今日は君がいない

でめきん

第1話

「つまらないな。」ぽそりと呟いて、窓越しに空を見上げる。ひどく蒸し暑い日で、ただ座って外を眺めているだけなのに、汗のせいなのか、じめじめとした空気のせいなのか、気持ちの悪さが肌にまとわりついていた。私は溜息をついて、つまらないな、ともう一度心の中で呟いてみる。薄暗い雲からシトシトと降る雨が、私を嘲笑っているように思えた。台風が近づいているという話だったし、週末なのに普段に比べて客の数もずいぶんと少なかった。それでも、いくらかはお客が来たし(だいたいが予約客だが)、きちんとやるべき仕事をこなして、またぼんやりと空を眺めていた。眺めていたと言ったが、目を空に向けているだけで実際は特に何も眺めたりしていなかった。予約客ではない客が来ると(だいたいそういうのはうるさい客や面倒な客が多い)少しうんざりしたし、なにもこんな天気の日にまでわざわざ来ないで欲しいとすら思ったが、仕事なので仕方なく対応をした。どうしてそういう客は、こんなに天気の悪い日でもわざわざ悪質なクレームやどうでもいいような話をしに来店するのだろうか少し考えたが、考えても気分が悪くなるだけなのですぐにやめた。そもそも私にとって重要なのはそんなことではないのだ。私が今抱えている問題に比べたら、今日の天気も、そろそろやってくるだろう台風も、変な客たちもどうでもいいことなのだ。

「今日は君がいない。」

誰にも聞こえない声の大きさで、しかしはっきりと言葉にしてみる。私にとって重要な問題が何であるかということは、限りなく明確だった。今日は君がいないというその事実こそが重要な問題なのだ。私の記憶によれば、君のいない週末はおよそ一年半の間で二回目か三回目だろうと思う。いつも君は忙しそうにしていた。それでも少し暇ができると私とくだらない話をして笑ったり、お互いをからかいあったりした。私はそんな時間が好きだったし、君が笑うと嬉しくて安心した。君はたくさん笑ったし、私もたくさん笑った。

けれども、今日は君がいない。


君は仕事上の都合で、会社にはいない。仕事上の都合なのだから、君はどこかしらで忙しく走り回っているかもしれないし、何かについて必死に考え込んでいるかもしれない。あるいは、少し休憩をもらってメビウスオリジナルを咥えながらどこかに座って、ぼんやりとこの薄暗い雲に目を向けているかもしれない。まぁ、そんなことを考え出したらキリがないんだけど。別に君がいない職場に不満があるとかそういうわけではない。むしろ職場の人間はみんな人柄も良く、全体の雰囲気も悪くない。業務も単純な作業が多く、難しいことはなにひとつなかった。私としては文句がひとつもなかった。むしろ、その職場で働かせてもらえることにありがたさを感じるくらいだ。けれども、君がいるのといないのとでは、いささか私の精神的な面で問題が生じるのだ。ただ単純に、君がいないと何かが足りないのだ。何かとは具体的になんなのか問われると、それはそれで答え辛いんだけれど。そこにあるべきはずのものが無いような、私の生活の一部が損なわれてしまって、生活のサイクルがぎこちなくギイギイ音を立てて今にも崩れちゃうんじゃ無いかって不安になるような、そんな感覚なんだ。もしかしたら君は、私の生活を滑らかに進行させる上で必要不可欠な潤滑剤みたいなものなのかもしれない。そんな風に考えたらなんだか少しだけ可笑しかった。色んなことを考えながら、私は普段通りに淡々と一通りの業務を終え、お昼の休憩を貰った。外は相変わらず暗く、雨は先程よりも強く窓を叩いた。君がこの雨に濡れたりしてないと良いんだけど。

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