明日ケの日、ハレの昨日。
お望月うさぎ
第1話
満月が輝く真夜中の裏山。坂を駆け下り直線で3分もかからない村を通る。君は約束より早いのに入口で待っていた。
私たちはいつも入口に集まる。どちらが決めた訳では無いけれど、いつの間にか通例になっていた。
「待った?」
「ああ、ずっと待ってたよ」
「ふふ、うん。じゃあ出発しよっか」
1歩踏み出し、くるりと振り返る。
「真夜中デート!」
「時間無いから村全部回るのは無理だけどな」
「じゃあ、どんどん行かなきゃね」
並んで歩く。いつも通り、手を繋いでくれた。
入口すぐの村の広場、水が枯れて真ん中が凹んだ奇妙な石の置物になった噴水を周る。入口から右回りで行くと直ぐに、商品のない果物店が見えてくる。
「ここでいつもおじさんが果物くれたよね」
「くれた、じゃなくてお前がせびったんだけどな」
「せびってないよ! 喜んで渡してくれたもの!」
「でもこの店の果実を君が告白してくれた時にくれたのは覚えてるよ。あの日の満月と同じ形の」
「……、受けてくれたのは驚いたよ」
「あのリンゴ見たいな顔されてたら断れないよ」
今みたいな、とは言わなかった。
果物屋の隣には道が続いていて、その先にはこの村の生命線とも言える漁港がある。村の近くにある海は比較的気候が安定していることもあり、そこそこな種類の魚が、結構な量とれた。そのためかなり離れた所にある大きな国に1週間かけて売りに行く事で村の経営を担っている。
「いやぁ、結局全然魚釣れなかったんだよなぁ」
「お前はちょっと落ち着きが無さすぎるんだよ」
「えー、いつも限界まで待ってるもん、逆に君は大量だよね、羨ましかったよ」
「……まぁ、また見に来いよ」
「難しいこと言うなぁ」
道の前で話すが、港には行こうとしない。それもそのはず、港への道は急な下り坂になっていて、行きは良くても帰りは地獄だ。昔村で作った船を海に運ぶために坂になっている、という話もあるが、ただ私たちには大変な道でしかない。もう一度道を見たあと、2人で顔を見合せ苦笑いをして次に進んだ。
次はとても大きな家だ。灯りの消えたその家は長老の家で、いつもは夜遅くまで明かりがついている。
目的の場所はその隣。長老の家の次くらいに大きな店に入る。
そこは私の姉が働いている酒場。カウンターの奥の壁に積まれた備蓄用の樽に、お酒は一滴も入っていない。それを横目にカウンター上の記帳用のノートを開く。大体収支や注文を書き込んでいるその1番下に、
『ただいま。妹より』
横の羽根ペンで書き加える。驚いたように見ている彼に、しぃ、と人差し指を唇に添えて笑いかける。
「良いでしょ? きっと怒られないよ」
「いやまさか字を書けるとは思わなかったから」
「失礼な! 旅に出た人が書けないはず無いでしょ?」
「……分かってるけど」
「本当かなぁ? 旅といえば、お姉ちゃんは凄い反対してたね」
「危険だからな」
「だね、身をもって体験したよ。お姉ちゃんはやっぱり凄いなぁ」
「ちょっと過保護ぎみだった気もするけどな」
「でも昔はお姉ちゃんも昔はやんちゃだったとか。想像できないよね」
「確かに」
それから思い出話に随分花を咲かせた。姉のこと、私の趣味、彼の失敗、昔2人でみた将来の夢。毎回同じ話をして、その度に笑ってしまう。気づかない間に随分経ったようで、夜が白んできていた。
「こんな時間。もう帰らなきゃ」
「送ってくよ」
「そう? そこまでしなくていいよ?」
「いや、今日くらいはな。良いだろ?」
「わかったよ、一緒に行こうか」
最後は、1人が良かったんだけどな。
夜に出た裏山を今度は登り、私の家に着く。木々の合間に、十字架に名前が書いてある灰色の石があった。それが『今の私の家』の標識であり、母を探し旅に出た私が還った場所。
「今日はありがとう。楽しかった。でもまさか、1年も前の約束を覚えてくれてるとは思わなくてビックリしちゃった。とうに幸せになってると思ってたから」
