ブルースカイ③
私の先輩は良く空を見る。
朝、大学に来る時も。
昼、ご飯を食べる時も。
夜、帰っていく時も。
先輩はいつも空を見上げている。
どうしていつも空を見上げているのか聞いたことがある。なんでも亡くなってしまった大切な人との約束なんだそうだ。
そう言った先輩の顔は悲しそうに微笑んでいた。
先輩は顔がいいし、頭もいい。でも髪はぼさぼさ、服はよれよれ、なんなら無精髭もある。
パット見だと生徒というより教授に見間違えそうなくらい老けて見える。
ほんっと、なんでこんな人を好きになってしまったのだろう。私の好みは爽やかで少し鍛えているようなイケメンのハズなのに。
そんな先輩との出会いは衝撃的なものだった。
大学に入る前から友達だった相手に彼氏を取られ、悲しみに暮れていた時に声をかけてくれたのだ。
「そんな湿気た顔してどうした?見てみろ。今日の空は晴れてるぞ」
泣いていたはずなのに、笑いがこみ上げてきた。だって言っている本人は湿気た顔していたから。
私が笑うと先輩は頭を掻きながら「あいつのようにはいかないな」と呟いた。
あの時は判らなかったが今なら判る。あいつというのは亡くなってしまったという先輩の大切な人のことだと。
変わった人だな。と思いながらも先輩の顔を見上げていたら見えたのだ。太陽のように輝く先輩の瞳が。
我ながらチョロいと思うけれど、多分この時には落ちていた。
そこからは先輩の昼に突撃し、先輩の居る気象観測部にも入り、先輩を真似て空を見上げた。
宙を
確かに空は楽しいが、その空は先輩に教わったもので、私の見る空にはいつも先輩が居る。
だが、先輩の空に私は映らない。これは私からの一方的な恋。
先輩は亡くなってしまった大切な人を引きずったまま。きっと先輩の空には彼女が居る。空を見ている時にたまに見える悲しそうな瞳がそれを物語っている。
やはり先輩は湿気ている。
憂いを帯びた顔もそれはそれで魅力があるけれど、先輩にはあの時の太陽のように輝く瞳が一番格好いい。
先輩が私の雨を晴らしてくれたように、今度は私が先輩の雲を散らし、晴らしてみせる。
そのためには先輩のこと、先輩の大切な人のことを知らなければならない。先輩の抱える思いや心の傷を。
正直、私のように出会ってから短い人間が触れて良いものなのかはわからない。でも、悩んでうつむいているくらいなら空を見る。私は先輩からそう学んだから。
翌日から私は動いた。これまで以上に積極的に会いに行き、飲みの席などで少しずつ探っていった。
初めは言い淀まれたり、誤魔化されたりしたものの、次第に観念したように少しだけ話してくれるようになった。と言っても、やはり肝心な話は聞けなかったが。
お近づきになるにあたって、私は決して媚びたり、強引すぎる手は使わないようにした。先輩はそういうのを苦手にしていることはサークルメンバーから聞いたりして知っていたし、そもそも媚びたりは私の性格的に無理だったから。
私はなるべく私を全開にしてアプローチした。
意識するのは1つだけ。多分先輩の大切な人は明るい人だったのだろうと思う。なぜなら落ち込んでる人に空は晴れてるなんて事を言うような人だから。
だから私は先輩を照らす太陽になれるようにと意識した。先輩が目を背けられないようにと。
そう息巻いていた。
でも、やはりいきなり変わろうとすると違和感が出るようだ。
ある日、先輩と飲みに行った時に先輩がふと「君は君だ。無理をすることはない」と零した。
先輩はそれ以上、何も言わなかったけれど、先輩は敏い人だ。私が彼女の事を多少なり意識していたことを気取られたのだろう。
私は少しだけ言い淀んでから「無理はしてません」と言うと、先輩は溜息とついてからぽつぽつと、今まで話してくれなかった過去の事を話してくれた。
ゆっくりと語られていく先輩の過去に私は気付いたら涙を流していた。
不意にでた涙に先輩が狼狽えそうになるのを大丈夫と言って止める。
まるでドラマのような物語、私なんかでは彼女の代わりには成れない。そう理解せざるを得なかった。
彼女の気持ちに感化されたのと、先輩の思いを知った上で身を引きたくないという私自身の気持ち。それぞれが複雑に絡み合い、涙がとめどなく溢れ、どうにもならなくなったのだ。
心がいっぱいいっぱいで気持ちを抑えられなくて、気づけば私は自分の気持ちを先輩に話していた。いや、ぶつけたと言っても良いかもしれない。
辛い話をしてくれたであろう先輩に、我儘に。
それでも先輩は何も言わず、黙って話を聞いてくれた。優しさに甘えて、思いを、感情をぶつけているだけの私の話を。
「湿気た顔をしてどうする。空は晴れてるぞ」
と。
私が、今は夜だし、都会じゃ星も見えないと言うと、先輩は月なら見えると答えた。だから明るく居ろと。
詭弁だとは思うが、先輩なりの慰めなんだろう。
少し間をおいてから、先輩は答えはなるべく早く出すから、今は待ってほしい。と少し困ったように微笑みながら先輩はそう言った。
その瞳は店内の照明が反射し、澄んだ色に光った。
ああ、そうだ。
この瞳、陽の光のように輝く瞳に魅入られて私は―
やっぱり私が太陽になろうなんておこがましかったんだ。私にとっての太陽は先輩で、私は先輩の光に照らされているだけの月。自分で光っている訳じゃない。
自ら光っていると勘違いし、近づいて、本当の光に飲まれる。
いくら私が恋愛音痴でもあんなふうに困った笑いを見せられたら、察してしまうじゃないか。
それでも諦めたくないと思ってしまう私は罪の子なのだろうか。なんて。
それからどうしたかはよく覚えてない。頭の中がぐちゃぐちゃで、気付いたときには家のベッドで母親の声で目が覚めた。
目が覚めても頭のもやもやは晴れず、気分も悪い。最悪の気分だった。
なんとなく大学に行く気も起きず、私は生まれて初めて学校をサボった。先輩と顔を合わせづらくて。
もしかしたら先輩はもう答えを出しているかもしれないから。
母親に言われ家を出たものの、行く場所もなく私は大学近くの公園で1人、空を眺めた。
***
幕間
ふと、歩いてきた道を振り返ってみた。
時には誰かと道が重なった。
時には誰かと道について喧嘩した。
時には誰か助け合って障害を乗り越えた。
1人で歩いているようで、必ず近くには誰かが居る。それは今も変わらない。
道は何度も複雑に絡み、交じり、分かれを繰り返す。
道はまだ終わらない。いつ終わるのかは自分でも判らない。
先はまだ、永い。
***
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