第9話:エマのやる気スイッチ
「エマ、今日もいいか?」
「え? いいけど……」
学校の昼休み、教室でエマに声をかけたら意外な顔をされた。
例によって、机についているエマに近づいて話したら、周囲にいた女子たちはフェードアウトしてしまった。
エマとは話しやすいのだけれど、それはそれで少し悲しいかもしれない。
「都合悪かったかな?」
「んーん、そうじゃないけど、なんか意外」
「そうかな?」
「イケメンはすぐに飽きちゃうって言うか、次のことを見つけると思って……」
そうなのか?
「また、放課後、自転車置き場のところで大丈夫かな?」
「う、うん……」
いまいち反応があまり良くなかったような気もするけど、とりあえずエマを捕まえた。
***
とりあえず、エマを乗せて家まで連れて来た。
半分攫ってきたような感じになってしまったけど。
また家の庭のバスケットゴール付近、エマはきょとんとしている。
その表情の理由を俺は図りかねていた。
「まずは、昨日の成果から」
「え? 成果?」
「うん、練習したから、練習の成果」
(ダムダムダムダムダムダムダム)
止まった状態でのドリブルを見せたら、エマがポカーンと口を開けて見ていた。
人って呆れると本当に口が開くんだなぁ。
女の子だから、あんまり口をポカーンと開けない方がいいと思うけど。
「一応、左右どちらも500回は連続できるようになった」
「……」
「エマ?」
「え? あ! ごめっ、ごめん。手を見せてもらえるかな?」
言われるがまま手を見せた。
普段、全く運動しないから固いバスケットボールでドリブルしているだけで手の皮がむけてしまっていた。
あまりきれいじゃないから見られるの恥ずかしいんだけど……
「……ごめん。ヒロ。バスケだよね。上手になりたいって」
「? うん、そう」
急にエマの顔色が変わった。
表情が変わったというか。
今までのフワフワした感じはひそめ、真剣な眼差しが表に現れた。
なにか、彼女の中のやる気スイッチがONになったのを感じた。
「バスケの基本は、ドリブル、パス、シュートの3つだと思っていいわ」
なるほど。
たしかに、それらがどんなもんか位は なんとなく分かる。
「学校での遊びの場合、1ON1とか3ON3とかが多いから、1ON1の場合、パスが無いからドリブルとシュートを優先していくわね」
1ON1は確か、1対1の試合で、3ON3は3対3か。
たしかに、味方が自分だけの場合は、パスしないな。
ドリブルはできないとゴール近くに行けないし、ゴールできないとどれだけドリブルができても点が取れない。
そういう意味では、勝つのが目的じゃないから、ドリブルが優先で合っている気がした。
「今のドリブルができたから、ドライブできるように練習して……」
俺が元気よく手を上げたので、エマの説明が止まった。
「なに?」
「ドライブってなんですかっ?」
「え?」
「ドライブってなんですかっ?」
「ヒロ、やっぱり異世界から来たのかな?」
これまでバスケに接したことが無いんだもん。
専門用語とかも一切入ってきていない。
「ドライブ」が何なのかも分からない。
「ドライブは……ドリブルしながら敵陣に進むことよ」
「ああ、それがドライブ!理解した」
「今日はドライブの練習をして、あとはもう一つのドリブル、フロントチェンジもやってみるわね」
ドリブルに色々種類があるのだろうか。
完全に初めて聞いた。
それこそ、エマは俺と同じ世界線を生きてきたのだろうか⁉
俺の人生で、フロントチェンジは一度も出て来てないと思う。
「じゃあ、ドリブルしながらゴール下までドライブしてみて」
庭にハーフコートまではないけれど、それよりは少し狭いスペースがある。
恐らくカツカツ10メートルはある。
走れば数秒の距離。
ただ、ドリブルしながらだと遅くなる。
そんなの誰でも同じはず。
「よし」
ダッっと走り出し、ドリブルをこまめに打つ。
ゴール下まで5秒くらいで着いただろうか。
「ヒロ!遅い!」
女子に遅いと言われると何故か凹む。
理由は分からないけれど、とにかく精神的ダメージが大きい。
「見てて」と言ったエマがドリブルでスタートする。
ゴール下まで一瞬だった。
「何が違った?」
「ドリブルの回数」
「そう!ドライブの時は、ドリブルの回数をできるだけ減らすの。ボールが跳ね戻る位置は、その時に自分がどこまで走っているかをイメージして打つの」
いきなり難しくなってきた。
重力が……慣性の法則が……相対性理論が……
「変なこと考えないで とにかく動く!」
エマに俺の考えは見透かされていた様で、無駄に考えるより、走ることにした。
***
おかしい。
何度やっても、エマの方が速い。
単純に走ったら、150センチちょっとの彼女より、俺の方が頭一個分背は高いし、手足は長い。
マラソンだって俺の方がこれまで長い距離走ってきたはず。
なのに一度も彼女に勝てない。
パイロットがシャアなのか⁉
