなことも書いてあったな。凄いの?」

「凄いなんてもんじゃないよ、あの豪華な椅子だよ? 行くときに見た」

「……えっ、アレ?」

「そう! かなり高いんだよ、日本とアメリカを結ぶビジネスクラスなんて」

「た、確かにそれは高そうだけど」

「――万円くらい」

「マジか」

 道香に耳打ちされた金額は、僕たち高校生にとっては目玉が飛び出るほど高いものだった。それだけ、世界大会は重要視されているってことなんだろうなあ。

 無事荷物を預けて両替を済ませ、時間が少し余ったから皆で食事を済ませる。お手軽なうどん屋さんに入ったけど、遅い昼ご飯になっただけあって皆思い思いの食事を楽しんでいた。

「うおっ、それすごいな?」

「しばらく、日本食とはお別れだから」

「何頼んだんだ……?」

 ……もちろん、狼谷さんも。おにぎりが四つと明らかに大盛な牛肉うどんをトレーの上に載せて持ってきた彼女はどこか満足げだった。

 その後はスムーズに出国審査を終えて、ロビーで待つ。

「ANA、172便にてサンノゼへ出発のお客様。お待たせいたしました、ただいまよりビジネスクラスのお客様をお席へとご案内致します」

 出発時刻の一時間ほど前に呼び出しが掛かると、ようやく機内へ案内された。

「これは……」

「凄い、わね」

「テーブルが各席にあるってどういうこと?」

「このポーチは……すげえ、中にこんなアメニティが入ってるのか」

「こんな席に座れる日が来るとはなあ……」

 改めて目の前にすると、そこはあまりにも豪華な席。前後のシートで左右互い違いに並んだ椅子は半分個室のように仕切られており、その隣にはテーブルが鎮座している。この前のプレミアムエコノミー、という席だって十分豪華だったのにそれ以上だ。

「あら、隣はシュウなのね。アルファベットが飛び飛びだからわからなかったわ」

「お、そうなのか。……よかった」

 横に四席しかないから、僕たちは二列を占拠することになる。その隣の席は蒼だった。通路を挟んで窓側が道香、蒼の隣は星野先輩。あとは後ろの列だ。

 長時間のフライトだし、飛行機があまり得意では無さそうな蒼が隣なのはよかった。……テーブルを挟んではいるけど、隣に蒼が居てくれると僕が嬉しいというのもあるけど。

「ご搭乗ありがとうございます。ウエルカムドリンクは如何されますか?」

「えっ、ウェルカムドリンクですか? えーっと、じゃあ……オレンジジュースで」

「えっ、ええーっと……じゃあ、緑茶を……」

 ……いきなりのウェルカムドリンクのサービスには驚いたけど。

 そんな豪勢なサービスを受けながら、機体は数十分後にゆっくりと動き始める。

「当機はまもなく離陸致します。シートベルトを今一度ご確認ください」

 地上をしばらく走ったのち、アテンダントさんのアナウンスとともに機体は滑走路へと入った。すぐにエンジンの音がひと際大きくなると、機体は一気に加速を始める。

 席と席の間にテーブルがあるし、衝立もあるから蒼の様子は分からない。でも、なんとなく隣に居るというだけで安心できた。

 ふわっ、と浮くような感覚とともに地上からの音が消える。夕暮れの光が差し込む機内で、僕はいよいよアメリカに行くのだと改めて実感していた。

 幸い、台湾に行くときのような大きな揺れもなく飛行機は飛び続け、シートベルトのサインが消えた。

「おおーっ、ベッドになるまで倒れるよお兄ちゃん」

「ほんとだ、凄いな……これで、前の席のテーブルの所に足が入ることになるのか」

「もう、あんまりやると後ろの人に迷惑……に、ならないのね」

「後ろにカバーが付いてるから、大丈夫ですよっ」

 離陸まではあまり自由には動かせなかったビジネスクラスの設備を確認していると、あっというまに機内食が運ばれてくる。

 その食事もまるでテレビで見るレストランのような豪華さ。

「こんな食事、僕が食べちゃっていいのかな」

「それだけ頑張ってきなさい、ってことよ。美味しくいただきましょ?」

 その高級さに慣れないまま、一度目の食事は終わってしまった。食事中にもドリンクのサービスが何度も来てくれたりと至れり尽くせりだ。さすがは一席だけで相当値段がするだけある。

