変化

「ソリオン、今日こそ俺から一本取って見せろ」

「父さん、余裕を見せてるのも今日までだよ」


 今日もダトとの訓練が始まる。

 早朝の仕事を終えたダトが、朝から一人稽古をしていたソリオンの練習に加わる。


 ダトとの訓練を始めて既に1年半以上、経っていた。

 当初は剣術のみだったが、徐々に盾術、槍術なども加わってきた。

 ダトとソリオンが訓練を始めようとした時、少年が現れる。


「ダトのおっちゃん、ソリオン、今日も頼むぜ」

「カナン、最近早いね」

「当たり前だ、市場からお前の家まで毎日走ってきてんだ。早くもなるぜ」


 一年ほど前、ソリオンの家で武術訓練が行われていると知ったカナンが、自分にも教えくれと頼み込んで来たのだ。


 ダトも始めは渋々だったが、カナンの強くなりたいという想いに応え、段々面倒を見るようになった。

 カナンが走って来たばかりだというのに、木刀を握る。


「おい、ソリオンやるぞ」

「いいよ。まずは剣術からだね」


 ソリオンとカナンは剣、剣と盾、槍、槍と盾というように武器を変えながら、模擬戦を一巡させていく。


「槍に関してはソリオンの方が一歩上を行ってる。剣と盾はカナンの方が筋がいいな」


 ダトが評価が下す。

 そして、ダトが木刀を持つと、気配が変わる。

 魔力の大きさなどという単純なものではなく、心の在り方や経験に裏打ちされた本物の威圧だ。


「いつも通り二人同時でいい。かかってこい!」

「今日こそ、やってやるよ!」

「父さん、一本とらせてもらうよ」


 その後はそれぞれの得手に持ち替え、二人係りでダトに向かう。

 最初は善戦だった。

 カナンがすきを誘い、ソリオンがリーチを活かして攻める。後少しで一本取れるところまで追い詰めたが、連携の乱れを突かれ、崩れ始めると一方的な戦いになる。

 結果、ダトの完封だった。


「毎回言っているがカナンは剣も盾も力押しになりがちだ。もっと、緩急をつけろ。 それとソリオン、槍の遠心力に頼りすぎるな。もっと下半身を使え」 

「チェッ! 分かってんだよ!」

「うん」


 ダトは指摘を一通りした後、ソリオンとカナンの頭を両手で豪快に撫でる。


「だが、お前らの歳で、ここまでできる奴らはこの辺りには居ねえだろ!」

「痛えーよ、ダトのおっちゃん」


 カナンは悪態をつきながらも、少し嬉しそうだ。


 その後、型や素振りなど基礎練習に励む。

 昼過ぎになるとシェーバが、ダトとソリオンのお弁当を持ってきてくれる。

 それで解散となるのが、いつもの流れだ。

 ソリオンは弁当を受け取り、脇に抱える。


「ソリオン、今日も市場まで競争すんぞ」

「カナン、やろう」

「2人とも元気だな。行ってこい!」


 二人は走り出し、家がある丘を駆け降りていく。

 花の香りがする春先の少し寒い風が、汗ばむ体に心地よく感じる。


 畑の終わりが見えてきた所で、遠くに見えていた市場が近づいてくる。

 徐々にソリオンがリードし、カナンが遅れていく。


「うらぁあああ!!」


 カナンが遅れを取り返そうと、最後の力を振り絞りながら、必死に迫ってくる。市場はもう眼前だ。

 後少しで追い抜かれそうになる中、ソリオンが一足先に市場の中へ入る。


「ふう! 危なかった」


「ハァ、ハァ、ハァ。クソッ! 今日も負けたか」


「当然だよ。カナンは朝に走って家まで来て、稽古した帰りなんだから。僕は稽古だけしかしてないのに、負けたら立ち直れないよ」


「それでもだ! 俺はどんな時にも負けない強い男になりたいんだ!」


「わかったよ。それじゃ、明日もまたやろう」


「フン! じゃあな、ソリオン」


 そう言うと、カナンは市場の中へ消えていった。入れ替わるのように、ダトの幼馴染であるジャンが倉庫の中から姿を表す


「よう!ソリオン! 今日も走ってきたのか」

「こんにちは、ジャンさん」

「行儀いいな、まったく。ダトには勿体ない子だな」

「いえいえ、剣も槍も父さんには全然敵わないですから」

「ハハハッ! 昔からあいつは腕っぷしと男気だけが取り柄だからな!」


ジャンはなぜか嬉しそうだ。


「今日もシャワーを使ってけ」

「ありがとうございます。助かります」


 ジャンや顔馴染みになった倉庫で働く人へお礼を言いつつ、倉庫の横にある簡易シャワーを使い、汗を流す。


「よし、次はサニタさんのところだね」


 ソリオンは市場へ入り、慣れたように人を避けながら、役場を目指す。

 大きな建物の役場の中へ入ると、職員が声をかけてくる。


