悪神と激闘
黄昏時は逢魔が時。
宵闇が迫ってくる中、十和子の足音に、狩衣をまとった要が振り返った。
「やあ、十和子くん」
「要さん……! さっき、事件に遭遇したんですよ!」
「事件?」
十和子は喫茶店で起こった一部始終を要に報告すると、要はお香を焚き込めながら、深刻そうに眉をひそませた。
「まずいな、思っている以上に成長が早い」
「あのう……こういうのってまずいんですか?」
「ひとつ、ここはこの町の鬼門だ。邪気や鬼の通り道だ。他の場所であったのならただの戯れ言で済むおまじないも、しゃれにならずに膨れ上がることが多い。だがここまでの早さは別の要素が混ざっていることが多そうだ」
「別の要素……ですか?」
「……誰かが、好き好んで鬼を育てている場合だ」
「……そんなこと、する人がいるんですか?」
「聞いたことないかね。
安倍晴明は時の陰陽師として、様々な文献に載っている。一方蘆屋道満が何者だったのかは文献によりまちまちでよくわからないが、彼は一介の陰陽師ではなく、市中の呪術師であり、なにかにつけて安倍晴明と揉めていたらしい。
「……詳しいことはわかりませんけど、このふたりが揉めていたということくらいは、なんかの本で読みました」
「それで充分だ。人が呪いに合わないようにする職もあれば、人を呪うように仕向ける職も、平安の世からあったという話だよ」
「あ……」
丑の刻参りをはじめ、呪いというものは大正の世でもあちこちにはびこっている。
中にはとてもじゃないが、大正の世を生きる女学生が戯れるような遊びのおまじないどころではないものだって、存在はしているのだ。
要は十和子に薄緑を授けると、自身は懐から人形を飛ばした。
「まあ、今は目の前の鬼に集中しようか……人の呪いを吸ってふくふくと肥え太った鬼を、な!」
そう言って人形を飛ばした先を見て、十和子は唖然とした。
黄昏時の金色の雲に突き刺さるんじゃないかというほどに、大きな背丈の鬼が、ズシン、ズシンと地鳴りをさせながら歩いてきたのだ。
「この間までの子鬼より、明らかに大きいですよね!? 前の子鬼を全部くっつけたとしても、あの大きさにはなりませんよ! ……でも、そのせいか子鬼が見えませんね?」
「共食いしたんだろうさ」
「……共食い」
目の前の鬼が、小柄の鬼を掴んではムシャムシャと食べるのを想像し、十和子は気分が悪くなった。本当にろくな趣味じゃない。
十和子が胸くそ悪くなったところで、鬼は待ってくれない。
ズシン、ズシンと地鳴りをさせながら、こちらへと向かっていったのだ。十和子は薄緑を鞘から抜き放つ。
「これ、本当に人には見えないんですか!? こんなの町に出たら危ないじゃないですか!」
「ああ、残念ながらこれくらいだと見えないんだ。だからこそ、これ以上成長してしまう前に、屠らないといけない。やれるか、十和子くん?」
「やるしかないでしょうが! 補助よろしくお願いしますね!」
そう言って十和子は、三つ編みを靡かせながら薄緑を構えて突撃していった。
まず最初に、鬼の脇腹に一閃放つ。
「はあああああああ…………!!」
子鬼のときは簡単に刃が入り、紙風船のようにはじけ飛んだというのに。鬼は硬くて血すら出さない。
(薪割りの手伝いをしたときみたい……刃が上手く食い込まない感じっっ……!!)
刃を抜いて間合いを取り直そうとしたが。何故か刃は抜けない。薄緑はどれだけ斬っても刃こぼれひとつしない刀だったというのに。
「抜……けな……!!」
そこで気付いた。十和子の太刀筋を受け、鬼が回復しているのだと。回復する際に、薄緑の刃を巻き込んでしまっている。だから簡単には抜けない。
「十和子くん伏せろ! 臨兵闘者皆陣列在前…………!」
要が手印を結びながら、九字を唱える。
やがて、なにかが鬼に纏わり付いた。その間に、十和子はどうにか薄緑を引き抜いて、鬼の間合いを取り直した。
「ありがとうございます……! でも、今なにをしたんですか?」
「少しばかり、呪いを薄めただけだ。他のものと織り交ぜてな……ここだと結界を張り直したところで意味がないだろうし、ここで倒すしかないだろうな」
「ですよね……ですけど、普通に斬るだけだと、すぐに鬼が再生しちゃいますし、薄緑の刃も巻き込まれてしまいました」
「なるほど……再生力が高いということは、それだけ邪気を吸い集めているんだろうな。でも、斬れたんだな?」
「一応……刃は入ったんです。ただ完全に斬ることができなかっただけで」
十和子の説明に、要は人形を飛ばして鬼を牽制しつつ、顎に手を当てる。
「……鬼に刃が入るってことは、要は再生される前に斬れば、やれるか?」
「うーんと……」
途中で抜こうとしたときに、再生された。
峰には入った。そこから先に刃を出せなかっただけで。
「……再生されなかったら、あとは勢い付ければ、なんとか……?」
「わかった。薄緑の刃をこちらに見せてくれないか?」
「え? はい、わかりました」
そう言って、要を斬ってしまわないように峰を見せながら薄緑を手渡すと、要は薄緑の刃に触れた。
「急急如律……」
「え……?」
「薄緑の刃に結界を施した。これで再生されても、鬼に巻き込まれないはずだ。そのまま振り抜ければ、斬れるはずだ」
そう言われ、十和子は少し驚きながらも、薄緑を少しばかり振ってみた。
結界を張られたと言われなければわからないほどに、薄緑は普通通りに振り抜ける。あとは、もう一度鬼の胸中に飛び込まないといけないというのがおそろしいだけで。
「……いけると思います」
「思いますじゃ駄目だ。いけないと」
「いきます」
「よし」
そのまま十和子は、再び三つ編みを靡かせながら、走って行った。
鬼は先程彼女に斬られかけたことに警戒してか、腕をぶんぶんぶんと振り回して、隙を与えてくれない。
(このままじゃ、懐に飛び込めない……! なんとかしないと……)
刀が折られても駄目。牽制を与えて校庭から逃がさないようにしている要に当たっても駄目。十和子は薄緑の絵をぎゅっと握りながら考えあぐねていたところで。
薄緑が一瞬光ったように見えた。
「え……?」
薄緑の刃を見てから、十和子は鬼を見た。先程十和子が斬った箇所は、すっかりと塞がれてしまい、もうどこに十和子のひと太刀が入ったのかがわからない。だが。一瞬光った部分が、鬼の腹に照射されているのだ。
(斬れる部分が、わかる……?)
