『ディア』

硝水

琥珀色のもしも

「なー、かお。」カシャが座っている僕の肩に肘をつきながら話しかけてくる。鋭利な肘が刺さって痛い。

「何。」だるま落としの要領でカシャの肘を払う。

「もしもオレが好きって言ったらさぁ、お前怒る?」肘をつくのは諦めたのか、頭の上に両腕を組んで乗せてくる。重い。

「何を?」椅子を引いて逃れる。

「かおのこと。」首に抱きつかれる。カシャのフードについているファーが当たってくすぐったい。

「……僕ら友達だろ。」カシャの腕を掴んで抗議するが、無視される。

「んー、今はそうだけどさ。」カシャが俯いて、耳が触れあう。角が刺さる。

「角痛い。」掴んでいる腕を揺する。

「ごめんなさい。」カシャが慌てて離れる。

「僕らが友達以外の何かになるって?」カシャに手で隣の椅子を勧める。

「なるかもじゃん。」椅子をわざわざ僕のそばにぴったりとつけて座る。

「そうやって座るなら靴脱いで。」椅子の上で体育座りのカシャの膝をたたく。

「ごめんなさい。」ぽいぽいと靴を脱いで床に放る。勢いがつき過ぎて、右足が届かない所まで飛んでいく。

「僕はなりたくない。」栞を指に挟んで、読みかけだった本を開く。

「じゃあ、かおは怒るのか。」カシャが僕の角を触りながら、ちらとこっちを見る。

「角折れたら弁償。」親指をつまんで引きはがす。

「ごめんなさい。」行き場を失った手がしばらく宙を漂って、膝に着地する。

「別に怒らない。」読んでいてもまるで頭に入ってこない本を閉じる。栞を挟むのを忘れたが、いいやと思ってそのままにする。

「どうするの?」カシャの隻眼が僕を捉える。

「……聞かなかった事に、しちゃうかも。」その眼を見ていると吸い込まれそうで、思わず視線を外す。

「なんで?」カシャの手が伸びて、僕の頬をつつく。黒くて形の良い爪が頰に食い込む。

「僕はカシャと、友達でいたいから。」掌で頬をかばう。カシャの指が、開いて、閉じて、僕の掌に一瞬触れる。

「そっか、じゃあ、言わない。」空中を漂っていた手が、僕の後頭部に触れる。柔らかな指が髪をすいて、首筋をなぞる。

「何。」カシャの手を捕まえようと右手をあげると、もう一方の手に阻まれる。左手は、カシャの太ももの下だ。

「言わない。」カシャの手が僕の前髪を掻き上げて、僕より微妙に座高が高いカシャの唇が、鼻先に触れる。

「ちょっと、カシャ。」顔を離したカシャの瞳は微かに潤んでいる。その瞳に僕はいつだって狂わされる。

「ごめんなさい。」濡れた瞳に掻き立てられる欲をどうにか抑える。言っても言わなくても、カシャは僕に遠慮している。僕のどこに遠慮する必要があるのか。僕はカシャに何かを与えるどころか、彼から奪うことしかしていないのに。

「ねぇカシャ。」今にも泣き出してしまいそうなカシャに、ゆっくり言い聞かせるように言う。綺麗な琥珀色の瞳が、湖面のように揺らぐ。

「……かお?」僕の手を掴んでいた力が弱まる。抜け出した右手で、カシャの前髪を掻き上げる。

「僕はずっと不思議でならないんだよ。」カシャの右の眼窩が露わになる。

「なに、どうして?」美しい左眼と同じように、美しい右眼が入っているはずの場所。

「カシャは僕が憎いんだろ?」そこには暗闇しかなかった。

「なんで、憎くないよ。」カシャの左眼から、琥珀色の雫が零れる。

「だって、カシャの右眼はさ。」小指で、右の目蓋を撫でる。

「僕が食べちゃったのに。」その味を思い出して舌舐めずりをする。

「かお、」細長い瞳孔が、丸く開いて琥珀色を飲み込む。

「自分の眼玉を食べたひととどうして一緒に居て、どうして好きだなんて言えるの?」小指を眼窩に滑り込ませる。カシャの内側は、冷たく乾いていた。

「オレは、だって、かおが……。」瞬きをする度に、酸欠の金魚のように目蓋がぱくぱくと音を立てる。

「言えないんでしょ、わかってる。」小指を抜いて、前髪を掻き上げていた手も離す。

「僕が食べたせいで、カシャはダメになっちゃったから。」琥珀色の瞳の味。蘇る、甘くて、蕩けるような。

「これでも後悔してるんだ、もったいなかったなって。」カシャのその瞳が、両方揃っていたら。今よりきっと、ずっと綺麗だ。

「僕はじゃあどうして、カシャと一緒に居るんだと思う?」離した手をカシャの左頬に添えて、中指で耳を弄る。

「……せきにん?」僕がダメにしてしまった才能。僕の一部にしてしまった彼のモノ。

「はずれ。」僕はそんな高尚な理由で、彼のそばに居るんじゃない。同族を食べるとはどういう事か、それは食べた者にしかわからない。なぜ禁忌とされているのか、僕にはよくわかる。

「カシャがさ、美味しそうだから。」顔を寄せて口付ける。僕に流し込まれた唾液がカシャの口を溢れて、顎を伝い落ちる。

「ぜんぶ、食べちゃいたい。」カシャの柔らかな唇が、少し歯を立てただけでも傷付いてしまいそうで。力加減を誤れば、赤い命が流れ出して、地に落ちて、美味しさが逃げる。

「……かおなら、食べても、いい。」カシャの眼から落ちた涙が僕の手を伝って、袖を濡らす。

「どうして。」こんなに震えているのに?

「かおが食べてる時の顔、きれいだから。」琥珀色が、僕を射抜く。

「かおの一番きれいな顔が見られて、オレ、嬉しかったんだ。」食べられて嬉しいなんて。僕は食べて、嬉しいのと、苦しいのと、両方あるのに。

「本当に食べちゃうよ。」僕はかつて禁忌を犯した。そしてその蜜の味をまだ忘れられないでいる。

「いいの。でも、眼は、最期にして。かおをずっと見ていたい。」カシャは琥珀をとめどなく零す。

「僕も、ね。」最期がいつになるかはわからない。それでもいつか来る最期には、僕はまた琥珀色を味わうのだ。その恍惚とするほどに芳醇な、知識の味を。

「ところでカシャ。これはもしも話だよね?」カシャの頬を拭って、手に染みる琥珀色を舐める。微かに甘いそれは、琥珀を薄めたような味がする。堪らなくなってカシャの頰を舐めた。

「そうだよ。」くすぐったそうに身を捩りながら、カシャは目を細める。

「どうせすぐ忘れるのに、カシャは確認が好きだね。」違う。忘れるから、何度も確認したくなる。そんな風にしたのは僕なのに、カシャは僕を責めない。

「かおの最期はオレがいいから。」カシャは心底嬉しそうに笑う。僕はカシャの肩を引き寄せて、約束の印とばかりに彼の首筋に軽く噛み付いた。

「僕の最初も最期も、カシャだよ。」だってカシャは、僕のたったひとりの友達だから。僕らが友達じゃなくなったら、そうしたら僕はきっと我慢できなくなる。それなのに琥珀は色味を増して、僕を誘う。くらくらする位綺麗な色。舌の裏から流れる唾液の居場所を求めるように、僕はもう一度彼に口付けた。

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