ダイブ

「……そう、ですか」


 ふっ、とデリカの目から光が消えた。いや、デリカだけでない。姉……らしい五人の瞳からだ。それは機械の様だった。機械人形オートマタのカメラアイの様に温度鳴く、生気がない無機の目だった。

 ジーンインプラントにより造られた狛彦の同類、人類の被害者ではなく、その死体を電脳かを介して奪った電脳魔術師テクノマンサ―としての目だった。


「やって下さい、八頭蛇刃」

「それはつまり?」

「勝って良いですよ、少しお仕置きです。あぁ、でもその前に――」

「あいよ」


 一刀一振り、然して八刃。

 

背負った大太刀が抜き放たれ、虚空を八つの斬線が奔る。

 軽い返事、軽い一振り、軽い音。

 それでも八刃は空を切り裂いた。


 ――いや。


 空ではない。確かに空に斬線は奔った。だが切ったのは空ではない。

 空がズレて、崩れて、落ちる。それは切り裂かれた窓だった。


「……」


 ビル風が吹き込む。その勢いに顔を顰めながらも、狛彦は電霊でんれい共から目を離さなかった。


「……何の真似だ?」

「ん? あぁ、簡単なことですよ、少年。俺たち電霊でんれいは絶対に仲間が殺せないんだ。でもそれじゃこの二人を持ち帰るのが大変だろ? このままここに身体があったんじゃぁ諦めが付かない。こいつ等も、少年も」

「……」


 じ、と無意識に狛彦の靴裏が鳴き声を上げる。グリップ。親指に力が入り、地面を掴む。「……」。それに気が付いた狛彦は意識して腰を落とし倭刀に手を掛けた。届く。刃圏に捉えている。だが――出遅れたかもしれない。

 その予感に嫌な汗が噴き出す。抜かった。しくじった。未熟を晒した。良い。後悔なら後でしろ。今は最善を尽くせ。それだけを考える。


「――、――」


 白く曇った伊吹が口角より昇る。臨戦態勢。それを取る狛彦を愉し気に見ながら八頭蛇刃は更に一振り。


「だがこう言う抜け道がある」


 それは何も斬らなかった。

 それは一人の少女を掴んだだけだった。


「―――――――――――――え?」


 それはその少女を窓の外に放り投げただけだった。


「――テメっ!」


 絶対に殺せない。抜け道。投げただけ。だからアリスを殺すのは――重力だ。

 悪態を吐き出し、地面を蹴る狛彦。その横を狛彦よりも早く影が奔る。影はウサギだった。


「はっはー! みろよ、少年! 麗しき兄妹愛って奴だ! 仲良く鉄と肉のスクラップにな――」

ろうぜ・・・俺達も・・・!」


 出遅れた。身体の速度ではなく、意の速度を誇る達人アデプトにあるまじき失態だ。それでも狛彦はそれを補う。挽回する。

 得意気に嗤う八頭蛇刃の油断の付けを支払わせる。一歩。踏み込み。近い。近すぎた。抜けない刀。抜く必要のない刀。


 烏丸流刀鞘術が一手、虎梅こうめ


 柄を用いた打撃技。叩き込んだ衝撃が八頭蛇刃の身体をくの字に折り曲げる。「――」。ばりっ、と肉を裂いて狛彦の口内に牙が生えた。意識外の獣化。それをしながら狛彦は八頭蛇刃のフルフェイスの目、スリットに指を引っかける様にして、アリスとウサギを追いかける。

 つまり――ダイブ。







 第四層から第一層までを貫くセンタービルの最上階付近から空に躍り出る。

 風が頬を斬る。風圧に蹂躙される。「……」。そんな中、狛彦は更に下に向けて一歩を踏んだ。

 加速に加速を連ね、死へと近づくその背に羽は無い。

 当たり前だ。狛彦は狼。姉の一人の様に燕では無い。飛べない。だが――跳べる。

 更に一歩。迫る死の気配に背中の産毛が総毛立ち、興奮から無意識に口角が持ち上がり、嗤ってしまう。それでも更に一歩。狛彦は跳んで見せる。

 眼下にはウサギ。狛彦と同じ様に跳ねた彼はいち早くアリスを抱きすくめていた。

 庇う。身体で庇う。命で庇う。それをやろうとしている。

 それでもそれは無駄だ。幾らウサギが負の質量とやらを発生させることが出来るとしても、それは自重まで。アリスの体重までは無理だ。

 そしてその軽いアリスの体重だけでウサギとアリスを壊すのに十分なのがこの高さで、この速さで、八頭蛇刃の一手だ。

 だから狛彦は更に蹴る。窓枠をに掛かった足を力強く。窓が衝撃で割れる。キラキラと輝くガラスが周りを彩る中、更に重ねて一歩。


『狛彦――!』

「よォ、頑張ってるじゃねぇか、お兄ちゃん?」


 それでウサギ達に追いつく。


『どうすれば、ウサギさんはどうすればいい?』

「そうさな――」


 、と鯉口を切る音が風の奏でる轟音の中に響く。


「祈れ。祈って後は――」


 抜き放たれた倭刀が甲高い悲鳴を上げる。金属音。斬ったのは虚空ではなく、鉄。鉄は撓んで、歪んで、引き寄せられた。


「俺を信じとけ」


 蛇腹剣。薄く、柔らかく、鋭い殺意。


「やってくれるな、少年!」


 それを振るう機械人形オートマタがビルの壁面を蹴り飛ばして居りてくる。狛彦はそれを迎え撃つ。一歩。横に。それで少しだけ速度を落とし、身体を捻りながらの抜刀。腕だけで振られた三つの刃をその一振りで弾き、足元を狙う一陣をやり過ごし――顔を狙った一刃を逸らして避ける。頬が避けた。赤。赤が風に押されて空に昇った。

 それを追う様に跳ねる。

 軽重自在の軽功術にて一歩だけ空に昇って見せた狛彦はその空への踏み込みで残る三つの刃を潜り抜けて見せる。

 心臓が煩い。黙れ。興奮で口角が上がる。落ち着け。無理だ。良いから落ち着け。思考が止まらない。それでも落ち着け。落ち着け。落ち着け。

 無量無辺の剣の道。

 それでも己が歩くのは烏丸流刀鞘術。静の剣。心の剣。ならば猛るな、滾るな、呼吸をしろ。


 言い聞かせる/必死に

 言い聞かせた/必死に


 ――それが既に間違っている様なきがするな?