 テーブルを片付けた後、食休みをしていると道香が声を掛けてくれた。

「多分もう少ししたら明かりが暗くなると思うけど、頑張って寝たほうがいいよ」

「そうなのか?」

「うん。だって、アメリカに着いたら現地時間は月曜日の朝だもん」

「そうか、時差」

「日付変更線を跨ぐものね」

 道香のアドバイスを聞いて改めて考えてみると、サンノゼに着くのは午前九時過ぎ。しかも出発した日の、だ。

 九時間飛んでいるのに、時計上は出発時刻から八時間近く巻き戻ることになる。確かに寝ないと体力は持たないかもな。

「それに、時差ボケ対策にもなるしね。ここで寝ないでアメリカに着いてから昼寝とかしちゃったら、もう時差ボケ確定だもん」

「間違いないな。じゃ、その助言に与るとしようか」

 というわけで、消灯後はすぐに寝てしまうことにした。

 マットレスを敷いて、ブランケットを被ってアイマスクと耳栓を付ける。耳栓の圧迫感に慣れるころには、眠りに落ちていくことができた。

 次に目を覚ましたのは、なんとなく周りが明るくなったのを感じた時。アイマスクをしてるから分からないはずなんだけど、微妙に漏れてくる光でわかったようだ。

 アイマスクと耳栓を外して電動シートを起こすと、蒼もちょうど起きたところだったらしい。

「くあぁ……おはよ、シュウ」

「おはよ、蒼。なんだか隣で寝起きするってのも変な感じだ」

「ふふっ、飛行機の中だけどね」

 二人で笑いあうと、折角だし前の画面にフライトの情報を呼び出してみる。まだ太平洋上みたいだけど、かなりアメリカは近づいていた。四、五時間程は眠れただろうか。

 その後、これまた贅沢な朝食を頂いたらそう時間も掛からないうちに着陸だ。

 どすん、という軽い衝撃とともに、飛行機は速度を落とし始める。

「当機はアメリカ合衆国、サンノゼ国際空港に到着いたしました。現地の時刻は三月二十三日、午前――」

 窓の外に広がるのは明らかに日本とは違う街。駐機場に止まると、数分でシートベルトサインが消えた。機内にたまるのは迷惑だから、ボーディングブリッジを出たところで落ち合うことにした。

「意外と寒いのね」

「十何度とか言ってたしな」

 まだまだ寒い会津に比べればまだ暖かいけど、思っていたほどではない。気温を考えると東京くらいだろうか。

 ぞろぞろと機体から降りてきた人の中、皆の姿も見えてきた。

「うわ」

「なんだよ、人の顔を見てうわ、はないだろ」

「お前寝なかったのか? ってお前もかよ」

「よう、やっぱ海外はテンション上がるな」

「そのテンションが無かったら結構辛そうな顔してるぞお前」

「いやー、意外と機内エンタメって充実してるんだな」

「本当のところは?」

「Wi-fi使えるからさ……ソシャゲやってたらもう朝になったわ」

「同じく」

「あーあ、知らないよ? 今日を棒に振っても」

「砂橋さんは寝れたのか」

「結凪が隣で色々食べてたのはわかったけど、それなりに眠れたかな」

「もしかして機内食完全制覇か?」

「軽食は、一通り」

「サンドイッチはともかく、かつ丼とかラーメンとかあったよな……?」

「CAさんがびっくりしてたぞ、かつ丼とラーメン二つずつとかいきなり頼み始めるから」

「天国のような所だった」

「あはは、確か狼谷ちゃんにとってはそうだったかもね」

「星野先輩も元気そうですね」

「あはは、ぐっすり寝てる早瀬ちゃんを見てたらあたしもね」

「ちょっ、見てたんですか」

 そんなわけで、概ね元気に到着したみんな。看板や聞こえてくる放送なんかも全部英語なことに感動しながら空港を歩き、辿り着いたのは入国審査だ。

「繰り返しますが、アメリカの入国審査は、わりとしっかりやりますからね。自分で頑張って答えてください」

 台湾の入国審査はかなり簡単だったけど、アメリカはそうもいかないらしい。なんなら、入国審査の面接の練習をちょっと道香にやってもらったくらいだ。

「ちょっ、道香脅かさないでよ。アタシの英語の点数知ってたよね」

「なので言ってるんです。なんで論文は読めるのにテストはあんな散々なんですか」

「語彙が、偏りすぎ」

「うっ、否定できないけどさ」

「俺らはどうすりゃいいんだ? 別室って通訳呼んだりしてくれないよな」

「なんで別室に送られること前提なんですか……まあ、みなさんESTAの申請もちゃんと通ってますし、大会へのインビテーションレターもあるので大丈夫だとは思いますけどね」

「困ったらこれを見せればいいんだよな?」

 そう言って悠が取り出したのは、アメリカの計算機協会、ACMから発行された招待状だった。大会の開催はACMが行って、そこに行くまでや滞在費なんかはJCRAが出しているんだとかなんとか。

「そう、それがあれば多分大丈夫だよん。頑張ってね」

「くうーっ、親父強制送還の旅費払ってくれるかな」

「入国審査で何をやる気?」

 とまあ、事前に散々脅されてはいた入国審査。実際に通ってみれば、聞かれたのは滞在目的と滞在期間、それに職業くらい。道香の事前練習で聞かれたことだけで、招待状は見せる必要すらなかった。ちょっと拍子抜けだ。

