偵察と誘惑
その日の授業を終えると、十和子は誠に挨拶をする。
「それでは誠ちゃん、わたしちょっと要さんに呼ばれているから行くわね」
「まあ……最近本当に十和子ちゃんは要さんに付きっきりなのね? お姉様がいるってそういう感じなのかしら?」
「うーんと」
まさか十和子も言えなかった。
最近流行りのエスのように清らかな姉妹愛ではなく、逢魔が時になったらふたりがかりで鬼をしばき倒している関係だなんて。
一応姉妹として取り繕ってはいるものの、十和子自身も今の関係がよくわかっていない。
(要さん、陰陽師としての姿しか見せてくれないし。あの人がなにが好きでなにが嫌いなのかすら、わたしはなにも知らないのよね)
しかし仕事でやってきている要に、それとなく聞いていいのかも十和子はよくわかっていない。強いて言うなら、彼にはものすごく感謝しているということだ。
(要さんくらいだもんな、お父様以外で、わたしの剣術を褒めてくれるのは)
十和子より強い人間もいないから「嫁のもらい手がなくなる」と心配されているのはわかっているが。十和子のほうが強いからと嫁にしないという相手と一緒になっても、果たしてそれがいい縁談かがわからないのだ。
そこまで考えて、十和子が黙り込んでしまったのを「十和子ちゃん? 大丈夫?」と誠に心配されて、彼女は我に返った。
「ごめんなさい! ちょっと物思いに耽ってしまって。それじゃあ、要さんと待ち合わせをしているから!」
「うん、また明日」
「うん、また明日」
ふたりはそう言って別れを告げ、十和子は慌てて走りながら、要の姿を探す。
要は本を読みながら校門に立っていた。亜麻色の髪に結ばれた藤色のリボンと、プリーツスカートが風ではためく姿は一枚の絵のようで、誰もが「ほう……」と眺めてしまう。
そこに三つ編み姿の十和子がとことこと走ってくると、いかにもおぼこく見えるが仕方がない。
「要さん、お待たせしました」
「それじゃあ十和子さん、参りましょうか」
「はいっ」
そう言って、ふたりで問題の小間物屋へと出かけていった。地図を見ながら、ふたりで歩く。
「確かにこの辺りは、胡蝶女学館の生徒が少ないですね?」
「はい、そうですね。たくさん来るって感じじゃないのかもしれません」
「そうね」
要がそう言いながら、すらりとした手つきで、日頃から折っている人形を取り出した。それに十和子は目をパチリとさせる。
「あのう……これはいったい?」
「念のための偵察ね。私たちの姿を見られて警戒されたら困るでしょう? 偵察が終わるまでの間、どこかで時間を潰しましょうか。どこかいいお店は知っていて?」
「え?」
そこで十和子は気付く。
要と初めての逢引になるということに。
(……わたし、他の姉妹やエスってどうだか知らないんだけれど、ふたりっきりでお茶を飲んだり甘い物を食べたりするのかしら? でも……)
「十和子さん?」
「あっ、はい……ええっと、要さんはどんなものが食べたいですか? ミルクホールとか、喫茶店とか、いろいろありますけど」
「そうね……できればワッフルが食べたいのだけれど」
「ワッフルですね。ではミルクホールに参りましょうか」
そう言いながら、十和子は要に、よく誠と食べに行っているミルクホールへと向かっていった。
元々ミルクホールは、牛乳を国を挙げて普及する関係で出来上がった商売だとされている。没落華族が、庭で牛を飼って牛乳を売りはじめたのがはじまりとされていた。未だ冷蔵庫が高価な時代、新鮮な牛乳が手軽に入手できるからこそ成り立つ商売であろう。
珈琲の一般化に伴い、ミルクホールでは珈琲も出されるようになった。欧米文化に憧れる女学生たちは、ここに通ってお菓子を食べて珈琲を飲み、まだ知らない世界に思いを馳せているのである。
さて、ミルクホールに要を案内した十和子は、お品書きを見せる。
「どうなさいますか? ワッフルをご所望のようですけど、他のお菓子もありますよ?」
「そうね……カステラも捨てがたいし……あいすくりんも食べてみたいわ」
「……もしかして、要さんは甘い物食べたいんですか?」
「……ひとりで、なかなか来られないから」
そう要がボソリと言うのに、十和子は気付いた。
(……陰陽寮の仕事でうちの学校に来てるんだから、仕事中に甘い物なんて食べに行けないもんね。それに、たしかに最近はミルクホールも人が一緒じゃないと入りにくいし……)
ミルクホールも、酒を取り扱う店、煙草を取り扱う店などが存在している。そのほうが実入りがいいのだ。その分、客層が傾き、女学生もひとりっきりではなかなか入りづらくなっているために、ふたり以上でないとミルクホールに行くのは禁じられているし、いくら剣術を嗜んでいる十和子であっても、ひとりで行ってひどい目に遭いたくないと、誠と一緒のとき以外には入ったことがない。
