女店主と呪術師

 路地には柳の木が生えていた。

 柳の葉と枝のしだれる様はけだるげで、それはちょうど女郎の撫で肩を思わせた。

 要と十和子が向かった先には、噂の小間物屋が立っていた。不思議なことに、小間物屋には女性の店主が立っているだけだった。それに要と十和子は顔を見合わせる。


「年季が明けて、店を持ったんでしょうか……?」

「それにしては店が古びていますね。他の方から引き継いだのかもしれません。すみません」


 そう言って要が店に向かうので、慌てて十和子もついていった。

 けだるげに店番をしていた女性は、ようやっと顔を上げる。


「いらっしゃいませ」


 たったひと言の挨拶でも、その色香は凄まじく、まるで蛇に絡め取られたような錯覚を覚えた。その色香を放つ女性の前でも、要は平常心のままだった。


「すみません。ここで恋のおまじないを教えていただけると伺ったのですけど」

「あら、あなたは既に叶っているように見えるけれど。その可愛い子と」


 彼女はそう言いながら、要と十和子を見比べると、十和子は思わず顔を染め上げた。


「そんな……要さんはわたしのお姉様で……」

「あら。そんなお客さんは、胡蝶女学館からよくいらっしゃるけど」

「そうなんですか……」


 エスに対する憧れというものは、十和子の知らない間にも広まっているらしい。それに要はやんわりと十和子に「からかわれているだけよ」と釘を刺されても、思わずしゅんとする。


(要さん、朴念仁というか……誰だって勘違いしそうになるもの。女装していても綺麗だし、お仕事中でも凜々しいし……でも、そうね。今はわたし、そのお手伝いをしているだけだもんね。のぼせ上がるのはここまでここまで)


 やっとポヤポヤした気持ちを引っ込めて、十和子は女性のほうを見た。

 紬の着物は艶やかで、ただ椅子に座っているだけだというのに、その仕草のひとつひとつから色香が滲み出る彼女は、まさしく遊郭の出なのだろうと思う。髪の結い方も、今時流行りの夜会巻きや耳隠しのような洋風のアレンジではなく、ひさし髪を丁寧に髷をつくって結い上げている。あれは時間がかかるから、髪結いに頼まなかったらまず素人ではできないというのに。

 そう十和子が観察している中、要は淡々として女性に尋ねる。


「この子とはよりよい関係になりたいですからね」

「まあ……そう……ちょっと待っててね」


 そう言って、すっと歩いて奥へと入っていった。それに十和子は首を傾げる。


「おまじない自体は、わたしたちが見たものですよね? なんでわざわざ奥に行く必要があるんでしょう?」

「……彼女、さっきから変な気配がする」

「要さん?」


 要は黙って人形を取り出すと、それを広げた。指を噛み切って血を出すと、広げた人形になにかを書いてから、もう一度折り畳んだ。

 それを見ながら、十和子は奥に引っ込んだ女性について考える。


(私は陰陽師じゃないから、気配ってものはわからないけれど……でもそうね。あれだけ女郎だってわかりやすくするものかしら?)


 元々は尊敬されるはずだった、遊郭を出た女郎。実際問題、年季が明けるまでに出てこられた女郎のほとんどは、賢く芸も達者な者ばかりだが。

 色を売る商売をした人間は、どうしても偏見が纏わり付く。だから遊郭を去った女は、自分の生い立ちを隠したがるものだと思っていたが、彼女はあからさまだった。女学校の近くで切り盛りしているのだから、誰かから注意されそうなものだが、彼女は全く意に介してはいない。


(これはわたしの偏見だとしたら申し訳ないわね……)


 そう素直に十和子が反省している中。要がいきなり頬から血を噴き出したことに気付いた。


「ちょっと……要さん!?」

「すまないね、術返しだ……間違いない。彼女は、呪術師だ」

「え……呪術師って、前に言ってた?」

「鬼を育てる種をわざわざばら撒くなんて……もし知らないなら陰陽寮を通して注意をすれば済む話。でもこれが故意ならば、こちらも容赦しなくていいみたいだな」


 普段であったら女言葉を崩さない要が、珍しく思いっきり素が出てしまっている。要はボソリと十和子に言う。


「……すぐ戻るから、君は予備室の薄緑を取っておいで。逢魔が時になったら、また現れるだろうからね」

「……はいっ」


 十和子は大きく頷いて、学校へと駆け戻っていった。


(要さん……ひとりで置いていって大丈夫だったのかな。でもわたし……鬼とは戦える。子鬼とだってやり合えるけど……でも……呪術師となんてやり合えるの?)


 先程の気怠げな女性を思い返した。

 十和子からしてみれば、ただの可哀想な女性であった……要の頬から血が噴き出すのを見るまでは。だが。彼女に薄緑を向けられるのかと問われれば、答えは否だった。

 彼女は今まで、どれだけ家で鍛錬を積んできても、人を殺す鍛錬までは積んでいない。


(お父さんだったら、どう言うんだろう……)


 日頃警察官相手に鍛錬を行っている父のことを思い、鬱々と考えるが。今は要を信じて走るしかなかった。

 まだ日は高いが、それでも黄昏時は待ってはくれない。


****


 要は頬を伝う血を乱暴に拭い、目を釣り上げて睨み付ける。

 うっかりと霊を見る目を持っていて、刀を振るう才能があるが、心優しい十和子に、汚い戦いを要は見せたくはなかった。

 要は睨み付けながらも、ピンと匂い玉を店先に放り投げた。忘却術を溜め込んだものだ。その匂いが放たれている間は、その匂いを嗅いだ場所のことを思い出すことができない。本来ならば香炉を使って完全に入りたくなくなる結界を張れればいいのだが、こんな場所で香炉を焚く悠長なこと、できる訳もない。