「ソリオンちゃん、こんにちは。毎日えらいわね」

「こんにちは。今日もお邪魔します」


 近くにいた職員たちも会話に混ざってくる、


「まだ学校に入ってないのに、国語や算術は一通りできるんでしょ。将来は偉い人になるんじゃない」


「うちの子にも見習ってほしいわ」


「どう?うちの子貰ってくれない? 私の若い頃にて、美人に育つわよ」


 ソリオンは適当に相槌あいづちを打ちながら、職員たちの会話から逃げるように、サニタの部屋へ退避する。


 ホッと一息を着くと、落ち着いた声がかかる。


「最近、人気者じゃない」

「サニタさん、こんにちは。あれは父さんの人気ですから」

「ダトは自衛団の団長だからね。その息子が頭も良いくて、顔もそこそことなれば有望株よね」


 ソリオンは肯定も否定もしにくいサニタの言葉を誤魔化ごまかすように頭をさする。

 市場に来るようになり知ったことだが、ダトは村の自治組織である自衛団の団長という立場にある。


 ダトはこの村にとって欠かせない存在であり、人望も厚いらしい。たまに出かけていくことがあるとは知っていたが、自衛団の集まりに顔を出していたようだ。


 慣れた手つきで素早く魔導時代の文字の翻訳書を取り、席に着く。

 隣には銀髪のクリ目の少女が座っている。


「こんにちは、ソリオン」 


「こんにちは、アンネ。今日は早いね。どうしたの?」


「うん、この後、古くなった風車の帆を貰い行くから早く来たの」


「ああ、確か果樹園近くの風車の帆が張り替えられてたね。そんなもの何に使うの?」


「キャンバスにするの。お母さん、絵のためにはあまりお小遣いくれないから…」 


「すごいね、風車の帆からキャンバスなんて作れるんだ」


「うん!帆は丈夫な布でできてるから、絵を描いても曲がったりしないんだよ」


「相変わらず、絵のことになるとすごいね。勉強の方はどうだい?」


「昨日、ソリオンが教えてくれた所、分かるようになってきた」


「よかった。このまま州立商業学校に受かるといいね。もしかしたら王立商業学校も夢じゃないかも」


「…うん」


 ソリオンがサニタの所に通う途中、何度かアンネと会っている内に、アンネも勉強へ参加し始めた。サニタも自分の教育成果が増えると快諾した。


 アンネは画家を目指している。だが、魔物が闊歩かっぽするこの時代に、絵描きだけで食べていくためには、容姿なり、教養なり、わかりやすい付加価値が欠かせないらしい。


 アンネは将来、美人になると思うが、本人は姉にも勝てないと思い込んでいる容姿に自信がないらしく、教養で差をつけようとしている。


「ソリオン。アンネに変なプレッシャーを与えないの」


 サニタが割り込んでくる。


「アンネ、ごめんね。そういう意味じゃないんだ」

「大丈夫、気にしてないよ」

「フフッ、ソリオンはもっとレディーの扱いに慣れるべきね」

「そっ、そうですね」


 ソリオンは相槌を打ちながら、また頭をさする。


 サニタはソリオンをからかうのを楽しんでいる節がある。


 ソリオンは気を取り直して。ノートと弁当を取り出す。

 貴重な専門書を汚さないように左手側へ離して置き、右手側で食べながらメモを取っていく。そして真ん中に魔物図鑑を据える。


(大分読めるようになったけど、完璧には読めないな)


 魔物図鑑の記述は、辞書を使うことで解読が進んでいるが、日本語のようにあえて主語や動詞を省力してあったり、そもそも辞書にも載っていない単語がある。

 また、単語を訳せたとしても、文脈に合わないものも多くある。


 古代文字の解読はインスピレーションが必要だと聞いたことがあったが、まさに連想ゲームのような感覚だった。


(だけど、かなり分かるようになった)


 一番大きな収穫が、イチやニーの<特技スキル>が確認できるようになったことだ。

 魔物図鑑には仲間である従魔の能力が、記載されているページがあったのだ。


■イチ

・種族 グリゴラ

・系統 悪獣

・特技 <棘針><毒爪>


■ニー

・種族 スキーリオ(変異個体)

・系統 邪鳥

・特技 <尾刃><旋風>


 変異個体というのは、稀に特殊な<特技スキル>を持って生まれる強力な個体を指す。やはり、ニーはG級の中でも特に強力な個体だったようだ。


 系統名はかなり物騒だ。魔導時代の文字にはそこまでネガティブな意味は込められていないのだが、現代の文字に翻訳すると大袈裟なる。魔物への畏怖や嫌悪感が表れた結果だろう。


