舞踏会と惑う心

 通された部屋の天井には煌びやかなシャンデリア。床に敷かれた絨毯は少しだけヒールのついた靴を履いている十和子の足が沈み込んでいくように感じる。洋風の装飾の施された部屋は武家屋敷を改装した家に住んでいる十和子にとっても物珍しく、ポカンと小さく口を開けて周りを眺めていた。

 大きな長机には料理。これも普段十和子が母から少しずつ習っている料理とは程遠いもので、食欲をそそる匂いではあるものの、ぱっと味の想像が付かないでいた。


「十和子、まずは挨拶回りしてから食べなさい」

「あ、はい」


 父に苦笑されて、ひとまず挨拶回りをする。

 正直ほとんどの警察官は厳つい正装を着ているため、どの人がどれだけ偉いのかはわからず、父にならって挨拶回りをしているものの、犯人と戦うためなのかどうにも皆同じようなしかめっ面でわからなかった。

 父の知り合いの警察関係者と挨拶回りが済んだところで、やっと十和子も同年代がどういう雰囲気なのかを確認することができた。

 どの子息子女も、緊張した面持ちで親の近くにいる。特に警察で働いていないような子息の場合はこの場だと露骨に体格差がわかるためか、少しばかり背中を丸めて居心地悪そうにしているし、箱入り娘であろう子女たちは、いかつい顔の人々に取り囲まれてどうにか柔和な笑みをつくろうとしているものの、上手くいっていない様子だ。


(わたしは見慣れているけれど、女学校に行っているような人だったらそんなもんよねえ)


 日頃一緒に鍛錬を積んでいる人々と会話をして、一緒に打ち込み稽古をしているため、厳つい顔の人々を見慣れている十和子はそうひとり納得していたところで。


「すみません。一曲どうですか?」


 そう若い子息に声をかけられ、思わず十和子は「ひええ」と悲鳴が出そうになるのを喉で押し留める。そしてずっと踊りの稽古をしながら思っていたことを考える。


(踏もう。足を思いっきり踏んで、不良物件扱いされてお引き取り願おう)


 そう思いながら、返事をしようとして振り返った先を見て、十和子は目が点になった。


「……藤堂さん?」

「やあ、まさかこんなところで会えるなんて」


 要の知人らしい陰陽師の藤堂が、きちんとした正装でここに来ていたのだ。黒い燕尾服は、以前に見たスーツ姿よりも軽快に見えて、どうも彼は狩衣よりこちらのほうが似合うらしいと十和子は思う。ちらりと父のほうを見ると、どうも知り合いらしい警察官と話をしているし、ここは彼女も勝手に藤堂と話をしていてもいいだろう。


「……どうしたんですか? ここでお仕事……ですか?」

「というのも、ここは本来鬼門だからね。人が集まる場合は、陰陽寮から人が派遣されているんだよ。お偉方に邪気の被害があったら困るからね」

「じゃ、じゃあ……要さんも……!?」

「君本当に彼のことが好きだねえ」


 藤堂にからかい交じりに言われ、「ち、違います!」と否定したあとで「尊敬しているんですっ!」と十和子は必死で誤魔化す。


「わ、わたしは実家から言われての参加ですけど……お手伝いとかできますか?」

「しなくていい。というより、こんなところで薄緑を振り回したら危険だろう。まさかこれだけ警察官がいる場で、銃刀法違反をする訳にもいくまいよ」


 そう口を挟んできた姿に、十和子は顔を赤らめさせた。

 亜麻色の長い髪をひとつにくくり、黒い燕尾服を纏っている彼は、普段束髪にリボンを付けてたおやかに笑っている姿とも、狩衣を着て烏帽子を被り、キリリとした鋭利な目をしている姿とも違う、独特の色香を放っていた。


「お、似合いです……」

「そうか十和子くん。君も似合っている」

「ひゃっ……」


 ここですぐに「ありがとうございます」とお礼が言えればよかったのだが、十和子は照れ過ぎて声にならない声を出して、「あう……」「あう……」と謎の奇声を上げるだけで精一杯だった。

 それに藤堂はのんびりと言う。


「もうちょっと具体的に褒めてあげればどうなんだい? それに今日はこちらの仕事なんだから、彼女の時間を割く必要もないと、ちゃんと説明してあげればいいだろうに」

「彼女には好意で校内の鬼退治を手伝ってもらっているんだ。こちらの都合をいちいち説明したらまたしても彼女の好意に甘えてしまうことになるだろう。だから説明はしないほうがいい」


 相変わらず、要はいろいろと先回りに考え過ぎて、言葉が足りない。それに十和子は「あはは……」と笑いつつも納得した。


(そうね……さすがにわたしも薄緑がなかったら、いくら鬼が見えるからってどうすることもできないし。ここは陰陽寮から派遣されているおふたりに任せましょう)


