鳥籠の島②

 台風の接近でフェリーが止まり、予約はオールキャンセル。今日は暇になると思っていたら、仕事で島に来ていた人が飛び込みでやってきた。


 東京の人、それも若い人だった。名前は木梨楽きなし がくさん。


 羨ましい。こんな離島で生まれ育った私とは全然違う生活なんだろうな。


 そう思っていたけれど、夕食時にお酌をしながら話を聞いていたら、彼もまた田舎の出で、大学入学と同時に上京したそうだ。


 だから東京に憧れる気持ちもわかると。


 なお羨ましい。なぜならこの人は上京に成功したのだ。自分から行動を起こして、成し遂げたのである。


 行動を起こせない私からしたら羨ましくて仕方ない。


 高校を卒業してからずっと、なんなら子供の時からずっとこの旅館で働いている。


 お母さんもお父さんも家に縛られる必要は無いと言ってくれてはいるけれど、他でもない私自身が居慣れたこの家に縛っている。


 都会を羨む私に木梨さんが「東京に行って何がしたいのか」聞いてきた。


 何も思い浮かばなかった。


 行きたいと思うだけで、具体的に何がしたいとか、そういった考えがまるでない。

悩んだ挙句「お嫁さん」だと言ったら笑われてしまった。


 これでも完全な冗談というわけではないんだけどなあ。ほら専業主婦的な?家事には自信あるし。


 それに女はクリスマスケーキなんて例えられたりもするし、もう26歳だし、お母さんからいい相手は居ないのかとか言われちゃうし、学生時代に付き合ってた彼氏クソ野郎は結婚したらしいし、うじうじうじうじ。


 そうだ!木梨さんはすごいイケメンってわけじゃないけど、少しあどけなさのある顔つきで割とタイプだし、東京に住んでるし、今は彼女とか居ないって言ってたし、一つ売り込んでみるか!


なんかずるいじゃん。私だって東京に住みたい。


 お母さんほどではないけど、胸は大きいほうだと思うんだよね。


 そういうわけで、胸を寄せながら、 


「3食おっぱい付きですよ!」


 と言ってみた。


 島のおっちゃん達によく言われる「小鳥ちゃんの旦那になる人は羨ましいね。料理が毎日食べられて、しかもおっぱいも大きい」という言葉を私なりにアレンジしたセリフ。


 ただ、勢いで言ってしまったけど、思った以上にかなり恥ずかしい。


 というか木梨さんおっぱい見すぎ、いや見せつけたのは私だけど!