 無事全員が入国審査を終えると、なんとかロストバゲージすることもなく荷物の回収にも成功。順風満帆といった感じで空港のロビーに出るドアをくぐると。

「あ、あれじゃない?」

「すごい、日本語だねえ」

 そこには、ようこそ若松科学技術高等学校のみなさん、と日本語で書かれたボードを掲げた男女が一組いた。ボードにはIntechのロゴが入っている。どちらもぱっと見、僕たちと同じ日本人……のように見えるけど、ここはアメリカ。日本語が通じない可能性だって当然ある。

「あ、若松科技高のみなさんですか? 長旅お疲れさまでした」

 いや、通じた。しかもとても流ちょうだ。どうも二人とも日本人で間違いなさそうだ。

「ありがとうございます。はい、若松科技高チームです」

「よかった、ようこそアメリカへ。私はIntechの木峰といいます」

「私は松見です。これから一週間、よろしくお願いしますね」

 二人は首掛けの社員証を見せてくれた。男性の方が木峰さん、女性の方が松見さんというのだという。

 そして、その社員証には確かにIntechのロゴ。……父さんのかばんの中で見たことがあるものと、同じデザインだ。

 わずかな懐かしさと苦しさを覚えていると、二人は何やら相談して僕たちに向き直った。

「さて、無事合流できたのはいいんですがホテルのチェックインが四時からなんですよ。あと六時間くらいあるんです」

 着陸後に合わせたスマホの時計を見ると、今は十時を過ぎたところ。もう少し時間を潰す必要がありそうだ。

「というわけで、折角ですからこのあたりで行きたいところがあればお連れしますよ。何かありますか?」

「いいんでしょうか?」

「ええ、私たちはそのためにいますから。といっても、コンピューター歴史博物館なんかは明後日訪問予定なんですよね」

「はいっ、俺ペア―コンピュータの本社に行ってみたいです」

「ちょっ、他社さんでしょっ」

 宏が空気を読まず他社さんの名前を出して、砂橋さんが慌てて止める。ペアー社と言えば、スマホのuPhoneやuPad、それにMaxシリーズのパソコンなんかで有名だ。僕でも聞いたことがあるし、なにより僕のスマホはuPhone。

 でも、それを聞いたお二人は楽しそうに笑ってくれた。怒られなくて助かった。

「ああ、確かに有名な会社は沢山ありますからね。では折角ですし、幾つか回ってみましょうか」

「い、いいんでしょうか?」

「ええ、もちろん。もっとも、会社の中には入れないですが」

「ありがとうございます。では、恐縮ですがお言葉に甘えさせてください」

 というわけで、今日の予定が無事決定した。広い空港の中を歩いて駐車場へと向かうと、二台の車に別れて乗り込む。男どもと蒼が木峰さんの車に、残りは松見さんの車だ。

「アメリカというと、ピックアップトラック、っていうんですかね?後ろが荷台になってる車に皆乗っているイメージでした」

「ははは、このあたりだとそこまで多くは見ないかな。日本と比べるともちろん多いけど」

 案内されたのは、なんというか普通の車だった。確かに、駐車場を見ても普通の車ばかり。日本で見る映画とかのイメージだと確かに宏の言う通りだけど、残念ながらそうでもないみたいだ。

「でも、明々後日に行くオレゴンはそんな感じだよ。大きい車が向こうは多いね」

「場所によっても違うんですね」

「ああ、向こうはなんというか、よく言えば自然豊かなところだから」

 そんな雑談を交わしながら始まった、サンノゼのドライブ。窓の外は、飛行機からも見えた通り日本とも台湾とも似てもつかない。

 まず、走り始めた高速がいきなり片側四車線だ。日本では見たことない道路の幅をしている。途中のインターで高速を降りて一般道に降りると、防音壁はなくなって周りの景色が見渡せるようになった。

「なんというか、土地の使い方が贅沢ね」

「だなあ、どこも一軒家ばっかりだ」

 それなりに広い歩道と道路の間には街路樹が並び、その奥には車が何台も入りそうな大きなガレージがあったり、芝生が生い茂った庭が広がっている。そして家の一軒一軒がとても大きい。

