第2話:女教師の呼び出し

『2年1組篝宏かがりひろ、2年1組篝宏、職員室まで来なさい』



 篝宏かがりひろこれが俺の名前。

 SHRショートホームルームの真っただ中、なぜか女性の声で放送で呼びだされた。

 呼びだしたのは声からして、国語担当の九重ここのえ先生だろう。



「お前、今度は何やったんだ?いいから行ってこい」



 SHRの最中、担任の田畑先生、通称バタやんが言った。

 俺は教室を出て、呼びだした九重先生のところ・・・・・・・・に向かうことにした。



「おかしいなぁ。思い当たることしかない」



 教室を出る時は、頭をかきながらそんな軽口を言ってクラスを笑わせた。

 これもリア充の嗜みだ。


 俺たちの教室は2階、階段に差し掛かり、職員室は1階なので、職員室に向かうならば、ここから階段を下りる必要がある。

 それは知っているけれど、俺は階段を上に登り始めた。


 3階より上の階段は、屋上の続く階段。

 その先には屋上へのドアと踊り場しかない。

 踊り場には、使わない机が置かれていて独特のにおいがする。

 あの臭いは、ホコリなのか、カビなのか。

 屋上へのドアは、通常カギがかかっていて生徒は屋上に出ることはできない。


 俺はドアの取っ手をひねってみる。

 ドアを押すとギイッと重たい鉄の扉が開く音がして、比較的すんなり開いた。


 屋上では腰の高さまでの柵が四方に設置されているが、フェンスなどはなく、事故防止のためにも通常の生徒が入ってこれるようになってはいない。


 屋上に人を出したくない一番の理由は、屋上に貼られた防水シートが破けるからだと聞いたことがある。

 不特定多数が踏み歩くことで防水シートが劣化しやすくなる。

 シートに穴が開くと雨漏りするようになってしまうらしい。


 ただ、転落事故と比較すると こちらの方が重大なので、理由の一番に持ってくることはできないのだけれど。

 頻度の問題というか、大人の事情というか。


 そんな中、手摺にお尻を預けてタバコを吸う女教師がいる。

 九重ここのえまひろ先生。

 国語担当なのになぜかいつも白衣を着ている。


 公にしていないけれど、俺の義理の姉だ。

 ちなみに、朝 弁当を渡してくれた なごみの姉でもある。



「いつから ここが職員室になったんですか?まひろちゃん」


「教師をちゃん付けで呼ぶんじゃない。第一、きみはちゃんと来たんだから いいじゃないか」



 3メートルほど離れたところで会話をしていたので、彼女の吐き出す煙は俺のところまで届いていないように見える。

 ただ、ニオイはしっかり届いていた。

 俺はタバコの煙のニオイがあまり好きではないので、少し顔をしかめた。



「もう、1年ちょいになるのか?」


「そうですね」



 ふいに まひろちゃんが言った。

 俺がこの高校に入学してからの期間の事だろうか。

 それとも、「彼女の特訓」を受け始めての事だろうか。



「バケたな」



 まひろちゃんの口元が少しだけ緩んだ。



「まひろちゃんの理想にはなれましたか?」


「ったく。軽口叩くようになりやがって。見た目はよくなっても、所詮は がきんちょだったよ」



 ふーと、タバコを深く肺まで吸って煙を吐き出した。

 どうやら、おれは まひろちゃんのお眼鏡には適わなかったらしい。



「最近、あれがよく晩飯作りに行ってるんだろ?」



 ここでいう「あれ」とは妹のなごみのこと。

 年頃の姉妹と一緒に住むのはアレなので、俺は高校入学のタイミングで一人暮らしを始めた。


 一人暮らしと言っても、うちが持っている裏のワンルーム用のアパートの一室を使わせてもらっているのだが。

 本宅から歩いて1分。

 近いけれど、食事はもちろん、生活は別にしている。


 なごみは、俺の事を心配して ちょくちょく夕飯を作りに来てくれているのだ。

 彼女は料理が上手で、元々家でもよく作っていた。

 手際の良さなどは、下手な主婦よりいいと思う。


 俺とこの義理の姉妹とが一緒に暮らし始めた経緯は、親同士の再婚によるものだけど、年ごろの俺に年頃の姉と同い年の妹が急にできるとか、現実では中々受け入れにくい。


 結局、俺が受け止めきれずに家を出る形になってしまった。

 そう言った意味では、むしろ今の状態の方がうまく行っているのかもしれない。

 少年マンガのラブコメの様には上手くいかなかったのだ。


 そして、なにをどう間違えたのか、俺は義理の姉が教師としている学校に入学してしまい、同級生に義理の妹がいるという異常な状態を作り上げてしまった。


