第二章ー4 『偶然の出会い』
⚫『偶然の出会い』
「うわあああああ!?」「おわぁ!?」
曲がり角から人影が飛び出してきて、正太は自転車を月森の方へ倒しかけた。
「つ、月森!? 大丈夫!?」「ええ、私は……」
「あのあたし全然悪いことしてるわけじゃなくて、ホントに今帰るところなんで全然大丈夫で、あ、通りのうどん屋をお母さんがやってるんでもしよかったら今度寄ってもらったらサービスを……ってあれ? もしかして警察じゃない?」
ぺこぺこ頭を下げながらマシンガントークをかます女子が顔を上げた。
「いやぁー、ごめんなさい! この前も警察に見つかって怒られたばっかりでさー。焦って見間違えちゃったー。……ってあれ、もしかして…………月森
女子に指差された月森は目をぱちくりさせている。
正太は、自分たちと同い年くらいの女子をしげしげと観察する。
パーマの当てられたピンクブラウンの髪は、太陽みたいに赤いシュシュでまとめられたアップスタイル。猫のような、くりっとしていて大きな目が闇夜に輝く。
白のキャミソールの上にパーカーをざっくりラフに羽織って、下はショートパンツとなんだか露出度が高い。明るくて、派手で、それこそ太陽みたいな印象だ。
「……どこかで、会った?」
「いやいや、元・
ということは
だが一年の時に退学した生徒が出たという
「こっちはこんなお姫様みたいな美人いるんだなー、って一方的に知っててさ!」
「もしかして……
「え!? わかるの!? えー、お互い覚えてるなら、もう完全なダチじゃね?」
ぱちっとウインクする南雲に、
「いきなり距離感が近すぎというか……」
「拒否られたー! ま、デート中にお邪魔虫だもんね」
で、で、デェト!? などと月森が慌てふためくことはなく「違うわ」と即否定した。
「意外と派手系じゃなく地味系がタイプなんだねー。でもそっちの方が好感度高いかも」
「ちょっと聞いてる? デート、じゃ、ない、わ」
「えー、じゃあなにしてるの? こんな深夜に」
「……勉強帰りよ」
「春からこんな時間まで追い込むことある? いったいどこの大学受けんの? 月森さんってすっごい成績よかったよね!」
「東大よ」
「──えっ」
へらへらとしていた
「でもそんなことはどうでもよくてっ!」
ちょうどその時、前方からきらりと光がちらつく。
ゆらゆらと揺れながらこちらに近づく二つの光は、自転車のライトだ。
台数は二台。そしてそこに乗るのは、チョッキに、帽子を
「け、け、け、け、警察だー!?」
南雲が夜の通りで絶叫した。
「逃げよう!? 逃げるよ! ほら早くっ!」
なぜか南雲は
「え、え、逃げる必要あるっけ?」正太は言いながらも、自分の手押しする自転車が倒れそうになるので、タイヤの回転に合わせて駆け足になる。
「ちょっと置いてかないでよ!?」
叫びながら月森も走り出す──。
──最終的に小道に入り込み警察を
「ふ~! 逃げ切った~!」
いい汗かいたー、と言わんばかりに南雲は汗を拭う。
「はぁ……はぁ……逃げる必要あったっけ……?」
呼吸を整えつつ正太は言う。そもそもこちらを追ってきていない気もした。
「いやこの前も夜に出歩いてるの注意されたばっかりでさー! 社会的身分が不安定だと困っちゃうんだよね」
「身分が不安定なんてことはないと思うが……」
「そっちは高校の制服も着てるしバッチリだよ? でもこちとら無職でやらせてもらってますんでー」
南雲はやからっぽく言いながら、正太を肘で小突いてきた。
「反応に困らないでよー。家のうどん屋手伝ったりしてるから社会性はあるって。ただ犯罪者として報道される時の肩書きは『無職』か『家事手伝い』って……泣けるよね!?」
南雲に肩をつかまれて、体を揺さぶられる。
露出度の高い服から胸がこぼれ落ちそうだ。慌てて視線を上げる。
シャンプーなのか、なんなのか、甘い
「どうして…………私…………まで」
蚊の鳴くような弱々しい声が聞こえてきた。
