街へ

申し訳程度の戸締りをして、家を出る。こんな森の奥まで、わざわざやってくる泥棒もいないだろう。カシャも僕も伊達眼鏡をかけて帽子をかぶり、お互いに変装が完璧過ぎて笑った。幸いにも快晴で、水溜りやぬかるみもない。靴は一足しか持っていないのだ。せっかく街へ出るのだから新しいものを買ってもいいのだけど、生憎僕らには金がない。物々交換が通用するかは未知数だが、取っておいた干しぶどうを袋に詰めて持って行く事にする。


 鬱蒼と木々が茂り、蔦が絡む道なき道を少し行くと、すっかり朽ちてボロボロになった壁が姿を現した。彼女の言っていた通り、大きめの穴もいくつか開いている。僕は屈めば通れそうだが、カシャは背中がつかえそうだ。


「カシャ、通れそう?」


「んー、ダメだったら壊せばいいじゃん。」


「そうだね。」


 もともと壊れかけの壁だ。手入れも怠っていたのだろう。わざわざ森の近くまで来て壁を直すなんて、よほどの物好きでもなければしない。まだ恐れられているのか、それとももう忘れられているのか。おそらく後者だ。何しろもう十年も経ったのだから。袋を先に穴の外へ置いて、僕は難なくくぐり抜ける。カシャは案の定支えてしまったようで、身動きが取れないようだ。仕方がないから壁を蹴って壊してやる。


「いッ……!」


 爪先に鈍い痛みが走る。爪がいくつか割れたかもしれない。靴ごと手で押さえたまま、片足で跳ねる。この動作に何の意味もないのは重々承知しているが、せずにはいられない。壁の穴はもう通れるくらい広くなっているというのに、まだ地べたに寝そべって肘をついているカシャが興味深そうに見ている。見るな、見なくていい。早く穴から出ろ。

「かお、おれが頭ぶつけた時とおんなじだ!」

「はぁ?」

 頭ぶつけて跳ねるのか? それ意味ある? 足ぶつけて跳ねても意味ないんだけど。

「おれもぶつけた時跳ねるー。」

「いや意味ないでしょそれ。」

「そうかな? ちょっと痛いの飛んでくけどなぁ。」

「……あっそ。」

 カシャはちょっと頭が弱いと思う。それは僕のせいなんだけど。思い出して滴りそうになる唾液を袖口で拭って、一向に立ち上がる気配のない彼に手を差し伸べる。嬉しそうに手を取る彼にため息が出そうになった。まだまだ森を出たばかりだというのに、この調子では街に着く前に日が暮れる。

「……まぁ、夕日は高いとこから見るのが一番だけど。」

「なんか言った?」

「何も。」

 持ったままだった足を下して歩き出そうとすると、後ろから袖口を掴まれる。さっき涎を拭いたせいでしっとりしているそれが手首にまとわりついて気持ち悪い。

「手つながねーの?」

「……まだいいでしょ。」

 まったくひとの話を聞かない彼は手についた土も気にせず僕の手を取る。気にしろ。先程とはまた違うしっとりにつつまれて複雑な気分だが、それでも手を振りほどけない自分に笑える。カシャがひとの話を聞かないのは昔からだ。

「怒らねーの?」

「カシャに何言ったところで無駄だからね。」

「暖簾に釘?」

「混ざってる。暖簾に腕押し、糠に釘。」

「ほー。」

「カシャは昔からこういうの苦手だよね。」

「そうだっけ?」

「そうなんだよ。」

 彼は憶えていない。僕と出会う前のこと、家族のこと、自分のこと。もちろん僕も知らない。当時彼から伝え聞いたこと以外は。それは『カシャ』という名前と、彼の頭がとてもよかったこと。それだけだ。

「今のカシャの育て親は僕だから。」

 同い年だけど。

「かおスゲー!」

 違う、そうじゃない。



◇◆◇◆◇◆◇◆

 歩いていると徐々に道らしくなってきた。下草が伸び放題だった森とは違って、ところどころ地面が露出している。やわらかい土から砂利の固い感触に変わる。このあたりまでなら来るひともいるようだ。遠目に建物が点々と見える。街も近いみたいだ。

