3 ゴブリン退治

 エレンの村から最も近い町はカノスの町と呼ばれているらしい。

 道中、昨日のゴブリン、オークの襲撃に懲りた戦士クラスの者達は道ばたで拾った棒を持っていたが、街道を行く彼等は何の苦もなく四〇分ほど進むだけであっさりと到着した。

「ふーん、丸太の壁か、貧乏くさっ」と一目見て呟いたのはクラスで一番背の低い女の子、大谷環(おおたに たまき)だ。彼女はその愛らしさからマスコット扱いされているが、実はけっこう毒舌である。

「時間稼ぎ程度にしかならないよね、何に備えているか知らないけど」

 環の指摘は正しいように准にも思える。

 カノスの町は、丸い木材を集めて防御用の壁にしてる。町一つを囲む労力はかなりな物だが、こんなもの火をつけられたら終わりだろう。

 エレンの村だってある意味全く無防備だ。オークやらがいる世界であまりにも不用心に思える。

 だが今は関係ない、エレクトラを先頭にした一行はカノスの町へと入っていった。

 ゴーンゴーンと鐘の音が響いた。だがそれを打ち消すように商人達が市を開き客引きのための声を張り上げている。

「ちっ、田舎か」恐らく町と言うからには夢を見ていたのだろう、上位カースト女子の飯盛和香子(いいもり わかこ)は舌打ちをする。 

 無理もないと准も思う。

 カノスの町は大きくはなかった。さすがにエレンの村よりは広く足元に雑草はないが、現代社会で東京に住んでいた彼女にとって町は109のビル一つにさえ匹敵しないだろう。

 だが建物は大分違う。

 大半の家が二階建てで窓にはガラスがあり、屋根も草葺きではなかった。

 しかし、だが、やはり。

「またこの臭い~」

 スマホで写真を撮っていたらららが、暗澹と呻いた。

 カノスの町もやはり家畜やら糞尿やらの臭いで充満していた。詮無きことだ、何しろ町の真ん中に豚やら犬やらがかっ歩していて、道ばたに平気で糞を垂れ流している。

 徳川准は途端元気をなくす生徒達を引き連れて、とにかく冒険者ギルドとやらを目指した。

 すぐに見つかった。

 冒険者ギルドの建物が他の物に比しても異常に大きかったのだ。

「さっすが」密偵事件から立ち直ったのか、嶋がはしゃぐ。

「では、行ってきて下さい、わたくしは時間を潰しています」

 エレクトラは冒険者ギルドを案内すると、酷薄にも扉の前で他の方向へ歩き出し、仕方なく徳川准が最初に入った。

「えっ」と驚く。

 中は相変わらず土の上に藁が敷いてある造りだが、左右に槍を持った完全武装の戦士達が並んでいるのだ。

「ええと」嫌な予感が胸をかすめる准だが、後ろを押されて中頃まで進む。

 一番奥のタペストリーが掛けられた壁の下にぴかぴか光る重そうな机があり、髭を蓄えた男が冷ややかに不意の闖入者を見つめていた。

「何だね、君達は?」

 髭の男は不機嫌そうに訊ねる。

「ええと、僕等は、冒険者になりたくて」

 次の瞬間左右の戦士達が動き、槍の切っ先を三年四組の生徒の首に向けた。

「は?」

 准は仰天した。そんなに歓迎されていないのは空気で判ったが、どうして命の危機に陥るか理解できない。

「……冒険者か」

 髭の男は大きく息を吐いて呟いた。

「で、貴様等まだ子供のようだが……何をやった?」

「はい?」

「惚けるな! 真っ当な者がわざわざ冒険者など目指すはずがない! 盗みか? 殺しか? 戦場から逃げた傭兵崩れか? その珍妙な姿服装から見て外国の者だな? この国に来れば逃げられると思ったか」

 ……なるほど、冒険者の地位はこんなに低いのか。

 改めて徳川准は冒険者が底辺職だと思い知る。

「な、何もしてねーよ」

 黒咲が自分の首筋に当てられた槍先に怯みながら反論する。

「俺達は冒険者になりたいからなるだけだ」

 横の堀と脇坂も頷く。

「どうだかな……この冒険者ギルドが大きいのは町の衛兵の詰め所も兼ねているからだ、冒険者なんて鼻つまみ者になりたい者がいるとは思えん。嘘だったらすぐに牢屋行きだぞ」

「いや、本当です」

 立花が両手を振る。

「ほら、きっと世界にはまだ知られていない遺跡とかあるでしょ? その探索をしたいんです」

 完全なデタラメだ。本当に遺跡があるか立花は知らないはずだ。

「お前達は知っているか? 最近混沌の勢力の力が増している、ゴブリンやオーク、オーガーまでも人里に降りて来る、呑気に冒険なんかしている奴はいないのだぞ。大体冒険者とは何だ、この世にいらない者だ。土地もなく徒弟にもならず、だから生産に寄与しない、冒険者ギルドの真の目的はあぶれた者にそれなりの仕事を無理に斡旋することだ。あいつらは放っておいたらすぐ犯罪に手を染める。冒険者とはそんな者だぞ」

