1 異世界

 落ちているのか浮いているのか判らない。

 准は暗黒の中膨れあがる不安と直面していた。

 いったい闇が降りてどのくらいの時間が経ったのか。 

 と、突然光が周囲に満ち、一人の人物の姿が浮き立った。

 ……誰だ?

 准は見極めて唖然とした。

 淡い光の中に、薄茶の髪色の白人女性が立っているのだ。

 彼女は体の線が判るような薄衣一枚で体を覆い、准を見つめていた。

 それにしても美しい女性だ。

 徳川准は映画も好きでよく洋画も視聴する。だが目の前の女性ほど美形な女優はハリウドでも見たことがない。

 美しい女性は切れ長の目を伏せると、どこか悲しそうに口を開いた。

「汝を我がエルジェナの使徒とする」


 はっと徳川准が目を開くと、草原にいた。

 膝までの青々とした草がどこまでも広がり、生命の力強さを表す大木が密集している森が背後にある。

「え?」

 准は夢だと思った。当然だろう、先程まで東京の中学校の教室にいたのだ。

 今は遠くに白い山脈を望む自然溢れた場所に立っている。

「……なんだよこれ」

 声に振り向き何故か安堵した。

 夢の中に落ちたのは彼だけではないらしく、三年四組の全ての生徒が先程までの席順のまま突っ立っている。

 当然、前には教卓こそないが木戸栄一先生もいた。

「な、何が起こったんだ? これはどういうことだ?」

 風に草が撫でられていく中、木戸は錯乱したように叫んだ。

 准が落ち着くために深呼吸すると、嗅いだことのない匂いだと気付いた。肺を冷やし冷静を心がけ、空を確認するとまだ午前中だったはずなのに中天に太陽がある。

「なに? どうしたの私達? ねえ、これ何?」

 女子生徒達がざわざわとパニックになっていく。だが徳川准に手はない。

 彼自身混乱の半歩手前なのだ。

「み、みんな静かに、大丈夫だ、大丈夫」  

 木戸先生が根拠なく抑えようとしているが成功するはずもなく、困惑と恐れの輪が三年四組に幾重にも広がっていった。

 しかし、事態は彼等のパニックをも許さなかった。

 がさがさと森が揺れ、何者かの大群が現れた。

「ひっ」女子の誰か、あるいは男子かも知れないが喉の奥が引きつった声を出した。

 森から現れたのはおおよそ彼等のいた世界には存在しない生物だっだ。

 豚のような顔に大柄な人間の胴体、オーク。

 准は、その姿にも驚いたが彼等が剣や槍といった前時代的ながら威力抜群の武器を手にしているのも見逃さなかった。

「なにあれ!」クラスのパニックが大きくなっていく。

 豚顔のオークは目を赤く光らせ、三年四組の面々を睨んでいた。

 馬の鳴き声が響く。

 ……今度は何だ?