 蒼の家も日本だとかなり広いと思うけど、アメリカに来たら普通の家よりちょっと広い、くらいになってしまうだろう。

「公園なんかも広いし……アメリカの広大さを改めて感じるわね」

「若松の家もこれくらい広けりゃなあ。俺も部屋が手狭で困らなくて住むんだけど」

「雪が積もった時が大変よ?」

「あー確かに、この面積の雪かきは骨が折れるな」

 どうしても北国らしい心配が漏れてしまうのはご愛敬だ。

 そんな異国の景色を眺めること約二十分ほど。フロントガラスの先に森が広がっているT字路のちょっと手前で車は曲がった。

「はい、お待たせ。ここが今のペアー社の本社が見える、ビジターセンターだよ」

 後ろから付いてきていた松見さんの車と駐車場で合流して、車を降りる。木々に囲まれたガラス張りのオシャレな建物だ。

「すごい、これが本社?」

「いや、本社には入れないんだよ。その代わり、外から見学したり出来るビジターセンターがあるんだ」

「ってことは、これはビジターセンターなんですね」

「確かに、中はお店みたいだもんな」

 皆で中に入って中の広さに圧倒され、uPadを使った本社のバーチャル見学をして。

「うおーっすげえ! 本当に宇宙船みたいなデザインなんだな」

「見えてるのは、少しだけ」

「それがいいんじゃないか」

「……あそこまでテンションが上がってると、来てよかったって思うわね。実際凄いし」

「だなあ、遠近感でサイズ感覚がおかしくなってるけど実際はバカでかいんだろうな、ってのはよくわかるよ」

 屋上に出ると、木々の奥に本社のビルがちらりと覗いていた。見えるのは本当に少しだけど、一階のARでどんな形をしているかは見てきたからなんとなくこのあたりなんだろうな、とイメージは付く。それ以上に、三階くらいの高さがあるであろう屋上から見ても見渡すことが出来ないその広大な敷地に驚いた。

 来たいと言っていた宏は当然テンションが上がって写真を撮りまくっているし、僕含め奴以外の皆も規模の大きさに圧倒されたようだ。思ったよりもいい体験が出来たかも。

「せっかくなら、ペアーの旧本社も見てみますか? 今はただのオフィスになってるみたいですが」

「ぜひお願いします!」

「こら宏、一人で突っ走るなって」

 そんな感じで、とにかく全ての規模に圧倒されながら色々な場所を見学していく。

「……っ!! すごいっ!」

「おお、あの氷湖先輩が珍しく見てわかるくらいにテンションが上がってますね」

「新・計算機立国で見た景色が、眼前に……!」

「なるほど、砂橋さんにとっては聖地ってことか」

「楽しそうで何よりだねえ」

「星野先輩は氷湖の保護者か何かですか?」

 その後に訪れたペアーの旧本社では、狼谷さんの珍しい姿が見れた。彼女がコンピュータに興味を持つことになったきっかけの番組、その続編で登場していたのだという。

 ……確かに、自分の人生を大きく変えるような番組のロケ地に来たらテンションが上がってしまうのはわかるかもしれない。僕も行ってみたいな、と思うことはあるし。

「ああ、懐かしのアメリカ飯……茶色い!」

「懐かしい、ってことはどこでも大体こんな感じなのね」

「にしし、カロリーは凄いことになってそうだね」

「結凪先輩、今だけはその話NGです」

「あ、うん。ごめん」

「どれどれ……おー、大味だあ。でもこれはこれで美味しいんだね」

「星野先輩、手が大惨事ですよ」

「うおっ、このサイズを二つ食うのか狼谷ちゃん!?」

「戦わなきゃいけない時も、ある」

 お昼ご飯で立ち寄ったお二人お勧めのハンバーガー屋では、巨大なハンバーガーと大量のポテト、そして日本だと見たことのないサイズの紙コップに入ったドリンクと戦った。

 肉の味! という感じで美味しいけど、さすがに量が多い……。女性陣は小さめサイズでもお腹いっぱいになっている中、通常サイズを二つぺろりと平らげた狼谷さんは本当にすごい。それだけで一万キロカロリーくらい摂取していそうだ。

「広っ! スーパーマーケットを超えてウルトラマーケットだね」

「うおっ、見たことない魔剤がある!」

「ああ、懐かしの極彩色、香料たっぷりのお菓子たち……!」

「美味しいのか?」

「いや、日本のお菓子の方がよっぽど美味しいかな」

「でも桜桃ちゃんは好きなんでしょ?」

「……ごくごく希に、一部のお菓子が懐かしくなりますね」

 さらには、道香が面白いよ、といって提案してくれたスーパーマーケットに皆で行ってみたり。

「ここもまた凝ってる造りしてんなあ! さすがは謎の半導体企業NVision」

「あ、すごい。壁が全部三角形モチーフなのは、3Dを扱うポリゴンをイメージして、なんだって」

「オシャレですねえ……」

「向こうにももう一棟できるんだ、完成したらまた来てみたいかも」

 ついでとばかりにNVisionの本社にも寄り道したり。

 とまあ、アメリカ、というかサンノゼ近郊を巡って楽しんでいると時間はあっという間。

「おっと、もういい時間ですね。そろそろホテルに行きましょうか」

「そうですね、今から向かえばいい時間でしょう」

「ありがとうございます、お願いします」

 十六時半、機内で仮眠をしたとはいえそろそろ疲れてきた。みんなもさすがにはしゃぐ元気はなくなってきたようで、最初と比べると疲れが見え隠れしている。

「ちなみにお兄ちゃん、なんてところなの?」

「えーっとな、サンタ・クララ・マリオネットだな」

「わ、わぁー……マリオネットかあ」

 ホテル名を聞いた道香は、静かに苦笑いになった。何かあるのだろうか?