「それでもららら達はボウケンシャになりたいの! 邪魔すんなヒゲ」

 机の奥の髭の男はらららの暴言に面食らい、しばらく考えるが、不意に手を挙げる。三年四組に向いていた槍が上がり、戦士達は元の位置に直立する。

「そうか、なら冒険者として認めよう……ただし、ギルドと言うのは実力と信用を保証する団体だ、お前達みたいな何も出来ないのに冒険者ギルドに入ることは出来ない」

「……そ、そんな」

 准は慌てる。ここまで来て冒険者ギルドから締め出しを食うのか。

「だから、お前達に試練を与える……丁度、お前達のような初心者にも何とか出来る依頼が入っている。それを達成した暁には快く冒険者ギルドに加入させよう。武装権も一時的に与える」

「どうする? 徳川」

 源白夜が耳元で囁くが、選択権はないのだ。


 三年四組の面々はカノスの町の教会の前の広間に集まっていた。

 徳川が持つ三枚の羊皮紙について顔をつきあわせて相談している。

 冒険者ギルドに入るための試練とやらは三つだった。

 一つは最近町の西に出来たゴブリンの巣を潰すこと。一つは北の森にいるエルフを追い払うこと、最後の一つは街道を閉ざしているドワーフを説得すること。

 冒険者ギルドの髭男によればどれも簡単な仕事らしい。だが簡単とは現代日本で育ったもやしっ子にも簡単なのだろうか。

 しかしギルドに入らないと農民と見なされ剣を帯びる事も出来ない。『武装権』と言う物がこの世界にはあるらしい。

「あー考えていてもしようがないだろ! 行動あるのみ! 一気に全部回ろうぜ」

 直情型の木村が強力に促し、皆仕方ないかと気分になっているようだ。

 だがこの依頼には期限があった。

 きっかり二日である。 

 全員で移動するには時間が足りない。

「ならさ、二八人を三つに分けたら?」

 源白夜が人差し指を立てる。

「しかし」徳川は迷う。何せこの世界には命の保証はないのだ。簡単な仕事と言えどもしもがあるかもしれない。

「それでいいいだろ、ここでじっとしているのはつまらねー」

 白夜の案に深紅も乗った。

 すると黒咲らも同調し、もはや准ではひっくり返せなくなってしまった。

「で、でも、素手で行くのか?」

 苦しげに准が抗すると、いつの間にかエレクトラが背後に立っていた。

「大丈夫です! 町で装備を整えましょう。一時にしろ武装権が認められているはずです」

 徳川准は苦々しく思ったが、なし崩しに事態は進んでいった。


 ゴブリン退治

 喧々囂々の班決めを何とか纏め、徳川准はゴブリン退治へと赴いた。

 人員は、徳川准、源白夜、本田繋、小西歌、大谷環、木村智、朝倉菜々美、嶋亘、明智明日香の九人だ。彼等はまず目立たないようにカノスの町で特徴のない服と靴を買い、武器と防具を揃えた。 

 だが出発してすぐ引き返すこととなった。

 理由は簡単だ。鎧と武器が重すぎる。

 どうも皆テレビゲームのRPGに毒されていて、鎧はずっと着用しながら旅をする物だと思っていたが、とてもそんなことできなかった。  

 エレクトラに訊ねると、鎧や剣は戦うときに装着し、それ以外は外すのだと返ってきた。結局、彼等は商店に金を払い荷車を借り、それに武器やらを詰め込んで男子生徒が順番で引くこととなった。 

 問題はまだ続いた。

 靴だ。ここまで使った上靴はもうぼろぼろになってしまったために、乳牛の口のブーツとやらを買ってみんなで履いたが、まだ足の構造なんてそう知られていない時代、足の皮の柔らかい現代っ子はすぐ靴擦れを起こしてしまった。

「いててて」と荷車を引きながら源白夜が嘆いている。

 徳川准は背後から荷車を押しつつ頭痛に耐えた。

 ……一体、これからどんな問題が出るのだろう?

 だが彼の不安を裏切り、ゴブリンの住処はすぐに見つかった。羊皮紙に詳しく地図が描かれていたからだ。

 川の近くに洞窟がある。茂みからそっと確認した准達は一度道に起きっぱなしにしておいた荷車に戻ると装備をつけ始めた。

 鎖帷子の上着……実はそれに鉄の板がついてあるプレートメイルを最初選んだのだが、重くて満足に動けなかった。だから剣も短めの物だ。そして盾は……。

「盾いるか?」

 白夜の言葉に誰もが首を振った。


 源白夜は自分がファンタジー世界について勘違いしていたことを思い知った。

 彼もRPGとかをテレビゲームでプレイする。だが現実はゲームの中ほど便利ではなかった。まず鎧の重さ。とても着ながら旅は出来ない。剣も大きく長い物は重く扱いづらく結局、ショートソードと呼ばれる中途半端な剣を選ぶ。そして最悪なのが盾だ。