「つ、月森? 大丈夫?」
「…………こんなに走るの、久しぶり…………」
そういえば月森は体育全見学系女子だった。
「……あれ、なんかヤバげ? よかったら、うちに寄って休んでく?」
⚫『夜の友だち』
「ここ、お母さんがやってる店なんだー」
「すぐ飲めるのは水とだし汁があるけど、どっちにする?」
「「水で」」
「ちなみにだし汁はこだわりのいりこで」
「「水で」」
四人掛けのテーブル席に腰かけ、水を飲み干すと、月森も多少回復したようだ。
「……生き返ったわ」
とはいえまだ暑いらしく、上の制服を大胆にめくり上げてぱたぱたと
ちろちろと白い陶磁器のような素肌とおへそが
「でさー、
気づいたら南雲は月森を下の名前で呼んでいた。面識がなかった正太のことも「はじめまして」が終わると下の名前で呼んできたが、気恥ずかしいのでやめてもらった。
「塾ではなくて……自習ね」
「へえ塾じゃないのに、こんな時間まで? もう二十三時だよ?」
「いつもではないけれど」
「ああ、勉強が終わったあとにファミレスとかでダラダラしちゃうやつねー。あるあるー」
「そ、そうね。よくあるわよね」
南雲の勝手な解釈に月森が乗っかっている。
「勉強終わりに、い、いつも遊んでいるというか」
ちらちらと正太を見ながら月森が言う。
「夜遊びしてるんだー!」
「……さて休憩はできたし、お
月森が立ち上がる。掘り下げられるとボロが出ると思ったのかもしれない。
「ちょ、ちょい待ち!」すると南雲が月森の腕をつかんだ。
「なに?」
「えっと…………もうちょっと話さない?」
「……どうして?」
「あー……その、あたしって、学校辞めて昼間に仕事をしてて……。つまり遊べるの、夜だけなんだよなー」
「俺は……時間は大丈夫だけど」
勘違いでなければ月森はとても……
「女子バナしよっ!」南雲はうきうきと話し始める。「青春の話を聞きたいなー! 楽しかった学校行事の話とか!」
「……特に思い出に残っているものはないわ」
まあ月森がちゃんと参加できる学校行事は思いつかない。
「えーと、あ、修学旅行は? 二年の最後だよねー。どうだった?」
「欠席したわ」
……欠席だったのか。
「じゃあさじゃあさ、部活は? もう引退した?」
「どこにも入ったことがないわ……」
「帰宅部だ」
「二人とも…………学校楽しい?」
南雲は
「も、もちろんよ。最近すごく楽しいしっ」
「おう、あるじゃん、あるじゃん! で、なにが?」
「夜に学校で──」「月森ストップ!?」
思いきり秘密を暴露しかけていたので正太が止めた。
「あ」と月森は口に手を当てる。
「夜に……?」
「月森、ちょっと……」
正太は月森と後ろを向いてひそひそと話す。
「……月森、意外とコミュ力が危なくないか……?」
「……なによ。同年代の三人以上で話すのがひさびさだからって浮き立っているわけじゃないわよ。しばらくリハビリが必要なだけだから……」
とても浮き立っているらしい。
「ねーねー、夜に学校でなんかやってんの?」
「『学校』終わりに、『夜』まで、勉強をしているってことだな。……はは」
「ふーん。……あれ、そういえば
「……そうね。昼間、眠くなってしまう体質だから」
「へえ、夜行性なんだ。……あたしみたいだ」
ぼそっとつぶやいて、
しかしすぐに顔を上げ、にっと太陽みたいな笑みを見せる。
「でもって
「え……」
先ほど
しかし正太の志望校を知っているのは、教師を除けば月森だけだ。
そもそも口に出すつもりはなかった。だって……どうせ実際に行くわけじゃない。
「まーさーか、灯と同じ大学とか言わないよね?」
だから、どう答えようかと迷っていたら……。
「同じよ」
月森が代わりに返事をした。おい。
「…………マジ? 東大……東京大学……ってこと?」
南雲に口に出されて、顔が燃えるように熱くなった。
ありえないよな。そうだよな。月森みたいな規格外ならまだしも──。
「すっっごいじゃん頑張りなよ!