「ただの女郎が、呪術なんて使える訳ないだろうが」

「ホホホホホホホ……あのお嬢さんを逃がしたの、陰陽師さん」


 女性はくすくすと笑いながら、手にピンと黒い折り紙の鶴を弾いた……呪術師の使う式神だ。呪いをたっぷりと溜め込んだ鶴が、要に向かって飛んでくるが。

 要を呪い殺すには足りなかった。要が破れて、その中から元の要が出てきた……体を式神で覆い、呪いを防いでいたのだ。

 それに女性はコロコロと笑う。


「そうね、ただの女郎であったのなら、使えないかもしれないわね。でも私は使うの」

「……鬼門に種を撒いて、鬼を増やしてどうするつもりだ?」


 要は人形に手早く自身の血で文字を書き込んで、それを飛ばす。

 呪術を押し留める陰陽術だ。人を呪うことはできずとも、呪いを留めることなどは、陰陽師の得意とするところだった。

 黒い折り鶴の動きを塞き止めている中、女性はコロコロと笑った。


「私より若くて、お金持ち。なに不自由ない暮らしで、将来はお嫁さん……」

「……なにを言っている?」

「そんな子たちを呪わない理由はあって?」


 彼女はコロコロと笑いながら、要の人形を押し返しはじめた。ブワリと要の毛穴という毛穴から、怖気が滑り込んでくる。

 彼女の禍々しい恨み、妬み、嫉みが流れ込んでくる。


「私は売り飛ばされたとき、あの子たちより若かったのよ。なにも知らない子供だった。その子供が苦界でたったひとりで生きなくてはいけなかったのよ。たしかに……私のいた置屋は、遊郭の中でもマシな部類だったわ。でもね、食べるものは少なかったし、昼も夜も眠れない日だってあった。仕事をしないと生きていけないけれど、仕事をしても死にかけるのよ。そんな理不尽があって? そんなとき、誘われたのよ。一緒に呪わないかって。若い子たちにどんどん呪いを撒き散らして、脅えて一生過ごすような呪いをかけられるとなったら、飛びつかない訳ないでしょう?」


 その言葉に、要はイラリとした。

 十和子には見せられないような、血管が浮き上がるほどの怒りようであった。


「……勝手だな、君は」

「あら、生きている人間は皆好き勝手に生きているじゃない」

「そうじゃない。君は可哀想だ。君は不幸だ。それは間違いない。だがな、君がやられて苦しかったこと、つらかったこと、悲しかったことをそっくりそのまま、自分以外に押しつけたら、君を踏みにじった人間となにがどう違うんだ?」

「綺麗事ばっかり言うのね、あなたは」

「……綺麗事を揶揄されないようにする生き方を、俺はしてみたい。あの子のようにな」


 セーラー服を靡かせながら、亜麻色の長い髪を揺らめかせながら、要は自身の人形に唇を付ける。唾液の糸を引かせながら、彼は彼女を睨み付けた。


「君を倒したところで、また出るかもわからんが。今は一旦幕引きだ──太上鎮宅霊符七十二道神が一柱、鎮宅霊符神、来たれ──……!!」


 太上鎮宅霊符七十二道神。陰陽道を支える神々のうちの一種であり、要が呼び出したのは、七十二種類ある護符を司る神である。

 悪術をはね除けるその力は、呪術の天敵ともされる。

 現れたのは、金色の光を纏った、女性とも男性ともつかない存在であった。匂い玉の香りが、余計にこの存在を怪しく見せる。

 女性は焦った声を上げる。

 黒い折り鶴が、どんどん萎びていくのだ。怨嗟を集めて織り上げた呪いが、萎縮している。


「こんな場所で、こんなものを呼び出して…………っ!」

「君を殺す気はない。陰陽寮に引き渡す。が。君に呪術を教えた人間のことは聞かないといけない。さあ、吐け」

「そんなことは……」


 彼女は必死の抵抗を示そうとしたが。それより先に、彼女は大量の血を吐き出した。それにはさすがに要も驚いて凝視する。


「……ここでは、呪詛は使えないはずだ」

「……あぁあ……残念。あの子もあなたも、きっと死ぬよ」

「待て、これは一体……!?」


 彼女はにこやかに笑って、そのままコプリと血と泡を吹いたあと、息絶えてしまった。

 それに要は「クソッ」と毒を吐いて棚を叩いた。

 要は店の奥で陰陽寮に連絡を取ってから、店を離れることにした。陰陽寮は今もなお国家組織だ。彼女の死は隠蔽してくれるだろうが。

 呪術師が、組織だって胡蝶女学館を餌場にしているということだけはわかった。


(俺は、あの子をこんなまずいことに巻き込んだのか……!?)


 ただ、霊が見えて、剣が強いが、それ以外は普通に見える少女。

 たしかに腕っ節が強いが、世の中には強い女武将の話はいくらでもある。先祖返りだと思えばそこまで珍しくもない。

 だが。今は大正だ。その時代で人間を殺せなんて言えるのか?

 人間を殺すのは兵士の仕事だ。女学生の仕事ではない。それに悶々としながらも、とにかく学校に戻ることにした。

 ……このこともまた、陰陽寮に報告で上げなければいけないと、要は頭を痛めた。

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