 うんざりする准などに関係なく森の奥から馬に跨った何者かが現れた。

 顔は判らない。

 その人物? は全身を黒いプレートメイルで覆っていた。頭にもフルフェイスの兜を被っており、黒い馬にも防具が装着されている。

 鉄の塊みたいだ。

「なにアイツ、徳川、これどーなってんの? 夢? 幻? ねぇーってば」

 らららが焦りからか矢継ぎ早に質問してくるが、答えがあるはずがない。

「なんだ」

 ここで木戸が呑気な声を上げる。

「これはきっとドッキリ番組だよ、あの怪物は特殊メイクさ、どこかにカメラがあるに違いない」

 そんな馬鹿な、と准は反駁したかったが、万事呑気で無責任な木戸は普通の歩幅で馬上の騎士に近づくと、馴れ馴れしく声をかけた。

「やあ、皆さん、大変ですね、でももうドッキリだった見破ってしまいましたから、凄い鎧ですね? 私も聞いていなかったのですが、卒業式の余興で……」

 木戸の舌が滑らかに動いたのはここまでだった。

 鎧の騎士が不意に背の大剣を抜くと、木戸の首を斬り飛ばしたのだ。

 ころころとまだ笑顔が張りついた木戸の首が三年四組まで転がり、数秒まで生きていた木戸先生の体が血を吹きながら倒れると、皆は手がつけられないほどの阿鼻叫喚に陥った。

 オークの兵士達が突撃してくる。


 大混乱だった。 

 所々から甲高い悲鳴が上がり、オークの唸り声と荒い息も辺りに響き、それらが持つ刃が死の煌めきを放つ。

 源白夜は恐慌に陥りかけたが、誰が彼を笑えるだろう。

 数秒前は卒業式を控えた教室にいたはずなのに、今は何故か原っぱの真ん中で怪物に襲われていた。

 だが、「きゃー」と聞き覚えのある叫びを耳にして、彼は何とか恐慌の因子を心中で潰した。

 ……朧!

 振り向くと、幼馴染みの細川朧がオークに追われている。

 白夜は反射的に駆けだしていた。

 オークの持つ錆びかけた剣が持ち上がり、太陽の輝きを反射した。

「喰らえ!」白夜は自分を鼓舞するために一声上げるとオークに体当たりをした。

「ぐふぅ」オークは真横からの反撃など予想していなかったように、無様に倒れる。

「……白夜ちゃん」

 朧は泣き出しそうだが、今はそんな場合ではない。

「逃げるんだ!」

 白夜は朧を抱くように立たせると、草原の彼方を指した。

 聡い連中はもう逃げていて、幾つか背中が見える。

「でも……白夜ちゃんは?」

 答えようとしたが、それどころではない。真田亜由美子が危険だ。

「逃げろ!」

 白夜は振り向かず疾駆した。

 真田は腰を抜かしたのかその場に座り込みつつ、じりじりと後ろに後退していた。

 オークは笑いのような気持ちの悪い表情を浮かべて、いたぶるようにそれを追っている。

時折槍を構え、真田に「ひぃっ」と声を上げさせてだ。

 白夜はどこからか拾った木の棒をオークの頭に振り下ろした。

「ぶひゅう?」とオークが喚き、視線を彼に向けた。

 牙を生えた口が閉じられ表情が剣呑になる。怒っていると白夜にも判った。

「ごぶぅ!」オークは槍を構え直した。明らかな殺気が込められていると槍先から感じる。

 ……ヤバい!

 本能的に源白夜は命の危機を察知した。攻撃するなら一撃で仕留めなければならないのだ。そうでないと手ひどい反撃が待っている。

 泥で汚れた槍は容赦なく白夜の体を狙って突き出され……なかった。

 突如風のように現れた黒い馬の黒い騎士が、オークの胴体を大剣で真っ二つにしたのだ。

「クズが!」

 と木戸先生を殺した騎士は吐き捨てる。

 その間に白夜は真田の体を立たせると、細川朧が逃げた方向へ彼女を誘おうとした。

「ううう、ありがとう」

 いつもは決して弱味を見せない真田亜由美子が泣きべそになっている。男子よりよっぽど強いと思っていたが、やはりか弱い女の子なのだ。

 白夜は真田の腕を引っ張ってその場を離れた。

 懸念があった。

 先程の騎士は馬に乗っている。追いかけようと思えば可能だし、彼等を殺そうとすればいつでも出来るだろう。

 だが追撃はなかった。

 ちらりと振り返ると、黒い鎧の騎士は一歩も馬を動かさず、こちらを眺めている。

 ……何だアイツ?

