JEWELY BULLET -少女最前線-
香草蛋白
2004.13 帝国領東部、侵攻部隊最前線 ①
冬が最も深まる13月の上旬。
昼でも肌を刺すような寒さの中、風(と銃弾と砲弾)を避ける為に塹壕の通路に身をひそめていると、土に体温を奪われてお尻がすっかり冷たくなってしまった。
寒いのは苦手だ……が、冬は嫌いじゃない。
冬は静かだし、冬は空気が美味しい。
故郷の森、雪に閉ざされた冬山に思いを馳せる。黒い木々と、それらを覆い隠す圧倒的な雪の白のコントラスト。
雪は周囲の音はおろか私の呼吸音すら吸い込み、生けるもの全ての痕跡を消す。そこには静寂がある。自然が生み出した、真の静寂が。
遠くで砲撃が地面を抉る音が響いた。その後、味方の悲鳴や怒号が上がる。
………静寂とは程遠い環境にため息を吐く。
残念なことに、今いる戦場は静寂とは無縁のようだ。
ああ、でもこの空気は悪くない。好きな空気だ。
意識して深く呼吸をしたら、乾いた土と風の焼ける匂い、それと慣れ親しんだ煙草の甘い香りがした。
香りのする方へ首を回すと……案の定、分隊長が一服やっていた。
目を瞑り、有害成分を肺の底から味わっているようだ。
わたしはすかさず抗議する。
「ちょっとリーザ、敵に位置がばれるよ」
目を開けた彼女はこちらを見ず、唇から煙草を離してゆっくりと紫煙を吐き出す。
煙は塹壕の中をわずかばかり漂った後、空へと流れて散っていった。
「んー? 大丈夫でしょ。煙なんてそこらじゅうで上がってるもん」
それもそうだなと思い、直ぐに口を閉じる。
代わりに分隊長へ手の平を向ける。
「………なに?」
「わたしいま切らしてるんだよね」
煙草の要求だと気づいた彼女は呆れたように笑いながら、しわしわになった紙箱を差し出してきた。
私はそこから(謙虚にも)一本だけ抜き取り、手袋を脱いで素早く火を点ける。
肺を煙で満たす刺激と充足感、そして背徳感が、わたしの心を満たしてくれる。
一日ぶりの煙草は率直に言って、染みた。
お陰で感覚はぼんやりとしてくるのに、何故だか思考はクリアになった気がする。
このクソみたいな現状の中でも感情に余裕が生まれてくる。
しばらく二人でケムリを満喫し、何も言葉を交わさず至福の時間を共有していた。
その間にも周囲では爆発や発砲、怒号・悲鳴・罵声が飛び交う。
「エミリーたちは大丈夫かなー?」
思い出したように分隊長が口を開いた。
今の今まで忘れていたかのような唐突さだ。
「あの二人なら平気でしょ。というか、二人を偵察に出したのあなたよ?」
「ははっそれはそうなんだけどさー」
気まずそうに頭を掻く分隊長に不信感を覚える。
さてはこいつ、エミリーに煙草を吸うところを見咎められたくなくてあの二人を行かせたな?
わたしの推察は当たっていたようで、訝しむような視線に気付いた彼女は咳払いをひとつ、人懐こい笑みを振舞って見せた。
「ま、まーあ? エミリーは索敵と危険察知能力がずば抜けて高いし、クロエはあの体だから? 大丈夫だとは思うんだけど、やっぱり心配じゃん?」
合理的な人選だったと主張するリーザ。
彼女の言っていることは正しいと思うし、私が彼女の立場だったら同じ判断を下すだろう、と理解はしていても、煙草が吸いたいからって仲間を索敵に向かわせるというのは、どうだろうか。
彼女とは2年以上の付き合いだが、分隊長としての資質を疑いたくなる。
しかし煙草一本を恵んでもらった手前、声高に叱責することも出来ず、仕方なくここはリーダーの顔を立てることにした。
「あとでもう一本くれたら、私の唇はサイベリアンより重くなるわよ?」
「さっすがサーシャは話が分かるなー!」
声を上げて笑うリーザに吊られてこっちまで笑顔になってしまう。
視線を戻すと、目の前にはブリキで補強された土壁。
隣には指示を決める分隊長であり、背中を預ける仲間であり、気心の知れた友人。
まだ終わりそうもない戦闘音のアンサンブル。
いいシチュエーションだと思った。煙草を吸うには、とてもいいシチュエーションだ。
「いつまでつづくかな」
不意にそんな言葉が漏れた。
自分で言っておいてなんだが、それはリーザに対して言ったのか、それとも自問の類なのかは分からない。
「今の戦闘?それともこの戦争?」
興味なさげな声色でリーザが反応する。
「戦争のほう」
「じゃあ、そーねー」
彼女は長く煙を吐き。煙草を咥え直すと、しばらく沈黙した。
真剣に訊いたわけじゃないのに律儀にも考えてくれるのが嬉しくて、わたしはその沈黙を邪魔しなかった。
「年越しまでには終わるでしょ」
やがて返ってきた答えは意外なものだった。
わたしはすぐに彼女なりのジョークだと察し、乗っかることにする。
「だといいわね」
だってそうだろう、先月の終わりに始まった戦争が今月には終わると言うのだ。ジョーク以外のなにものでもない。
少なくともその時のわたしはそう思っていた。彼女の発言がジョークだと、なんの疑いもなく判断していた。
しかし数日後、彼女のこの時の発言が真剣なものだったと、身をもって思い知らされることになる。
そんなこととは露知らず、今のわたしはケムリを楽しむ。灰色の地面と灰色の空に挟まれ、灰色の戦闘服を身に纏って、すっかりブルーな気持ちでささやかな楽しみに興じる。
太陽暦2004年、13月───わたし達は戦場に居た。
鉄より石が、戦略より戦術が優先される戦場に。
死神は逃げ出し、魔女が支配する戦場に。
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