 はーやだやだ。ちょっと飲みすぎたかな。


 空になったグラスを見て、新しいお酒をも持ってくるついでに水も持って来ようとしたら、木梨さんも気まずかったのか部屋に戻ると言って席を立った。


 自分で言うことじゃないけど、まるで痴女ちじょみたいなセリフだったな。


「小鳥、初対面のお客さんにあんな事言ったら痴女だと思われるわよぉ」


 なお、一部始終を見ていたらしいお母さんにも言われました。でも、語呂ごろがいいと思うんだよね。3食おっぱい付き。


そういえば木梨さんっていくつだったんだろうと思い、宿泊者名簿確認したら25歳だった。


年下じゃん……。


翌日、朝の仕事を一通り終えて、あとは洗濯やっちゃおうとしたらお母さんが、


「昨日のお客さん、不意な宿泊で困ってるはずだからぁ、一緒に洗濯してあげてねぇ」


 と言ってきた。


 渋々部屋に出向いてお母さんから言われたことをそのまま丁寧に言い換えて伝えると、お願いしますと返ってきた。


 袋に詰められた洗濯物と一緒に。まぁ、洗濯物が少し増えた所で手間はたいして変わらないからいいけどさ。


 ちなみに簡単なお昼ご飯も作って持っていったら感謝された。まあ普段は朝夕しか出してないし、木梨さんもあると思ってなかったのだろう。


 お母さんの読み通り木梨さんは着替えを持っていなかったらしく。下着だけは島に1つだけあるコンビニ―小さな商店の事だろう―で買ったそうだ。


 代わりの服というわけではないが、浴衣を追加で貸し出すことにした。


 その日の午後は台風のせいで他にやれることもなくて、久々に自室でゆっくりすることができた。


 夕方になり、食事の準備をするために調理場まで降りると、夕食にはまだ早いはずなのに食堂から笑い声が聞こえてきた。


 どうしたのかと思い覗き込んでみたら、お父さんが木梨さんを巻き込んで酒盛りしているのが見える。


「あれ、いつからやってるの?」

「ついさっきよ。お父さんがお客さんの部屋に行って連れてきちゃったのよぉ」

「それはそれは……」


 かわいそうに。


 お父さんもまたお客さんひとの話を聞くのが好きらしく、たまにこうしてお客さんにお酒を振舞ったりしている。


 あらゆる客を巻き込んで酒盛りすることもあり、なんとその酒盛りでお客さん同士をくっつけて結婚まで行った例が数件ある。 


 筋肉もりもり髭ボーボーな愛のキューピット。なんか嫌だな。ひたすらにむさい。

 そもそもいくら外が薄暗いとはいえ、日の入りもまだだ。木梨さんだって仕事があっただろうに。


 台風のせいで漁業組合のおっちゃんらと飲めないからって、飲み始めるのが早いんだよ。というかどうせ酒盛りするなら私の分も残しておいてよね。


 てきぱきと食事の支度を済ませて、持っていく。


「おう!小鳥ちょっと座れや」


 すっかり出来上がったお父さんが料理を持った私を呼ぶ。


「どうよ!親の贔屓目を抜いても顔立ちは悪くないだろ!」

「え、ええ、そうですね。綺麗な方だと思いました」

「だろ?それに、ほれ、うちの嫁よりは小さいにしても、十分でかいだろ?」

「……そう、ですね」


 料理を並べていると横からそんな話が聞こえる。この筋肉だるまはセクハラという言葉をご存じでないのかしら。


「てか、何の話してんの?」

「なにって、ほれ、お前を売り込んでんだよ。お前はしょっちゅう東京さ行きたいって言ってるだろ?木梨さんは東京住みらしいで、丁度いいだろ」


 なんだか怒りたい気分になったけれど、同じことを昨日やっているので何も言えなかった。


「ごめんなさい。お仕事中でしたよね?」

「まあ、急ぎの仕事じゃないからいいよ。折角誘っていただいたし、お酒を振舞ってもらえるなら断る理由もないよ」

「そうだぞ。木梨さんは2つ返事で乘ってくれたぞ。なあ?」

「はい。折角のお誘いを断っては酒好きの名が廃ります」


 木梨さんもお酒好きなのね。まあ昨日も割と飲んでいたし、不思議でもないけど。


 昨夜も饒舌じょうぜつだったし、お酒が入ると弾けるタイプなのかもしれない。


「で、どうよ」

「素敵な娘さんだと思いますよ」

「だろ?俺の血が混ざってるとは思えないほど美人になってくれたもんよ」

「あはは、いやー親子だと思いますよ。ほんとそっくりですし」


 私のほうを見てそんなことを言っているけど、どう考えても昨日の発言とお父さんの発言を聞いて言ってるよね。だって口元が笑っているもん。


 そんな調子でわいわいと話しながら、酒が進んでいき、21時過ぎた頃にはお父さんが潰れた。


 夕方から飲んでいたようだから仕方ないかもしれないけど、珍しいものだ。


「おっとっとぉ?あららららら?」


 まあ、楽しかったんだろう。


「しっかり歩いてください」

「歩いてるぞー?地面が斜めってんだぞー?」

「……ここに放置しようかな」


 お父さんと同じく飲み続けた木梨さんは潰れこそしてないものの泥酔。部屋まで歩けそうにない状態なので私が運ぶ羽目になった。ちなみにお父さんのほうは食堂に放置してる。どうせ朝になれば勝手に起きるし。


「ほら、木梨さん部屋に着きましたよ」

「はーい、ありがとねー!ねへへへ」

「何気持ち悪い笑い方してるんですか……」

「いやー、小鳥ちゃんは優しいなと思ってねー。いっそ本当に僕がもらっちゃうか!」


 一瞬、固まった。不意打ちでびっくりしたというか、どう反応したらいいのかわからない。少しの間をおいて「そういうセリフは素面の時に」と言いかけたところで、寝息が聞こえてきた。


