可愛くなった立花さん ~クールな彼女に催眠術をかけたなら~

文嶌のと

可愛くなった立花さん ~クールな彼女に催眠術をかけたなら~

「ねえ、今日アンタんち行っていい?」


 隣の席の立花たちばなさんが急に言ってきた。

 彼女の冷たい瞳と長い黒髪を、帰り支度の手をとめて見た。

 高二の五月、隣の席になって初めての誘い、戸惑うに決まってる。


「なんで急に?」

「男子の部屋ってどんなかなーって思って」


 意外だった。

 立花さんは、塩対応ではあるものの、その外見の良さから好意を寄せる男子の数はかなりのもの。学年でもトップクラスの人気者だ。

 それなのに男子の部屋を訪れたことがないなんて。


「なんで俺、なんです?」

「べつに。隣だったから?」

「そう、ですか」


 一方の俺こと坂井さかい颯太そうたは凡人。それはもう何の取り柄のないただのモブだ。友達の数に恵まれていないことへの同情か、それとも肉食系からかけ離れたヘタレっぷりへの安心か。

 本人も理由なんてどうでもよさそうだから考えるだけ無駄か。


「で? どうなん?」


 頬杖を突き、手で口元が見えない立花さんからは威圧感しか覚えない。視線が怖い。


「いいですよ」


 俺はそう答えたが、最初から選択肢なんて存在していなかったように思えた。




 自宅までの下校道、会話はゼロ。

 見えるのは立花さんの後ろ姿と、俺たちの姿に送られる奇異の視線たち。なんでモブのお前が、そんな男たちからの声が聞こえてくるようだ。

 見慣れた河川敷が三途の川のように思え、十五分という時間が異様に長く感じた。


「その家です」

「フツー」


 素っ気ない感想に怯えながらポケットから鍵を取り出した。鍵穴に刺そうにも手が震えて言うことを聞かない。


「おまわりさーん。ドロボーですよー」

「えっ!? ちょ!?」

「だって時間掛かりすぎなんだもん」

「い、いま開きましたッ。どうぞ」


 この時間は俺ひとりの我が家。父は仕事、母はパート、妹は部活だ。

 玄関口で視線を落とす立花さん。


「誰もいないん?」

「はい。この時間は」

「いつ帰ってくんの?」

「六時くらいです、妹が」

「ふーん」


 廊下奥に下がっている時計を見た立花さんに釣られる。時計は三時半を指していた。

 丁寧に靴を揃えて脱ぐ立花さんのあとを、軽く眩暈がしながらついていく。


「階段あがってすぐです」


 その言葉にじっと階段下で立ったままの立花さんが振り返る。


「先あがりなよ。見えるし」


 軽くスカートを押さえる仕草に鼓動が速くなる。


「はいッ」

「転ぶなよー」


 駆け上がる俺に立花さんが言っていた。




 自室の前で心を落ち着かせる。動悸は一向に収まらない。


「汗拭いたら?」


 すぐ隣まで追いついた立花さんがピンクのハンカチを差し出してきた。


「大丈夫」


 手の甲で汗を拭い、ドアを開けた。


「きれいじゃん」

「そう、かな」

「姉さんの部屋の方が汚部屋だわ」


 クールな立花さんに姉がいる事実を初めて知った。


 鞄を壁に立てかけた立花さんが部屋をうろうろする。母さんと妹以外の女性がこの部屋にいるという事実に頭が真っ白になる。


「少年漫画ばっかじゃん、ざんねん」


 本棚の前で屈む立花さんが言う。


「残念って?」

「男子の部屋っつったらエロ本なんじゃないの?」

「ないですッ、そんな」

「ホントかなー? ここか!! ここか!!」


 机の下やベッドの下を捜査する立花さん。四つん這いになる立花さんの胸やお尻にばかり視線が行ってしまう。軽蔑されないようにすぐに視線を外した。


「坂井はおとこきっと」

「違いますよッ」

「なんか面白いもんないの? おっ!? これなに?」


 立花さんがゴミ箱から一冊の雑誌を取り出す。


「妹がくれたんですけど興味なくて」

「キョーミ持とーよッ、催眠術!! 面白そー」


 俺とは真逆な陽キャである妹はいろんなことに興味を示す。熱しやすく冷めやすいところが難点で不用品回収役をさせられている。


「試す相手もいませんし」

「ここ」


 自分自身に指をさす立花さん。