思った反応とは違い、南雲は純粋に感動したみたいに、拍手をしてくれた。
「灯は……きっと学年一位キープしてるんだよね? 一年の最初の中間テストで、全科目平均九十九点を取った伝説の持ち主だから……」
今も一位なのは事実だから、すんなり
「当たり前なのすご。じゃあ真嶋の順位も当然……」
「それはまあ……三十番台が最高だが」
「……おっと? ああ、あれね! 学校のテスト捨ててる系。模試の偏差値がいいんだ! 全国模試のこれまでの最高だと、どれくらい?」
「偏差値で言うと……五十ちょっと」
「待って」
南雲が右手を正太の顔の前にかざす。
「偏差値ってさ、五ポイント上げるのも大変だし、十ポイント上げるなんて相当頑張らないとたどり着かないよ。てゆーか仮にプラス十でも、偏差値六十ちょいじゃ、東大にまだ届かないし」
「部活めちゃくちゃ頑張ってきて集中力と体力が抜群にいい子が、引退後に一気伸びするパターンはあるにはあるけど。
早口でまくし立てていた南雲が口をつぐみ、首を横に振る。
「……でも、うん、いいと思う。あたしは応援する! 目標は高くしてこそだし!」
急にモードを切り替えたみたいに明るく言う。
「先生には止められる気もするけど、受かってほしい! だって、
「青春ではなく、純粋に……」
いや、正確には不純な理由で目指しているが……。
「理由はなんでもいいよ! でも目標に向けて頑張るのはさ、
きらきらした目を向けられると、恥ずかしくなる。
でも……応援してもらえて
思わぬ形ではある。ただ東大志望を知られた相手が、南雲でよかった。
「真嶋君は受かるわ。私もアドバイスしているし」
「た、頼もしすぎない!? 超強力バックアップじゃん!」
「言っておくけど、真嶋君の今の勉強量は、そんじょそこらのレベルじゃないわよ」
「お~、楽しみになるね! 確かに真嶋は真面目そうだもんね」
「やっぱり
「……急にどうした?」
南雲にちょっと引かれた。なぜだ。
「てゆーか、灯クラスになると、どんな感じなの? 模試の合格判定とかさ」
「直近では、C判定が出ていたわね」
「うっわー、現役生でこの時期でその判定出す~? 今時点で合格可能性四十~六十%なら十分すぎるよー。やっぱ半端ない……!」
南雲は万歳をして、お手上げポーズだ。
「灯は結構余裕そうだし……あとは真嶋が頑張れば、東大合格者二名だよ! あ、真嶋は科類どうするの?」
「ああ……文三のつもりだけど」
東大は一般的な学部ごとの募集は行われず、文系の文科一~三類、理系の理科一~三類といった区分で募集がなされる。
どの科類に進むかによってその後の進路は
「主に文学部、教育学部、教養学部だよね。まだ入りやすいもんね」
それにしても、
「
「いいえ、私は理系だから」
「…………ていうか……灯……いえ灯さん……? ……科類、どこ?」
南雲がなにか恐ろしい気配を感じたみたいに、小刻みに震えていた。
「理三」
「ぎゃ───────────────────────っ!?」
南雲はイスから転げ落ちた。幽霊でも出たのか。
「り、り、り、り、り、り、り、理三っ!?」
テーブルに手をつき、南雲が下から
「南雲……いくらなんでもリアクションが……」
「ま、
「なぜ真嶋君と同じようなことを……? そんなわけないでしょ」
「俺さ、いまいち理三をわかってないんだけど……同じ東大じゃないのか? 医学部に進む人が多くて、一番難易度が高い科類なのは知ってるけど」
「理三は人ならざる者が向かう場所だからっ……! 東大の定員は三千人! でも理三の合格者は百名! 東大合格者の中でも上位三%! トップオブトップだからっ!」
南雲の勢いがすごい。
「理三でC判定なら、東大の他の科類はA判定が余裕! A判定なんて『余裕で受かっちゃうから上のレベルに行け』くらいに読み替えれるんだよ? わかる?」
つまり
「学力のレベルって一個上の大学にいけば一段上がる、そういうイメージない? でも国内のトップにあたる理三は、そこが上限だからどんなにレベルが高くてもその箱に押し込まれるんだよね。どれだけ限界突破した優秀さでも。言いたいことわかる?」
南雲はものすごい熱だ。さらに続ける。
「例えば東大の他の科類に入るのに必要な戦闘力が一万だとして。理三になると戦闘力二万どころか戦闘力十万とか二十万とかバグった
なんとなく、正太もそのすごさの感覚がつかめた。本当に、ただのイメージだが。
「…………月森って、もしかして、ものすごい?」
「ものすっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっごい! って感じ」
「いたく持ち上げてもらったけど……それでも、上には上がいるから」
「いや現役のこの時期だよ! はっきり言って……神だ。拝もう」
南雲が両手を合わせて祈り始めた。
そこまで言われると
もし月森が全力を出せたなら……。
正太は想像する。日本で一番頭のいい国宝級の高校生が、今隣に座って「……
彼女みたいな天才に、正しく実力を発揮してもらえるよう尽くすのが、凡人である自分の役割ではないのか?
「ところで、東大について詳しすぎない?」
やっぱり月森も疑問に思ったらしい。
「あー……それは……その……。……二人とも塾通いじゃないんだよね?」
月森が
「実は……こういうものがありまして!」
結局、随分長居をしてしまい、店を出るのは二十四時前になった。
ちなみに月森は学校に戻るらしいので、途中まで送っていくことにした。
「普段から真夜中に出歩いているから、私は一人でも大丈夫よ」と月森は言うが。
「そういうわけにはいかないだろ! なにかあった時の損失が……!」
貴重な頭脳の持ち主になにかあれば、国益を損なうレベルじゃなかろうか。
「ねえ、
早足で学校に向かう途中、月森が声をかけてきた。
「……あれは、友だちよね」
「え? ああ……向こうはそんな感じだったな」
別れ際に南雲は『絶対また会おうね! 約束ね! うどんも食べに来てよ!』と言っていた。
「……夜の友だちね」
ふふーん、と鼻歌まで聞こえてきた。
南雲との関係は、夜の生活に満足したい月森にとっても、意味あるものになるかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます