第15話 ご近所トラブルの原因は

「パラストゥー様、あの、ここは人通りが多いですから!」


「なによ……って、アーファリーンじゃない! 確かアナタも、猫を飼っているわよね!? 庇いだてするならば、アナタも同罪よ!」


「しかしこんな急激な大発生、ずっと後宮の中に居た猫たちが原因となるのは難しいことは、聡明なパラストゥー様はすでにお気づきなのではないでしょうか」


「それは……」


『聡明な』と付けたことで、なんとか彼女の敵愾心てきがいしんを和らげることができたようである。


「なら、他にどんな原因があるというのよ!?」


 とはいえ、完全に納得してくれたわけではないらしい。なんとか自然な言い訳をできないか探していた、その時――。


「本当にごめんなさいね、わたくしのせいなのよ」


 声のした方へ一斉に振り返ると、近づいて来たのは困ったような顔をしたデルカシュ様だった。


「そんな、一体なぜ……」


「実はね、使用人たちを労おうと思って、狼の毛皮をたくさん購入したの。どうやらその毛皮にノミが隠れていたみたいで……」


 デルカシュ様の話によると、先日この後宮に住まう数多の使用人たち全てに、日頃の働きの褒美として毛皮の敷物を配布したらしい。まさかのポケットマネーからの支出で驚くけれど、豊かな交易都市を実家に持つデルカシュ様だからできることだろう。だが彼女自身はその身を飾ることにひかえめで、ゆえに彼女を慕う者が後を絶たないのだ。


「それは、なんと不運なことでしょう! デルカシュ様のせいではございませんわ。せっかくのご慈悲の心につけこんで、悪い商品を売りつけた商人がいけないのです」


 それはまさに、このパラストゥー妃のセリフが好例である。全方面に当たりのキツい彼女だが、デルカシュ様へだけはそれなりに気を遣っているようだった。きっと彼女も、皆のように色々とお世話になったことがあるのだろう。


「そうね、お値段に惑わされず、次からはもっとしっかりお品を吟味するよう気を付けるわ。だからバハーミーンを責めないで、ね?」


「でもデルカシュ様、聞いてくださいませ! バハーミーン様のところの猫が増えすぎているのは本当のことなのです。その辺を猫がうろついていると、皇子が触りたがって困るのですわ。猫はノミだけではなくて、たくさん病気を持っているらしいとのこと。大事な大事な第一皇子に伝染りでもしたら、一大事ではありませんか!」


 パラストゥー妃の息子であるソルーシュ皇子は、アルサラーン陛下にとって現在唯一の男子である。四歳になったばかりの皇子は身体が弱めで食も細く、すぐに熱を出す方らしい。そのためか、パラストゥー妃はなにかと神経質になっているようだ。


 だがここで、バハーミーン様が負けじと声を上げた。


「わたくしの猫たちを、病気のかたまりみたいに言わないで! 嫌なら近づけないように、母親の貴女がちゃんと行動に気をつけておけばいいだけでしょう!?」


 するとさらに張り合うように、パラストゥー妃も声を張り上げる。


「なによそっちこそ、猫を飼うならちゃんと行動に気を付けて、共用部の通路をウロウロさせないで! アーファリーン、アナタのところのブタ猫もよ! 二度とわたくしのヴィラに近寄らせないでッ!」


 最後にひときわ強い啖呵たんかを切ると、パラストゥー妃は憤慨ふんがいしながら去って行った。



 このように何かと周囲と衝突することの多い第六妃パラストゥー様は、かなり気の強い人である。特に皇子を産んでからの彼女は、現在空席である正妃の座は自分のものであると、争う姿勢を前面に押し出してはばからないのだ。だがその強さが、逆に陛下は御気に召されているらしい。


 だが……今回のいざこざは、そんな『いつもの口喧嘩』では済まされなかったのである。



  ◇ ◇ ◇



 ――事件が起こったのは、翌朝のことだった。


 朝食を終えた私がヴィラの外に出ると、通りはどこか慌ただしい空気に包まれている。どうやら騒動の中心はバハーミーン様のヴィラであるようで、使用人たちが次々と出入りして、周囲には人だかりができていた。


 そこに居たレイリとアーラに何かあったのか聞くと、どうやらバハーミーン様の猫のうちまだ小さな三匹が、朝から嘔吐して寝込んでしまっているらしい。そんなヴィラの横手には、まだ片付けられていない昨日の花瓶の残骸が積み上げられていた。きっと昨日から騒動の連続で、対応が間に合っていないのだろう。


「フン、だから狭い室内でそんなにたくさん飼ってたら、いつか病気になるって言ったのよ!」


 そのとき――小声で噂する人だかりの中から、ひときわ目立つ声が響いた。『これも呪いでは……』だのなんだのと言っていたヒソヒソ声がぴたりとやんで、皆が声の主であるパラストゥー様の方を注視する。するとちょうどヴィラから説明に出て来たバハーミーン様にも聞こえていたらしく、彼女はキッと、そちらに強い瞳を向けた。


「こんな急変、ぜったいに普通の病気なんかじゃないわ! さてはアナタが毒を盛ったのね!? この、人でなし!」


「言いがかりはやめてくれる? なんの証拠もないくせに」


「しらばっくれる気!? 絶対に、尻尾をつかんでやるんだから!」


「残念だけど、調べてもムダよ。本当にわたくしは何もしていないんだから」


 そう、自信満々に言い残すと。パラストゥー様はツンと顔を背けて、自分のヴィラへと帰って行った。



  ◇ ◇ ◇



「たとえ対象が人でなくとも、皇帝陛下の後宮で毒物混入など絶対にあってはならない事だ」


 バハーミーン様の訴えを受けて現場検証に来たサイード様は、そう声を震わせて涙目で言った。その高く通った鼻筋は、だが今は手巾ハンカチでしっかりと隠すように包み込まれたままである。


「まさかサイード様が、そこまでうちの子たちのために悲しんでくれるなんて……」


「違う、いや、悲しいのは違わないんだが、これは猫の毛が……すまんアーファリーン妃、後の聞き込みは頼んだ」


 そこで盛大にくしゃみをすると、サイード様は鼻を押さえたまま部屋から出て行った。あの様子では、恐らく猫の過敏症アレルギーなのだろう。かなりの多頭飼いとはいえ大掃除したばかりのヴィラは清潔だと思うのに、よほど症状が強いのだろうか。


 そのままサイード様に代わり、バハーミーン様付きの侍女たちから一通りの聞き込みを終えた後――ヴィラから出たすぐのところで、ソワソワと辺りを気にしながら歩いてきたパラストゥー様とばったり行き会った。


 そんな彼女は私の存在に気がつくと、きまり悪そうに目を逸らす。だが目を逸らしたままで、何故かこちらに声をかけて来た。

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