第10話 ひとつめの捜査依頼

 ――あれ、やっぱり勝手に飼うのはマズかった!?


 そう心配になり始めたところで、彼はようやく視線を戻す。そうして何ごともなかったかのように、ひとつ咳払いをしてから言った。


「その前に。本日はアーファリーン妃に協力を頼みたいことがあって来た。陛下のご許可はいただいているから、少し時間をくれないか」


 先日外廷で遭遇した時とは打って変わったように、静かで落ち着いた口調である。


「頼みごと、でございますか?」


「ああ、だがその前に……妃である君が、小姓である俺に対して敬語を使う必要はない」


「しかしながらサイード様は、小姓である前に陛下の甥御おいごでいらっしゃいますので……」


「そうか……まあ難しいというのなら、強制はすまい。気が向いたらサイードと気軽に呼んでくれ」


「は、はい……」


 気軽に呼べと言われても、なかなかできる気がしないんだけど……。そんなことを考えながら無難な笑みを浮かべて黙っていると、不意に本題が始まった。


「それで、本日の用件なのだが。先日、俺が陛下に報告していたこと、聞いていただろう?」


「いいえ内容は、それどころではなくて……」


「それどころではない? 何かあったのか?」


「その、お二方のご様子を目に焼き付けるのが忙しくて、話の内容までは聞いていませんでした……」


 それを聞いたサイード様は、思いっきり呆れたような顔をする。


「それは、偽りなき本当のことなのか?」


「なんか、すみません……」


 肩を竦めて小さくなる私に、彼は嘆息たんそくして言った。


「……まあいい。では、この後宮にまつわる呪いの噂を知ってるか?」


「はい。存じております」


 前評判ほどの怖さは全くなかったんだけど……実はこの後宮では現在も進行形で、ちょくちょく呪いだと噂される事象が発生しているのだ。


「ならば話は早いな。では第十六妃アーファリーンへの裁定を言い渡す。君には、それらを『呪いではない』と証明する手伝いをしてもらいたい」


「呪いを? なぜ突然、私なんかに!?」


 あまりに予想外の言葉に思わず声を上げた私に対して、サイード様はにこりともしないまま、だが丁寧に理由を教えてくれた。


「君は派閥を超えて、多くの妃たちと交友があるのだろう? 上級妃を含むあれほどの数の妃たちが揃って一人の下位妃のために頭を下げるなど、前代未聞のことだ。だから俺では警戒されて口をつぐんでしまうような証言も、君ならば自然に聞き出せるのではないだろうかと考えた」


「しかしながら、とても私なんかがお役に立てるとは……」


 交友があるとは言っても、それはあくまで例の『物語』を介してのことなのだ。ついでに普通の雑談も少しはするけど、本来は口下手な私に『話を聞き出す』なんて高度なワザが出来るだろうか。


 おずおずと、それでもお断りしようとした私に対し、だがサイード様はぴしゃりと言った。


「どうやら裁定に不満があるようだが、これは打診ではなく決定事項だ。異論は認められない。本来ならば、許可なく後宮から抜け出した妃が受ける罰則規定のうち、最も軽いとされているものを……知っているな?」


「ひゃ、百叩き……」


 最も軽いとはいえ、百叩きの刑は生易しいものではない。縄で吊り下げられたまま一昼夜も鞭で打たれ続けたら、体力のない者の場合はそのまま衰弱死してしまうことも多いのだ。そして私は……正直言って、体力にはあまり自信がない。


「処罰の代わりに、少々捜査に協力してくれるだけでいい。悪い話ではないと思うが」


 一切の冗談も感じられないような真顔で、サイード様は言い放つ。もう私には選択肢などないも同然だったが、とはいえ確かに悪い話ではない。これまでも後宮で何か問題が起こるたびに犯人探しが始まったりして、長期間ギスギスすることは多かったのだ。ならばこの平和を守るためにも、協力できることがあるなら惜しむ理由はないだろう。


「私なんかでお力になれるようでしたら、精一杯務めさせていただきます」


「そうか、それは助かった。陛下より、アーファリーン妃が協力してくれるのならば、必要に応じて特別な便宜を図ってもよいとの仰せだ。例えば俺の同伴であれば、小姓の姿で後宮から出ることも許す、と」


 古の王朝では後宮から徹底的に男を排除しているところもあったと聞くけれど、ここにはそれほど厳密な立ち入り制限はない。後宮ハレムには妃付きの小姓の少年たちがいて、警備兵も巡回している。それにたまに出入りする典医や商人たちにだって、男性はそこそこいるのだ。


 とはいえ妃は常に複数の使用人たちに取り囲まれているから、間違いも起こりようがないということなんだけど――その鉄則を破って個別に同伴してもよいなんて、サイード様はどれだけ陛下から全幅ぜんぷくの信頼を寄せられているのだろうか。なにそれ萌える……は、ともかく、このサイード様が私なんかを相手にするわけがないとでも思われているのかな。悲しいけれど。


「それは……有り難いことです。では早速ですが、今何かお力になれそうなことはございますか?」


「ああ。最近囁かれている、呪われた廊下の話は知っているか? ただ今を以て君の謹慎を解くから、まずはその聞き込みを頼みたい」


 呪われた廊下とは、歩くと霊に足元をすくわれると噂の廊下のことだ。しかもその霊の正体は妊娠中の事故で亡くなった第四妃で、妃たちに恨みを持っているのだという。


 そんな噂が生まれた背景には、使用人たちが歩くときには支障がないのに、妃たちだけやたらと転んでしまうからという理由があるらしい。だが後宮内の移動に避けては通れない場所ゆえに、いまだに打撲や捻挫の報告が後をたたないのだ。


「ああ、あの廊下の件ですか? なら聞き込みはしなくても、たぶん原因は分かります」


「なんだって、本当か!?」


 驚きの声を上げるサイード様に、私は頷いて見せた。


「現場を見ていただいた方が分かりやすいと思うので、今から行ってみましょうか」

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