「まさかこんなことになるなんて思わなかったけど、1年毎の満月の日には真夜中にデートする。告白した時にした、大切な約束だ。最後くらいそれを果たさずに幸せにはなれないよ。忘れるなんて酷いだろ?」
そんな言葉に泣きそうになり、振り返って私の家を撫でる。汚れはなくとても綺麗だった。きっと彼が綺麗にしてくれているのだろう。
「私ね?」
涙を堪えて振り返り、私の大切な人に向き合う。まだ、まだ笑顔で。
「後悔は、ないんだ。お姉ちゃんに反対されて、君を置いて、お母さんを探すために旅に出たこと。結局1年くらいで死んじゃったんだけど」
「もう知ってるから。だから」
遮るように彼が言う。私は言葉を続ける。
「でも、でもね? いざって時に、どうしても心残りが出てきてさ」
「っ、もう分かったから」
彼の顔がどんどん歪んで、笑顔の筈の私の顔がギシリと軋んで、視界が滲む。思わず拭う時に見えた手の縁の色が、向こう側の景色と混ざる。
「お姉ちゃんに、ただいまが言えないこと。大好きな君に、さよならが言えないこと。だからどうしても会いたかったの」
「ちゃんと、ちゃんと俺が伝えとくから、だからそんなに泣くなよ」
私が言い終わらない間に、彼は耐え切れない様に叫んだ。
もう、彼も、木々も光の丸になって見えない。
段々と、明るくなっていく。
「ごめん、ごめんね、最期くらいは綺麗に静かにって、思ったのに」
「騒がしがったお前らしいよ」
「そうかな? うん。そうだね、最期の1日にちゃんと言えそうだよ」
何とか涙を払う。
「たとえ君が忘れても、私はちゃんと君を見てるから、だからもう大丈夫、幸せになって良いんだよ」
彼の顔を見れずに背中を向けた。
呆気ない、最期だった。
私達だけの真夜中のデートは終わった。
「これで、良かったのかね?」
問いかける声が聞こえて顔を上げると、長老が祠の前で立っていた。
「はい。長老も、1ヶ月間お世話して下さってありがとうございました」
「……未練があっては生贄にならん。伝承はお前がよく知っておるだろう」
「それは、そうですけど」
「誰にも会わせず生かすだけだった儂にお礼を言われる義理は無い」
少し苦しそうに言う長老に、私は少し笑ってしまう。
「生贄になる前の最後の1晩に、幽霊、って扱いとは言え大好きな人に会うことを選べたんです。十分義理はありますよ」
「それも雨乞いの生贄の特権じゃからじゃ。それに、最後まで未練が残っておる生贄のためでもある」
長老は少し言いずらそうにいい切った後、ふう、と息をついた。
「しかし、生贄になってから決められた偽りの死因だと言うのに、どうして最後の1晩をそんな物を引き摺って過ごしたのかね?」
「珍しいですか?」
「いや、それが不思議でな、これまで2、3組ほど見送ってきたが、みんな最後にはわざわざ騒ぎにせずに終わるんじゃ。全くわからん」
「……ふふ、長老でも分からないことがあるんですね」
「分からないことばかりじゃよ。この村の異常もな」「うーん、私も、最初は、死んだ事にされた幽霊だから、最後くらい生贄じゃない私で過ごしてやろうって思いました」
「まぁ、正直お前ならそうすると思っとった」
「でも、こんな最後を過ごせた人は、きっと幸せなんだって気付けたんです」
「……何故?」
木々の隙間から、段々と紺から紫に変わっていく空を見上げる。
「だって大切な人と普通を噛み締めて、生きた証を残せる。最期を私みたいに過ごした人は、これがどんな特別なことより幸せだと知っている筈だから」
泣きながら、私は確かに笑っていた。
これは、誰にも言えない最期の恋話。
結局、あの朝日が綺麗な村に雨が降ったのか、私は知らない。
明日ケの日、ハレの昨日。 お望月うさぎ @Omoti-moon15
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