「かお見て! 何だあれ、家が丸い!」

「丸いの?」

 丸い家とは聞いたことがない。十年のうちに街もかなり変わったようだ。目を凝らしてもよくわからない。視力はカシャのほうがいいらしい。眼鏡をかけ直したところで伊達である。

「かお、見えねーの?」

「うん。」

「オレは手届きそうなくらい近くに見えるけどなー。」

 そう言って手を伸ばすけれども当然届かない。

「あれ?」

 不思議そうに手のひらを見つめてからもう一度手を伸ばす。やはり届かない。森にいる時は『遠くの景色』という概念がなかったから気づかなかったのだろう。右眼のない彼は距離感がうまく掴めない。

「なー、かお。変だな?」

 言ったところで何も変わらない。理解も難しいだろう。自分が彼から奪ったものを改めて目の当たりにして、逃げしか選択しない。

「そうだね。」

 勘違いから始まった僕らの関係なら、今更新たな勘違いを上塗りしたって何も変わらない。

「そろそろだよ。」

 道の両脇に木が等間隔で植わっている。その間に確かに丸い建物が建っている。扉は開け放たれ、机や椅子、ベッドや箪笥までもが外に出されている。その上には布がかぶせられ、色とりどりの果実や飲物が置かれている。ひとびとはまわりを取り囲んで果実に手を伸ばしたり、にぎやかに談笑していたりした。本で読んだ通りの収穫祭だ。その中のひとりがこちらに気づいたらしく、ぶんぶんと手を振ってくる。

「かお、あいつ……。」

「うん。」

「誰だ?」

「だよね。」

生憎あんな知り合いはいない。遠目だから見間違えているのか、酒が入っているのか。近づいてくるにつれその顔もはっきりと認識できるが、やはり知らない顔だ。

「おぅい、あんちゃん達! どこから来たんだ?」

「散歩から帰ったところで……。」

 面倒な質問だ。余計なことを言わないようにカシャの口に干しぶどうを突っ込みながら適当に誤魔化しておく。

「おぅ、散歩はいいんだけどよ、森ぁ気をつけろよ。何が出るかわかったもんじゃねえからな。」

「はい、ご忠告どうも。」

「ところで、ここいらじゃ見ねえ顔だな。新入りか?」

「丘の向こうから来たんです。」

「そうかそうか、まぁ食ってけ食ってけ!」

「戴きます。」

 数軒程の住民が集まるテーブルへ放り込まれ、果物をご馳走になる。挨拶や質問への応答は僕がし、手は彼の口をいっぱいにしておくことに専念する。

「かむふぉ、なにふごむむむ!」

「……黙って食べてて。口きいたら帰るからね。」

「ふぉ。」

 もぐもぐと咀嚼しながら頷く。キリッとした表情を作ったつもりなんだろうが出来ていない。非常に不安だ。

「……では、僕達はこれで。どうもご馳走様でした。」

「おう、また来いよ、あんちゃんら!」

 まだ食べ足りないと目で訴える彼の腕を掴んでずるずる引っ張っていく。三歩で力尽きた。彼は僕より頭ひとつ分身長が高いのだから当然だ。決して僕が運動不足だからじゃない。

「お。」

「なに。」

「あの家は四角いぞ!」

「そうなんだ。」

 例によってよく見えない。けれど渋っていたカシャが自分で歩き出したので良しとする。歩いたら歩いたで歩幅が違いすぎて追いつくのが大変なのだけど。小走りで追いついて前を行く手を捕まえる。あっという間に指を絡められて、手を拭いて来なかったのか生暖かい果汁がべたべたと貼りつく。小言を言う気力も失せてしまって、そのまま引っ張られるように歩く。ゆっくり歩くだとかそういう気づかいを彼に求めるのは無理な話だった。