 白夜は盾とは金属製の物だと思っていた。だが実際の盾の殆どが木製か革製で、金属の補強がしてあるだけだった。しかもそれでも邪魔で重い。

 RPGの勇者は金属の盾を軽々と持ち、普通に冒険していたが、彼の手元にある盾なんて動きの邪魔になるだけだ。

 だから皆に訊いてみた。

「盾いるか?」

 予想通りみんな否定し、折角買った盾は荷車へ残すことを決めた。

 それでも苦労は残る。鎧の着用だ。

 比較的に軽い鎖帷子を選んだが、重量故に四苦八苦する。

「はあ、たまっちはいいなあ」

 白夜はナイフと皮鎧だけの大谷環にこぼした。

「無礼者! たまっちと呼ぶな!」

 何だか気分を害してしまった。

 仕方なく近くにいるもう一人の女子に声をかける。

「朝倉さん、どう? 魔法使えそう?」

 朝倉菜々美は徳川准と同じ聖職者だ。美の女神の使徒らしいが、癒やしは使える。

 白夜はなるべく砕けた様子で訊ねたが、彼女の緊張は解けなかったようだ。

「う、うん、はいっ、多分大丈夫です」 

 笑顔が引きつっている。

 ……こりゃあ後衛は厳しいかな?

 源白夜は鎧を着用し、剣と用心のための松明を持つと、ゴブリンの潜む洞窟が見渡せる繁みに入った。

 がさりと音が鳴り、本田が並ぶ。

「どうだ?」 

「静かなもんだ、ゴブリンて実は夜行性らしいから寝てるんじゃないの?」

「油断は禁物よ、源くん」

 いつの間にか同じ戦士である明智明日香も横にいた。

 白夜は思わず見とれてしまった。

 明智は校内に止まらず他校にもファンクラブがあるという。それは彼の幼馴染み細川朧もそうなのだが、朧はずっと一緒に育ってきたからあまり意識していなかった。

 しかし明智は違う。

 真っ直ぐ伸びたストレートヘアに、切れ長の目、高すぎず低すぎない鼻梁に少し厚い唇。 三年四組にいたころは明智は美少女過ぎて近寄れなかったが、今彼女は隣にいる。

 彼女の汗や息の匂いも新鮮に感じられた。

 気配を感じたのか、明智が白夜にふり向き小首を傾げる。

「……さてどうする」と誤魔化した。

「どうするもこうするも、突撃だろ、戦闘は突撃が全て、がーとやってばーとやって終わり」

 繁みの横に堂々と立っている木村がえらく簡単に宣言した。

「うーん」白夜は考える。

 ゴブリンは強くない。それはこの世界に来たばかりの本田が倒して見せたから判る。

 しかし問題は数だ。

 いくら弱い者でも数を揃えられたら苦戦し、最悪……。

 だが木村と嶋はそう言った戦略を無視した。

「僕等は選ばれた者だ! ゴブリンなんかに負けるか!」 

 と密偵の嶋が洞窟に突進し、白夜ら戦士は泡を食って後を追った。

 こうなったら一か八かだ。

「徳川っ、朝倉さん、怪我したら頼む、らららは援護、たまっちは様子を見てて」

「たまっち言うな!」

 世の中には勢いが全ての時がある。今回がそうだった。

 嶋を先頭にゴブリンの巣に突入すると、ゴブリン等は洞窟内で寝ていた。

 一〇匹はいたのだが、大半は夢の中のまま果て、それ以外は武器も持たずに倒された。 圧勝である。

「くぅー、やったぁー、マジ強すぎだな、ららら達、よしっ、写真だべ」

 らららが小躍りしてスマホを取り出すが、白夜は切れた息を整えるのに必死だった。

 何かおかしい。ゴブリンの死体を見下ろしていると、いつまで経っても呼吸が落ち着かなかった。それどころかより早く苦しくなり、全身から汗が噴き出す。

「うう」とついに白夜は膝をつき、松明と剣を洞窟に落とした。

 金属の甲高い音に、仲間達は彼の異常に気付く。

「どうした? びゃくやっち」大谷が彼の肩に手を置き、屈んで顔をのぞき込む。

「どっか、やられたの?」

 らららも先程までの歓喜を引っ込めて、心配そうな声をかけた。

「い、いや」切れ切れの息の中、白夜は答える。敵はほぼ戦闘不能だった。髪の毛一つの傷も負っていない。

 どいて、と明智が袋を持って現れるとやおら白夜にかぶせた。

「これは過呼吸、源くんはゴブリンを殺したことにショックを受けたのよ」

「ほえー、意外に可愛いな源の奴」

 らららが感心する間に、白夜の呼吸は収まってきた。

「大丈夫か?」

 いつでも治癒の魔法を使えるように用意していた徳川と朝倉が白夜の前までやって来るが、その時はもう大分状態はよくなっていた。

「ありがとう大丈夫だ」白夜は袋を脱ぐと明智に渡した。

「仕方ないわ、動物を殺すなんて私達の世界でもほとんど無かったんだから」

 だが白夜は恥じる。他の生徒も条件は同じだったのに、自分だけ過呼吸を起こしてしまった。それは弱さだ、と思った。

 とにかくゴブリン退治は誰一人傷つかず終わった。


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