 魔物の<特技スキル>は人と違うようで、姿形に反映されていることもあるようだ。もしかしたら、世界のどこかには、体に棘が生えてる人がいるかもしれないが、少なくとも村にはいない。


 ソリオンが魔物図鑑を捲りながら、翻訳作業に没頭していく。

 しばらくすると、アンネが帰り支度を始めた。


「アンネ、また明日」

「うん。ソリオンまた明日ね。サニタさん今日もありがとうございました」


 サニタは、言葉を発さず軽く手を振る。

 アンネは楽しみを前に気もそぞろといった風だ。


「風車の帆から作ったキャンバス、できたら見せて」

「わかった。できたら一番最初にソリオンへ教えるね」


 挨拶もそこそこに、足早に部屋から出ていた。


 ソリオンは王国の歴史や地理、算術、国語などの普通の勉強へ切り替える。

 この世界での見識を広げることが魔物図鑑完成に役に立つと思うからこそ、身の入り方は違ってくる。


 勉強を進めながら、同時に違和感も感じる。


(なんで近世の情報ばかりなんだろう?)


 日本での教育を受けたソリオンからすれば、200年間程度の歴史がほとんであることが不思議だった。


(もっと昔の情報、魔導時代の情報も欲しいんだけどな)


 ある程度、情報の偏りがあることを疑問をもつが、子供向けの教養として十分と判断されているのかもしれない。

 その後、集中して勉強を黙々とこなしてく。

 お昼時が終わり、昼下がりに差し掛かろうかという時、急にドアが開けられる。



「サニタさん! 魔物の群れが村の近くに現れました!すぐにこちらにきてください」



 サニタの顔に緊張が走る。


「自衛団と騎兵団への連絡は?」

「自衛団には連絡済みです。騎兵団の本隊は隣町を巡回中のため、緊急回線で連絡中です」

「そう、わかったわ。リーバイを呼んできてちょうだい」


 サニタは部屋を出ていきながら、ソリオンへ帰るように促す。


「何が起こってるんですか?」

「分からないわ。後から緊急速報を流すかもしれないから、今はとりあえず帰りなさい」

「はい」


 一人残されたソリオンが片付けの後、部屋を出ると、役所全体が喧騒に包まれている。


「おい!住民の安否確認を急げ!」

「騎兵団から反応がない! 誰か、緊急回線以外のルートで試してくれ!」


 いつもは住民たちの溜まり場になっている田舎役場がただならぬ様子だ。

 役所の玄関を出た時、耳に掛けたイヤーカフス状の魔道具から緊急アナウンスが直接、脳に伝わってくる。


『魔物が村の近くに表れました。村民の皆さんは、慌てず、自宅で待機してください』


(緊急放送だ。あんまり使われたこともないのに)


 ソリオンが持っている魔導具は半年ほど前に買ってもらったものだ。

 大人は皆持ってるものだが、サニタのところへ通い始めたため、シェーバが心配だと買い与えたのだ。

 店仕舞いに追われている商人たちで、市場が慌ただしくなっている様子が見える。


 役所の前の駐車場では、自衛団が準備に追われている。


「ソリオン! さっきの聞いたか!?」

「やあ、カナン。魔物が出てきたらしいね」


 カナンは居ても立っても居られなく、役場まで走ってきたようだ。


「お前、こんな時も落ち着いてんな。魔物が攻めてきたんだぞ?」


「そうだけど、僕達が焦っても仕方ないよ」


「何言ってんだ。村に入ってきた魔物たちを倒してやるんだよ」


「木刀でかい? 父さんからもまだ実践はダメだと言われてるだろ」


 カナンには日頃の訓練の成果を試せるのではないか、という期待が見て取れる。


(魔獣石を後で少し貰えないかな)