 そんな思考に「は、」と音を伴う笑いが漏れる。そうしながら寄って来た八頭蛇刃と剣を躱し、音ながら蹴り飛ばす。吹き飛んで行く八頭蛇刃。来る。その感覚に従い、一歩、下に飛んで、一歩、下がる様に横に。それで八つの刃全てを避けてみせる。

 極限領域のコンセントレイト。

 アスファルトが近付く程に鋭くなる感覚。

 今の狛彦は八頭蛇刃相手に剣を抜かずにその八刃全てを捌ける領域に踏み込んでいた。

 それで良い。それが良い。そうでなければ良くない。

 と、と、ととと、雨音の様に軽快にリズムを刻んで狛彦は刃をやり過ごし、ウサギに近づく。


 ――もう地面が近かった。


『狛彦、アリスだけでも――』

「アホか、テメェは。兄ちゃんが妹一人ほっぽりだそうとしてんじゃねぇ」

『――けれども』

「大丈夫だ」


 狛彦は笑った。にっ、と笑った。だから大丈夫だ。絶対に大丈夫だ。いつもよりも少し荷物が多いうえに、やったことも無い練度の軽功を要求されて、失敗したらミンチになるけど――笑ったんだから大丈夫だ。そう決めた。狛彦が決めた。


「――――――――――――――――――――――――――――――――――――」


 呼気。長く。

 外を内に取り込み、回し、世界と己を同化させるイメージ。イメージ。軽く。軽く? 違う。軽くても速さで死ぬ。死ぬから違う。イメージ。卵。生卵。床に落ちる。落ちながら転がる。ころ。ころり。割れる前に次の接地面。ひびが入る前に次の接地面。にががして、のがして、ころころり。

 さぁ、烏丸狛彦。

 たかだか極限領域の身体操作だ。

 お前が達人アデプトだと言うのならば――やれ。









 三桁を超える階層からの落下だ。当然、狛彦達の落下に気が付く者達も居る。

 彼等の内の何人かは訪れる光景から目を逸らし、彼等の内の何人かは無駄を悟りながら救急車の手配をした。

 そして彼等の内の何人かは己の好奇心を満たす為にその行く末を見ようとした。

 轟音。真っ先に落ちて来た人型の機械人形オートマタがそれを響かせる。途中で右手に持った鞭のようなもので減速しながらだが、それでも勢いを殺し切れず左腕――いや、左胸までを潰してどうにか衝撃を殺したソレはよろよろと不安定な、それでも確たる意志を持って立ち上がった。戦闘用。その面目の躍如と言ったところだろう。

 だが遅れて落ちて来た方。

 これに気が付くのに彼等は遅れた。

 音が無かったからだ。


「……」


 見る者が見れば気が付けただろう。それが達人アデプトの身体操作により紛れも無い絶技によりなされた業だと。

 それでも彼等はそれに気が付くことは出来なかった。

 気が付いたのは彼に庇われた一機と一人と――


「……冗談だろ?」


 彼と向かい合う一機。八頭蛇刃。

 戦闘用の機械人形オートマタに入り、数多の修羅場を潜り、殺されても死なずに幾つもの死線を潜って来た彼は、この時、初めて――


「あ? そう言うセリフはテメェがスクラップになってから言いやがれ・・・・・


 目の前の相手を『怖い』と思った。

 傷ついている。左腕が変な方向に曲がっている。その左腕の肘から出ているのは骨だろうか? ぷっ、と吐き出す唾には黒い血が混じっている。ボロボロだ。

 だが、それでも――

 ボロボロだが、それでも――

 三桁を超える階層を落ちて尚、烏丸狛彦は生きていた。人の形を保っていた。


「――!」


 悪寒が奔る。そんな機能は無い。そんな部位は無い。それでも魂が。言うなればソレが。電霊でんれいとしての八頭蛇刃の核が震えた。

 何に? 恐怖に?

 否。断じて否。そんな安いモノではない。そんな不様なものではない。

 そこには武があった。

 磨かれた武があった。

 機械の身体の己では、鋼の身体を持つ己では届くことの無い、目指すことすら出来ない人が造り、磨き、受け継いできた――武が。


「……魔剣連合ブラッディ・エクスカリバーズが天巧星、改め、電脳教団サイバーカルトが実働部隊所属、八頭蛇刃」

「は、今更名乗り合いか?」

「――」


 返された無言。

 それに狛彦は重いモノを感じた。だから、呼吸を一回。


「……烏丸流刀鞘術が刀鞘術師、烏丸狛彦。人呼んで黙刃木偶」


 無事な右手一本で刀を掲げる様に真上に向け、ただ、ただ、立つ。腰を落とさず、足を開かずの直立しせい。

 それは柔らかく、優しく、自然体な――殺意の形。


「我が魔剣にて今宵今晩この夜の茶番に幕引き致す」


 それを取った。

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