「どうしたんだよ、何かあるのか?」

「ううん、そういうわけじゃないけど……行けば分かるよ」

 その意味は、十五分後に分かった。

「えっ、こ、ここ?」

「まーた凄いホテルね……」

「JCRAもやるなあ、でも台湾のグランドハイヤートよりは豪華感薄いな」

「そんな豪華でも困っちゃうでしょ」

「下手なホテルだとアメリカは治安の問題もあるからねえ」

 僕たちが連れられたのは、これまただだっ広いホテルだった。確かに悠の言う通り豪華絢爛という感じでこそないけど、十分に広いのが外見でわかる。

「僕、寝られるかな」

「ふふ、大丈夫よ。きっとベッドに寝たら一発よ」



「おはよう結凪、ちゃんと寝れたみたいじゃない」

「まあ、なんだかんだで長旅の疲れはあったってことだあね」

「みんなおっはよー、こっちの部屋も準備オッケーだよん」

「おはようございますっ」

「お、星野先輩の部屋もちゃんと出てきたな。そこの部屋だけ朝食会場で会わなかったけど、ちゃんと食べたのか?」

「ええ、ちょっと時間ギリギリになってしまいましたが」

 翌日、午前十時。ホテルのロビーに僕たちは集合することに成功した。皆もよく眠れたみたいで、明らかに昨日と比べると元気そうだ。行きの飛行機でも寝て調整していたから、思ったより時差ボケも酷くない。

「昨晩は、お楽しみ?」

「ちょっ、何言ってんのよ氷湖」

「いや、それどころじゃなかったかな……」

「ま、シャワーだけ浴びて即寝だったとかでしょ。なんだかんだ、飛行機の中の睡眠時間もそう長くは無かったし」

 ……ホテルの部屋は、ツインが四室だった。男女ペアの部屋が出来てしまうという学校関連行事にあるまじきイベントが発生してしまったのは、故意でもなんでもなくただの僕の伝達ミス。JCRAのお役所仕事を舐めていた。

 となれば、当然男女の部屋に送り込まれるのは蒼と僕。異論はないし少し嬉しかったのも事実だけど。

「よくわかったわね」

「まあ、そういうことだ」

 昨晩は食事を取ったら眠気に襲われてゲームセット。最低限の身支度だけ整えたら即就寝、気付けば朝だった。

「それにしても、杉島くんと柳洞くんも今日は元気なんだね」

「もちろんっすよ、気付いたら朝でしたから」

「最高の目覚めでした」

「昨日は実質徹夜だったわけですしね……」

「ま、とにかくみんな元気なのは何よりだ」

「おはようございます、皆さん時差ボケは大丈夫ですか?」

「松見さん、木峰さん。おはようございます」

「はい、しっかり眠れたお陰でみんな元気です」

「それならよかった。じゃあ、会場に行こうか」

 最後まで検証を続けていたシリコンも入った荷物を車に乗せて、僕たちも車に乗り込んだ。車を走らせ始めて一分もかからず大きな駐車場へと入る。

「おお、ここがIntechの本社……!」

 その隣には、何度も見たIntechのロゴ。ついに、ここまで来たのだ。

「意外とすぐなんですね」

「ああ、一キロもないくらいだからね。さ、着いたよ」

「ありがとうございます」

 松見さんの車のグループと合流すると、僕たちはガラス張りの建物の入口に案内された。ドアの前には巨大なIntechロゴのオブジェがあって、また別の存在感を放っている。

「さて、じゃあまず会場へ案内しよう。今日と最終日はここ、ゴードン・ノイスビルディングでやるからね」

 そう言って玄関を入り、受付でICカードの参加証を貰った。これもまたTSMIで行われたアジア大会の時と同じように、木峰さんや松見さんの社員証とよく似たものを準備してくれていたようだ。

 Intechのロゴが入ったネックストラップを首に掛ければ、準備は完了。

「これが鍵になってるから、入るときはこれを黒いリーダーにタッチして入ってね」

「はいっ」

「じゃ、行こう」

 そう言って、大きな液晶の前を通ってオフィスの入口へ。

「イノベーション、いず、エブリシング」

「イノベーションが全てである。君が最前線にいる時、次に必要なイノベーションが何かが見えてくる、か。いい言葉だな」

「ええ、創業者であるゴードン・ノイスの言葉です」

「確かに、アタシたちもそうだったもんね。やってみないと、何が必要かわからなかった」

「ふふっ、いい活動をしてこられたみたいですね。さすがは日本代表です」

 その前に、壁に刻まれた言葉に思わず足を止めた。その言葉は、どこまでも最先端を走り続けろと言うもの。四、五十年ほどの短い時間でここまで進化を遂げた半導体、そしてコンピューターは、これを理想に前へ前へと進んでいった結果なのだろう。

 ……父さんも、そうだったのだろうか。

「左側にあるのが食堂だ。お昼なんかはここで食べてもらうことになるからね」

「わあっ、オープンテラスまであるんですね」

「すごい広いわね……」

「結構混むけど、なんだかんだみんな時間をずらしながらお昼休憩をとるからね。そこまで酷く混むことはないんだよ」

 そんなことを思いながらも、皆に遅れないようについていく。カフェテリアの横をかすめながら広めの廊下を歩いていってすぐ、先頭を歩いていた木峰さんは足を止めた。

「さて、会場はここだよ」

 そういってドアを開く。その先に広がっていたのは、大きな会議室。テーブルで作られた大きな段ボールがどかどかと置かれていて、各地域の名前と順位が書かれた紙が貼ってある。地域は中東、ヨーロッパ、アジア、そしてアメリカ、それぞれに一位から三位。