 ソリオンの目的は戦いで身を立てることではない。

 あくまで魔物図鑑を埋めることが目的であり、そのために必要なものは魔獣石だ。

 どうにか討伐した魔物の魔獣石をもらえる方法がないか考える。


 準備に追われていた自衛団の一人が声を上げる。


「ダトが到着したぞ!」


 慌ただしかった倉庫に、歓声が上がる。


 ダトが多脚車から降りて、団員たちに指示を出す。

 団員たちがテキパキと準備を進めていく。

 一通り指示を出し終えたところで、ダトが2人に気が付く。


「おう。2人ともまだ居たのか」

「父さん、何があったの?」

「ああ、西の森から魔物の群れが表れたらしい」

「西の森? 普段は魔物がいない森から?」

「正直よくわからんが、魔物のことだ。何が起きてもおかしくない。2人とも早く家に帰れ」

「わかったよ」


 横で聞いていたカナンが真剣な表情になる。


「ダトのおっちゃん、俺も討伐に入れてくれよ!」

「ダメだ。上手くはなっちゃいるが、まだまだ体ができてない。もし万が一のことがあれば、ポーラにも申し訳が立たない」

「俺はもう戦えるぞ!」

「そんな事は俺から一本でも取ってから言え」

「…クソッ」


 ダトの有無を言わさない雰囲気にカナンが折れる。

 団員の一人がダトのところへ駆け寄ってくる。


「ダト! 魔物が村の中心に向かってるようだ! 一部は果樹園の方へ向かったらしい」


「果樹園か。閑散期であまり人はいないだろうが、誰か取り残されてないか?」


「果樹園には今日誰も行ってないらしい」


「不幸中の幸いだな。中心ここへ向かっている魔物の対処に専念だな。みんなで盛大に迎えてやろう!」


「「おおー!」」


 ダトを先頭に団員たちが、武器を装備に隊列を組んで西側へ向っていく。

 それをカナンが悔しそうに見送る。


「ソリオン、もう帰るのか」

「そうだね。僕の家は魔物が出た方向と反対だから走って帰るよ」


 ソリオンは帰ろうとした時に、違和感を覚える。


(何か引っかかる…)


「どうした? 帰るのが怖いのか?」

「さっき、果樹園に魔物が向かったって言ってたよね。何か気になるんだ」

「何でだ? 今の時期、誰もいないだろ、あんなところ。風車も止まってるし」

「風車! そうだ、風車だ! アンネが向かったんだ!」

「マジかよ…。 何であんなところに」 

「とにかく父さんに伝えないと!」


(アンネはまだ6歳だ! 『あの子』が死んだときと同じ年齢で死んでいいはずながない!)


 ソリオン達は全力で走り、自衛団を追いかける

 自衛団の背中を捕らえたところで、鎧をまとった集団がソリオンの前に現れる。


「ありゃ、騎兵団だぜ!」


 カナンが憧れの眼差しで声を上げる。

 その中に、見覚えのある人たちが見える。


「ん?セルジ隊長、あの子供、前に北の森であった子じゃないですか」


 北の森で会った若い女性がこちらを指差す。

 団の先頭に立つ大剣を背負った男が反応する。


「…確かにそうだな」


 大剣を背負った男がソリオンの前に歩み寄る。


「ボウズ、もう教会のお使いとやらはいいのか?」


「あの時はお騒がせしました。でも、今は急いでまして、また後にしてもらえますか?」


「お前はいつも避けるのだな。前回会った時は森の異変、そして、今回は村の異変の時に現れると。偶然か?」


「本当に急いでるんです。友達が魔物に襲われるかもしれないんです!」


 ソリオンは苛立ちを覚える。


「安心しろ。この村は騎兵団が守ってみせる」

「そう言うことじゃないんです! 果樹園近くの風車に、アンネが取り残されてるかもしれないんだ!」


 ソリオンは言葉使いも忘れて叫ぶ。


「そんな! 果樹園には誰もいないって連絡が来てましたよ」


 若い女性が信じられないという声を上げる。


「ボウズ、今の話本当か?また、煙に巻こうとしてんじゃないだろうな?」


 相手を刺し殺す意志でもあるのではないかと思えるほど、鋭い視線をソリオンへ向ける。


「本当だよ! だから今、急いでるんだ!」

「そうか。リョップ、ミオ、風車へ行け。時間がない」

「えっ」


 ソリオンは驚く。

 大きな弓を背負った男が後ろから声を上げる。


「セルジさん、信じるんですか?本隊もまだ来てない状態で人が足りてないんですよ」

「嘘なら嘘で構わない。本当なら一刻を争う」

「…わかりました」

「はい」


 大きな弓を背負った男がソリオンを睨む。


「嘘だったら許さないからな」

「嘘じゃありませんよ。風車に行くと言って出かけていきましたから」

「まあまあ、もしかしたら既に避難してるかもしれないじゃない」


 若い騎兵団の女性がなだめる。


「風車の詳しい場所がわからない。案内できるか?」


 弓を背負った男がソリオンへ聞く。


「はい。わかります。ついてきください」

「俺も行くぜ!」


 ソリオンとカナンが全力で走り出す。

 無言で、弓を背負った男が付いていく。


「ちょっと、待ってよ。セルジ隊長行ってきます!」


 若い女性が隊へお辞儀をしてから、ソリオンを追いかける。


(アンネ、無事でいてくれ!)

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