 なんとなくむかついたので適当に床に投げておこうかと思ったけれど、一応はお客さんなので先んじて敷いておいてもらった布団に降ろすことにした。


「へ、きゃ!?」


 そっと降ろそうとしたところ、服を掴まれていたらしくバランスを崩して布団に倒れこむ。


「ちょ、ちょっと木梨さん!」


 しかも私が下敷き。抜け出そうにも抱きつかれてしまって抜けられそうにない。


「こんの、酔っ払い、が……!」

「なんだよ、ちあ、き……」

「私はチアキじゃないっての!んもう!」


 無理やり解いても良かったけれど、酔っ払い特有の力加減から抜け出すのが面倒になったので、眠って力が抜けてくるのを待つことにした。


 結局、そのまま私も寝てしまったけど。

人の腕に抱かれて眠るなんていつぶりだろうか。


 久しぶりに感じる人の温もりは不思議と安心感があった。しいて言えば相手が酒臭い酔っ払いじゃなければもっとよかったんだけど。


 翌朝、眠る前と変わらず抱きつかれたまま目を覚ました私は、気持ちよさそうに眠る木梨さんを起こさないように静かに過ごした。


 いつもならとっくに起きて朝食を作っている時間だけれど、この状況なら仕方ないだろう。


それにどうせ今日も今日とて台風の影響下から抜けてないし、私に出来ることはそこまでない。


 ならばこのまま抱かれていても良いかなと思えた。寝顔はかわいらしいし、割と心地よい。


「おはようございます。木梨さん」

「…………」


 しばらくして目を覚ました彼に挨拶をすると、顔面蒼白になり飛び退いた。


 慌てた様子で自らの衣服と私の衣服が乱れていないか見比べる様子に思わず笑ってしまう。


「何もありませんでしたよ」


 酔っぱらった木梨さんに抱きつかれちゃって、そのまま寝ちゃったんです。そう伝えると「ごめん」と言いながら綺麗な土下座を披露してくれた。


 気にしてないから顔を上げるように言うと、安心した様子で、しゃがれた声ながらも「おはよう」と返してきた。


 顔でも洗ってきたらどうかと促して、喉が渇いていた私はひとまず調理場へ移動した。


「昨夜はお楽しみでしたねぇ」


 中に入るとお母さんが面白がってそんなことを言う。


「いや、別に何もなかったから」

「そうなの?」

「酔っぱらった木梨さんに押しつぶされただけよ」

「ふーん」


 何か言いたげににやにやと笑うお母さん。


「何?」

「べっつにー?小鳥ならそれくらい簡単に振りほどけたんじゃないかなーとか思ってないわよぉ?」

「……ノーコメントで」

「キャー!今夜はお赤飯を炊かなきゃー!」

「炊かなくていいから!」


 仮にも自分の娘が会って間もない男と同衾どうきんしてする反応じゃないと思うんだよね。


「ひょっとしてお母さん、覗いた?」

「ばっちし覗かせてもらったわぁ。小鳥が木梨さんに抱かれて眠っていると・こ・ろ」


 間違いが起こったわけではないと解っていての反応だったって訳か。まったく、どうせ部屋に入ってきていたのなら起こしてくれればいいのに。


「それより、昨日はお風呂入ってないでしょう?浴場掃除のついでに入ってきていいわよぉ」


「はーい」


 確かにちょっと体が汗ばんでる。あの部屋、クーラーはかかっていたみたいだけど、この季節に人と引っ付いて寝るには少々暑いようだ。


 一度、自室に戻り着替えとタオルを持って浴場へ向かう。


 お客さんは木梨さんだけだけど、清掃中の札を忘れずに下げて、適当に服を脱いで脱衣籠だついかごに放り込む。


 それにしてもお客さんを巻き込んだ酒盛りなんて久々で、木梨さんやお父さんほどじゃないにしろ私もそれなりに飲んだからか、まだお酒が残っているような感覚がある。


 ところで、これは余談だが、普段うちの浴場は時間で男女の入浴時間を交代している。それは客が1組しかいなくても変わらない。


 何が言いたいのかというと、今の時間帯は男湯にしているのである。


「…………え?」

「…………」


 いきなりの闖入者に驚いて固まった木梨さんと、状況の理解が追い付いていない私。


 お互いに全裸で顔を向き合わせたまま数秒固まって、ババっと背を向けた。


 やらかした!かんっぜんに油断していた!デッキブラシを片手に全裸の姿を見られてしまった!


 私はかなりの恥ずかしさを感じながら「ど、どうぞごゆっくり!」と言い残してそそくさと浴場から退散した。


「先程はすいません!清掃の時間とは思わず!」


 遅めの朝食後、廊下で再び出くわした際に、やたら小声で謝られた。どうやらお母さん達に知られたくないらしい。


 もう知られいるんですけどね。


 すごく申し訳なさそうに謝られているけれど、別にこの歳になると、見られたからといって根に持つほどではないし、そもそもどう考えたって悪いのは入り込んだ私の方なので、逆に申し訳なくなってくる。


 というか、あまりにも反応が童貞どうてい臭い。彼女が居たと言っていたけど、まさか女性の裸に慣れていないのだろうか。


 いかんいかん。思考が島のおっちゃん達に染められている。


 私は貞淑ていしゅくさを売りにして都会の男を仕留めて見せるんだから。


 そんな一幕の翌日の朝。


「…………」


 またしても木梨さんの布団で目を覚ました。


 しかも今度はお互いに一切の衣服を着ていない状態で。

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