十和子はそこ目掛けて走っていった。
風が滑らかで、淀みがない。鬼があれだけ乱暴に腕を振っているにもかかわらず、それがまるで絵本でも眺めているかのように、十和子には止まって見えた。
かつて、父が鍛錬中に言ったことがある。
「真の達人は、人の動きが止まって見える」と。
(私、まだそんな達人の域になんか達してない。だとしたら……薄緑のせい……?)
十和子の考えている暇も与えず、彼女は鬼の脇腹に踊りかかっていた。そして、一気に刃で撫で斬る。
血は噴き出なかった。代わりに、子鬼のときにも聞いたパァァァァアアンッという音が響いたのだ。
鬼が一気に爆発し、滅した。
それに十和子は唖然とした。要が駆け寄ってくる。
「素晴らしいね、十和子くん。君、いったい鬼をどうやって?」
「どうやってというか……要さんが結界を張ってくれたおかげで、斬れたとしか……」
「俺は刀が鬼の再生に巻き込まれないよう弾くようにしただけで、他はなにもしていないぞ」
「あれ? ですけど。私一瞬だけ鬼の動きが絵本のように止まって見えたんです。だから……鬼の懐に飛び込んで、斬れた訳で……私、まだお父さんに剣の鍛錬を付けてもらってるだけで、お父さんの領域には達してません」
「ふうむ……ちなみに、薄緑のもっとも有名な使い手は源義経だが、他にもいるのを知っているかい?」
「ええっと……一応薄緑は、源氏の重宝だったんですよね? だったら先祖代々使ってたんじゃ」
「その内のひとりは、
「金太郎の後日談……でしたっけ? 金太郎が偉いお侍さんに使えることになったというくだりは知っていますけど、詳細は……」
「大江山には鬼が巣くっていた。源頼光は時の帝の命を受け、安倍晴明の占いにより大江山を目指し、酒呑童子率いる鬼の集団を退治したっていう話だ。君はたしか士族だったね? 先祖は?」
「うーんと……よく知りません。うちも先祖が養子縁組だったり嫁入りだったりお取り潰しの危機をどうこうしたみたいな話が乱立していて、ちょっと込み入り過ぎててよくわからないんです」
「なるほど。もしかしたら源頼光が子孫に力を貸してくれたのかもとも思ったけれど、そういう訳ではないようだ」
もしそうだったら、十和子も浪漫があると喜んでいただろうが。十和子の実家は源氏の棟梁をしていた家の直系はもちろん、遠縁かどうかも怪しいほどに、縁がない。
「とりあえず……もしかしたら頼光さんが力を貸してくれたのかもしれませんね。はい、ありがとうございます」
そう言って十和子は大事に刃を拭ってから、鞘に納め直した。それを大事に持ちつつ、要は「それにしても……」と言う。
「いったい誰だ? こんな地におまじないを広め、鬼を育てはじめたのは」
「あのう……大きさだけだったら、あの鬼も充分大きかったと思うんですけど、あれよりも大きくなるんですか?」
「逆だな。大きかったらその分的も大きくなるから、鬼は倒しやすくなる。むしろ鬼が逃げやすい邪気を広めやすい形に姿を変える」
「子鬼より大きくて、鬼より小さく……ですか」
「……育った鬼は、知性がある。子鬼や鬼だったら人間の言葉なんかわかりゃしないが、人間の姿をとって市中に紛れ込まれたら……最悪、無辜の民を人質に取られかねない。それこそ、大江山で大量に京の姫や若子がさらわれて人質にされたように」
「あ……それ、大変じゃないですか!」
「ああ、大変だ。だからこそ、おまじないをばら撒いた呪術師、育った鬼。どちらも特定して始末をつけなければならないだろうさ」
それに十和子は自然と身が引き締まった。
(ただ刀を振るうだけじゃ、どうすることもできないんだ……)
ただ女学生は、恋をしているだけ。その恋を叶えたいだけ。
それらを水とし、悪意を育てる。
……考えるだけで醜悪だ。
(見つけたら、絶対に殴ってやる)
そう十和子は決意を新たにして、一旦要と別れたのである。
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