 そうひとり心に決めつつ、もう一度要を見る。

 女装しているときはよく笑っているが、彼は本来の性に戻っているときはとことん笑わない。ただどちらの要も素敵だなと勝手に十和子は思っている。


「とりあえず、踊りましょうか」

「……それなら、一曲」


 藤堂はにこやかに「ふられたー」と言っていて、思わず十和子は「ご、ごめんなさい!」と頭を下げるが、本人は全く気にしてない様子だ。


「いいよいいよ。踊っておいで」

「あ、ありがとうございます!」


 藤堂に見送られながら、ふたりは舞踏会会場へと来た。

 既にそこでは少しずつ舞踏会参加者たちが踊りはじめていた。令息令嬢ほぼ初対面なせいだろう。どこともなかなかぎこちなく、それに十和子もどぎまぎする。

 一応踊りの稽古は付けてもらったものの、十和子は踏むことしか考えていなかったので、逆にいかに要の足を踏まないようにと気を付けなければいけなくなってしまった。


「でも……どうしてこんな鬼門にお屋敷があるんでしょうか? 元は武家屋敷だってことは、普通に人が住んでらっしゃったんでしょう?」

「それだが。元々陰陽寮も江戸までは普通に権力もあり、信仰者もいたからな。だから武士や貴族、町人にまで普通に陰陽寮からの指示はあったし、町の鬼門に住まう者たちにも、それなりの支援を行っていた」

「やっぱり、明治維新でいろいろ変わっちゃったんですか……」

「そうだな。そこで陰陽寮は力を失ったし、一部の寺社でも陰陽術がかかわっていたようなところは、難癖を付けて取り壊された。そして今に至るという訳だ」


 何度か説明を受けている話だが、やはり十和子には納得のいかない話が多い。


「どうしてそんなことをしたのか、本当によくわかりません……今はキリシタンだって許されてますのに」

「そうだな。西洋にこの国を見せつけるために、この国独自のこの国独自のの主張をし過ぎた結果、今のようなおかしな自体になったんだと思う。だから鬼門には見張りが付けられるし、鬼も邪気を吸って育つ……」

「で、ですけど……今回は警察の懇親会のはずですし、そこでおかしなことは起こりませんよね?」


 元々心身共に鍛え抜かれているのが警察官だ。まさかこんなところで鬼が出て、邪気で育っていくとは考えにくかったが。

 それは要がばっさりと否定した。


「女学校の思春期の揺らぎですら、邪気を孕むんだ。出世欲のいる人間のいる場所でどうして鬼が出ないと思う?」


 それになにも返事ができなくなったところで。

 踊っている中、突然奏者の音楽が止まってしまった。曲はまだ一曲終わっていなかったはずなのに。

 既にそれに気付いたらしい藤堂が、人形を飛ばしている。

 十和子は驚いて屋敷内を見回したとき、壁からじわじわとなにかが染み出てきたことに気付いた……邪気であり、その邪気にピタンピタンと張り付いて吸い取ろうとする姿が見えた。子鬼である。

 その子鬼が、邪気を吸って成長しつつある。


「なんだか寒くありませんか?」

「そう? ここは暑くも寒くもありませんが」


 一部の子息子女も、なにかおかしいと思ったのか震えているが。十和子は手元に薄緑がないことを、憎々しく思った。


(あんなの……薄緑で斬ってしまえばすぐ消えちゃうのに……!)


 十和子が不満げに思っているのに気付いたのか、要はポンと彼女の肩を叩く。


「案ずるな。俺がすぐに祓うから。子鬼が邪気にうつつを抜かしている間に祓えば終わる」

「……お気を付けて」


 十和子は悔しげに要から手を離すと、要は黙ってジャケットの内側に仕込んでいたらしい人形を投げつけはじめた。それで子鬼は「ぴぎゃっ」「ぴぎゃっ」「ぎゃぎゃっ」と悲鳴を上げて消えていく。

 周りは子鬼は見えていないし、邪気の漏れにも気付いていない。だからどれだけ人形が飛んで消えても、そこに視線を移すことがない。

 たしかに子鬼の始末ならば楽だろうが。先程から藤堂がなにかを探るように人形を飛ばしているのに気付いた。


「あの……要さんは先程から鬼を討伐してますけど」


 十和子がそう藤堂に尋ねると、藤堂が振り返って困った顔をしてみせた。


「探しているんだけど、見つからないんだよね」

「見つからないって……捜し物ですか?」

「……さすがにこれは邪気の自然発生にしてはおかしいよね。呪術師が紛れ込んでいるみたいなんだけれど」


 それに十和子は強張った。

 いつぞやの小間物屋の女主人や、要の幼馴染のはずの怪盗乱麻……。まさか警察のほうにまで呪術師が紛れ込んでいるとは思いもしなかった。

 十和子は要のほうをちらりと見る。

 子鬼自体は量が少ないから、もうそろそろ決着がつくだろうが。呪術師のほうが厄介だ。この場で一般人のふりをしているのなら、藤堂だけでは危険な気がする。


「わたしも探すのを手伝います」

「え……でも、君は今日は薄緑は……」

「たしかにわたしも薄緑がなくては鬼とは戦えませんけど、素手でも呪術師とは戦えるかと思います」

「はあ……士族のお嬢さんはこうなってしまうのかなあ……いいよ。これあげよう」


 そう言って目の前で人形を広げると、血でサラサラとなにやら書き込んでから、元に戻した。


「あの、これは……?」

「なにかあったらこっちにお知らせが来るから。さすがに呪術師も警察官の前で逮捕されるような真似はしないだろうから、大きな術式は使わないかもしれないけど……要くらいの術は使うだろうからね。手分けして探そう」

「は、はい……! ありがとうございます!」


 ドレス姿は走りにくいし歩きにくいが。なにもしないよりはずっといい。

 要の役に立てる。それに十和子は嬉しさを感じながら、会場の外まで駆けていった。

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