 四角い家には他の家と同じように煙突がついていて煙を吐き出していた。違うのは壁面に何やら絵が描かれていること。点線と鋏のようだ。煙が出ているということは中に誰かいるんだろうが、出てくる気配はない。扉に近寄ってみると『閉店中』という札がかかっている。何か店のようだ。

「入ってみようぜ。」

「迷惑でしょ。」

「ごめんなさーい!」

 僕の言うことは一切聞かずに扉をノックするカシャ。しかもそれを言うなら『ごめんください』だ。色々と頭を抱えたくなった。

「はーい? どちら様?」

「カシャです!」

「……どちら様?」

「すいません連れが……。お気になさらず。」

「あら、これも何かの縁じゃなくて? お茶でもいかがかしら。」

「おちゃ!」

「今開けますね。」

 扉を開けてくれたのはそばかすを浮かべた顔で快活に笑う婦人だった。と、後ろから帽子をかぶった青年が顔をのぞかせる。息子だろうか。僕よりは五つばかり上に見える。

「カチェ、知り合い?」

「いえ?」

「じゃあ誰?」

「さあ?」

 青年と婦人が顔を見合わせる横で、僕とカシャも顔を見合わせる。

「とにかくお茶にしましょ。」

 婦人に導かれて店へと足を踏み入れる。石鹸の香りが鼻腔をくすぐって、ふたつ並んだ鏡に順々に映る。店舗部分は美容室のようだった。一行は奥の扉へと吸い込まれていく。扉を抜けた先は住居のようで、しゃんしゃんと音を立てる薬缶が生活感を与えている。ふたりがけのソファに座らされて、住人達は店舗から椅子を引きずってきた。カチェと呼ばれた婦人は薬缶に茶色の粉末を入れて、青年はカップを四つ、器用に両手で持ってくる。注がれた液体は茶色で、想像していた黄緑との違いに驚く。

「茶色いお茶もあるんですね。」

「茶って普通茶色くないか?」

「黄緑色のお茶しか知らなかったもので……。」

「面白いひとね。」

「遠くから越してきたもので。」

「道理で知らない顔だと思ったわ。」

「なー、かお。これ美味しいな!」

「そうだね。」

「おふたりは恋仲なのかしら?」

「なぶぁるっは。」

「そうでーす!」

 元気よく片手をあげながら答えるカシャ。むせる僕。睨みつけても不思議そうな顔をされただけだった。

「法が変わってからはあんまり性別でとやかく言われることはなくなったし、気にしなくても大丈夫よ。私達だって世間のあおりを受けてもおかしくないし。」

「親子だと思ってたんじゃないの、そちらさん。わざわざバラすことないのに。」

「そちらさんは理解がありそうだからいいじゃない。」

「だからって……。はぁ、いいよ。俺の負けだ。」

「これで私の二十三勝四敗十二分ね。」

 ふたりの会話を聞いているとたしかに親子という感じではないなと思った。それもそうだが僕達が恋仲に見えているというのも不思議な感じだった。恥ずかしさで爆発する前に帰りたい。

「かお、おれ眠い……。」

「はぁ? ちょっと待ってよ、担いで帰るなんて無理だから。」

 しかし即刻ここを立ち去る理由ができた。全然ナイスじゃないけどナイスだカシャ。

「すいません、お茶ご馳走様でした。」

「またいらしてね、冬にでも。」

「カチェ。」

「いいのよ、彼からは同じ匂いがするわ。」

 冬。冬は皆眠るはずだ。同族喰らいを除いて。バレた、そして、彼等も?

「……お邪魔しました。ではまた。」

 ふらふらと頼りない足取りのカシャの手を引いて、四角い美容室を後にする。夕焼けが空に立ち込めていて、眩しいほどのオレンジが瞳を焼く。結局街の端に少し立ち寄ったくらいで、祭りを堪能したという感じはしない。本格的に眠りにつくのは収穫祭が終わってからだが、眠気自体はすでにあるらしい。カシャがこの状態なら収穫祭の期間中に街に出るのは厳しいだろう。僕がお守りをしなきゃいけないという点において。

 冬。もう一度街に下りてみようと決めた。

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