「立花さんには効果ないと思いますよ。その手のものって抜けてるタイプにしか効かないだろうし」

「いいからいいから。そーだなー、これなんてどお?」


 ペラペラとページをめくる立花さんが目を輝かせる。

 こんな表情もするんだ。


「クールなあの子が可愛い子に、ってこれなんです?」

「アタシさー、感情表現下手なん悩んでんだよね。だから」


 遠い目をして言う立花さんの横顔が儚げだったから、なにか役に立てれば、そう思った。


「わかりました」

「ほんと!? それじゃあ、えーっと五円振り子。定番のヤツか」


 赤の財布を物色している立花さんが首を横に振る。

 こちらの財布にはひとつだけ五円があった。

 それを、机の引き出しにあった白ひもに結び付ける。


「これを振りながら、この呪文を、ですか」

「そんじゃよろしく」


 制服姿の立花さんが俺のベッドに腰を下ろす。その姿に手汗をかきながら振り子を操る。


「あなたはだんだん可愛くな~る。ほ~ら、可愛くな~る」


 自分で言ってて恥ずかしくなってくる。こんな子供染みた催眠術にかかる人なんて、そう思った時――。


「立花さんッ!?」


 突然どさりとベッドに横になる立花さん。効果があった場合には一時的に意識を失うらしいが、冗談だよね?


 触ることが躊躇われ、ベッドを叩いてみる。


「えぇあぅ」


 ようやく目覚めた立花さんが目をこすりながら起き上がる。


「あれ!? 坂井くん!? なんで!?」


 いつもの鋭い目つきは鳴りを潜め、どんぐりのような大きな眼を向ける立花さん。


「えっ、いや、その、家に行きたいって立花さんが」

「そうだった!! 付き合うことになったから遊びに行きたいって言ったんだったね」

「エッ!? 違ッ」


 演技をしているんだよね? からかうための演技だよね?


「違うって、どういうこと? 昨日のオッケー嘘だったの?」

「へっ!? きのう!?」

「放課後、校舎裏で告白したじゃん!! 坂井くんが大好きですって!! そしたら、いいよって」


 術にかかりすぎにも程がある。昨日なんて特に冷たさレベルが高く、一日中睨まれて終わった日なのに。


 でもこれは催眠術。もし正式に洗脳されていたとしてもそれは一時的なものであっていずれ解ける。それなら立花さんに合わせてクール脱却に協力してあげた方がいいのでは、そう思った。


「そ、そうでしたね――」

「敬語はナシ」

「はいッ」

「また!!」

「……わかったよ」

「うん!! 坂井くんはそれがいい。あっ、でもせっかく付き合えたのに坂井くんって変か……。今日からそうちゃんね?」

「そ、颯ちゃん!?」


 じいちゃんとばあちゃんにもそんな呼ばれ方をされたことはない。背筋がムズムズする。それに、今まで怖いとしか思わなかった立花さんに妙な感情が……。


「そう、颯ちゃんね。わたしのことは愛莉あいりって呼んで」

「……わかった、愛莉」

「♪」


 震える声で人生初の名前呼びをすると、立花さんが満面の笑みを向けてきた。その表情に胸が高鳴る自分がいた。


「ねえ、横座って」


 ベッドの隣をポンポンする立花さん。指示通りに腰を下ろした。


「手、つないでいい?」

「いやッ、まだ早いよッ」

「えーー、せっかくのおうちデートなのに」


 こちらはクール脱却の手伝いをしているわけであって、彼氏になったわけじゃない。術から目覚めた時に立花さんの黒歴史とならないよう、スキンシップは最小限に留めなければ。こんなモブ男子と手をつなぐなんて俺でも吐き気がするし、洗脳最中にという罪悪感が強すぎる。


「また今度」

「ちぇー、仕方ない。……と見せかけてのッ!!」

「あッ……あッ……」


 強引に立花さんが手をつないできた。柔らかさと温かさで心地いいが、どんどん増える手汗に気分が悪くなる。


「颯ちゃんの手やらわかーい。ふにゅふにゅするぅ」

「やめよ? ねえ? 汗ひどいから」

「だめー。汗は愛情の裏返しだから。そんだけドキドキしてくれてるってことでしょ?」

「けど」

「わがまま言う颯ちゃんにはお仕置き」


 空いた方の手でスカートの膝辺りをトントンする立花さん。まさか膝枕をしろと!?