 まひろちゃんの「1年ちょい」という言葉で、俺は高校入学前、中学卒業1週間前のことを思い出していた。



 ■■■ ヒロ中学3年



 当時の「俺」の一人称は、「僕」だった。

 身長は162センチで体重は80kg。

 ボサボサ頭でメガネをかけていて、趣味はアニメを見ることとラノベやマンガを読むこと。


 服はチェックのシャツにツータックのダボダボのチノパン。カバンはディーパックリュックサック

 典型的なオタクだった。


 学校以外のほとんどの時間をラノベとマンガとアニメに費やしていた。

 毎日毎日なぜ学校に行くのか疑問だったし、学校に面白みは まったく見つけられないでいた。


 そんな中、同じクラスの女子に話しかけられた。

 たったそれだけで好きになった。

 二次元至上と言っていながら、三次元の女子を好きになるなんて。

 自分でも自分が信じられなかったくらいだ。


 彼女はクラスで誰とも交流していなかった。

 ボッチというより孤高。

 誰も周りに寄せ付けないし、誰とも話さない。


 そんな中、ちょっとしたきっかけで、俺とは話してくれたのだ。

 これは運命だと思った。


 そして、俺のラノベ脳は卒業1週間前に抑えが利かなくなる。

 卒業式を前に放課後、彼女と教室の中で2人きりになる瞬間があった。


 これは神がくれたチャンスだと思った。

 衝動的に告白して、見事に玉砕した。

 恋愛マンガやラブコメ小説の様には中々上手くいかない。


 俺は……、当時の僕はそれがトラウマになり引きこもり始めた。

 当然、学校も休んだ。

 卒業式も出なかった。

 ぶくぶく太って芋虫になった。


 高校の事など考えになく、とにかく自分の好きな世界にのめり込んでいた。



 そんなある日、大失恋した まひろちゃんが酔っぱらって俺の部屋のドアを蹴破って入ってきた。

 彼女は五股された挙句、自分が浮気相手の方だったらしい。

 やけ酒を飲んで、酔った勢いで突入してきた。



「ヒロ!お前 引きこもりとか調子こいてんな!」



 ドアを蹴破って入ってきた まひろちゃんは、それはもう べろんべろんだった。

 そして、俺の胸倉を掴んで言った。



「世の中の男がみんなクズなら、お前が王子様になれ!」



 全く意味が分からなかった。

 要するに、振られた腹いせに自分の理想の男を作り上げようと思ったらしい。

 存在しないならば、育てればいい。


 そんな めちゃくちゃな考えだ。



「そして、私の中の乙女を満足させろ!させてくれ!……させてくれぇ……」



 そんなことを まひろさんがうわ言の様につぶやくと、この日はそのまま寝落ちした。


 20年前のマンガみたいな考えだったけど、翌日から冗談抜きで首にロープをかけられて原チャリで引きずり回された。

 死にたくなかったら走るしかない。


 今の時代には全くそぐわない根性もの。

 スパルタもの。


 食事は、豆腐とチキンと野菜。炭水化物一切なし。

 ラノベなし、マンガなし、アニメなし。

 走って、筋トレして、寝ている時以外は運動。


 家に帰ると疲れて眠り、起きたらまたトレーニング。

 冗談抜きで地獄の1カ月を過ごしたころ、体重は10Kg減の70kg。

 筋肉がめちゃくちゃついたから、実質もっと減っていると思うけど、目方で言えばそれだけ。


 一方で、大きく変わったのは見た目だった。

 ぼさぼさの髪の毛は切り、身長はその後伸び続けて、現在では175センチ。

 猫背は強制的に矯正された。

 痩せたら顔は締まった感じになって、見た目だけはイケメンになった。

 


 ここから俺は2つのことを学んだ。

 酔った まひろちゃんは、メチャクチャ乙女になり、可愛い。

 そして、もう一つは、酔っていない まひろちゃんは、鬼の様……ではなく、鬼そのもの。


 そして、その鬼が作り上げたものは、中身のない見た目だけのイケメン男。

 ハリボテのイケメンだった。

 オズの魔法使いだったら、ブリキの木こりといったところか。

 一枚めくれば がらんどうで中身は何も無いのだから。



「バケた!素材が良かったのか、特訓が良かったのか」


「お姉ちゃん、兄さんの頑張りが大きいから、そんな風に言ったら可哀そうだよ」



 この姉妹には概ね好評らしい。そう、見た目だけは。


 文字通り命をかけた特訓の末、その状態で高校入学式を迎えることになる。

 それは同時に、ゴリゴリのオタクだった俺が、学校で噂されるような超絶リア充になるスタート地点だった。

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