20 カティア姫

 彼は戦の混乱を心から楽しんだ。

 敵が味方を殺し、知能の低い者達が断末魔の叫びを上げる。

 見渡す限り屍の山だ。

 この地獄こそ、彼が求めていた物だ。

 だがまだ足りない。まだ生者は残っている。

「皆殺しだ」

「仲間を助けよう」

 再び同じ口から矛盾した言葉を紡ぐと、彼はぶつぶつと呟き出す。

「そら、地獄に堕ちろ!」

 彼は大勢の生ける者達に命令すると、魔法を叫ぶ。

「アースクェイク!」

 エルヴィデス城周辺の地面が跳ねた。


 本田繋にすがりついた少女は、ようやく泣きやんだようだった。まだしゃくり上げているが話せるだろうと彼は判断する。

「あの、済みませんが賢者ラスタルという人をご存じではありませんか?」

 少女は長い人差し指で涙を払うと、細い首を傾げる。

「……ラスタル様? 賢者様……ラスタル様は今はこの城にいません」

「なっ!」

 衝撃は小さくなかった。あんなにみんなで苦労して、苦労して、ここまでたどり着いたのだ。なのに賢者ラスタルは不在らしい。

「あ、でも」と少女はすぐに補足した。本田があまりに消沈したので哀れに思ったのだろう。

「しばらくしたらこの城へやってきます。ラスタル様は今コンディーヌ城の城代をしてまして……でもエルヴィデスの事態をお聞きになったはずです」

「……そうですか」本田は力を振り絞って立ち上がった。

「ダメです、かなりの怪我ですわ、ここに止まって下さい」

 美しい少女は哀願したが、本田はすぐにでも仲間に情報を伝えたい。何よりこの城には怪物達が入り込んでいる、まだ安全とは言い難かった。

「味方の所に行きましょう」

 彼は少女に手を差し出した。彼女の細い指はそれをすぐに握る。

「あなたは、あなたのお名前は?」

「……そうでしたね、俺は本田です、本田繋」

「本田様……わたくしはカティアと申します」

 頬をバラ色にさせるカティアの手を引き、本田は階段を下りた。

「くっ」と呻く。

 階下では先程の騎士達が死体となっていた。

 筋骨隆々のトロールが死体を踏みにじっていたが、本田達の気配を察して体の向きを変える。

 カティアを背中に隠して、本田は一歩前進した。

 正直うんざりだが、ここでの敗北はいたいけな少女も巻き込む。

「本田様」首筋に当たるカティアの吐息を無視して、本田繋は再び、戦いの為に残った集中力をかき集めていた。

 ……ま、さっきの奴よりはマシだ。

 自己を誤魔化し、力のほとんど無くなった腕を上げ剣を構える。

「本田様!」

 カティアが背中にすがりつくから、彼は冷静に指示する。

「俺がアイツの相手をします、あなたは隙を窺って、逃げて下さい」

「でも……」

 カティアは何か言いたげだったが、構っていられない。

 トロールが鋭い爪の生えた手を振り下ろし、反射的に本田は横に飛んだ。

 だが脚は力を失っており、そのまま横に倒れる。

「くそっ」苦心して跳ね起きると、トロールの爪が接近していた。

 剣で払う。

「ぎゃぁぁぁあ」手首を斬られたトロールは絶叫したが、本田は目を疑った。

 斬られた場所に肉が盛り上がり見る見る治癒していくのだ。

 間髪入れず、今度は腹の辺りを斬ったが、本田のつけた傷がまだ消えていく。

「なるほど、こいつは一撃で仕留めないとならないのか」

 やってられない、と悪態をつく、

 それでなくとも満身創痍なのに、この敵をどう攻略したらいいのか。

「きゃあ!」

 カティアが悲鳴を上げた。隙をつかれた本田がトロールに押し倒されたのだ。

 ……まだ逃げていなかったのか!

 半分観念した本田はカティアが逃げていない事実に驚愕した。

 トロールの長い爪が持ち上がる。降ろすだけで彼は死ぬ。

 ……ここまでか、すまん……みんな。

 だがその瞬間、城が揺れた。

「……地震?」と本田はいぶかしがらない、彼は剣を構えて周囲の見回すトロールの喉を捉えた。

「突きー!」

「ぐ、ぐぼぼぼぼ」

 本田の上にいたトロールは会心の突きを喉に受け、今度は再生せず横に倒れた。

 同時に緊張の糸の切れた本田繋の意識が遠のく。

「本田様、本田様!」

 どこからかカティアの声が聞こえたが、彼は闇の中に落ちていった。


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