 既にアメリカと中東チームの六チームは作業を始めているようで、箱を開けては色々な物を取り出している。既に五十人近くが作業をしている姿は壮観だ。

 そして――「Intech エキシビジョン」の島。

「まずは荷物の確認かな、大きく破損している箱とかはなかったはずだけど」

「ありがとうございます。開梱した箱はここでいいですか?」

「ああ、邪魔にならないところに置いておいてくれればそれでいいよ」

 とはいえ、そっちに気を取られている訳にはいかない。僕たちも準備をする必要がある。

「えーっと、三号機の中身は全部無事そうかな。そっちはどーお?」

「二号機も大丈夫そうです。小物箱も無事でした」

「一号機もオッケーだ、傷一つないぜ」

「オシロとかもばっちり、これ壊れてたら大損害だったから助かったよ」

 箱を開けて状態をまず確認。海外は輸送トラブルが多いと聞いていたから、まずは荷物がちゃんと届いていることで一安心だ。

「んじゃ、早速立ち上げてくか」

「あの爆音をここで流すの、なんだか申し訳ないね」

「実際のプログラムが渡されるの、今日だったよな?」

「ああ、昼食後だ」

 今回の大会では、プログラムは開始前日のお昼に渡される。それから明日の朝のシステムチェックまでは、ぎりぎりまで最適化ができるというわけだ。

 逆に言えば、悠が本気を出せるのは今日の午後から明日の朝にかけてだけ。コンパイラが全部をよしなにやってくれるならいいけど、そういうわけにも行かないところは自分でコードを修正する必要がある。

 つまり、今日に限っては悠の徹夜癖が生きるというわけだ。多分宏も巻き込まれることになるだろう。

「それにしても、なんでもっと前から渡してくれないんだろうな。一夜漬けなんて」

「そんなことしたら、その仕事専用の『ASIC』とか『アクセラレータ』とかを盛り盛りにするチームが出てきかねないからでしょ。あくまでも求められているのは汎用、だから」

「あー、確かにそれはあるねえ。SIMDを極めて1024ビット幅にしました! とか言っても困っちゃうし」

「なるほどなあ。ハードにされると困るけど、ソフトの最適化技術もちょっとは見たいってところか」

「ま、『FPGA』なんかを内蔵してたら一晩でロジック組んじゃえばいいんだろうけどさ。それはそれで動く周波数の問題とか考えたら現実的じゃないし、いい塩梅なんじゃない?」

 そんな雑談を交わしながらも手は動き続ける。一時間も掛からないうちに、システムは全て組みあがって起動の準備はできた。

「ほいじゃ、上げてきますかっと」

「ここで引っかかったりしてね」

「ちょ、やめてくださいよ結凪先輩、縁起でもない」

 日本と同じ形をしたコンセントにケーブルを刺していくと、案の定轟音が響き始める。既に揃っていた全てのチームから二度見された。そりゃそうだよな、他のチームのファンと明らかに音が違う。