「いやいやいやいや絶対ムリですッ」

「あーっ、また敬語!!」

「ごめん……っ」

「罰として膝枕中のちゅ~も追加」


 ちゅ~という言葉を聞いた瞬間、手を払ってベッドを立った。


「颯ちゃん……」


 今にも消えてしまいそうな立花さんの表情に罪悪感は限界を超えた。


「立花さん、これ見て? 催眠術だよ。ほら、思い出して」

「そんな本はじめて見たけど」

「そうだ!! 解き方……あった!!」


 術のネタ明かしをしたうえで顔の前で大きく柏手を打つ、それが解き方らしい。

 急いで何度も何度も手を叩く。


「なにしてんの? 颯ちゃん、ゴリラのシンバルおもちゃみたいだよ」

「おかしいな……っ。くそ……ッ」


 何度叩いてみても戻らない立花さん。

 他の策を絞り出した結果、俺は告げる。


「実は俺、二股してるんだよ。愛莉とはその、遊びなんだ」

「遊びってこういうこと?」


 赤リボンを外し、上着のボタンを外し始める立花さん。


「なにしてるのッ!? やめてッ!! そんなこと!!」

「颯ちゃん、嘘下手だね。二股する人がこんなことで慌てないよ」


 いっそ嫌われればいいと思ったが、余計に状況は悪化してしまった。


「俺のどこがいいの? 何の取り柄もないし、地味だし」

「わたしの正義のヒーローだから。悪いヤツをバシバシっとね」

「うそだ、そんなの」

「嘘じゃないよ。あの時はありがとね、颯ちゃん」


 立花さんと会ったのは高校に入ってすぐ。

 それから一年と少し、そんな場面を経験した覚えなんて無い。


 俺がひとを助けた記憶なんて、一度くらいしか思い出せない。

 小学校に入ってすぐの頃、橋の下で囲まれてた身体の小さな女の子。男子三人に為す術なく、眼鏡を取られ、三つ編みを引っ張られて泣いていた。

 そんな姿を見て居ても立っても居られずに大声をあげてみたらターゲットが俺に移って。

 終わったなと思った時にポケットの中のスーパーボールに気づいて、思いっきり投げてみたら奇跡的に大将と子分その1にポンポンっとピンボールみたいに当たり、痛みで走り去ると残された子分その2も走り去って難を逃れた出来事。


 あの時の女の子は小さくひ弱で怖がりで、立花さんとは全然違う。


「――ッ!?」


 そんな思い出に無言で浸っていると玄関の音がした。

 急いで時計を見ると六時を指していた。


「マズいッ!! 立花さんッ!!――」


 すぐにベッドを見ると、意識を失った立花さんが横になっていた。


「立花さん?」


 恐る恐るベッドに近づく。

 愛らしい顔で寝息を立てる立花さん。いまはクールな方? それとも可愛い方?


「お兄ちゃん、あの雑誌さぁ……。エッ!?」


 ノックをせずに入ってきた妹が固まる。

 なにせ今の俺は、俺のベッドで横たわる立花さんのそばで怪しい動きをしているのだから。


「いや、違……っ。これは」

「そっかそっか。お兄ちゃんにも彼女できたんだぁ。ハハハ」


 妹の乾いた笑い声が静寂を掻き消す。


「アタシ、彼女じゃないんで」

「立花さん!?」


 驚きの声をあげてしまう。

 少し前から目覚めていたのか、立花さんが妹に寝たままそう言った。


「でも、ベッドで」

「ちょっと体調崩したから休ませてもらっただけです。安心して、お兄さんはフリーです」


 ようやく冷たい立花さんが戻ってきて安堵したが、少しだけ寂しいと思うのは何故だろう。


「で、ですよねえ。お兄ちゃんモテないもんね。あっ、その雑誌返してね。んじゃね」


 俺の手から催眠術雑誌を取り上げて嵐のように去っていく妹。

 ドアが閉まってから言った。


「よかったです、戻れて」

「ほんとにかかってたん? ぜんぜん覚えてないんだけど」


 手で顔を押さえる立花さん。見事にクールキャラになっている。


「で? 可愛くなれてた?」

「はい、それはもう」

「なんだぁ。動画録っとくんだったなぁ。まーた冷めたキャラに逆戻りじゃ意味ないじゃん……。うわっ、もうこんな時間!? アタシ帰るわ」

「あっ、これ鞄!!」

「うぃー」


 ベッドから立ち上がってすぐ出口を目指す立花さんに鞄を手渡して、


「玄関まで送りますよ」

「どーもー」


 素っ気ない立花さんと共に階段を下りた。



※※※



 次の日の朝、教室に着くと、いつも通りの立花さんが座っていた。


「おはようございます」

「おーはー」


 気だるげに返事してくる立花さんの横に腰を下ろす。


「ねえ、今度は坂井に催眠術掛けてみよっか。リア充になるヤツ」

「あれはもうやめましょ」

「えっ、そんなアタシやばかったん?」

「はい、ぜんぜん違いました。アイドル感ありましたよ」

「へえー。で、坂井はどっちのアタシがよかったん?」

「どっちもですかね」

「それってつまり、そゆこと!?」


 目を丸くしながら俺を見る立花さん。

 立花さんが少し頬を染めていることで、今の発言が告白スレスレだったことに気づく。


「ち、違いますよッ。人として、人として、ですッ」

「ふーん」


 そう言って頬杖をついて窓の外を見る立花さん。


 俺が気を紛らわそうと鞄から教科書を出して机の中に仕舞っていると――、


「また今度やったげるよ、


 咄嗟に立花さんの方を向くと、手で口を隠しながら真っ赤な顔して微笑む愛莉さんが見えた。



【可愛くなった立花さん ~クールな彼女に催眠術をかけたなら~ END】

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