 考えたらオークはアイツの仲間だった筈だ。しかし何故かいきなり殺した。

 全く理解できない。

 と、真田が走りにくそうにしていた。事実何度かつんのめっている。

 見やると、彼女は何か大きく厚い本を胸に抱いていた。

「真田さん、何持ってんの? こんな時なんだから捨ててよ」

「駄目よ! 絶対駄目!」

 あまりの剣幕に白夜は少したじろいだ。

「これは絶対手放しては駄目なの……どうしてか私の何かがそう言っている」

 いつもの彼女らしい断固とした言葉に、白夜はそれ以上その話題に触れない方がいいと悟った。

 今はそれよりも……白夜は振り返り、絶望した。

 どこから沸いたのか凄い数のオークが集まっており、こちらを追おうとしている。

 オークはどうやらそれほど強くないようだが、中学生に過ぎない白夜には荷が重い。他の生徒でもそうだろう。何せ、彼等は本物の武器も持っているのだ。

 あれだけの数に襲われたら……白夜は身震いした。

 まだオークの中で右往左往しているクラスメイトもいたが、白夜にももうどうしようもなかった。

 ……これじゃあ……。

 白夜は最悪の予感に震えた。

 その時、まさにその時、彼女は現れた。

 最初、白夜は深紅の炎が落ちてきたと思った。彼女の髪の色だった。

 燃える炎の色の髪をもった女性は、白夜の前に降り立ち、凛とした声で叫んだ。

「パルモデルス! モガリセイサ! ディナリブ!」

 意味は分からなかったが、それを受けたオークは表情を変え、くるりと踵を返し襲っていた生徒を放し森に逃げていく。

「メガラス、イカネイラ!」

 黒い騎士も馬に鞭を入れると森に戻っていく。

「白夜ちゃん!」

 真田の腕を握る白夜に朧が飛びついてくる。

「うううう、ありがとう、助けてくれて……」    

 しかし反応できなかった。突如現れた赤い髪の女に引きつけられていたのだ。

 彼女は完全に三年四組だけになると、振り向き、穏やかな表情と口調で話しかけてきた。

「デアッサ? イルマデム?」

 

 徳川准は肺の底の底から息を吐いた。

 彼はオークの襲撃に誰よりも早く突っ伏して泣き出した斉藤和樹と、ふらりと気絶した石田宗親の前に立ちふさがり続けたのだ。

 オークどもは彼等を囲み、いたぶるように槍や剣を突き出した。

 恐らく殺す前に弄ぶ気だったのだろうそれらは、准の肩や腿に薄い切り傷を作る程度だったが、彼の精神は挫ける寸前だった。

 前方の草原へと逃げる者達も見えたが、この有様では和樹と宗親は動けないだろう。

 ……このまま死ぬのか? 僕だけ……なら……逃げられる?

