4 エルフの森
森にいるエルフを追い払う。
北条青藍はその任務を果たすために森の前にいた。
そこは鬱蒼とした昼なお暗い森だった。木々は大きく太く、足元には湿った土があり、一筋縄ではいかないのでは、と彼女は嘆息した。
ちなみに彼女達も装備の重さに辟易し、早々に荷車を入手していた。
しかし森の中に荷車は入れない。
仕方なく、彼女は仲間達に装備の着用を指示した。
北条青藍、平深紅、成田隼人、真田亜由美子、野々村秀直、小早川倫太郎、片倉美穂、立花僚、笹野麻琴……彼等がエルフ退治のメンバーだ。
「おもー」
戦士の立花僚は着たばかりなのに早くも文句たらたらだ。
「仕方ないだろ、つまんねーこと言うな」
平深紅が噛みつくと、「はいはい」と立花は黙る。
一方レンジャーの成田と小早川は弓と矢の調子を確かめている。
「俺、アーチェリーてやったことないんだけどなぁ、コバは?」
「成田、アーチェリーと実戦は違うと思うぞ、なあ真田」
「うるさい!」
真田はぶつぶつ何か呟いている。
「何それ、何それ、ねーねー」
成田が絡むと、真田は殺気さえこもる目で睨む。
「呪文覚えているのよ! 邪魔しないで頂戴!」
言われてみれば同じ魔法職の片倉美穂も沈黙している。
青藍は邪魔しないようにしようと決意した。
「ところで判っているだろうね」
背後から声をかけられ、青藍の眉間に鋭い稲妻が走る。
森に入ると聞きつけた御料林長官とやらが彼等に同行してきたのだ。
「いいかね、この森は領主様の物だ、エルフを追っ払うのはいいが、間違っても鹿などを殺さないように、木の皮を剥いでもだめだ、その場合重罪を課せられる」
密かに青藍は不快さを隠す。
この森は領主や貴族達が娯楽で鹿狩りを行う場所らしい。だからエルフの存在が邪魔なのだそうだ。
「行きましょう」
御料林長官を無視するように促した青藍だが、その前に彼は回り込む。
「では森に入る税金を納めたまえ」
北条青藍はもう少しで御料林長官とやらを怒鳴りつけるところだった。だが何とか心を落ち着けエレクトラに余分に渡されていた銅貨を渡す。
「では励みたまえ」
中年の御料理知長官が機嫌良く手を振るが、青藍は一顧だにせず森に分け入った。
「こりゃー、嫌な感じだー」
森をしばらく進んだだけで、成田が嘆いた。
無理もない、森は不気味だった。
大きな広葉樹に陽光は遮られ、数メートル先も見通せない靄がかかり、周囲からは何か生き物の鳴き声や、繁みが動く音がする。
森と呼ぶより巨大な迷宮にさえ思えた。
はたと気付く。
「帰り道、判る?」
笹野麻琴がにんまりと笑う。
「こんな事もあると思って、通ってきた中で目立つ木に縄を巻いてきた」
青藍は感心する。
麻琴はバレー部のスポーツ脳だと思っていたが、意外にちゃっかりしている。
「それよりも」
もぐもぐ発言したのは、無口の長身、野々山秀直だ。
「僕達の任務って何?」
「それは、エルフを……」青藍は野々山の言わんとしている事に思い当たった。
エルフを追い払う……それは戦うって言うことだろうか。
頭によぎるのは赤いエルフのエレクトラだ。
彼女は魔法を使ってオークの大群を追い払った。もしこの森にいるエルフが同等の力なら、初心者でしかない青藍一行では歯が立たない。
「場合によるだろ、考える必要もない、その場になったら判るさ」
平深紅は事も無げに肩をすくめる。
青藍は黙した。投げやりな深紅に文句はあったが、何故か彼に強く出られない。それどころか無意識に視線で追っている自分を知っている……いつだったか? 中二の夏休みだ。塾の帰りに見かけた。犬の散歩をしていた。その時の深紅は愛犬に向けて色んな表情を見せてた。笑い、慈しみ、微笑み。
青藍の自転車を漕ぐペダルは動かなくなった。いつも学校で見かける仏頂面の彼ではなかった。彼女は思ってしまった。
……あの顔を私にも向けてくれないかな……。
平深紅はワザと適当で無責任な発言をした。自らを含め誰にも峻厳な北条青藍の反応が気になったからだ。怒られてみよう、と考えていた。なのに彼女は何も反撃せず、ただうつむくだけだ。
……どうしたんだ? 図星か?
