第09話 お姉様とお猫(?)様

「さっき、百人の子孫の願いをって言ったでしょ? つまり願いを叶えて私との契約が切れたら、他の子孫……つまり義父ちち義妹いもうとの願いを叶えに行こうとするんじゃない?」


「そりゃあもちろんさ!」


「じゃあムリ。ずっとここに居てもらわなきゃ」


 そう言って私が意地の悪い笑みを浮かべて見せると、バァブルと名乗った子トラは、情けない声で嘆いた。


「そんなああ! 自分の願いを捨てるほど、キミは家族のことが嫌いなの!?」


「まあね」


 別に殺したい程じゃないけれど、嫌いかと問われたら嫌いに決まってる。私が片頬を上げつつ肩をすくめて見せると、バァブルはガックリとその場に突っ伏した。


「そ、そんなぁ……」


 その姿にちらっと同情しかけたが、あの二人の願い事なんてきっとロクなものじゃないだろう。世のため人のためにも、ここで阻止しておくに越したことはない。


 だがそこで私は自身に進行中の問題を思い出して、思わず声を上げた。


「って、あああー!」


「何かあった!?」


 ガバッと身を起こす子トラの方へ視線を移すと、私は愕然とした顔をしてみせる。


「いま私、処分の決定待ちだったんだ……。内容次第だけど、もし拷問刑にでもなったらこっそり助けてってお願いするのって、アリ!?」


 もちろん罰をしっかり受ける覚悟はあるけれど、死んだ方がマシだなんて事態になるのは、できるだけ避けたいのが本音である。この国のよくある刑罰の数々――長々と痛かったり苦しかったりするもの――を思い浮かべて、私は身震いした。


「もちろんアリだよ! あーあ、思わず願い事をしたくなるような、酷い罰にしてくれないかなぁ」


「やめてよ~……縁起でもない」


 とはいえ、このタイミングでいざというときの保険ができたのは本当に幸運なことだ。おばあ様はこの事態を見越してくれていたのだとしたら、感謝してもしきれない。


 ――そのときである。


「アーファリーン様、どなたかいらっしゃるのですか?」


 不意に背後から部屋付きの侍女の声が聞こえて、私は慌てて入り口の方へと振り向いた。このヴィラの部屋には基本的に扉はないが、代わりに目隠し用の垂れ幕が下がっている。声は垂れ幕の向こうからのようで、幸い中は見られていないようだ。


「ごめん、猫に向かってひとりごと言ってたの!」


「猫、でございますか?」


「そう、迷い込んじゃったみたいで!」


「それは……あの、デルカシュ様がいらっしゃっているのですが、いかがいたしましょう」


 とっさに出た言い訳に侍女は少しばかり対応を迷ったようだが、上級妃をお待たせした方が良くないと考えたのだろう。特に謹慎中に訪ねて来られるということは、特別に陛下の許可を得たということだ。


「わかった。ひとまず応接室に入っていただいて、高脚の方の卓子テーブルにお茶とお菓子の用意をお願い!」


「かしこまりました」


 困惑しつつもそう言って、職務に忠実な侍女の気配は去って行く。私はそれを確認すると、慌てて子トラの方を振り向いた。


「ごめん、ちょっと私行くね!」


「ええー、ボクも行く! もう何年もずーっと閉じ込められて、ヒマだったんだよ!」


 確かに、伯父の願いを叶えていないことを考えると、最後にこのバァブルを呼び出したのは祖父母のどちらかなのだろう。それ以来ずっとランプの中に閉じ込められていたというのなら、あまりにも気の毒だ。


「えっと……じゃあ黙ってて、普通の猫のフリをしてくれるならいいよ」


「仕方ないにゃあ」


 自称精霊様はそう言うと、私に向かって飛びついた。


「わっ!」


 フワフワの塊を慌ててキャッチすると、スルリと器用に腕の中で丸まった。そのまま猫(仮)は、無言のままクイッと入り口の方へとアゴをしゃくってみせる。これは黙っていてやるから早く行け、ということだろうか。