 邪な考えに准の心は冷え、背中は大量の汗に濡れた。

 その時、声が響いた。

 高くも低くもない声だ。だが何を言っているかは判らない。

 目をこらすと、草原に赤い女が立っていた。

 彼女は厳しく何かを言い、オークや黒い騎士はそれに恐れをなしたのか駆け去っていった。

「はあ」と敵の姿が消えたのを確認し、准はその場に座り込んだ。

「和樹! 大丈夫?」

 先程まで逃げまどっていた片倉美穂が荒い息を弾ませながら、駆け寄る。

「うううう、ああああ」斉藤和樹はまだ泣いていたが、石田宗親は気がついたらしく、はっと身を起こした。

「あ、あいつらは? 木戸先生を、ころ、した、化け物……」

「行ったよ」と答えながら石田の手に目がいった。

「石田、何持ってんの? 本?」

 彼は自分の胸くらいある大きく厚い本を手にしていた。

「あれ? 何だこれ……て、級長も何か持ってるよ」

「え」徳川准はようやく自分が何かを強く握りしめていると気付いた。

 銀色の縁の真ん中に金のメダルが入っている、所謂メダリオンだ。

「なんだこれ?」

 准は驚いた。こんなもの生まれて一度も目にしたこともなかったが、どうしてか見覚えがあるし、それを身から離すなんて到底考えられない。

 ……いったいこれは……、

 悩んでいる暇はなかった。赤い女が何か叫んでいるのだ。

「バルノレ、ライシ、クレラセ」

 相変わらず意味が分からないが、身振りからどうやら近寄れと言いたいらしい。

 准は簡単には従いたくなかった。訳の分からない世界で訳の分からない生物に襲われた。 あの赤い髪の女が味方である保証はない。

「行こう、級長」

 いつの間にか近くにいた本田繋が促した。

 彼は剣道初段で、先程のオークとの遭遇でも木の棒でクラスメイトを守っていた雄々しい男子生徒だ。

「……それしかないか」

 徳川准はいやいや赤髪の女へと足を踏み出した。

 途中判ったことだが、どうやら木戸先生以外三年四組に死者はいないようだ。あんな乱戦の中どうやったのか、確認すると二八人全員いる。

「パロク、ミズリス」

 赤髪の女に近づいて知ったのは、彼女が凄い美人だ、と言うことだ。

 腰までもある混ざり気のない深紅の髪と金色の瞳、白磁のような肌、高く細い鼻梁に花の蕾のような唇。ハリウッドセレブと十分張り合える……だが。

 耳だ、赤い女の耳はまるで矛のように細く尖っている。

「エルフ? エルフじゃない!」

 突然、いつもは目立たない嶋亘(しま わたる)が叫ぶ。

「エルフ?」他の生徒達はその言葉を飲み込むように呟く。

 エルフ、その名は当然徳川准も知っていた。テレビゲームのRPGとかに出てくる妖精の名前だ……くらりと倒れそうになる。つまり彼等はそんな世界にいるのか。

「フリナシア、ムセラリノカ」

「言葉がわかんねーよ」

 必死に何かを伝えようとする赤いエルフだが、さっぱりなので黒咲が吐き捨てた。

 エルフは黒咲の言葉が分かったのか、しばらくじっと三年四組を見回し、腰に吊してある麻袋を取り出した。

 中から赤い宝石がついた指輪が出てくる。

「なになにそれ! 宝石? 高いの、尊い~」

「バカららら、どんな物か判らないでしょ」

 すっかり警戒心の塊になった皆はエルフの差し出す指輪に手を出さず、それぞれ顔を見合わせているが、准はため息を吐いて一つ受け取った。

 腹立たしいが、級長の務めだと思ったのだ。

 指輪をおっかなびっくり嵌めてみる。

「……わたくしの言葉が分かりますか? 選ばれし者達よ」

 思わず仰け反る。赤いエルフの言葉がはっきりと理解できた。

「はい、言葉がわかります」と准が答えた瞬間、三年四組の皆が指輪に手を伸ばし、一瞬混乱が生まれる。

「大丈夫です、ちゃんと全員分……二八個あります」とのエルフの言葉通り、指輪は皆の手に渡った。

「判る、スゲー、何これ?」

「これはわたくしがこの時の為に作っていた魔法の指輪です、これさえあればこの世界の言葉を理解し、書き、読むことだって出来ます」   

 赤いエルフはやや薄い胸を張ったように見えた。 

「で、で、あなたはエルフなの? あの妖精の」

 嶋が前のめりに訊ねると、彼女はふんわりと笑った。

「はい、そうです、エレクトラと申します」

「えー、じゃあこれって異世界転生?」

「いや、死んでないから異世界転移だろ?」

 クラスメイトの馬鹿な指摘に准は苛立つ。またいつ怪物に襲われるか判らないのだ。

「それで、ここはどこですか、いったい僕等はどうなるんですか? 安全なのですか?」 赤エルフ、エレクトラは頷いた。

「ここはアースノアと呼ばれる世界です……オーク達は私の魔法で追い払いました、だからここはしばらくは安全です、しかし魔法の効力が消えれば……」

「……そんな」

「ですから手近な村へ急ぎましょう、オーク達は人里には滅多に現れません……が」

 准はエレクトラが語尾を濁したのが判ったが、敢えて追求しなかった。

「それで僕等はどうしてここにいるんですか?」

 重要な問いだ。ただの卒業前の中学生だった彼等がどうして異世界などに飛ばされたのか。

 エレクトラはやおら跪いた。

 ……え!