ならばと、十和子はお品書きを指差す。
「なら、わたしがあいすくりんを頼みますから、要さんは他にお好きなものを注文してください。少しくらいならばあげますから」
「でも……あなたが食べる分が減らないかしら?」
「ならわたしに要さんが注文したものをくださいよ。それで、貸し借りなしです」
「そう、ね……」
結局ふたりは女給を呼び止めると、珈琲ふたり分にあいすくりん、ホットケーキを注文した。十和子は早速あいすくりんを匙ですくうと、「要さん」と差し出した。
「あ、あの……十和子さん?」
「そのまま食べちゃってください。わたし、まだ口にしていませんから」
「……いいの?」
普段であったら、女装しているときはきっちりとした女言葉を使い、可憐な女学生になりすましている要が、珍しくうろたえている。それに十和子は違和感を持ちつつも「大丈夫ですよ?」と答えた。
しばらく要は視線を泳がせていた……その仕草は深窓の令嬢のはじめてのミルクホール訪問を思わせ、ミルクホール内の他の客の視線を集めたが……あと、意を決して口を開いた。そこに十和子はひょいと匙を入れる。
「はい、どうぞ。おいしいですか?」
「え、ええ……冷たいわね?」
「そりゃあいすくりんですもの。冷たいですよ。あ、わたしにもホットケーキをください」
「え、ええ……」
要が顔を真っ赤にさせて、ホットケーキにシロップを回しがけしてから、綺麗に切り分け、ひと口分を十和子に差し出した。
「はい、十和子さん。あぁーんして?」
「え……?」
そこで十和子は、ようやく要にしたことに気が付いた。
(しまった……これ。普通に食べさせ合いっこだ……)
女学生同士であったら、互いに味見を兼ねてすることもあったが。まだまだ男女の逢引が表立って推奨されていない世の中だ。友達同士でするのと、男女でするのとでは、意味合いが全然変わってくる。
十和子は要の熱が伝染したように、顔を赤らめさせるが、それでも要は極上の笑みを浮かべて、長い髪を手櫛で整えながら言う。
「十和子さん、あぁーんは?」
「えっと……えっと……」
「私にしたんだから、十和子さんにも差し上げないと平等ではないでしょう?」
「なんでそんな意地悪言うんですかぁ」
「なんのこと?」
十和子は目がぐるんぐるんとする。要はにこにこと笑ってフォークを差し出すばかりだ。
(からかわれた……!)
十和子は顔を真っ赤にしたまま、大人しく口を開けたところで。
十和子と要の席に、くるくるとなにかが飛び乗った。先程要が飛ばしていた人形だ。
「ああ、偵察が終わったようですね」
そう言って要がフォークを下げて、人形に手を伸ばしてしまった。それにちょっぴり残念な気持ちと、少しだけほっとした気持ちがない交ぜになり、十和子の中に少しだけよくわからない罪悪感が沸いた。
(……残念だったのかな、要さんからホットケーキもらえなくって。わたし、人のを奪うほどもホットケーキ好きだったっけか)
悶々としている中、要は人形を広げると中身を読む。
「……どうも、あの小間物屋の店主が、やってきた胡蝶女学館の女学生におまじないを教えていたのは間違いないみたい」
「そうなんですねえ……」
「ちなみにあの鏡と悪口のおまじないだけれど、元々は花街のおまじないのようね」
「花街ですか……」
花街。女性を花とたとえた場であり、電気と瓦斯が通った今となっては、日の落ちない場所として有名である。有名が芸妓が芸で身を助け、時には有名な政府高官と結婚することもあるという。
その一方で、花街に行くことになった女性たちは借金を押しつけられ、その借金が返済できない限りは花街を去ることは許されない。上手く客の取れなかった女性はもちろん飢え死ぬし、下手な足抜けは死を招くとされている。そのため、花街は苦界とも呼ばれている。
さて、花街から有名になったものは多々存在している。
子供と約束するときに行う指切りも、元々は花街で客と夫婦の契りを結び、客に不義を働かれた女郎が、指を切って送りつけたというところから発祥されたと伝わっているし、胡蝶女学館で流行りはじめたおまじないもまた、花街発のものであった。
「そこの店主の内縁の妻が、どうも広めたみたいね。これをいただいてから、一度様子をうかがいましょう。あくまで、おまじないに興味のあるふりをしてね」
「はい」
そう言って、ふたりは注文の品を急いで食べて、店を出たのだった。
珈琲の匂いを纏いながら、十和子は相変わらず「食べればよかった」と考え込んでいた。
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