第17話 根拠がないなら作ればいい

 私はそこでいったん言葉を切って、皇子の目の前にしゃがみこむ。そして彼のまだ小さく細い腕にできた、赤い火傷の位置を指さした。


「ソルーシュさま、この太くてすごく大きな草に、ここがちょっと触ったことはありませんか?」


「それ……したにおうまがおちてたの。とりにいったとき、ちょっとさわったかも」


『おうま』というのは、皇子が気に入ってよく持ち歩いている木彫りの馬のことだろう。でもなんで『落としたとき』ではなく『とりにいったとき』なんだろう。オモチャが一人でに歩いていくはずなんてないのに、まるでわざと落として、そこに拾いに行かせたような――。


 ――私は軽い違和感を覚えたが、しかしパラストゥー妃が気になったのは別のポイントのようだった。


「そんなものにちょっと触ったぐらいで、こんな火傷になんてなるわけないでしょう!?」


 やっぱり、そう言われるだろうと思ってました。


「では、試してみましょうか」


 私は立ち上がって手巾ハンカチごしに花独活ハナウドをつかむと、その茎を自らの左下腕にスルリと軽く撫で付ける。そして開放された窓辺へ向かうと、そこから差し込む真昼の日差しへと肌を晒した。


 するとたちまち茎で撫でた部分の肌が細長く赤みを帯びて、ジリジリと火膨れしたように爛れてゆく。


「なっ!?」


「すぐに洗え!! 水は!?」


 ――その声を聞いた瞬間。サイード様は問答無用で私を担ぎ上げると、驚く皆を置いたまま部屋を飛び出した。そのまま水場に直行すると、私の赤くなった腕を掴んだまま桶に水を汲んでは、必死の形相で流しかける。六杯目の水ですっかり服までずぶ濡れになったところで、彼は井戸から新しい水を汲み上げながら言った。


「何故こんな、自らを傷付けるような真似をしたんだ!」


「だって、ちょっと草に触っただけで太陽の光で火傷するなんて、言われただけで信じられますか? いくら私が『知っている』と言っても、なんのエビデンスもないんです」


「エビ……?」


 桶を持つ手を止めて訝しげな顔を見せるサイード様に、私は慌てて補足した。


「あ、すみません! エビデンスとはエルグラン語で、根拠や裏付けという意味なんです。私は父がエルグラン人なので、あっちの単語を混ぜて使うクセがうつっちゃってて」


「なるほど、根拠か……」


「そんなわけで、事件じゃなくて事故だと合理的に皆に納得してもらうには、この方法しか思いつかなかったから……」


 目の前で日差しに焼かれるところを見せたから、予想通り皆とても驚いてくれたのだ。荒唐無稽な話を信じてもらうには、分かりやすいインパクトが重要である。そうでもなければ、ただ言葉で聞いただけでは誰も日光で火傷するなんて信じてくれなかっただろう。


「それは……すまなかった。だが呪いを解いてくれと言ったのは、ここまでしてくれと言ったわけではない!」


「サイード様のせいではありません。これは私がしたくてしたことです。私はただ、私の好きな場所の平和を守ろうとしただけですから」


「だからといって、自らこんな火傷を負おうとする者など普通はいないだろう。まったく、君は変わっているな」


 サイード様は額に手を当てると、呆れたように深いため息をついた。


「すぐに典医を呼ばせよう。……次からは、こういった危険な方法を思いついた場合は、必ず事前に俺に相談してくれ」


「え、なんで……」


 私が驚いて顔を上げると、サイード様はなぜか少しだけ目を逸らして言った。


「……皇帝陛下の大事な妃に傷を付けてしまうなど、陛下の身辺を整えるお役目をいただいている小姓頭として、見逃すことはできん」


「それは、スミマセン……」


 私は神妙に頭を下げながら、でも少しだけ気になることが頭をよぎっていた。この種の花独活ハナウドの原産はここ大陸中央部だが、確か群生地はもっと涼しい、北の方であるはずだ。それがなぜ、この後宮の庭園なんかにポツンと生えていたのだろう。


 まるで誰かが、意図的に――いや。後宮の庭には、国内外の美しい植物がたくさん集められているのだ。園芸用に輸入された種子類に雑草が混ざるなんて、よくあること……きっと考えすぎだろう。


 今満開を迎えている大百合だって、最近外国から輸入して植えられたものだし――そこで私はハッと気がついて、ずぶ濡れで張り付く衣類にまどろっこしさを感じつつ、急いで立ち上がった。


「すみません、私、ヴィラに戻って着替えてきます!」


 面食らった様子のサイード様から返事を待つのもそこそこに、私はヴィラへと走り出す。到着するなり何ごとかと様子を見に現れた侍女に大急ぎで着替えを持って来るよう頼んでから、物置部屋へ駆け込んだ。


「あれは、確かこのへんに……」


 父が残して行った大量の手帳を詰め込んだ棚から一冊を選び出し、古いページを急いでめくる。確かあれは大百合ではなかったけれど、確か百合の仲間の特徴を記したところで――


「あった……猫にとって、百合はどこをとっても猛毒だ!!」


 花や葉をちょっぴりかじったり、活けた後の水を舐めただけでも……猫にとっての百合は、その全体がどこを取っても命にかかわる猛毒らしい。だが人体には影響がなく、猫とそれによく似た動物にだけ、毒になるのだという。


 私は侍女が持ってきた服に急いで着替えると、再び外へと駆け出した。

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