 予備も含めて六台とも電源を入れて暫定的な負荷のプログラムを走らせると、さらに騒音は大きくなる。ちょっと申し訳なくなるくらいだ。

 全部のマシンは負荷を掛けても正常。三十分ほど負荷を掛けてから温度やエラーなどを全部チェックしても問題なし。二時間も掛からず準備は整ってしまった。

「おーし、準備できたな」

「もうお昼ね、ご飯を食べに行きましょうか。プログラムの配布は十四時でしょう?」

「ああ、十四時にこの部屋にいればオッケー」

「賛成」

「んじゃ、お昼にしよっか」

 というわけで、さっき案内された食堂で昼食を食べ、飲み放題で使えるジュースサーバーに驚きつつ部屋に戻ると。

「――っ」

 そこには、Intechチームも揃っていた。デスクの上にはボードの姿もあり、数人が作業している。

 その中に――久しぶりに見た、かなりやつれて見える父さんの姿があった。

「……いらっしゃるわね、大樹さん」

「……」

 その姿を認めた時、湧き上がってきたのはまず安堵だった。父さんがここに姿を見せなければ、全ては始まらない。

 次に感じたのは、不安。僕はちゃんと、父さんと向き合って話すことが出来るのだろうか。時間的にも、精神的にも。

「Hello? Are you team Japan, right?」

「うおっ!? い、いえーす」

 次の瞬間、後ろから声を掛けられて思わず飛び上がってしまった。慌てて声の方を向くと、そこに立っていたのは年配の女性だった。

 いわゆる白人、といった感じの白い肌に金髪。日本ではなかなか見ない姿に、あらためてここはアメリカなんだと再認識する。

「Is Koji Here? Koji,Syuryu」

「あー、いっつみー」

「Oh,Koji! Nice to meet you」

「な、ないすとぅーみーちゅー」

 握手を交わすけど、この人は誰かがわからない。首にはIntechの社員証が下がっているから名前はわかるけど、どうして声を掛けてくれたんだろう。

そんな僕の不安を見抜いてか、松見さんが救援に来てくれた。

「大丈夫? 翻訳しましょうか」

「え、ええ。お願いします」

 それから声を掛けてくれた女性と自己紹介とおぼしき会話を交わすと、それから二言三言話してからその内容を教えてくれた。

「この方はフォスターさん、『デザイン・エンジニアリング・グループ』のマネージャーで、あなたのお父さんの今の上司だそうです」

「父さんの……」

「そして、一つお願いがあるそうです。十五時半から、ミーティングをしたいと」

「えっ、僕とですか?」

「ええ。あなたのお父さんが望んでるみたい」

 返す言葉を失った。父さんの方から会いたい、と言ってくれるなんて。

「……わかりました」

 数秒のフリーズのち、僕は返事をした。これ以上ない機会を父さんが作ってくれる以上、それに乗らない理由はない。

 その返事を聞いた松見さんはさらに二言三言をフォスターさんと交わす。英語らしき言葉がすごいスピードでやり取りされているのを聞くと、正直居てくれて助かった。

「235会議室を取ってある、とのことでした。二階なので、時間になったら案内しますね」

「はい、お願いします」

 それから、フォスターさんは一言。

「Good Luck」

 と言って、Intechの島へと戻っていった。

「ついに、ね」

「ああ。機会が来たみたいだ」

「色々話したいことはまとめて来たんでしょう? きっと大丈夫よ」

「だといいんだけどなあ」

「私は信じてるわ。だから大丈夫」

 代わりに声を掛けてくれたのは、やっぱり蒼だった。ついにその時が来るのかと思うと、少し手に力が入る。

 でも、このためにはるばるアメリカまで来たのだ。ここで逃げる訳にはいかない。この六年間の清算の時だ。

「さて、とりあえず時間までは出来ることをやろうか」

「そうね。といっても、プログラムを貰わないとなんとも言えないけど」

 それから予備のシリコンまで含めて全部のチェックをして迎えた十四時。各チームのPCからプログラムへのアクセスが解禁されるとのアナウンス(もちろん木峰さんに翻訳してもらった)の直後、早速悠は確認を始める。

「LIMPACK、これは予想通り。あとは簡略版のSPARCベンチ、intとfp両方。それに……なんだこれ、見たことないベンチだな」

「確か片方は流体シミュレーションじゃなかったか? それ」

「げー、また負荷がやけに高いの持ってきてるね。さすがIntech」

「もう一個はこれ『インメモリ・データベース』だねん。メモコンちゃんと動いてくれてよかったね、IMHとか使ってたらこの時点で終わってたよ」

 負荷を掛けるアプリは本当に多種多様だ。一般的なベンチマークだけではなく、実際にスパコンやインターネットの先に居るサーバーで動くようなアプリをベンチマークとして持ってきたあたりに本気を感じる。

「よかったな、結構ベクトル演算効きそうだぞ」

「あとはコード見てみないとわからんなあ」

「とりあえず、現状のままで流してみるか?」

「そうするか。えーっと、会場のLANはもう使えるんだっけ」

「使える。セットアップしておいた」

「お、ナイス狼谷。じゃあLAN経由で引っ張ってくればいいな」

「デバッガ繋いでおきましたっ、まずはプロファイル取ってみましょうか」

「助かるわ、サンキュ」

 というわけで、早速作業開始だ。ファイルを持ってきて、実際に動くバイナリを悠のコンパイラで作り、そして実行。あとはデバッガで裏口からCPUの動きを覗きながらプログラムを走らせることで、CPUが持つ力を引き出し切っているかの確認だ。

 全部を最後まで走らせ切ったわけじゃないけど、ある程度のデータが取れたところでその数字を確認していく。

「とりあえず壁は見えたな。ま、改良の余地はあるよ」

「SPARCなんかはSMTでガッツリ伸びるね。どのベンチに効いてるんだろ」

「まあ、悠は引き続きコンパイラや『ソース』いじりつつデータ取りだな」

「りょ、任せてくれ」

「あとは並行してBIOSの設定も詰める作業か、これは宏かな」

 その数字を元に、今度は出来るだけ性能が伸びるように変えられる設定を変えていく。

 いわゆるCPUのモードチェンジ、という感じで、たとえばメモリのアクセス速度や遅延が特に大事なデータベースのベンチマークではメモリの性能が出やすいような、もしくはCPUの並列性が大事なSPARCなんかでは並列処理の性能が出やすいような設定に変えてあげる必要があるわけだ。