 私は苦笑しながら大きな毛玉をしっかりと抱え直すと、垂れ幕をめくって寝室を出た。二つの居室をつなぐ短い廊下を数歩行き、応接室の方の幕をくぐる。


「お待たせいたしまして、本当に申し訳ございません!」


「あら、いいのよ。それよりも、その猫は……」


 驚いたような顔をしたデルカシュ様の視線は、すっかり私の腕の中に釘付けである。向こうからすぐに猫だと思ってもらえたのなら、好都合だ。


「どうやら迷い猫みたいで、ちょうど今このヴィラの中で見つけたばかりなんです」


「まあ! 後宮に迷い猫だなんて……珍しいわね。妃たちの飼い猫では見かけたことのない顔だけれど」


 私は笑みが引きつりそうなのをなんとかこらえながら、訝しげな顔をするデルカシュ様に頼み込んだ。


「どうか本当の飼い主が見つかるまで、この子を私のヴィラで飼う許可をもらえませんか?」


 そう言った瞬間、まだ腕の中にいたバァブルが不満そうに私の顔を見上げたけれど、私はその抗議に気付かないフリをした。ランプの外で自由にしていたいなら、私の飼い猫ということにしておいた方が何かと便利だろう。


「他の妃に何かを許可する権限は、わたくしにはないけれど……でも、問題はないんじゃないかしら。猫ならバハーミーンなんてたくさん飼っているものね」


 そう言って苦笑するデルカシュ様に、私は勢いよく頭を下げた。


「ありがとうございます!」


 デルカシュ様のゆるく三編みにされた豊かな髪は、一般的な黒ではなく、艷やかな栗色である。西方との国境の街を治める部族に生まれたデルカシュ様は、祖先にいくらか西方人の血が混じっているとのことだった。それゆえに、なんだか他人のようには思えないのである。


 第二妃マハスティ様とほぼ同時に入宮が決まった第三妃デルカシュ様は、九年前に後宮が新設されたときの初期メンバー二名のうちのお一人だ。年齢もマハスティ様より四つ上の最年長で、その面倒見のよい性格も相まって、後宮のお母さ……もとい、皆のお姉さま的な存在である。さらに彼女は西方伝来の新しい品や流行をいち早く後宮に紹介してくれる、情報通な人でもあった。


 みなぎる野心を隠そうともせず、なにかとマハスティ様と対立することの多いあの第六妃パラストゥー様ですら、デルカシュ様には一目いちもく置いている。ここにいる皆は、少なくとも一度は彼女のお世話になったことがあるだろう。


 実際に私自身、不安でいっぱいだった入宮初期から色々と親身に世話をしてもらい、嬉しかったことを覚えている。いつか恩を返せたらと思っているけれど、未だにお世話になる一方だ。


 居間にある高脚の椅子いすに腰を下ろすなり、彼女は心配そうな顔をして、口を開いた。


「そうだわ、今回訪ねた理由はね、謹慎が長引いているけど何か困っていることはない? と聞こうと思ったの」


「お気遣いありがとうございます。おかげさまで、何も問題なく過ごしています。むしろ私が調子に乗ってしまったせいで、皆さまにご迷惑をおかけすることになり……本当に、申し訳ございませんでした!」


「いいえ、どちらかというと調子に乗りすぎたのは、マハスティやわたくしたち上級妃の方よ。貴女はわたくしたちの期待に応えようとしてくれただけなのだから。貴女が気に病むことはないわ」


「デルカシュ様……」


「裁定が下されるまでもう少しの辛抱だから、がんばって。謹慎が明けたら、また皆でお茶しましょうね」


「……はい! デルカシュ様、ありがとうございます。他の皆様も私なんかに優しくしてくださって、本当にこの後宮ハレムに来られて良かったです」


「そうね、わたくしも……この後宮に来られて、本当に良かったわ」


 デルカシュ様はお茶を手に取り軽く口を付けると、すうっと目を細めて笑った。



  ◇ ◇ ◇



 お話を終えたデルカシュ様を見送ると、私は卓子テーブルに残っていたお茶を手にしてひと息ついた――その時。再びの来客が告げられた私は、慌てて侍女に茶器の交換を頼み、椅子から立ち上がった。


 間を置かずに応接室に入って来たのは、あの小姓頭のサイード様である。


「その、例の件の裁定が下されたのでしょうか……」


 ひとまず型通りの挨拶を済ませて来客用の椅子をすすめると、私はその対面に着席し、戦々恐々としながら返答を待った。なお今回は、バァブルの位置は膝ではなく床の上である。子トラはなにやら抗議の視線でこちらを見上げていたが、さすがに時と場合と相手が良くないだろう。


 そんな不機嫌そうに床に丸まった毛玉の存在に気がついて、サイード様はしばし、じいっと視線を送った。

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