ボディが赤いのか⁉
3倍速いのか⁉
バシッと尻を蹴られた。
「いま、すごく変なこと考えてたでしょ!」
……すごく変なことを考えていました。
「説明難しいから、動画見て」
またエマが走り始める動画を見せられた。
上下に分割して下には俺が走っている動画も並ぶ。
こんな動画が簡単に見れるなんていい時代になった。
これなら、DVD版とブルーレイ版の違いをリアルタイムで比較しながら……
「!」
「分かった?」
「分かった……かも。エマの方がカッコイイ」
「うん、女子には『かわいい』って言おうか」
「足……スネの角度が違う!エマはスタートの時 既に膝が爪先より前に出てて、かなり重心が低い。それに対して、俺は、足首の真上に膝がある。マラソンのスタートの時の足だ」
簡単に言えばスタート時の足首の角度が違う。
「そう! バスケは基本的に重心を低く、シュートの時とか、ブロックの時には逆に元々の身体以上に伸ばす。そんな感じ。だから、スタートの時の姿勢ができてないとスタートで出遅れて、後はずっと追いつけない」
なるほど。
スタートから負けていたとは。
俺のスタートは、マラソンのスタートの足。
エマのスタートは、短距離走の足。
マラソンの走り方で短距離の走り方に追いつくわけがない。
「でもよく気づいたね。バスケしたこともなかったのに」
アニメのDVD版とブルーレイ版の違いは時として間違い探しの要素もある。
影の薄さが違ったり、服のしわが違ったり、わずかな違いも見逃さないオタクの目……オタク・アイがこれを発見させたのだ!
「ヒロ笑ってる。カッコいいけど、ちょいちょい変わってるね」
お恥ずかしい……
「もう一度タイム計ってくれ」
「オーケー!」
***
この日は、とにかくドライブの練習。
ドリブルで前に走れないと、気軽にみんなとバスケできないのだ。
既に、ドリブルは身体の横でする癖がついていたので、自分でボールを蹴り飛ばすような失態はなかった。
また暗くなってきたので、エマを家までチャリで送って、俺は戻ってきた。
ドライブの練習だ。
真っすぐスタートして、ダッシュする場合もあるだろう。
パスを受け取ったタイミングで真横に動き始めることもあるだろう。
真正面の場合、体勢を落とすだけで足はダッシュの形になるのだけれど、横に動く場合は、足首を捻ってその方向に捻じ曲げないと中々ダッシュの形にならない。
これは何度もやって体で覚えるしかない。
(ザザッ!ザッ!ダッダッダッ)
2時間ほど練習を続けていた時だ。
「兄さん!うるさいです!」
ガラッと開けた窓から なごみが叫んだ。
「あ、すまん」
汗だくの俺はとりあえず止まって、なごみの部屋の窓の近くに行く。
「また何も食べないで運動してたんでしょう!倒れてしまいますよ!もう、脂肪はあんまりないんですから」
たしかに、中学時代の有り余る脂肪(貯油?)は、かなり使い果たしてしまった。
炭水化物を摂取していないと身体の中の糖分が少なくなり、脂肪が分解されエネルギーとして使われるようになる。
ただ、脂肪の方がエネルギー効率が悪いとされていて、ご飯を食べずにハードな運動をしていると低血糖になり、動けなくなってしまう。
所謂ハンガーノック現象だ。
「今日はもう、遅いんですからご飯を食べて寝てください」
「あ、ごめん。でも、これから作るのは面倒だし、カップ麺で……」
「ごはんは作って冷蔵庫に入れておきました」
「え、ホント?ありがとう」
本当によくできた妹だ。
こいつを嫁にもらうヤツが羨ましい。
「毎日汗だくでちゃんと洗濯してるんですか?」
「あ……」
今日からは、スポーツウェアに着替えて動き始めたけど、このところバスケット以外何もしていない。
「溜まっていたのだけは洗濯しておきましたから、明日こっちに取りに来てください」
「え、そこまで!? お前は本当によくできたヤツだな。絶対良い嫁になる!」
「よっ、嫁っ!ななななに言っちゃってるんですか!勉強の邪魔だから早くお風呂に入って寝てください!」
なごみはプイっと向こうを向くと、ガラッ窓を閉めてしまった。
連日うるさかったかな。
バスケットをある程度マスターしたら、なごみになにか埋め合わせをしないと。
家に帰ると、冷蔵庫に生姜焼きが入っていた。
ご飯とみそ汁……具だくさんで豚汁だ。
そう言えば、豚肉に多く含まれるビタミンB1には疲労回復効果があるのだとか。
千切りキャベツの他に、たまねぎスライスを炒めたものもあった。
たまねぎに含まれる硫化アリルは、糖質をエネルギーに変え、疲労回復を助ける効果があるとか……まさか、そこまで考えたメニューじゃないよな。
考えすぎ、考えすぎ。
料理をしてもらって、洗濯をしてもらって、ここまでしてもらったら、既に一人暮らしをしている意味が分からない。
今後は、自分でするように心がけなければ。
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