 これはまあ、専門家というか作ってる宏に頼むのが一番いいだろう。あとは、論理設計を仕上げた蒼と星野先輩だな。

「だな。悠、そのデータ送ってくれ」

「あいよ」

「んじゃ、アタシたちもまずはそっちかな。ハードでわかんないところがあったら蒼に聞いて」

「もしくは星野先輩でもいいわよ」

「ふっふーん、先輩に任せなさいっ」

「鷲流くん、そろそろ時間です。部屋に行きましょうか」

 分担を確認していると、松見さんに声を掛けられた。ちらりと時計を確認するともう三時半前。そろそろ行かなくてはいけない。

「じゃ、俺はちょっと会議に行ってくる。忙しいとこ悪い」

「気にすんなって、いってら」

「……頑張ってね、お兄ちゃん」

「いってらっしゃい」

 正直今の忙しいタイミングで抜けるのは申し訳なかったけど、みんなに快く送り出されて少し心は軽くなった。Intechデスクの方を見ると、父さんの姿は既にない。

 騒音まみれの会議室を後にすると、絨毯敷きの長い廊下を歩き階段を上って二階へ。席ごとに四角く区切られているオフィスの間を抜けて辿り着いたのは、小さな会議室だった。

「松見さん、ありがとうございます。あとは大丈夫です」

「わかりました、帰り道がわからなくなったら連絡をください、若松科技の皆さん経由で構いませんので」

「ありがとうございます」

 松見さんに感謝を伝えると、ドアノブに手を掛ける。細長い窓から、そこに父さんが居るのがはっきりと見えた。

 うるさく鳴り響く心臓の音をむりやり押さえつけながら、僕はその手に力を入れた。



 残されたみんなに適宜指示を出しながら作業を進めていく。ふと訪れた空白の瞬間、思い浮かんだのは今頃六年ぶりの対面を果たしているであろうシュウのことだった。

 彼は大丈夫だろうか。ちゃんと伝えたいことを伝えられているだろうか。

 ……これでは、恋人というよりはどちらかといえば母親のような心配の仕方だ。

「蒼先輩?」

「ん、どうしたの道香?」

「いえ、ぼーっとしてらっしゃったので」

「ああ、ごめんなさい。設定変えてみた?」

「はい、『プリフェッチャ』も当然入れたほうがよかったです。……お兄ちゃん、大丈夫でしょうか」

 考えていたことは、この可愛い後輩にはどうやらお見通しだったらしい。その事実に、思わず苦笑いがこぼれた。

「きっと大丈夫よ、今のシュウなら。さ、続きをやりましょ」

「はーい」

「Hey」

「Hello?」

 作業に戻ろうとしたら、英語で呼び止める声。それにすぐに英語で反応ができるあたり、さすがは帰国子女。

 声の主はさっきシュウと話していた人だった。フォスターさん、と言っただろうか。

 英語の授業のリスニングよりいささか早い会話をなんとか聞き取ろうと頑張ってみる。

「今、ちょうど手が空いたの。もしよかったら、ウチのチームのマシンを見てみる?」

「え、いいんでしょうか?」

「もちろん。ダイキの子供たちのチームだから、特別ね?」

 実際、ここまで来てしまったら相手のシステムを見ても大きく手を加えるのは難しい。それよりも、優れた技術を吸収できるチャンスと捉えるべきだろう。

 明日になれば各チームの発表時間もあるから詳しい話を聞けるけど、今日見ておくのは価値がある。

「ありがとうございます」

「ふふっ、歓迎するわ。他のメンバーも興味があったらいらっしゃい」

 そう言ってチームの島へと戻っていくフォスターさん。私たちはさっそく、みんなに声を掛けてみることにした。

「Intechのチームから、システムを見に来ない? ってお誘いを頂いたわ。行きたいなら付いてきてちょうだい」

「なーに、余裕しゃくしゃくだね向こうは」

「……敵情、視察」

「面白そうじゃん」

「俺も休憩にしよーっと」

「あたしも気になるなあ」

「あはは、全員になっちゃいましたね」

「まあ、予想はできてたわ」

 というわけで全員を連れて、Intechの島へと向かう。そこには、LEDで煌びやかに装飾されたマシンが六台並んでいた。いわゆるゲーミングPC、といった趣だ。

「いらっしゃい、これが私たちのマシンよ」

「すごい装飾ですね……」

「わっ、でもヒートシンクはいかついですよ」

 私と道香がフォスターさんと話している間、みんなも思い思いに話をしながらマシンを見せてもらっていた。さすがはIntech、装飾をする余裕だけでなく、基礎的なボードデザインも綺麗だしぱっと見ただけでちゃんとしているのがわかる。

「……これ、はっ!? 蒼っ!」

「ちょ、何? どうしたのよそんな青い顔して」

 突然私を呼んだのは、結凪だった。その表情は驚きに満ちていて、ちょっと血の気が引いている。あきらかに良くないことが起きているのは一目でわかった。

「これ、見てっ!」

 指さしたのは、五つに分割されてコンソール画面が表示されているディスプレイ。そこに書かれている数字を見て、体温がさーっと引いていく。同じようにディスプレイを覗きこんだ道香も息を呑んだ。

「これは――」

「負け、てる……?」

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