深紅は歩きづらい土の地面を、歩きづらい皮の靴で進みながら、げんなりしている小早川倫太郎に目をやる。
「どうしたコバ、元気ないな」
「あるわけ無いだろ、お腹空いて」
納得する。小早川は雑誌でも取り上げられるほどの有名な洋食屋の跡取りだ。幼いころから味の英才教育を受けたと自身吹聴していた。なのにこの世界に来て食べたのはおかゆみたいな物とカチカチパンだけなのだ。
「鹿でもいたら密かに獲ってみるか?」
「あ、俺さんせー、鹿のジビエって美味いんだろう?」
「そんなこと出来ないよっ」
聞くとなしに聞いていたのか、片倉美穂がすぐに反対する。
「さっきのおじさん……御料なんとかが言ってたでしょ? そんなことしたら牢屋だよ」
「つまんねー世界だぜ」
平深紅はその後しばらく唇を引き結び進んだ。
「おい」と突然彼の肩を掴んだのは野々村だ。
「何だよ」と振り向こうとするが、野々村の指が真っ直ぐ前を指しているので、そちらに視線を向ける。
靄の中に大きな狼がいた。まるで輝いているような金色に光る毛並みだった。
しかも一匹ではない、五匹……あるいはそれ以上の狼がこちらを待ちかまえるように靄に煙っている。
「狼は倒してもいいんだな?」
深紅はそう呟いて、不利に苛立つ。足元は苔に包まれた石だ。つまり滑りやすい。
「成田くん、小早川くん」
青藍に鋭い声に、はっとした二人が弓の用意を始めた。
だがそれは慣れの問題か致命的に遅い。狼達は勿論待ってくれなかった。
「くそっ」
深紅は剣を抜いた。
やはり重さの制限故のショートソードだ。
立花も同様に鞘から剣を引き抜くが、その反動でショートソードを落としてしまう。鎧を装着してここまで歩いたのだ。疲労が相当溜まっていたのだろう。
「こりゃあ、苦戦しそうだな」
平深紅の慨嘆は的中した。
金の狼は強かった。否、味方の戦闘経験が致命的に不足していた。
狼達は絶妙に走り回りこちらの狙いを外し、隙を見せたら牙だらけの口で噛みついてくる。
それを避けながら剣の一撃を浴びせようとするが、狼はひらりと身を翻し繁みの中に消えてしまう。
「成田! 小早川! 弓はどうした!」
同じく敵を捉えられない立花が叫ぶが、二人の射手はもたもたと用意を続けている。
「もうすぐー!」成田は自信なさげに答えるが、それを理解したのか、狼の一匹が成田に向かって猛突進する。
「逃げろ成田!」
焦った深紅は警告するが、「あ? え?」と成田隼人は身動きしない。
「くっ」と呻いた平深紅が成田を守るために駆ける。だが狼の脚力はそれを越えていた。
棒立ちの成田に狼は飛びかかる。
……ヤバい!
深紅は目を覆った。
「ぎゃん!」
狼は悲鳴を上げて飛び去った。間一髪成田の弓が間に合い、金狼の前足に矢が刺さったのだ。
「ふえー、あぶねー」成田は額の汗を拭い、その間に小早川も弓矢の用意を終えた。
「よっしゃっ!」
二人の弓の威力は抜群だった。かすりもしない大外れも多かったが、金狼が遠く離れても矢は届く。
狼達はどんどん負傷して後退していった。
「初心者にしてはよくやる」深紅は感心したが、すぐに考え直す。
……あるいは俺達はこの世界に来てから一部の能力が強化されているのか?
戦いは完全に三年四組生徒の優勢となる……だが得てしてこんな時に事故は起こるものだ。
成田が再び矢をつがえると、金狼は再び一直線に彼に迫った。
成田隼人の口に笑みが広がる。
……こんな世界らくしょーだね!