 と誰もが驚く中、彼女はうやうやしく頭を垂れる。

「待っておりました、選ばれし者達よ、あなた方がこのアースノアを救うのです」

「はあ?」と准が首を傾げたのは当たり前だ。

 救う? むしろ先程救って貰ったのは彼等だ。

「神託です、『異世界から現れた若者達がアースノアを救う』、だから私はずっと待っていました……先程ご覧になられた通りです、黒の騎士アークロードが魔物の軍勢を連れて世界を征服しようとしています、それを阻止して頂きたい」

「何言ってんだよ!」本田が半ば怒った口調で横から入る。

「出来るわけ無いだろ、俺剣道しているから判るが、あの黒い騎士、滅茶苦茶つえーぞ」 エレクトラはさらに深く頭を垂れる。

「アークロードと戦う必要はありません、封印すればいいのです、そしてそれはこの世界の者では出来ません」

 三年四組の皆に沈黙が降りた。誰しもが本心ではやりたくないだろう。

「何だよ簡単じゃないか!」

 どうしてかこの世界に来てから饒舌な嶋が周りの空気を読まず声を張り上げる。

「ちゃちゃっと封印すれば俺達英雄だろ?」

「そのちゃちゃっとがむずかしいんだっつーの、バカ?」

 らららが混ぜっ返すと、

「でも、僕達が元の世界に戻るのはアークロードとか言う奴を封印した後なんだろ?」

 嶋がエレクトラに明るく訊く。

「はい、封印は世界の理を正す行為、あなた方も元の世界に戻れるでしょう」

「なら決まりじゃん」

 嶋が手を叩き、他の生徒達は不満そうに眉根を寄せた。

「……とにかくここから離れましょう、急いで」

 エレクトラは立ち上がると、皆を先導するように歩き出した。

 三年四組はそれに続くが、その道筋には偶然にも木戸栄一の頭が転がっていた。

「きゃああ」と女子生徒は叫び、斉藤や石田や力角は朝食を吐いた。

「汚ねえなザコども」

 堀と脇坂は冷笑するが、彼等の顔も死人のように青かった。


 オークの大群から逃れるための行軍は思った以上に辛かった。

 元々徳川准を含めた三年四組は卒業式出席のための制服姿で、足などは上履きである。

 現代日本のように道は整地されておらず、石や草、枯れ木などに皆足を取られ苦心した。

 特に体力のない女子生徒や斉藤、石田らは口で息をしながらちょくちょく立ち止まり酸素を求めて喘ぐ。

「ウゼーな、足手まといなんだよ」とその度に彼等は堀やら脇坂に嘲罵されたが、准も注意するほど体力が残っていない。

 否、それよりも確認すべき事柄があるのだ。

「僕等が選ばれし者、とおっしゃいましたね?」

 エレクトラは難なく首肯する。

「はいそうです、この世界の神々があなた方を欲したのです」

「しかし」准は振り返り確かめる。クラスメイト達の表情は暗い。突如怪物に襲われた後この強行軍なのだ、仕方ないだろう。

「……僕等にはそんな力ありませんよ、僕等は卒業前の中三です、未成年です。体格的に優れた者もいないし、何かの間違いでは?」

「いいえ、私は神の声を聞きました、恐らくあなた方には何か力があるはずです」

「それはチート的な何か?」

 一人元気な嶋が目を輝かせる。

「きっと、俺達は魔法とか凄い上手いんだ、この世界の誰よりも強いんだ! だから選ばれたんだよ」

「はあ」と准はため息を吐く。

 ならばどうしてただ道を進むだけでこんなに苦労するのか。斉藤和樹達を嗤っている上位カーストの堀やら黒咲やらも実は相当疲労していると、彼は見抜いていた。

「そう言えば」彼はふと未だ後生大事に持っているメダリオンを持ち上げた。

「これなんです? いつの間にか手にあり、どうしてか捨てたら駄目な気がするんですが」