しかし、たっぷりと狼を引きつけ矢を放とうとした瞬間、それは弓弦で滑りへろへろと明後日の方向へと飛んだ。
「って! わあ!」
金狼の顎が成田の右腕を鋭い牙で捉えた。
「ぎゃー!」
成田の悲鳴に深紅が振り向くと、狼が彼の腕に深々と牙を突き立てていた。
赤い血が噴き出し、成田は必死に暴れて狼から逃れようとしている。
「成田!」
「待って!」慌てて近寄ろうとした深紅を真田が止めた。
彼女は目をつむりぶつぶつと何かを唱えている。
「うわっ」深紅は驚愕した。
真田の周りに青い火花が幾つも出現したのだ。
「ウィッチアロー!」
彼女が叫ぶとそれらは成田隼人に、その腕に噛みついた狼に飛んでいく。
「ぐぎゃー」と吠え、魔法の直撃を受けた狼はその場に横たわる。
「ああああ」
血まみれの腕を抱える成田に、北条と笹野が飛びつく。
治癒の魔法をかけて貰っているのだろう。
……ならば。
平深紅は剣を構え直し、彼等の前に立ちふさがった。
狼達はまだ攻撃的に唸っていたが、片倉が魔法の「サンダーチェーン」で周囲をなぎ払い、野々村がやはり魔法の「ロウ・イリュージョン」でこちらの分身を幾つか造ると、勝敗は今度こそ決した。
金の狼達は攻撃をやめ、威嚇しつつも遠巻きにこちらを観察するだけになったのだ。
ちなみに手心を加えたのか、真田が倒した狼はふらふら立ち上がり群れに戻っていく。 深紅は油断無く敵を見回すが、どこからか口笛が聞こえた。
それを聞いた狼は森の闇へと下がっていく。
「なんだ?」と深紅は怪訝な声を出した。
その前に不意に人影が降りる。気付かなかったが木の上で観戦していたのだ。
「うわ! イケメン! ラインID知りてー」
と笹野麻琴は脊髄反射的に本心らしきものを口にする。
確かに現れた男は美形だった。大きな瞳金色の髪、高い鼻、薄い唇。
この世界に来てから白人ばかり見てきたが、それらを遙かに凌駕する美貌の男だ……ただし耳は矛のように長い。
依頼のエルフだろう。
「なかなかの戦いだったぞ」
エルフは無表情に彼等を褒める。
「私はこの森のエルフのエイラス、貴様達人間の話など聞くつもりはなかったが、奮戦に命じて時間をやろう」
「偉そうに」
小早川が吐き捨てたが、北条青藍は一歩前に出る。
北条青藍は焦っていた。
成田の負傷もショックだったが、何より金の狼達がまだ本気でないことは何となく判っていた。どこか青藍達を嘲弄しているような部分がある。
狼達がエルフの指示に従っていたのなら、当然エルフの力は狼以上で、彼女達の手に負える物ではない。
つまりここで交渉が決裂したら仲間等の身が今度こそ危ない。
舐めていた。初心者の戦士とレンジャーと魔法使いが適う相手ではなかった。
「わ、私達は」言葉が乱れ、青藍は一度大きく深呼吸した。
「私達は領主様からこの森からあなた方を追い払え、と命じられました」
ふふふふ、エルフのエイラスは氷のように冷ややかに笑う。
「馬鹿な話をするな。この森は元より我等エルフの物だ、貴様等猿どもの領主が何をほざこうと関係ない。大体、我等はもう何千年もこの森にいて、森を信仰してきたのだ。どうしてたかが数十年前に出来た人間の法に従わねばならんのだ?」
聞いていた立花が頷いていた。
「確かに何か変な話だな、それ」
青藍は研ぎ澄まされた横目で彼を突き黙らせる。
「しかし領主様の法では……」
「失せろ人間。貴様等のその傲慢が三千年前に古代魔法帝国を滅ぼし、我等さえも神々に見捨てられる結果をもたらしたのだ。まだ学ばぬか?」
「古代魔法帝国?」
笹野が首を傾げるが、青藍にはそれどころではない。
「でも……」
「これ以上詮なき問答を続けると……」
だがエイラスはその後を続けない。不意に彼の影が増えたのだ。
青藍が仰天しながら見直すと、それはどこにいたのか違うもう一人のエルフだった。
エルフの男はエイラスの尖った耳に何か囁く。
エイラスの薄笑いを浮かべた顔がさっと青ざめる。しばしの聞こえない問答の後、エルフのエイラスは青藍達に向き直った。
「いいだろう人間、この森からエルフは去ろう」
「え!」あまりの状況の変転に青藍が呆然とすると、エイラスは眉間に皺を刻む。
「ただし、気をつけることだな。混沌の軍勢が近づいているようだ。森は領主様とやらの物にはならんぞ」
そしてエイラスは現れた時と同様に不意に突然、影のように消えた。
見回すと金の狼達もいない。どうしてか立ちこめていた靄も晴れていた。
「あー、連絡先知りたかったのに……」と笹野麻琴が残念がる。
北条青藍一行はエルフを追い払う任務に成功した。
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