「ああっ!」

 エレクトラは目を丸くして驚いた。

「それは……あなたは聖職者なんですね? 地母神エルジェナの……そう言えば、皆さんのクラスについて説明していませんでした」

 彼女は止まると振り返り、歩くのに苦労している皆へと向き直った。

「皆さん、大事なお話をするのを忘れていました」

「……ええ」疲れた顔をした三年四組はエレクトラの美しい顔を見上げた。

「皆さんはこの世界に来たときに、それぞれ神に選ばれクラスが与えられました」

「クラス?」 

「神に選ばれた才能です……皆さんの中に本を持っている方」

 顔を見合わせながらも、数人手を挙げる。

「それは魔道書で、持っているのは魔法使いです、それぞれ細かく分類がありますが、それは後で説明するとして、その本で読める魔法を使うことが出来ます」

「魔法だって!」嶋が飛び跳ねたが、誰もが無視する。

「うええー、いろいろ細かく書いてあるー、目がちかちか」

 どうやら魔法使いらしいらららがピンクの舌を出して呻く。

「メダリオンを持っている方は聖職者です……その他の人は後で私が鑑定します」 

 准は肩を落とした。

「これがチート能力? 何だか大変そうだけど」

「で」黒咲が不機嫌そうに口を開く。

「俺達は何をすればいいわけ? 封印とか言ってたけど。どこに行くんだよ?」

「……それは、私にも……ただ、ここから北、エルス王国の賢者ラスタルが知っているそうです」

「すぐ行けんのかよ」

「徒歩で三〇日ほどです」

「げー」と脇坂が舌打ちする。

「んなのやってられねーよ。この世界の危機なんか知らないから早く戻せよ」

 それは皆の本心らしく、頷きがいくつも続いた。

「申し訳ありません、わたくしにはできません、封印の力に頼らなければ」

「なら誰か行ってくれよ、斉藤とか石田とか力角とかが」

 堀はしゃがんで目だけを光らせる。

「いいえ、そこに行くのは選ばれし者です、この中でだれが選ばれたのか判りません」

「何だよそれ」心底失望したように脇坂は唾を吐いた。

 徳川准は頭を抱えたくなる。クラスメイト達に渦巻き始めたネガティヴな感情を感じたのだ。みんなもう沢山なんだろう。

 かく言う准も、この訳の分からない事態から逃げ出したい。あんなに嫌だった港区羽場中学校の三年四組の教室に、最低な学園生活に戻りたい。

「きゃー、いやー! 誰かー!」

 女の子の悲鳴が響いたのはそんな最悪の時だ。

「え?」

 黒咲が何かに聞き返す。

「今のって?」

「助けてー! 誰かー!」

 当然誰も動かなかった。

 オークの襲来で酷い目にあったばかりだ。それも木戸先生も殺されている。

 そう、この世界は法に守られた現代日本社会ではない。人が簡単に殺される世界なのだ。

 誰もが躊躇し、誰もが困惑した……が。

「よし!」嶋が走り出した。どうやら彼はチート能力を信じているらしい。

 だが、それは迷っていた者達を刺激した……特に煩いギャルを。

「あんたら男でしょ? 助けを呼んでるオンナノコ見捨てんの? ダセーな」

 らららのだめ押しに最初に動いたのは本田だ。彼は手頃な棒を握ると嶋を追いかけた。次にいつも詰まらなそうな顔をしている平深紅と凛とした佇まいが女子の中で人気な美少女・北条青藍(ほうじょう せいらん)が駆け出し、よく言えば熱血漢、悪く言えば単純バカの木村智(きむら さとし)も地を蹴った。

 他の者はぽかんと口を開けてそれを見つめ、動き出したのはしばし後だ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る